破滅少女は溺れない

のゆみ

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第7話 何も言うことはない

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 もう思い出したくもない、そして忘れたことはないその人は、友達と思われる数人と共に歩いていた。気づかれる前に、私は家の中へと急ぐ。気づかれてしまえば、またあの時と同じ目を見てしまう気がして。

 動悸が激しくなっているのを感じる。こんな日が来ることはわかっていた。引っ越していなければ、彼女の家はそこまで遠い所にあるわけではない。駅を挟んだ向こう側ではあるはずだけれど、距離自体はそこまで遠いものでもない。こちら側にいたのだから、恐らく誰かの友達の家に行く途中とかだと思うのだけれど。

 胸を押さえながら、水を飲み込む。それでも心臓の鼓動は止まらない。視界が揺らいで、焦点が合わない。明らかに異常だけれど、同時に私はどこか冷静で、これも罰であると感じていた。

 先ほど見た彼女の名はセイレ。
 古い友人だったはずだけれど、そう思っているのが私だけであることを私は知っている。

 吐き気がこみあげてくる。
 私の罪が、私の醜さがどんどん思考の内に広がっていく。
 忘れていた。いや、忘れようとしていた。目を背けていたことが。

 ユキに好きと言ってもらえて、なんだか嬉しかった。認めてもらえていた気がした。存在を。生存価値を。ここに在る必要性を。彼女に笑ってもらえて、嬉しくなっていた。でも、それは、ただの逃避で。

 迫りくる過去からの。
 いや、ずっと隣で唸り、叫んでいる過去からの逃避に過ぎない。
 忘れたくても、忘れることは許されない。自らの醜さへの自覚を。あの時の記憶を。溢れだし、私を飲み込む過去を。

 セイレと出会ったのは8歳の時。
 私の通っていた第一学校で出会った。

 彼女は独りで、私も独りだった。
 その時は、私がまだ孤児であるとは皆は知らなかったはずだ。もしくは知っていても気にしている人はいなかったか。でも、私は独りだった。それは私がその学校に来て間もなかったからである。つまりは、8歳の時転校してきたのだ。転校というより、編入のほうが近いのだろうけれど、転校ということになっていた。

 実際に学校に通うのは初めてだった。それまでは孤児院で勉強をしていた。孤児院という国家機関は第一学校と第二学校を兼ねる、教育機関としての側面もあるから、転校ということになったのだろう。けれど、孤児院は学校ではない。特に私のいた孤児院はあまり人数も多くなく、同世代の人は誰もいなかったから、私に友達と呼べる人はいなかった。

 そんな私が面倒な申請をしてでも、外に出たいと考えるのは自然な事だろう。あの鬱屈とした孤児院に居続けるのが、私は嫌だったのだ。そして、私は学校に編入した。
 奇異の目はあれど、不審がられることはなかった。人口が多く、住宅街の多いこの辺りでは転校などよくあることだし、私の通った第一学校は富裕層向けではなかったから、多少みすぼらしい恰好をしていることも気にするものは少なかった。

 転校生の最初は孤独である。それはまぁ当然なことで、私も予想していたことではあった。理由は単純で、周りには3年間の積み重ねた関係があれど、私という異分子にそれはないからである。
 だから、私は孤独だった。
 そして、私はそれを何とかする方法を知らなかった。

 孤児院では話す人など誰もおらず、たまに職員の人が面倒を見てくれる程度だったので、どう話せばいいのかわからなかった。なんとなしに、孤児院から出れば何とかなるのではないかと思っていたけれど、全くそんなことはなかった。どうすればいいかわからず時間が過ぎていった。

 ある程度経てば、学級の雰囲気もつかみ始める。
 その中で私が気になったことは、私以外にも孤独な者がいることだった。
 それがセイレだった。

 私が孤独であること自体は、不思議な事ではないけれど、彼女が孤独であることは不思議だった。彼女は元からその教室にいた子であったのだから、積み重ねた関係があるはずだからである。

 これは後から知ったことなのだけれど、セイレも転校生だった。もちろん、私と同時期に転校してきたわけではない。そうなれば、流石に最初から気づいているはずだ。そうではなく、前年度の終盤に転校してきたというだけの話だった。
 ならば話は簡単で、彼女も私と同じで十分な関係値を築いていなかったというそれだけの話である。

 しかし、その時の私にそれを知る術はない。
 私は、その独りでいる彼女のことが気になっていった。そう、その時の私は……なんというか、傲慢にも彼女の孤独を埋められると思っていたのだ。私という友人ができることで、彼女を助けられると、そう思っていた。私が孤独で、誰かに友達になってほしいと感じていたからだろうか。

 そして、何かの小さなきっかけから、たしか掃除の班で同じところだったとかそういう理由で、私と彼女は友達になった。
 セイレは気が弱く、病弱であったけれど、真面目で頭の良い子だった。彼女と私はよく遊んだ。お互い転校生で、この学校に馴染めていなかったから気が合ったのかもしれない。
 そんな風に思っていた。

 遊ぼうと誘うのは私からで、セイレはただそれに頷くことが多かった。その時も私は善行をしている気になっていた。私は彼女の唯一の友人であると思っていたし、それで良いと思っていた。もちろん、たくさんの人と仲良くできればそれに越したことはないと思っていたけれど、今は彼女と仲良くしたいと考えていた。

 私達がよく遊んだのは、押し合いっこというものだった。それは、孤児院で多くの人が楽しそうにやっていたもので、孤児院では皆が楽しそうにしている記憶はあった。
 だから、初めての友達であるセイレと、その遊びをしようとした。本当に、友達だとは思っていた。でも、押し合いっこは端的に言えば、お互いを押し合い、相手を倒す遊びで、そしてそれは体格な有利なものが勝つ。その時から私はお世辞にも体格が良いとはいえなかったけれど、病弱な彼女よりは体格が良かったから、その遊びにおいてよく勝利を収めた。

 今考えれば、それが気持ちよかったのだろう。気分良かったのだろう。優越感に浸ることができて。孤児で身寄りのない私の自信になっていたのだろう。親がいて、兄弟がいて、大切にされている彼女を負かすことで、それを感じていたのだろう。
 でも、それはつまり、セイレから見れば、負け続け、ただ押し倒されるだけになっていた。それはただの暴力であると気づいたのは、彼女が私の前で泣いた時だった。その時にはもう遅く、教室の隅で大声で泣く彼女は、周りの生徒に見つかり、先生に見つかり、そして虐められていたということになった。

 そしてそれはすぐに広まった。私は病弱で気弱な彼女を虐めていた悪として名をはせた。いや、実際彼女から見れば私は悪だったのだ。そして、それは周りから見ても同じだった。それを善行だととらえていた人でなしは私だけだった。ただ私は考えなしに動き、人を傷つけただけで終わったのだ。

 それ以降の私は、ただ俯いて過ごした。
 誰とも関わる資格のないと私は思っていたし、そしてそんな私に関わろうとする人は誰もいなかった。
 逆にセイレはその一件以後は友人も増えたようで……いや、友人もできたようで、以前までのように孤独に満ち溢れた雰囲気を出すことはなくなっていた。それを見て、言いようのない悪感情と同時にどことなくほっとしたのを覚えている。

 そんな記憶があふれ出した。
 怖くなって、嫌になって、右手で左腕を掴む。軽く血が滲み、痛みが走るけれど、そんなものでは何も変わらない。こんなものでは罰にはならない。
 つまるところ私はまだ許されていないのだから。

 セイレは第二学校へと進学する時には別の学校になり、それ以降は見ていない。今日までは。今日、友人と歩いているところを見るまでは。
 きっと、彼女はもう私のことなど忘れているだろう。もう過去のことだし、覚えているとは思えない。

 けれど、彼女が忘れたところで、私のした罪が消えるわけではない。私はあの時からずっと罪人で、それを自覚し続けている。忘れたいけれど、忘れることはできず、ずっと心に付きまとう。

 だから私は、自らを信頼しない。私は私を認められない。自信を持てない。存在を許せない。消えてしまえばいいと、そう思っている。ただの害悪であると。生まれた時からずっと、私は悪で、全てから疎まれる存在なのだと、感じている。

 だから、彼女が私を好いてくれるのも何かの間違いであるとしか思えない。おかしいことだと思う。いや、それかもしくは、私の擬態が上手くいっているのだろう。善人への擬態が上手くいっているから、彼女は私を好きになってくれているのだろう。だから、私は彼女とこれ以上関わるのを恐れている。

「嫌われたくない……」
 
 また嫌われたくない。
 またあの時のように、感じている友情が、積み上げてきたと思っていた関係が崩れるあの瞬間を味わいたくない。またしても同じ後悔をしたくはない。

 私は皆に嫌われたくない。関わらないのなら、それは構わない。好かれなくてもいい。避けられてもいい。でも、嫌われたくない。嫌われるのはしんどいから。あの頃の私が感じていた敵意が未だに私の肌に突き刺さっている。この棘はもう一生抜けることはないであろうことは想像に難くない。

 でも。
 けれど。

 どうすればいいかわからない。
 私はどうすればいいかわからない。
 何をすれば、嫌われずに済むのだろう。ユキに嫌われずに済むにはどうすればいいのだろう。

 こうなるのなら、こんなに踏み込んでほしくはなかった。
 こんなにも苦しくなるのなら。
 
 全部消えてしまえばいい。
 私の過去も、それを知るものも、私の今の苦しみも。全て。全部消えてしまえば、こんな苦しみとは二度と会わなくて済むのに。

 布団の中でうずくまり、そんなことを考える。暖かいはずの毛布をかきむしり、歯ぎしりが止まらない。なぜだか涙も溢れてくる。皮膚に爪を立て、傷を残しても、痛みを感じない。いや、確かに痛いのだけれど、それよりも苦しい。ただ息をすることが苦しい。息苦しくて、生き苦しい。

 孤児院で魔導教の人が言っていた。
 魔神様は罪ある者に天罰を与える。

 これも罰なのだろう。
 ただこの罪悪感と永遠に暮らしていくのが、原罪を持つ私に与えられた罰なのだろう。明確な暴力性を生まれ持つ私に与えられた罰なのだろう。

 そしていつの間にか夜は更け、日が昇り、そして暮れる。
 いつの間にか休日は過ぎ去り、私の腹は空腹できゅるきゅると鳴いていた。

 魔導通信機を見れば、ユキからの短文連絡が何件か入っていたけれど、それを見る余裕は今の私にはない。あんまり考えるということができない。どうにもすべてのことが億劫に感じる。
 私は重たい身体を起こし、台所に立つ。何か食べるものを作らないと、本当に倒れてしまう。明日は学校があるのだから、学校に行かないと。未だ焦点が合っているとは言えない目で包丁を見れば、金属に反射して私の姿が写る。

「ひっ」

 そこに写る私の姿は化け物で、思わず声が漏れてしまう。けれど、瞬きをすれば、それは見間違いであったと知る。そこにはただの人がいた。私というただの人がいた。
 でも、もしかしたら、さっきの姿こそ本来の私なのではないだろうか。私は人の皮を被っただけの怪物で、私を刺せば、あの怪物がでてくるのではないだろうか。やはり私は人類を脅かす怪物で、それを殺すことこそ私に許された唯一の善行なのではないか。

 そんなことをふらりと考えながら、刃を首に向ける。でも、それ以上刃が動くことはない。そして、いつの間にか手は震え、包丁は地に落ちる。自死など、できるはずもないことは私が一番わかっている。私がそんな勇気を持たないことは私が一番知っている。

 何をしているのだろう。何をしているのだろう。
 ただ過去を思い出すだけで、何をしているのだろう。もう既に終わってしまったことを思い出して、それで何が変わるわけではないのに。それどころか、もう誰も覚えていないだろう。私のことなど覚えているわけはない。覚えていてほしくはない。覚えていないことがほぼ確信に近い。でも、私は私の首を絞め続けている。

「大丈夫?」

 顔を上げれば、そこはいつもの学校の屋上で、目の前にはユキがいた。不安げな顔で私をのぞき込んでいた。

「まぁ、うん。全然。何ともないよ」
「そう? それならいいけれど……そうは見えないよ。何かあったの? いや、何かあったよね? そうだよね? そうとしか思えない。その、無理にとは言えないけれど、話してみてくれない? ミリアの力になれるかもしれない」

 それができないことを本当に知っている。私は今一番、私の過去を知られたくないのは彼女なのだから。彼女に知られることを恐れているのだから。私は何も知られなたくはない。話せと言われても、話すことはできない。
 だから私は、ただこう答えるしかない。

「いや……ほんとに……なにも、ないよ」

 そう答えた時の彼女の顔をみて、私はしまったと思った。彼女はとても悲しそうにしていた。そんな顔をさせるつもりではなかった。けれど、そう答えるしかない。そう答えるのは一番ましな選択であることに疑いようはないのだけれど、同時にそれが正解ではなかったのだろう。
 つまりは、私はもう最初から詰んでいたのかもしれない。詰みになっていたのだ。罪によって。

「……そう。なら、何も言うことはないけれど……」

 彼女はただそう言うだけだった。
 それからはどういった会話をしたのか覚えてはいない。けれど、覚えていることもある。その日は、久しぶりに気まずさを感じていた。最初にユキと出会ったときと同じように。私はただ、その場にいることが変な気がしていた。
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