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油断大敵

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失敗失敗大失敗だ。トントン拍子にうまくいっていたから、少し油断してしまった。こういうところが欠点だと父親に常々言われていたというのに。

いちおう用意しておいた逃げ道に駆け込んだはいいものの、もうすぐ追いつかれてしまうだろう。そもそも城外まで逃げてこれたほうが奇跡に近い。人ごみの多い城下を進むが、ここは向こうの庭だ。こちらに分が悪い。味方でもいれば別だが。王家に楯突くような真似をするのだ。共犯者など連れてこれるわけもなかった。王都には知り合いだって少ないのに。

もう追手がそこまで来ていた。万事休す、か。親父。悪い。




♢♢♢





王都のパティスリーのテラス席でお茶をしていた。王都の図書館に追加の資料を取りに来た帰りだ。町の喧騒を楽しんでいたが、何かが琴線に触れた。何だろう?よくよく目を凝らす。耳をそばだて、意識を集中させる。

楽しんでいたティーカップを置き、顔色が変わった彼女に婚約者は気づいた。彼女は基本直感で動くが、その第六感は外れたことはない。彼だけでなく彼の父親である現侯爵だって彼女の勘の良さには、一目を置いているくらいなのだ。しきりに視線を泳がす彼女に倣って彼も注意深く町を観察する。心なしかいつもより騒がしい気がした。

「ねえ、リード。」
「なん、っ……、?」

一瞬の殺気。

すぐさまそちらを伺おうとして婚約者の細い手が伸びてきた。そちらを向くなということなのだろう。テラス席は大方カップルか夫婦が利用するので椅子と椅子の距離が狭い。彼女の手に従い彼女を見た。首に伸びた手をそのまま受け入れて、身を乗り出す彼女の腰に手を当てて抱き寄せる。周りには自分ではなく町に気を取られた恋人に拗ねて甘える女にしか見えないだろう。普段マイペースで大雑把なじゃじゃ馬娘なのにこういう腹芸に関しては俺より上手なのだ。あのお堅い両親が気に入るわけだよ。彼女は俺の首元に顔をうずめる。途端に香る柔らかな芳香に、くらりと来そうになる。しかし、彼女の言葉にすぐさま冷めた。

「8時の方角。辺境伯令息が影に襲われているわ。」

何だと? 彼女の頭を撫でて少し離しながら、視線を向ける。

「あれは…不味くないか?」
「ええ。」

1人の青年が逃げている。王宮の使用人の服を身にまとっているが、所作からして良い教育を受けた者だと分かる。辺境伯令息なら納得だ。追いかけているのも周囲には気づかれていないが、独特の雰囲気がある。あれは彼女の言う通り根の者だな。辺りを伺うと人の多さで分かりづらいが囲まれている。袋のねずみだ。あれを放っておけばそのうち消されてしまうだろう。

「…なぜ?」

呆然とした声を拾い上げた。視線が青年に固定されている。俺のことなど視界から消えていた。ああ、そうだ。どこか見覚えのある男。彼女の婚約者“候補”だ。

「…うちの影を向かわせるわけにはいかない。」
「どうして?」
「あの追いかけている者たちは、王家直属。今助太刀に入れば、王家に叛意があると疑われるわ。」

あれ思ったより冷静だった。

彼女が影を判別できるのは伯爵がよく使っているからだ。影との連絡手段は特殊だ。遠くまで響く特別な音を利用している、らしい。俺には聞こえないその音を彼女は使える。昔取った杵柄らしいが、そこには踏み込めていない。影同士は誰がどこに所属しているかわかるらしい。だから彼女の家の影が出てしまえばその時点で反逆者と疑われてしまう。

見捨てるのか? いや。できるわけがない。
あの男は実直な青年だ。王家に叛意を翻すとは思えない。彼女に関わる者として調べたが、問題のある男ではなかった。彼も、彼の家も。では、なぜ襲われている?

彼女の体を離す。完璧に考え込んでいた彼女は一瞬反応が遅れた。手が俺の外套の裾をつかむ前に、すり抜ける。気配を殺して、人の死角に入り、裏道へと飛び降りた。
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