記憶探偵の面倒な事件簿

hyui

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離愁編

父と子 3

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「全くあのおっさん、どこまで行ったんだよ。チクショウ…!」
「ちょ、ちょっと探偵のダンナ!院内で走るのはマズイっすよ!」
「うるっせえ!チンピラなんぞに言われたかねえ!」

俺はいきなり駆け出して行った成龍のおっさんを追いかけて診療所の廊下をひた走っていた。
つい先刻までウジウジしていたあのおっさんが、父親である陳さんの容態が悪化した事を聞いた途端に突っ走っていったのに、俺は驚くと共に、内心ちょっと見直した。
正直俺はあのおっさんのことを口だけの臆病者と思っていた。
「マモン」という闇クラブのオーナーとして金を荒稼ぎし、散々贅沢をした挙句に命を狙われたと知るや「昔に戻りたい」「父に会いたい」なんて都合のいいことを並べ立てるどうしようもない人間だと。
いや、もしかしたらつい先ほどまでは本当にそうだったのかもしれない。だが危篤の父の下へ、迷いが晴れたように一直線に突っ走って向かうあの姿には、もうそんな片鱗は見えはしなかった。やはり土壇場に来て、あの男は陳さんの息子なんだな、としみじみ思う。

……しかしこの診療所に来たからといって、まだ安全とは言えない。

まだ成龍氏の命を狙っている奴がいるのだから。
は狡猾で非情な奴だということを俺は知っている。もしかしたらこの診療所内にすでに紛れ込んでいるかもしれないのだ。成龍氏を見つければ、そいつは否応無しに彼を殺すだろう。
今単独で行動するのは非常に危険だ……。


「兄貴だぁ!!兄貴が帰ってきた!!」


……不意に、後方からだれかの大声が聞こえてきた。
が帰ってきた……?
「なんだ?今の声は?」
「ありゃあ、玄関辺りで見張ってた奴の声っす。兄貴が帰ってきたって聞こえたんすけど……。」


「兄貴が帰ってきたぁ!」


またもや聞こえた。
間違いない。が帰ってきたと叫んでいる。
彼らが兄貴と呼ぶ者は他でもない、住吉と高松の事だろう。しかし……。
「兄貴⁉︎兄貴が生きてたんだ‼︎」
若造のチンピラは、喜び勇んで玄関へと駆け出そうとした。…が、俺はそいつの襟首を掴んでそれを引き止める。
「イタタ…!な、何すんだい!」
「ちょっと待てよ。怪しいと思わないか?」
「怪しい、って何がだよ!」
「この声、さっきから。」
……そう。この声はさっきから全く変わらない口調で全く同じ言葉を叫び続けていた。
嬉しさのあまりに声を上げたにしても、異常だ。どうも嫌な予感がする。
俺が思案している内に、後ろから秋山が息を切らしながらようやく俺たちに追いついてきた。
「なあ…!ハア…ハア…。今の声……、ゼェ……ゼェ……聞いたか……?」
「ああ、聞こえた。…というか今も聞こえてるんだが。あからさまに怪しいな。あの声は。」
秋山はしばらく休んで息を整えて答えた。
「……ふう。ああ。全くだ。十中八九、追手の仕掛けた罠に違いない。」
「お…追手ぇ⁉︎」
若造のチンピラが突然震え上がる。こいつ、どうやら見た目と裏腹に肝は小さいらしい。
……だが、今はそんな事に構ってる場合じゃない。
追手が何者か、その正体を確かめる必要がある。
とはいえ成龍のオッさんも保護しておきたい。
どうしたもんか……。
俺が考えに耽っていると、秋山が声をかけてきた。
「俺が様子を見てこよう。西馬はあのおっさんを追いかけてくれ。」
「何…?いや、しかし……。」
「あれが追手の罠なら、早いうちになんとかしなきゃならねぇ。万一その追手があのハゲ頭野郎だったら…お前じゃどうにもならんだろ。」
ハゲ頭野郎…。
あの「ブラックバンク」で成龍氏を襲った黒服か。奴にはどういう訳か銃弾が通じなかった。確かに奴が相手じゃ、俺には抵抗の仕様がない。
「…でもよ、秋山。いくらあんたでもアレをどうにかできるのか?」
「さあな。」
「さあな、ってお前…。」
「だが食い止めるくらいは出来るはずだ。その隙に、お前は成龍氏を匿ってくれ。」
「……。」
本当に行かせていいのだろうか?
追手があのハゲ頭ならまだいい。問題はだ。そいつはどんなに相手の腕っ節が強かろうと関係なく始末できる。たとえ秋山だろうと問題なく。
……だが追手の正体も掴めない。
とにかく避けたいのは、俺と秋山が二人で確認に向かって、追手に二人ともやられる、という最悪のパターンだ。二手に分かれるのが最善の策かもしれない……。
などと思案しているうちに、秋山はもう走り出していた。
「……あっ!おいっ!」
「時間がねえ。行動は早い方がいい!おっさんの方は頼むぞ!」
「くそっ…!無茶だけはすんなよ!」
「分かってら!娘もいるんだ!死んでたまるか!」
後ろ手に手を振りながら、ドッタドッタと秋山は走っていく。
全く、どいつもこいつも……。
ため息を一つついて、俺は一人残ったチンピラに話しかけた。
「お前さんはどうすんだ?追手の方に向かうか?」
「…へ?お、俺っすか……?」
チンピラは腕を組んで考えるをしたあと、答えた。
「……や、俺は探偵のダンナについていきやす。二人の方が探すのは楽でしょ?へへへ…。」
「……そうか。」
やれやれ……。ま、奴の膝がさっきまでガクガク震えていたのは、目をつぶっておいてやるか。
 



……所変わって、診療所の玄関前。
かけつけた秋山はその異様な光景に身を見張った。
「なんだ。こりゃあ……。」
そこに居たのは3人。
3人のうち、二人は高松と住吉。その二人が茫然自失といった風に、突っ立っている。
もう一人はというと、これもまた棒立ちの状態でずっと同じ文句を叫び続けていた。
秋山は3人に駆け寄り、まず高松を叩き起こした。
「おいっ!しっかりしろ!一体どうしたってんだ!」
「う……ん。ここは一体……?」
「陳のジイさんの診療所だ。頭でも打ったのか?」
「診療所……。」
高松はハッとした表情になり、辺りを見回し始めた。
「あいつ!あいつはどこに行った⁉︎」
「何だ。急に…。あいつって誰の事だ?」
「若い男だよ!黒いコートを羽織った男!ナニモンか知らんが、そいつに催眠術みたいなもんをかけられて俺は意識を失っちまった!そいつは陳のジイさんのせがれの命を狙ってるんだ!」
「やはり追手が…。しかし、俺が来た時にはもうお前ら以外、誰もいなかった。…てえことは。」
秋山は事態を把握した。
追手は既に診療所内に侵入しているのだ!
緊急と判断した秋山は、西馬に連絡を取った。
「聞こえるか⁉︎西馬!どうやら一歩遅かったらしい!追手はもうそっちに向かっているぞ!」


「……ああ。そうらしいな。」
言われずとも、もう分かってる。
なぜならもうそいつは目の前にいるんだから。
「しばらくだね……。西馬くん。」
やはり、俺の予想通り追手の正体はヒカルだった。
刺客として現れたヒカルは、冷たく射抜くような眼光で俺を見据えていた。
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