記憶探偵の面倒な事件簿

hyui

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人形師編

呑んだくれ探偵 飲み屋でボスに会う

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バー「ナポレオン」…。
俺はまたしてもここに来ていた。どうも最近むしゃくしゃするとここに来てしまう。
「マスター…。一杯頼むわ。」
「かしこまりました。何に致しましょう。」
「そうだな…。今日は冷えるし、あったかい酒が欲しいな…。」
しかしバーで熱燗頼むのも変か…。
「なんでしたら、ホットワイン、というものもございます。もし宜しければ、ご注文されますか?」
「へぇ~。ホットワイン、か。面白そうだな。一杯頼むよ。」
「かしこまりました。」
そう言ってマスターはしばらく厨房の方へと消えた。

しばらくして、マスターが一杯のカップを持ってやってきた。見た所コーヒーカップみたいだが…。
「お待たせしました。ホットワインでございます。」
目の前に置かれたカップには、赤いワインが湯気を放ちながら満たされていた。温められたこともあってか、赤ワインの芳醇な香りが一際香ってきた。…これがホットワインか。
「どれ…。」
一口飲んでみる。やはり温かいこともあって、赤ワイン特有のタンニンの苦みと風味が増している。それに混じり、ピリッとした辛味が俺の鼻腔と喉奥を刺激しながら食道を通り、やがて胃へと到達してカーッと熱くさせる。…なるほど。これはあったまるわ。
「いや~美味いね。これ。」
「ありがとうございます。ホットワインは赤ワインに香辛料を加えて温めたお酒で、今回はショウガとシナモンをブレンドさせていただきました。」
ショウガにシナモン…。なるほど、あの辛味の正体はそれか。マスターの解説を聞いて、俺はまた一口飲んだ。うーん。たまらん。


「やあ。またここで飲んでたんだね。」
不意に、聞き覚えのある声がした。
見上げると、黒コートの男が薄笑みを浮かべながらこちらを見下ろしている。
「…あんたか。なんでまたここに…。」
「おいおい。あんたはないだろう?僕のことはヒカルと呼んでくれって言ったじゃないか。それに、ここは僕の行きつけでもあるんだ。来ちゃいけない理由はないだろう?」
「…そうだな。」
ヒカルの奴はさも当然のように俺の隣に座り、酒を注文する。
「マスター。『ナポレオン』。ロックで一つ。」
「…あんた。それ好きだな。」
確か前飲んだ時もそれじゃなかったか?
「あれからハマったのさ。」
俺の隣で屈託無く笑う姿は、とても闇クラブの元ボスとは思えない。

ヒカルの注文も届いたところで、俺とヒカルは互いのグラスを、チン、と無言でかち合った。
「浮かない顔してるな。何か悩んでるのかい?」
「…分かるのか?」
「今の君を一目見れば誰だって分かるよ。というより、誰にも相談できない悩みができたからここに憂さ晴らしに来たんじゃないか?」
「…ま、確かにな。」
…見抜かれているな。やれやれ。我ながら情けない。
「話してみてくれないか?僕でよければ相談に乗るよ。」
「…あんたに相談?闇クラブのボスに相談なんて、悪い冗談だ。」
「ははは。確かに。でも今は闇クラブのボスとしてじゃない。そうだな…。飲み仲間として、話を聞いてやりたい。それじゃダメかな?」
ヒカルは穏やかな表情のまま、俺の顔を覗き込む。その眼は魔眼の金色ではなく、澄んだ黒色をしていた。
「…分かった。
「そう来なくちゃ。」
話をする前に、俺はグイと残ったワインを飲み干した。

「実は…俺の相棒のことで悩んでんだよ。」
「ああ、あの時一緒にいた女性かい?」
女性…。須田のことか。俺と須田は以前「レヴィアタン」潜入時に一度鉢合わせていたな…。
「いや、違うよ。あいつは助手だ。俺が相棒って呼んでるのは、もっとゴツいおっさんだよ。」
「”ゴツいおっさん”?へえ。そんな相棒がいたんだねぇ。でも合点がいったよ。君とあの女性の助手だけじゃ、とても『レヴィアタン』から脱出はできなかったろうからね。」
「うるせえな…。いやまあ実際そうなんだけどよ。」
俺は空になったカップを回しながら話を続けた。
「その相棒は、10年前に奥さんを殺した奴をずっと追って来た。そしてその仇が今になってようやく現れた。俺と相棒は、そいつを今度こそ見つけてやろうと事件を追うことにした…。」
「友の復讐に手を貸す、か。なかなか熱い友情じゃないか。」
「ところがだ。今、俺はあいつに手を貸す事に躊躇いを感じているんだ。」
「?どうして?」
「それは…。」
俺はヒカルにあの日のことを話す事にした。


……あの日。秋山が事件の依頼を持ち込んだ日。
俺は5年前に「コレクター」についてまとめていた資料をなくしたので事務所中を漁りまくっていた。そして資料はあった。なんてことはない。使わなくなった机の奥の資料ファイルに挟まっていたんだ。
「おい!あったz.…。」
言いかけたその時、俺は須田に声をかけられた。
「西馬さん。ちょっと、待ってもらえませんか?」
「須田…。どうした?」
「実は…秋山さんの様子に、アカリちゃんが怯えているんです。」
「アカリが?」見ると、須田の背後でアカリが震えているのが見えた。「一体どうして?」
「なんでも、ご両親を殺した犯人と秋山さんの目がダブって見えてしまったらしくて…。」
「…先生…。お願い…。秋山さん、このままじゃ、取り返しのつかない事になるかも知れない…。」
「取り返しのつかないこと?」
アカリの言葉にしばし考えたが、すぐにピンと来た。
「…りえちゃんのことか。」
アカリはコクンとうなづいた。
りえちゃん…。あの事件以来、秋山が娘のように可愛がっていた女の子だ。もし、俺たちが「コレクター」を見つけて秋山がそいつを殺してしまったら、いかに警察官であっても犯罪者扱いだ。そうなったら、りえちゃんの引き取りなんて夢のまた夢になってしまう。「復讐者」として生きて来た唯一の希望が消えてしまう…。
「…分かった。この資料はあいつには渡さないでおく。どうするかは、後で考えよう…。」


「……てなわけで、相棒には5年前の資料は結局なくした、と嘘を言ってその日は解散した。だが相棒に嘘をついた後ろめたさと相棒なしでコレクターを追う事への不安でここに逃げ込んだわけさ。」
「なるほど、ね…。」
ヒカルは俺の話をじっと聞いていた。その真っ黒な瞳は魔眼でなくとも吸い込まれてしまいそうなどこまでも深い闇を湛えていた。
「じゃあ君はどうするつもりなんだい?その相棒の代わりに、そのコレクターとやらを殺すのかい?」
「…うーん。」
正直迷っている。俺はどうしたいのか?秋山の恨みを俺が代わりに晴らせれば、秋山は手を汚さなくて済む。だが、それは同時に秋山を裏切る事になるんじゃないか…?
「決めかねているようだね。ではどうだろう?そのコレクターを僕が殺すというのは。」
「え?なんだって!?」

唐突な申し出をするヒカルに驚く俺。二人の酒の席はまだまだ続く…。
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