巳山のお姫様は何を願う。

ありま氷炎

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巳山のお姫様

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「綺麗!」

 船の上で、阿緒(あお)は空を見上げたり、海を眺めたりと大興奮だった。
 身分がわからないように、旅の危険を少なくするためと、阿緒は本来の性に近い恰好をしていた。旅に向けて長くのばしていた髪も結いやすいように背中にかかる程度までに切り、ひとくくりに結んでいる。何枚も羽織を羽織り、体の線を見せないようにして過ごしていた彼。最初は薄着で髪が短くなったことに戸惑っていたが、船に乗り込み出航してから、風景に気を取られ戸惑いなどが吹き飛んでしまった。
 甲板の上で、阿緒は魅せられたように空と海を眺めている。
 その隣に控えるのはいつも通り寒凪。目立たないように普段は真っ黒な着物を身に着けているが、今日は落ち着いた深緑の着物を羽織っている。
 旅の安全、深山の身分がばれないように、阿緒は父に会うために隣国へ向かう商人の子、寒凪はその従者という設定であった。
 その二人から離れ、多津は面白くなさそうに海を見据えている。彼は阿緒の兄という役割を当てられている。
 なぜ多津が不機嫌なのか。それは己の役割のためではない。阿緒が元の性である少年の恰好をしているからだ。旅には女の恰好よりも男の恰好のほうが理にかなっているので、彼は苛立ちを押さえるしかなかった。

「……多津。怒ってるのかな」

 あの男のことは気にせず、楽しんでほしい。
 阿緒の問いに、寒凪はそう答えたがったが、口から出た言葉は別物。

「多津様はお疲れかもしれません。阿緒様が気になさることはありませんよ」
「疲れているんだ。だったら、中に入って休んだほうがいいよね」

 阿緒の考えの中心は、多津だ。
 寒凪はそれを思い知らされ、苦い思いをかみしめる。けれども表情に出すことはなかった。

「多津。疲れていますか?それなら早めに休みましょう」
「そうだな。ありがとう。阿緒」

 隣国の旅を決めてから、多津の態度には優しさが見える。阿緒はそれが嬉しい。寒凪は多津が何を考えているかわからず気味の悪い思いを抱く。
 
「行こう。阿緒」

 多津は彼の背中に手をまわして、船内に向かう。触れられて恥ずかしいのか、阿緒は少し顔を赤らめてた。多津は阿緒の意識が自身に向いていることを暗に喜び、背後の寒凪に視線を送る。
 優越感たっぷりの視線に寒凪は気が付かないふりをした。

「赤の呪術師がいない?」

 船は二日後に隣国に到着し、多津は『赤の呪術師』を待ち合わせしていた宿にたどり着いた。
 そこで宿の主人から、『赤の呪術師』不在の話を聞く。

「でも預かっている手紙があります。これです」

 目を吊り上げ怒りの形相の多津に、宿の主人は慌てて手紙を渡す。その上、今日の泊まり賃は赤の呪術師がすでに支払い済だという。
 路銀は十分であったが、多津の怒りは若干収まりを見せる。

「とりあえず部屋で手紙を読もうか」
「そうですね。多津」

 阿緒は同意し、三人は宿の主人に案内されるまま、部屋に向かった。
 阿緒と多津は兄弟設定、寒凪は従者であり常に主人の世話を担う。そうなると三人は同じ部屋に泊まるのが普通であった。
 阿緒は多津と同じ部屋で過ごすのが、嬉しいような恥ずかしようなそんな気持ちをいただいていた。
 多津は部屋に近づくにつれて、頬が赤らめていく阿緒に気が付き、気持ちを高揚させる。しかし、阿緒がまだ男である事実に気が付き、落胆。同時に待ち合わせに応じなかった赤の呪術師に対して怒りを覚えていた。

「こちらです。ごゆっくりお休みください。夕食の時間になったらお知らせします」

 宿の中では一番高級な部屋に案内し、主人は三人へ深く頭を下げる。
 多津は彼が出ていくと戸を閉め、すぐに手紙を読み始めた。

「ふざけてる」

 読み終わった多津は手紙を握りつぶす。
 その怒りに当てられて阿緒の顔色は一気に悪くなった。寒凪は阿緒を動揺ささせる多津に苛立ちながらも、表情は変えず、阿緒を守るようにその前に立った。

「その手紙、私が拝見してもよろしいでしょうか?」
「勝手にしろ」

 握りつぶした手紙を寒凪に押し付けるように多津は渡す。

「俺はしばらく頭を冷やしてくる。阿緒、驚かしてすまなかった」

 多津はいつもの作られた笑みを浮かべた後、部屋を出て行ってしまった。
 謝るだけ以前よりましか。
 そんなことを思いつつ、寒凪は手紙を読みやすいように広げ直した。

「阿緒様。ご一緒に読みますか?それとも私が先に目を通して内容を知らせましょうか?」

 多津の怒りの様子から良いことは書かれていないと予想して、寒凪は阿緒に伺いを立てる。

「私も一緒に読みたい。いい?」
「勿論です」

 座布団を敷いて、阿緒に座るように促し、立ったままで一緒に読めないため、寒凪はその隣に腰を下ろす。
 いつもと違う格好の阿緒、本来の性である男の恰好。改めて眺めると化粧をしている顔よりも随分幼く見え、阿緒本来の可愛らしさが見て取れる。その柔らかな頬に触れることができたら、そんな欲望がもたげてきて、寒凪は直ぐに自分を制する。

「寒凪?」
「すみません。それでは読んでいきましょうか」
「うん」

 手紙の内容は、『赤の呪術師』から出された条件だった。
 彼は西の果ての枦木(はしき)の村で待っていて、二つの街から彼が望むものを持ってきてくれたら、願いを叶えるというものだった。
 二つの街、火烙(からく)と水目(みずめ)。
 彼の望むものとは、火烙(からく)の街の宝木の実と、水目(みずめ)の街の青鳥の羽。両方ともそれぞれの街の首領が保管している宝物である。

「多津様がお怒りになるのもわかりますね」

 寒凪には珍しいことだが、多津の反応に理解を示した。
 手紙の内容から、女になる秘術などなく、体よく断る理由にしか思えないからだ。
 首領の宝物を入手など、街の賊を退治してくれと言っているようなものである。寒凪自身武術の心得もあり、強いと自負している。しかし、街の賊を退治するのは訳が違う。
 多津も弱くないが、賊退治などとんでもないことだろう。

「事情を話したら、宝物をわけてくれたりしないかな」

 阿緒もその辺は理解しているはずなのだが、期待を込めた目で寒凪を見上げる。
 
「街にいって様子窺うだけでもできないかな。本当にだめそうだったら諦めるから。少しでも可能性があるなら試したい」

 阿緒に頼まれれば、寒凪はどんなことでも引き受けてしまう。

「わかりました。行くだけ行ってみましょう。多津様はついてこないかもしれませんよ」
「……わかってる」

 あの怒り方から、街への同行は難しいだろう。
 寒凪としては、多津がいないほうが清々するのが正直な気持ちだ。しかし阿緒の安全性を考えると、戦力になる多津が阿緒の傍にいてくれたほうが安心できた。
 街には行くが、そこで阿緒に諦めるように説得しようと寒凪は心に決めた。

「お前たちが行くのであれば、俺もいく。当然だ」

 戻ってきた多津に火烙(からく)の街に行くことを伝えると、即答された。阿緒も寒凪も驚き、次の言葉が出てこなかった。

「少しの可能性でもあれば、俺もすがりたい。阿緒を女として娶りたいのだ」

 優しい微笑みを浮かべながら、多津は阿緒に告白する。
 寒凪はうすら寒い気持ちになったが、彼の主人は違った。

「ありがとうございます。嬉しいです」

 多津の言葉に心を動かされたのか、目を潤ませて、阿緒は答えた。
 阿緒の心は多津にいつも向いている。
 わかりきったことであるが、寒凪は胸に強い痛みを覚え、目を閉じた。

 
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