カイ~魔法の使えない王子~

愛野進

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5『冥々たる紅の運命』

5 第二章第二十三話「命の循環」

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 冥界とは、死した命が還る世界。

 同時に、新たな命を人界、天界、魔界の三界へと送る世界。

 言うなれば冥界は、命を循環させる。

 冥界を訪れた命は、時間をかけて命に宿る記憶や想いを洗い流していき、最終的には過去のことを全て忘れ、無くして真っさらな状態へと還る。

 過去を消すためにかかる時間は命それぞれであり、その命が辿ってきた人生に影響される。
未練がある者、強い想いを抱く者、そして罪を犯した者。その魂に染み付いたものが多いほど、魂の浄化には時間がかかるのである。

 浄化された魂は冥界から三界へと送られる命の列に加わり、自分の番を待つ。そして三界から冥界へと命が還ってきた時、冥界から三界へと新たな命が送られる。

 その命の形は人か天使か悪魔か、魔獣か或いはそれ以外か。

 形はさまざまであるが、つまり三界において。



 そこに生きる命の数は常に一定なのである。



 だが、逆を言うと。

「生の育みにより新たな命がこの世界で生まれたとすれば、別の命が時を同じくして死んだということだ」

 トーデルが淡々と言ってのける。

 部屋の電気も点けず、カイはトーデルの話を寮の自室で聞いていた。先程まで外に居たせいでずぶ濡れのローブはとりあえず脱ぎ捨てて、ベッドに腰かけている。対してトーデルはそんなカイの前に半透明のまま浮遊していた。暗闇に彼女の紅い瞳が妖しく光る。

 トーデルから冥界について説明を聞くカイ。ずっと知りたいと思っていたし、この王都ディスペラードに来た理由でもある。

 だが、カイはその説明を理解することができずにいた。

「……てことはあれか? 赤ちゃんが生まれたら、代わりに誰かが死んでるってのか」

「そうだ」

「んな馬鹿な。そんなわけ――」

「ないと言えるのか? この世界に生きる全ての命の数を把握しているのか? 人だけではない、天使族に悪魔族、それにお前が触れ合っていたグリフォンだってそう。どれだけの命が三界に生きていると思う。偶然ではなく必然的に、命は終わり、そして芽吹くのだ」

「……」

 そりゃこの世の全ての命がどれだけあるかなんて分からないけれど。

 だって、トーデルの言っていることが本当なら、まるで運命に決められたように、その命に終わりと始まりがあるみたいだ。

 全ての命に運命があり、決められた死期があるのだと聞いて。

 簡単に理解、納得なんてできない。

 そんな気持ちが表情に出ていたのだろう。

「お前がどう思おうと、それがこの世界の理なのだ。こんなところで時間を使っている場合ではないだろう」

「……話を続けてくれ」

 トーデルの言う通り、悩んでも理解できなくても変わらないものはあるのだろう。変わらないから仕方ない、なんて思いたくないけれど、まずば全てを聞かなくては。

 口を閉ざしたカイを見て、トーデルが続ける。

「述べたように、三界の命の数は常に一定だ。そして、三界の命が冥界に送られる度に、冥界からも同じ数だけ命が三界へと送られる。これが意味することが分かるか」

 何を伝えようとしているのか分からなくて、カイは口元に指をやって考え込む。

 冥界は命が循環する世界。三界から一つの命が送られたら、冥界からも一つの命が送られる。

 命の数は一定。同じ数だけ送られる。

「……つまり、冥界に存在する命の数も一定、ってことか」

 カイの答えに、トーデルは頷いた。

「その通りだ。三界も冥界も命の数は常に一定。増えることもなく、減ることもない。その均衡が保たれることで、世界における命という枠組みは変わらず続いている。……逆を言えば、この均衡が崩れた時、三界と冥界双方における命はその輪郭を危ぶまれ、やがて全て消滅してしまうであろう」

 この世界における命は循環することで成り立っており、その循環が乱されることで全ての命が機能を停止するのである。

「ゆえに、この均衡は保ち続けなければならない。……だが、その均衡が一度乱された瞬間があった」

「それはいつなんだ」





「今から百年以上前。べグリフという男が異界からこの世界に現れた時だ」





「っ!」

 カイは驚いた。まさかここでべグリフの名前が登場するとは。確かにべグリフは昔異界から来た。それはカイも知っている。べグリフが想一郎だった頃は確かに別の世界にいたらしい。
べグリフがこちらの世界に訪れたのは百年以上前、人族と天使族、悪魔族が三つ巴の戦をしていた時のこと。三つ巴の戦いは人族の敗北に終わり、人族は両族の奴隷になった。その頃に、前魔王が突如死に、べグリフが魔王になったのだった。

「べグリフ含め、異界から訪れた命は四つ。三界における一定の数が、この時確かに乱されたのだ」

 べグリフ含め四つ、という言葉にカイはピンとこなかった。べグリフ以外に誰かがこちらの世界に来た、という話は聞いていない。

 だが、すぐにそれが《紋章》を指しているのだと分かった。

《紋章》は《言霊の代行者》が命を使用することで生み出される力。

 べグリフの《紋章》に夢の想いが宿っていたように、やはり《紋章》には命が宿っているのだろう。

 トーデルのその言葉で、それが確信できてカイは少し嬉しかった。



 確かに夢はずっとべグリフの傍にいたのだ。



 この世界に存在する、若しくはしていた《紋章》は、べグリフの《魔》、ドライルの《獣》。

 そして、まだ見たことも存在も確認していないが、《王》の紋章なるものがあるとべグリフが言っていた。

 べグリフ含め四つの命が確かに、異界から三界へと来たのだ。

「冥界の《女王》はすぐさまこれに対応しようとした。だが、どれだけ試行錯誤しようと手段は一つしかなかった。時間が許す間、最後の最後まで別の方法を模索していた女王だが、遂に全ての命の輪郭が危ぶまれかけた時、手を下した」

 冥界の命が一つ増えれば、冥界から命が送られる。三界で命が一つ芽生えれば、三界から命が送られる。一つ増えて、一つ減る、命の循環。

 だが冥界からではなく、異界から四つの命が三界へ送られてしまったため、数が合わなくなってしまった。

 もし三界に送られた四つの命の分だけ三界から冥界に送ると、今度は冥界側の命が四つ増え、一定の数でなくなってしまう。三界1.4:冥界1の状況で三界から0.4送っても、今度は1:1.4になるだけだ。

 なら冥界側の命だけを四つ増やすことができれば、つまり三界1.4:冥界1だった状況を、冥界側が増やすことで1.4:1.4にすることができれば、均衡としては保たれる。

 だが、どれだけ力を尽くそうと、命を増やすことはできなかった。

 それが、この世界の理なのである。

 ならば、どうするか。1.4:1を1:1にするためには。

 その乱れた循環を戻すためには。



「《女王》は本来ならば三界から冥界へと還るはずの四つの命を、消滅させた」



 新たに生まれた0.4の代わりに、死した0.4を完全に切り捨てたのである。

 冥界に還ることもなく、命を浄化させることもなく。

 冥界の女王は四つの命を完全に断ち切った。冥界に戻れるはずだった四つの魂は次元の狭間を彷徨い、やがて消失した。

 命を循環させ、絶やさないのが冥界である。

 その女王が命を絶った。

 冥界の存在が、定義がその瞬間確かに歪んだ。

「そこからだ、《女王》の様子がおかしくなったのは」

 直接触れたわけではないのに、女王の手には消し去った命の感触がこびりついて離れなかった。

 全ての命を管理し、見守るはずの女王が絶った命。

 何故だか、そこに命の輝きを女王は感じた。

 全ての命を救うために、その四つの命は犠牲になったのだ。



 その四つの命の価値は、他の命とは比べ物にならないものではないか。



 全ての命の価値は平等であると、《女王》は信じていた。

 だからこそ、循環できると思っていた。

 だが、どうだ。

 命には価値がある。命ごとに価値がある。

 何百年と見続けてきた命の列。そこに漂う真っ白な魂たち。ずっと同じように見えていたはずなのに。

 気づけばその一つ一つの価値は違うのだと。

 女王は知った。

 知ってしまった。

 命を等しく、無限に見続けてきた女王だからこそ。



 命一つ一つが持つ価値に、魅力を感じて仕方がなかった。



 そこからであった。

 女王が命への価値づけを始めたのは。

「先程伝えたように、浄化された命は、三界へと導かれるための命の列へと入る。そして三界から命が還った時、先頭から命が三界へ送られていくんだ。それが、冥界というものだった。……だが《女王》は命に価値づけを行うようになり、価値の高い命から順に三界へと送るようになったんだ」

「じゃあ、その《女王》ってのが価値なしと決めた命は……」

「……ほぼ永久的に、新たな命として芽生えることはない。《女王》は命を五段階で選定し、段階が高ければ優遇されるが、段階が低ければ「転生」は絶望的。浄化すらまともに行ってもらえず、未練を拭えず、罪に苛まれて、苦しみを死んでなお味わうこととなる」

 特に罪を犯した者は、罪の内容に応じて刑が執行されるようになり、肉体を失ってなお魂は激痛、苦痛を伴うのである。

「だが、《女王》のその思想に抗う者達がいた。それが私達《冥界の審判員》だった」

 《冥界の審判員》と聞いてカイは、確かにトーデルが自分のことを元とか言っていたなと思い出した。

 そして、レゾンを現《冥界の審判員》だとも。

「元々《冥界の審判員》は冥界を訪れる命を、冥界から送られていく命を管理する者たちのことを指す。浄化の経過や命列の整理。全ての命が新たな生を健やかに送れるように尽くすのが私たちの仕事だった」

 《冥界の審判員》は冥界に住む者達のことで数は十人。その内の二人がレゾンとトーデルであり、女王の下、代替えなどもなく永遠に冥界にいる。

「命は平等だ。それが《冥界の審判員》をしていた私達の総意。ゆえに、変わり果ててしまった《女王》へ私達は言葉をもって説得しに行った。」

 《冥界の審判員》全員で女王へ跪き、言葉をかけていった。これ以上命を軽く扱ってはならない。重みも、軽みも、全てが等しいのだと。

「最初は聞き耳を立ててくれていたように思う。だが、それは間違いであった。時間をかけてゆっくりと、だが、確かに《女王》は狂い始めていた。その証拠が《冥具》だ」

「《冥具》って、確か凄い特殊な力を持つ《冥界》の武器のことだよな」

 メアがレゾンと戦った時、それにドライル達が《王貴派》と戦った時にも出てきた言葉だ。二人を以てしてもかなり苦戦したと聞いた。それだけ《冥具》が強力ということだろう。

 カイの言葉に頷いた後、唇を嚙みしめてトーデルは言った。





「《冥具》は《冥界の審判員》の命が源だ」





「……はぁ!?」

「十人いるはずの《冥界の審判員》の内、既に八人が《冥具》化され、《女王》の手中に収められている。べグリフが使っていた《大剣ハドラ》もその内の一つだった」

 最初は一つだった。いつの間にか《冥界の審判員》が一人消えていて、聞くと変にはぐらかされる。だが、目の前で二人の同胞を、彼らの持つ《冥力》を利用して《冥具》化されてしまった時、残りの《冥界の審判員》は誓った。

 女王を打倒しようと。

 女王は狂ってしまった。このまま彼女に《冥界》を託していては、全ての命が危ない。

 そして、七人で女王へ攻撃を仕掛けようとした時。



 七人の一人、レゾンの裏切りにあった。



 《真鎖タフムーラス》を女王から渡されていたレゾンが、咄嗟に避けたトーデル以外の《冥界の審判員》を拘束したのである。

 その結果、残り全員も《冥具》化され、トーデルだけは命からがらその場から逃げ出すこととなった。

 八つの《冥具》に《女王》とレゾン、これらを前にトーデルは《冥界》からの脱出を試みた。その過程でトーデルは自身の《冥力》をほとんど失って、誰にも認識されないほど希薄な存在として三界を彷徨う事となったのである。

「何故、《大剣ハドラ》をべグリフに貸与したと思う? それは恐らく命の価値を高くするためだ」

「何でそれと命の価値が関係するんだよ」

「命の価値は、行く手を阻む強大な力へ対抗しようとすることで、命を賭して何かを成そうとすることで増すと《女王》は考えているからだ」

「……つまり、べグリフが作り上げた絶望へ抗おうとする命に価値がつくってことか?」

「そうだ」

「ふざけるなよ!」

 カイが拳をベッドに叩きつける。機械腕なだけあって、かなり軋んだ音が響いた。

「そんな、そんな理由で世界を、命を危険にさらす奴が命を司る冥界の女王だって? そんなんじゃ死んでも死にきれないだろ! 死んじまった奴らに顔向けできないだろ!!」

 真っ先に思いつくヴァリウスの顔。

 もしかしたら今もなお、死んでなおヴァリウスは冥界で苦しんでいるのかもしれない。こんなことを聞いて、黙っていられるか。

「教えろ、トーデル! 冥界へ行く方法を! その《女王》って奴、ぶっ飛ばしてやる!」

「落ち着け、気持ちは分かるが、この国の状況も知りたいんだろう!」

「それはそうだけど、全部そいつが悪いんだろ!!」

 トーデルの話は難しい話も多くて、全てを完全に理解できたわけではないだろう。

 だが、《冥界》を牛耳る《女王》がヤバい奴なのは間違いなかった。王都ディスペラードの件も《冥界》が絡んでるとすれば十中八九《女王》が絡んでいることだろう。このままでは全ての命が奴の掌で弄ばれることになるのかもしれない。

 それだけは阻止しなければ。

 命を、なんだと思ってやがる。



 そう思えば思うほどに、ザドの言葉が脳裏をよぎる。



「お前がそれを言うのかよ。世界に生きる数多の命の合意もなく、自分の理想だけを世界に押し付け続けたお前が」

 命を、俺はなんだと思っているのか。

 俺のせいで、死んだ命がある。きっと、それは間違いなくて。

 つまりそれは、俺のせいで《冥界》という《女王》のいる地獄に送られている人たちがいるということだ。

 ……俺は。





「簡単に行かれても困るんだよ」





 その声は唐突にカイの自室に響いた。

「「っ!?」」

 気配は突如現れて、カイとトーデルの反応も一瞬遅れる。

 視界の先、暗闇に溶け込むようにしながら、黒ローブに身を包んだ銀髪の男――。



 レゾンが赤い瞳を光らせて、冷たく笑っていた。

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