カイ~魔法の使えない王子~

愛野進

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5『冥々たる紅の運命』

5 第五章第七十二話「役者は揃った」

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 冥界の《女王》。全ての魂の上に立つ存在。

 かつて、《女王》は命を一つ残らず等しく扱っていた。いや、等しく扱ってこその冥界の王だった。しかし、べグリフが《紋章》を伴って別次元からこちら側の次元に現れたことで、生界と冥界の魂のバランスが崩壊。両側の魂の数は常に同数・一定だったのに、べグリフ達の存在で生界側の命が4つ分増えてしまったのである。

 ゆえに、《女王》は生界から冥界へと向かっていた魂を4つ消滅させることで帳尻を合わせた。

 数多の魂の中から4つの命を選び、刈り取ってしまった。

 貴賤のない、貧富のない、格差がないはずの命に価値をつけてしまった時点で。

 

《冥界》が狂うには、《女王》が狂うには十分だった。

 

 凛とした声が暗闇に響いた。

「楽しかったか? 共に何かへ抗おうとするのは」

 目に焼き付くような緋色が視界で揺らめく。向けられている真っ赤な瞳に、今にも魂の輪郭を手放してしまいそうだった。

 転移も、でき、ない……!

 ヴァリウスが必死に状況を打破しようとするも、そもそも身体が全く動かず、加えて魔力すらも操ることができなかった。それもそのはず、魔力に魂が宿るのだ。魂を司る《女王》を前にして、魔力が言うことを聞くわけがないのである。

「全て、こちらの掌の上だというのに」

 地獄に一輪咲く彼岸花のように、《女王》は純白の衣を翻してケレア達の前で立ち止まった。

「―――」

「……話せないのもつまらんな。特例として、口だけは動けるようにしてやろう」

「――ぶはぁっ!」

 言下、口周りだけが動くようになり、止まっていた呼吸が息を吹き返す。呼吸など魂の彼らには些末なものではあるが、《女王》を前にして苦しさのあまり深々と息を吸ってしまう。

「はぁ、はぁ……掌の、上だと……!?」

「そうだ。お前達は此方の魂感知から逃げおおせていたつもりだろうが違う。此方がお前達の魂を知覚しながらも放置していただけに過ぎん。どれだけ小細工をしようと所詮は魂、此方が捉えられぬ道理はない」

「……!」

 ケレアは言葉にならなかった。《霊魂の加護》という魔法を創り出し、魂を別の魂で包むことで誤認させていたと思っていた。実際、死兵達は間違いなく誤作動を起こしていた。なぜなら、襲ってくることがなかったからだ。

 死兵はてっきり《女王》と繋がっているものだと思っていた。だから、死兵が誤認するのであれば、《女王》も気づけていないのだとばかり――

「そうではない」

「っ、俺の思考を……!」

「造作もない、魂は須らく此方のものなのだから。そして、教えてやろう。お前達の魔法は確かに魂の輪郭を曖昧にしていた。だが所詮、魂であることには変わりない。そこに存在していることなど、此方には明瞭に映っていたぞ」

「そ、んな……!」

「よいか、改造された魂共は決してお前達を誤認していたのではない。認識していながら此方が襲わせなかっただけのこと」

 何年も、何十年も《女王》を倒すために様々な手を打ってきていたというのに、全て、何もかもが《女王》によって見逃されていただけ。放置されていただけの取るに足らないことだったというのか。

 流石のケレアもこの事実には耐えられない。

「嘘だ!」

 信じられないと言わんばかりにケレアが叫ぶ。

「何故だ! 何故俺達を放置する必要がある! 何故野放しにした!?」

「一興であろう。如何に抗おうと変えられぬ必定がある。魂がその運命を理解するその様は、実に滑稽だとは思わぬか」

「……っ!」

 ケレアが唇を噛む。強すぎて形ばかりの皮膚が裂け、血の代わりに魂を宿した魔力が漏れていく。

「お前達の魂には小粒程の価値も存在せん。その程度の存在に、どうして此方が意識を向けなければならない。ゆえに放置したのだ。大局に何ら影響はないのだから」

「――」

 最早言葉にすらならず、ケレアは開いた口を閉じることもできない。ただ茫然と絶望を表情に映し出して、目の前で死の気配を振りまく天女を見つめることしかできなかった。

「……なら」

 ヴァリウスが代わりに、死に体の言葉を繋ぐ。

「カイとエルを見逃したのも、君にとって何一つ障害にはならないからなのかな」

「当然であろう。あの者達を生界に帰したのは、これまた一興だからだ。何をしても無駄だというのに、それでもあの者は、カイ・レイデンフォートは抗うだろう。その抗った先で待つ結末は此方を多少は退屈から解放してくれるに違いない」

「へー、随分カイのことを理解しているんだ。流石冥界の《女王》と言ったところか。きっと魂の情報として、カイの送ってきた人生のことも知っているんだろう。……ところで《女王》、君は僕たち魂の思考も読めるんだろ? なら、僕が次に言うことも分かるはずだ」

「……」

 冷徹な緋の視線がヴァリウスに向けられる。これまでの瞳とは違う、余裕の消えた負の感情が宿っていた。

 物怖じせずにヴァリウスは言う。

「《女王》、君の言い方には違和感を覚えるよ。さっきの言い草、まるでカイに期待しているかのようだ。魂に価値を感じないんじゃなかったかい?」

「……」

「まぁ別にいいんだ、そんなことは。気になるのは別のことさ」

「【別のことじゃと?】」

 ジェガロの声が聞こえてくる。竜状態のジェガロは魔法で言葉を飛ばしてきているのだが、《女王》が許可していた。

「そう、散々放置プレイされていた僕らとしては気になるでしょ」

「……確かに妙ではあるか」

 ヴァリウスの言葉にアグレシアも賛同の意を示す。

 そう、ずっと気になっていた。

 これまで二十年以上かけてケレアは《女王》を倒す準備をしていた。同士を増やし、エルを生界へ戻すために、《冥界》中を駆け回っていた。

 だが一度として、《女王》がその姿を現したことはなかった。それこそ、本当に《女王》が言うように、まるで《冥界》内で何が起きていようと興味ないかのようだったはずだ。

 なのに。

「もし君が魂に何も感じないのだとすれば、どうして今になって君は僕達の前に姿を現したんだい?」

 先程、《女王》は大局に変わりはないと言っていた。それは《女王》の支配するこの世界に何も影響しないと言っているのかもしれない。

「本当は、カイ達が生界へ戻ったこと、かなり痛手なのではないか?」

「……そうだったら、良いんだけどね。なら戻る前にどうにかすると思わないかい」

 生憎アグレシアの意見とは違い、ヴァリウスには別の理由に思えていた。

 もし本当にこれまでの自分達の動きは大局に一切影響を及ぼしていないとして。でも、カイ達の登場で変わることのなかった大局が動き出したのだとしたら。

 そして、それは《女王》にとって嫌な未来へ向かっているのではなく、《女王》が望む行く末へと進みだしたのだとしたら。

 これまで自分達を放置していたこと、それに大局という言葉にどうしても引っかかってしまう。



 《女王》には、何かしらの目的があるのではないだろうか。



 その目的に至るまでの道程を大局と呼んでいるように聞こえた。今《女王》が姿を見せたのはその証明なのではないか。

 カイとエルが生界へ戻ったことで、何かしらの大願が果たされようとしているのではないか。

 ヴァリウスの視線の先、紅く潤った唇が怪しく口角を上げた。《女王》は魂の頂点ゆえにヴァリウスの思考を完全に理解している。

 理解したからこそ、微笑を浮かべていた。

「……この時を待ちわびていた。ずっと、永劫にも感じる長い間」

 歪んだ冷笑が死の気配を更に濃くしていく。ケレア達の魂は既に《女王》の掌の上であり、いつでも容易く消失させられる。

 頂点たる《女王》相手に勝ち目など、ありはしない。

「だが……――」

 《女王》が、ふとあらぬ方向へ視線を向ける。漆黒の虚空、何もないはずの虚無の先を見て、笑みは一層深まっていく。

「少し逸って早く出てきてしまった。奴には時間調整に付き合ってもらおうではないか」

「奴……?」

 《女王》の視線を追おうにも、目の動きを許されたわけではなかった。変わらない視界の光景。そこに落ちてくる言の葉。



「《炎》よ」



 次の瞬間、真っ赤に燃える炎の波が《女王》を飲み込んだ。魔力には魂が宿ってしまい、魔法による攻撃が出来ないはずなのに。

 驚くケレア達の先で、炎を身体に纏いながら《女王》は彼に告げる。

「魂のみの分際で此方の前で動けるのはお前だけだろう、魔王よ」

「《隆起しろ》」

 聞こえてくる声に従うようにして、《女王》の足元の地面が炎もろとも高々と隆起する。抵抗する素振りも見せず、上昇していく《女王》へ届けられる言霊。

「《爆ぜろ》」

 次の瞬間、《女王》の目の前の空気が勢いよく爆発を起こした。爆発は隆起した大地ごと《女王》を飲み込む。

 弾けた大地の雨と共に降り立つ男。

「お前は……!」

 ケレア達の前に降り立ったのはべグリフだった。

「揃いも揃って、無様だな」

 べグリフがケレア達を一瞥するもすぐに視線を前に戻す。

「【魔王、お主どうして《女王》の前で動ける!】」

「相変わらず規格外な男のようだな」

「助っ人としては最高の人選だけどね」

 魂を縛られた各々が驚きを見せる。べグリフが魂として《冥界》にいるのは知っていた。だが、どうして魂だけのべグリフが《女王》の前で自由に動けるのか、攻撃できるのかは不明だった。

「いや、確かにお前の魂は――」

 ただケレアだけが、その違和感に納得していた。

 べグリフに《霊魂の加護》を付与した時、既にケレアは気づいていたのだ。べグリフという魂の特異性に。《霊魂の加護》などなくても、最初からべグリフの魂は二つの魂でできていたのだから。

「――だが、お前では此方には勝てぬ」

 爆煙の中から、ゆっくりと《女王》が降りてくる。そこに一切の外傷はなく、衣すら汚れていない。

「確かに、お前の魂に此方は干渉できぬ。お前のその力は事物に存在を刻むもの。既にお前の魂はその存在をこの世に刻んでいる。如何に此方が干渉しようと、抵抗するだけの力を有している。《紋章》とやらに感謝するのだな」

「ならば、貴様に死を刻んでやろう。《剣》よ」

 べグリフの手元に黒剣が生成される。言霊の力で生み出されたものは《女王》によって支配されない。《女王》の言った通りだった。《盾》という言霊で空気が盾の役割を果たすように、言霊は存在に意味を刻みこむ。言霊は魂と近しい性質を持っているが、刻まれた言霊は効力を失うまでそうあり続けるよう存在を縛り続ける。そのため、《女王》の支配に抵抗することができるのだった。

 そして、夢の魂と融け合ったべグリフ自体が、《言霊の代行者》として存在を確立させていた。

 べグリフの言葉に《女王》が笑う。

「知っておるぞ。その言の葉が魂を直接縛ることはできぬのだと。それとも命を対価に此方に力を行使してみるか?」

「……何故知っている」

「此方は世界だ。世界で起きていることなど、手に取るように理解している」

 《言霊の代行者》は生物に言霊を向けることはできない。それこそ魂が抵抗するからなのだろう。だが、命を代償に放った言葉だけは、魂にも影響を及ぼすことができるのだ。そうして言霊を手に入れたものを《紋章》使いと呼ぶのである。

「言霊を使わずとも、直接殺すだけだ!」

 べグリフが《女王》へと襲い掛かる。《剣》を素早く《女王》の白肌へ突き出した。

 《女王》は冷笑を崩さず、動こうともしない。

 そして、《女王》の身体を黒い剣が確かに貫いた。

「……!」

 べグリフが目を見開く。相手側に避ける気がなかったことにも驚いているが、それ以上に確かな手応えに驚きを隠せなかった。人体構造が同じなのだとすれば、心臓を突き刺したはずだ。

 だが、血が流れない。《女王》の笑みも崩れない。

 炎と爆発で攻撃した時もそうだった。確かに命中しているはずなのに、まるでダメージになっていない。

「言ったであろう。此方は世界そのものだと。たかが一突きで世界が終わりを迎えるわけがない」

「ちっ」

 そのまま袈裟切りにするも、傷はできず、衣服も斬られていない。べグリフは一度後方に退いた。

 そこへどこからか聞こえてくる声。

「《女王》は魂の頂点とも言える存在だ。生死を管理する立場なんだよ。そんな《女王》に死の概念があると思うか?」

 声と共に、真っ黒な空から紅色の魂が降ってきたかと思うと、《女王》の周囲に漂い始めた。

 実体を捨て魂だけの存在と化したレゾンだった。

 漂うレゾンを見て、《女王》が言う。

「レゾン、随分な姿になったではないか」

「ちょっとヘマしただけだよ、《女王》。なぁ、元の姿に戻してくれよ」

「構わん」

 言下、《女王》がすらっと長い指先でレゾンの魂に触れる。瞬間、紅い光が溢れてレゾンが実体を手に入れていた。掌を握ったり開いたりしてレゾンが身体を知覚する。

「ありがとう、《女王》。これで奴にお返しができる」

 そうやってレゾンがべグリフを睨みつける。《冥界の審判員》は元々《冥界》に生きる存在であり、肉体などを有しているわけがない。それでも実体を持ち得ているのは、《女王》が冥力に形を与え、彼らの器としているからであった。

 状況としては最悪だった。レゾン単体ならば前回同様どうにかなるかもしれないが、そこに死ぬ素振りのない《女王》がセットだ。流石のべグリフも勝機があるかどうか。

「まぁ待て、レゾン。魔王に借りを返したいのは此方も同じだ」

 そして、華奢にも見える《女王》の身体から溢れ出す圧倒的な冥力。死を具現化したその力が《冥界》全土に轟いていく。

 歪んだ笑みは変わらないが、それ以上に確かな怒りが視線となってべグリフを突き刺す。

「全てはお前の、お前達の存在が始まりだ。それさえなければ、此方は……!」

 一段と増す冥力に大地も大気も震えていく。世界という形容はあながち間違いではないのだろう。世界全てが今怒っているかのようだった。

「……」

 向けられる怒りに、憎しみにべグリフは言葉を返さない。思えば、《大剣ハドラ》を借りたあの時だって、《女王》は変わらぬ感情をべグリフへ向けていた気がする。

 何故これほどの感情を向けられているのか、詳しいところをべグリフは知らない。

 知らないが、知ったところで何も変わらない。

 この魂のまま生界へと還る。それが今べグリフの目的であり、その為には《女王》を倒す必要がある。ただそれだけだった。

「俺も借りを返そう。肉体を殺された分だ」

 《剣》を構え、べグリフは《女王》とレゾンの二人と相対す。





「借りなら俺達もあるぞ!」





 それは場にそぐわないような、明るい声だった。

「なぁ、皆!」

 そして、魂を支配されているケレア達の前に転移してくる反撃の狼煙。

 彼等、彼女等の後ろ姿にケレアは動かないはずの目元が熱くなるのを感じた。

「嘘、だろ……」

 何より、会いたいと願っていた姿があった。逢いたくて、でも叶わない願いだと思っていたのに。

「ゼノ……!」

 カイ・イデア・シャーロット・ザド・ゼノ・シロ・レイニー、そしてトーデル。

 カイ達生界組が《冥界》へと到着したのだった。

 気づけばべグリフの横で腕を組み、

「さぁ、百万倍にして返してやろうじゃないか!」

 カイは不敵に笑った。

 そしてカイの姿を認識し、《女王》は怪しく微笑んだ。
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