公爵子息だったけど勘違いが恥ずかしいので逃走します

市之川めい

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回想編

あの日から

「ジルベール様、おはようございます」

 目を覚ますと、侍従のシャンティエが横に立っていた。この屋敷には多くの使用人が働いているが、筆頭侍従の彼は当主である父上についているため、自分の部屋に早朝から来ることは珍しい。
 
「おはよう」
「旦那様から、『話があるので朝食後、応接間に来るように』とのお言付けがございます」
「じゃあ今から行くよ」
「朝食を召し上がらないとお身体に支障が出ます。ジルベール様はいつものように早起きされていらっしゃいますので、ゆっくりで大丈夫ですよ」

 常に忙しく、普段あまり会えない父上からの呼び出しが嬉しかったのですぐに行きたかったが、わがままを言うと父上に伝わるかもしれない。仕方なく返事をした。
 
「分かった」
 
 ベッドから起き上がり、部屋に併設されている浴室へと向かう。顔を洗い、側に控えていた別の使用人によって身支度が整えられた時には、テーブルの上に数々の温かい食事とフルーツが用意されている。

 ジルベールは淡々と食べている様子を見せながら、胸の中で大きく溜息ためいきをついた。
 判で押したように毎日毎日同じことの繰り返し。この後は家庭教師からの授業を受け、訓練をする。二歳になった日から始まったらしく、すでに四年は続いている。単調過ぎて恐ろしくつまらない。だが、衣食住に困ることなどありえないことも事実だ。
 そう、恵まれている。それはまだ幼い僕でも分かる。大国グレンロシェ王国の、王家の流れを汲む四大公爵家のひとつ、ギファルド家の息子。
 
 その日の食事にも苦労する平民や、同じくらいの年齢ですでに働いている子どもがいることなど、使用人達に囲まれ何不自由のない生活を送っている僕にとっては完全に物語の中の世界の話だ。

 父上は母親が王家出身だ。武勇に優れ、現在は軍事宮の高官という輝かしい経歴を持ちながらも親しみやすい穏やかな雰囲気で、人々から大変慕われているらしい。
 母上も金髪碧眼の美人と有名で、使用人達が休憩中に言っていた話を偶然聞いただけだから良く分からないけど――夜会へ行けば男達が彼女を取り囲み、踊るための列をなすという。多分良い意味だろう。

 だが……遊んでもらったことなど思い出せない。父上は王宮と軍事宮の往復でほとんど屋敷には戻らず、帰ってきた時もシャンティエに用件を伝えるだけだ。母上も多忙な父上に代わりをしているから、ほとんど屋敷にいない。

 前に使用人に読んでもらった本では、母親が子どもと一緒に遊び、寝る時は優しく抱きしめていたけど、それは使用人がいない平民だけのものなのか……それに、平民には友達という名の遊び相手もいるらしい。
『ジルベール様は将来、人の上に立ち皆を導くのですから……』と家庭教師に教えられる僕には、必要のないものなのかな。

『寂しい』なんて言ったところで、父上と母上は、『ジルベールの気持ちに気が付かなくてごめん』と謝り、一緒にいる時間を作ってくれるわけなどない。
 多分、四大公爵家子息なのに甘えている――って叱られるだろう。ギファルド家に相応しくないと思われて、今よりもっと交流がなくなるなんて嫌だ。

 僕は良い子を演じないと――頑張っていれば父上と母上も僕を褒めて、抱きしめてくれるはず……


「ジルベール様、お身体の調子が優れませんか?」
「えっ?」
 
 シャンティエに言われて振り返った。彼は孫を心配する祖父のような微笑みでこちらを見ている。

「あまり食欲がないように見受けられますが……」
「いや、大丈夫。問題ないよ」
「左様でございますか」

 笑顔を作り、肯定した。
 
「では、他のものをご用意いたしましょうか」
「どうして?」
「お口に合わないのかと。あまり召し上がっていらっしゃいませんので」
「あ、違う。少し考えごとをしていて……ごめんなさい、すぐに食べます。父上のところに早く行かないと」
「ジルベール様、焦る必要はございませんよ」


 食事を終え、侍従の後について歩く。広大な公爵家邸にいくつかある応接間の内、少人数用の方に父上はいるようだ。シャンティエが生成色の上に金色の模様がある扉の前で止まり、ジルベールの到着を告げた。

「ジルベール、入ってくれ」
「はい父上」

 室内の中央に設置されている革張りのソファーの横に、見知らぬ二人が立っていた。すばらしく綺麗な女性と、僕と同じくらいの子ども。おそらく三人で会話していたのだろう、テーブルの上には人数分のカップが置かれている。

「朝食は食べたのか?」
「はい」
 
 アンドレ父上は僕に対して頷くと、顔を正面に戻した。女性との間で無言で行われた感情の交換に、当然ながら子ども達は気が付けない。
 
「息子のジルベールだ」

 口角を上げた表情を保ちつつ、今度はジルベールを見た。

「ジルベール、紹介しよう。クリスティーナとレオン、本日からここで使用人として働いてもらう。レオンはおまえと同い年だ。切磋琢磨し合うのにちょうど良いだろう」
「ギファルド家嫡男、ジルベールです」
「ジルベール様。お初にお目にかかります、クリスティーナと申します。心よりお仕えさていただきます」

 そう言いながら、貴族のジルベールでも目を見張るほどの優雅な仕草で儀礼をとった彼女。だが、息子に挨拶を促す様子は物語に出てくる母親そのものだった。

「レオン……です。よろしく……お願いします」

 おどおどしながら小さな声で言ったこの少年を、父上は親鳥が巣立ちの雛を見守る時のような温かさを込めた目で見つめながら、庇うようにつけ加えた。

「レオンはずっとクリスティーナと二人きりだったから、他の人と話すことにまだ慣れていない。ジルベール、助けるのだぞ」

 ――父上に頼られているはずなのに、いつもだったら嬉しいはずなのに、気分が晴れずもやもやする。僕は父上と茶などしたことはない。そもそも新しく入った使用人だって、いつもはシャンティエから簡単に言われるだけで、こうやって紹介されたことも初めてだ。
 どうして……クリスティーナって人が綺麗だから? レオンことも気にかけてるし。僕が父上の息子なのに。でも態度には出せない。

「――はい父上」
「私はクリスティーナと仕事の話がある。ジルベール、レオンにこの屋敷を案内してあげなさい」
「分かりました」

 レオンに声をかけ部屋を出る僕達を、二人は微笑ましそうに見ていた。
 廊下に出て、外に控えていた侍従に告げる。

「シャンティエ。僕、父上に言われてレオンに屋敷内を説明することになったんだけど……」
「では家庭教師が来たら、そのように伝えておきますね」
「ありがとう」

 誰もいないところで立ち止まって振り返えると、レオンが驚きびくっと体を震わせた。

「こっちを向いて」

 母親のふわふわな茶色い髪の毛に対して、レオンはさらさらな漆黒の髪を持っている。父親似なのかな?
 だが臆病な少年が顔を上げると、先ほど見たクリスティーナの輝く様な瞳と同じ、緑色なのだと分かった。

「瞳の色、綺麗だね。僕も母上と同じ色なんだ」

 優しく言ったのだが、レオンは顔を少し動かしただけだ。
 仕方なくまた歩きだして大広間へと向かった。
 一通り説明して、使用人に会ったらレオンを紹介し、次は厨房、その後は執務室……と案内していき、今は庭園内を歩いている。

「レオン。さっき父上が君はずっと母親と二人きりだったと言っていたけど、今までどこにいたの?」
「…………王都……です」
「ここも王都でしょ。この屋敷から遠いの?」
「……平民、街、です」
「平民街? どんなところなの? 行ったことないや。僕、出かけたことがあまりないから外に行ってみたくて」
「普通、の……ところです」
「父親は?」
「……知り……ません」

 その後も色々いくつか質問をしたが、同じように小さな声でぼそぼそと言うレオンにめんどくさくなった。これじゃあ遊ぶどころか会話すらできないじゃん。
 説明を終えて中に戻ると、ちょうどあの三人が見えた。
 
「ジルベール、レオンにきちんと案内できたかね?」
「はい、父上」
「先生にはいつもの部屋でお待ちいただいている。ジルベール、これからはレオンも一緒に授業と訓練を受けることになる」

 父上の提案に反対する声を上げたのはクリスティーナだ。

「アンドレ様。レオンはわたくし達と仕事をいたしますので……」

 言い終わらぬうちに、アンドレが遮った。

「クリスティーナ。レオンも早期に教育を開始すれば将来的に私の力になる。それに――ジルベールにとっても、レオンと共に学べば良い刺激になるだろう」
「かしこまりました、アンドレ様。お心遣いありがとうございます」

 そう言って微笑んだクリスティーナは女神のように美しかった――じゃなくて、え? 平民街出身って言ったよね、今まで勉強したことあるのかな。貴族の僕ですら結構難しいと思うけど……


「レオン、こっちだよ」
 
 父上達に挨拶をしてから、レオンを連れて先生がいる部屋に向かった。暖かな日が差し込んでおり、窓際に背を向けて座っている。

「マリアンヌ先生、すみません。お待たせしました」
「いえ、美味しいお茶をいただいておりましたので」

 祖母ほどの年齢だが、背筋が伸び、公用語であるグレンロシェ語の先生らしくはっきりとした口調で話す。彼女の几帳面な性格を表すかのように常に髪をひとつに纏めあげ、一本の後れ毛も見たことがない。
 
「シャンティエ様からレオンさんもご一緒されると伺っております。レオンさん、グレンロシェ語の授業を担当しているマリアンヌと申します。では早速さっそく始めましょう」
「よろ……しく、お願いします」

 レオンの声は辛うじて聞こえるくらいの大きさだったが、彼女には一応伝わったようだ。
 二人並んで座ったところで、彼女はレオンに訊いた。

「レオンさん。いくつか質問させていただきます」
「……はい」
「文字は読めますか?」
「はい」
「書くこともできますか?」
「……できると……思い、ます」

 自信なさそうに答えたレオンに、僕は別の家庭教師が言った、『平民の中には読み書きが大人になってもできない人がいる』という話を思い出し、自然に見下しながら、レオンは平民で子どもだから無理でも仕方ないんじゃないかな? と考えていた。

「では実力確認のため、私が今から話す言葉を書き取っていただきます。ジルベール様も復習として、ご一緒におやりください」

 聞こえてきた文章を白い紙に書いていく。
 グレンロシェ語は発音しない文字や例外も多いため、きちんと学んでいないと大人でも綴りを間違える。
 先生が様子を見ながら話す内容を変えたので、さっきよりも一段と難しくなった。僕達くらいの年齢ではほとんどの子が何も書けないだろう。
 紙が全部埋まったところで、先生が僕の紙を手に持った。

「まずはジルベール様から拝見いたしますね」

 全体に目を通し、いつも皺を寄せている眉間を少しだけ緩めた。

「さすがジルベール様ですね、良く書けております。ただ二点、こちらの単語ですが、この場合はもうひとつのほうの活用になります。それとここの最後の文字が抜けております。両方とも間違えやすい箇所ですので、しっかり覚えましょうね」
「申し訳ありません」
「間違えることは悪いことではございませんよ。こうやって練習し、学園に通う時期までに身に付けていただければ良いのです」
「はい」

 マリアンヌは、よろしい――という顔をした。やっぱり僕はすごい! まあでも毎日毎日こんなつまらない内容の授業を真面目にやっているんだから当然だ。
 父上と母上に伝えてくれないかな。厳しい彼女が『さすがジルベール様』って言うくらいなんだから、褒めてくれるかも……

 次はレオンの番だが、その紙を見ている彼女の表情が険しくなった。
 そんなに間違いが多いのかな? 平民に一から教えるのは大変だと考えているのだろうか――

「レオンさん」
「……はい」
「あなたはどうやって文字を覚えたのですか? 失礼な言い方になりますが、シャンティエ様からあなたは王都の平民街にいらっしゃったと伺っております」
「そう……です」
「でしたら――あまり学ぶ機会を得られなかったと思うのですが」

 レオンは叱られた子のように目線を下げながら答えた。

「えっと……母が、文字の基本的な、読み方を……教えてくれて……」
「それだけでここまで完璧に書けるようになったのですか?」

 え? 胸の中で思いっきり驚きの声を上げたが態度には出さなかったので、二人はそのまま会話を続けている。
 
「後は、母が仕事の時……一人だったから、ずっと本を……読んでいました」

 レオンに題名を尋ねた彼女は、納得したように首を動かした。

「確かにそれらの本を読みこなせれば先ほどの文章の書き取りは可能でしょうが、一般的にレオンさんの年齢では読むことですら難しいはずです。そもそも、普通でしたら平民出身の方が入手すること自体、容易ではございません」

 間違いない、レオンが褒められている。しかも『完璧』――僕より良いってことだ。それだけでも悔しいのに、先生が言った言葉がより落ち込ませた。

「アンドレ様に話して相談いたしますね」

 さっきまでは伝えてほしいと思ってたけどこうじゃない。父上に比べられる……怖い……


 嫌だと思う気持ちが結果を引き寄せるのか、どこかで様子を伺っていて折を見てやって来たのかは不明だが、そのアンドレが顔を出した。

「マリアンヌ先生、いかがかね?」
「アンドレ様。ちょうど書き取り問題を終えたところなのですが、ジルベール様はいつものように順調に習得されていらっしゃいます。同世代ではジルベール様に敵う子はほとんどいらっしゃらないでしょう」
「そうか」

 父上は頷いた後、レオンに視線をずらした。その動きを機敏に察知した彼女が、少し興奮しているのが分かる、いつもより上擦った声で言った。
 
「レオンさんですが――正直驚きました。完璧なだけでもすばらしいのですが、きちんとした教育を何年も受けた場合の話でしたら、ありえないことではございません。ですがレオンさんはお母様からの基本的な文字の手ほどきと、本を読み独学で覚えられたとのこと。彼は大変優秀です」
「そうか」

 全く同じ三文字でも、父上の反応を凝視している僕が、その父上から発せられる感情の違いに……気が付かないわけが無い。

「レオン、偉いな。今まで大変だっただろうが、これからは整った環境で色々学べる。何か希望があれば遠慮せず言ってほしい」
「……アンドレ様、あり、がとう、ございます」

 そして自身と同じ色の髪を撫でた父上。
 ――次は僕だよね? そう、僕の番…………



 その後の授業と訓練は散々だった。落ち込み過ぎて体が動かなかったからだ。上手くやらなければ褒めてもらえないのに。
 悪循環になってるのは自分でも分かるけど、どうしようもなく悔しくて泣きたい。ううん、違う。寂しくて泣きたい。悲しくてやりきれない。
 でも絶対人前では泣きたくない。僕が泣いたらレオンに嫉妬してるって思われるかもしれないし。


 夕食を取り(いつものように一人だ、使用人達に囲まれているけど)、部屋に戻って着替えも終えるとやっと本当に一人だけになった。
 自然と涙が頬を伝わる。公爵家の屋敷は壁が厚いから音が漏れる心配もないだろうけど、それでも枕に突っ伏して声を張り上げ泣き叫んだ。


 翌日からも、レオンは周りの大人達を驚かせるほどの能力を見せた。もちろん今まで学んだことのなかった分野は僕の方が上だ――だった、初めの数回までは。あっという間に吸収し、追い付かれた。

 
 この国にせいを受けた全ての者が使える異能は、両親や先祖から引き継がれることが多い。
 建国当初から貴族制度があるこの国では、秀でた能力(異能以外にも聡明さや身体機能も含めて)を持った先祖が高い身分につき、現在の世代まで爵位と共に受け継がれ続けている。
 そのため――普通に考えれば、王家や四大公爵家子息ならいざ知らず、平民でこのように突出した才能を持つ者は至極まれである。

 だが当のレオンは他人を怖がっているような引っ込み思案な子どもで、ビクビクしており、ジルベールに対しておごるようなことはない。
 母親のクリスティーナも、息子がすばらしく優秀なのにもかかわらず自慢するような言動は一切なく、また、彼女は絶世の美女と言われるくらいの容姿をしているが、それをひけらかすようなこともなかった。

 レオンは主人アンドレから言われた授業・訓練以外の時間は当然のように子どもながら他の者の手伝いやジルベール付きの使用人として働いており、その母子ははこ揃っての謙虚で慎み深い態度がますます人々の心を揺さぶっていった。同時に、反比例するようにジルベールの鬱憤うっぷんと寂しさも溜まっていく。


 
 ある日のこと、家庭教師が急病で来れなくなった。そのような時は自身の世話係兼遊び相手のレオンと自主学習をするのが通常である。
 だがその日は連絡が入った時、筆頭侍従は主人に付き添い外出していた。
 自由である。注意深い目敏いシャンティエがいなければ、屋敷を抜け出すことは不可能ではない。

「レオン、これを着て」
「……はい」

 自身の外套マントを渡した。もちろん内気なレオンは従うしかない。
 ジルベールの昼食が終わり、使用人達は片付けや交代で食事を取っているため廊下で会う可能性が低い時間帯だ。ジルベールはレオンを引き連れ、一階の応接間に急ぐ。テラスがあり、ここから外に出られるからだ。公爵夫人母上が不在の今、掃除を除いて人がいることはない。


 ――思った通り誰もいなかった。テラスへ出るためのガラス張りの扉は、外側からは鍵が必要だが内側からはつまみを回せば簡単にく。二人がいないと分かり、邸内を探せばすぐにここから出ていったことが露見するだろうが仕方ない。

 丁寧に手入れをされた季節ごとの花が楽しめるテラスを降り、屋敷を取り囲んている塀まで走った。
 裏側に使用人専用の入口があり、その横は食料や日用品などの搬入口として使われている大きな扉がある。ちょうど商人が荷駄にだと共に入ってくるのが見えた。
 荷物の陰に身を隠しながら、後ろにいるレオンを引っ張るようにして外に出た。

「ジルベール……さま……だめですよ。怒られます、戻りましょう……」

 レオンから話しかけられたのは初めてだ。
 儀礼を教わっているフレッド先生から、目下の者が許可を得ずに身分の高い人に声をかけちゃいけないって習ったはずだけど……

「ねえ、レオンは僕の世話係兼遊び相手なんだよね?」
「はい」
「僕に命令するの?」
「え……っ、命令じゃ……ないです。でも危ないですし、皆さんも……心配するでしょうから……」
「少し王都を歩いてみるだけだよ? 遅くならないで帰ってくるつもりだし」
「でも……」
「――つまり君は僕に反対するってことかな?」
「……いいえ、すみません」
「もちろん一緒に来るよね?」

 平民街の様子を知っており、責任感から不安を隠し切れていない表情で付いてくるレオンに対して、馬車でしか外出したことがなく世間知らずなジルベールは好奇心が抑えられなかった。

 ギファルド家の屋敷は城壁に取り囲まれた貴族街の中でも特に高級で閑静な場所に位置しているため、近辺を少し散策するくらいならば問題はない。だが勝手に屋敷を出れば後で怒られることは確実で、それだけのためなら、そもそも初めから抜け出そうとしない。

 どうせ叱られるならば、せっかくだからより遠い場所――物理的な距離だけじゃなく生活環境も――と思うのは、やはり温室育ちで負の部分がどこまでの暗さを持つのか想像しきれないゆえだろう。

 二人は貴族街と平民街を隔てている城壁まで辿りついた。少し先には検問所があるが、身分証を持ち合わせていない彼らは通過することができない。数少ない今までの外出は全て馬車で移動し、従者が全ての雑用を担っていたため思い付かなかった。

「そういえばここを通る時に何か見せるんだった」
「はい、名前が……書かれた、紙がいると……思います」
「レオンは今持ってる?」
「いいえ、すみません……」

 ここで諦めて帰るなら、子ども達の可愛い冒険で済んだだろう。だがジルベールはあることを考えた。

「ねえ、君の異能は何? もう使える?」
「……異能は……人に話しては、いけないと母が……」
「僕は誰にも言わないよ」
「ですが……」
「僕はそのクリスティーナを雇っている父上の息子だよ。どっちの言うことを聞くの?」

 成長してから顕著になるジルベールの血統主義及び優越感だが、元々の性質は変わらない。
 まだ甘やかされて育っている子ども特有の、全てが自分の思い通りにいくと思っているわがままの範囲だが、すでにこのように言えばレオンが反抗できないことに勘づいている。

「……風です」

 逡巡した後、恐れるように言ったレオンに対し、ジルベールは『やっぱり』と、口には出さず納得していた。いくらレオンが優秀だとしても、風の能力はいかにも平民っぽい。洗った服を早く乾かせる――とか。
 初代ギファルド公爵が持っていた火を操る異能を引き継いでいる僕とは違う。父上も同じだ。
 レオンと比べられて落ち込んでいたジルベールだが、このことは少しジルベールに自信を取り戻させた。

「僕は火を使うんだけど、レオンの風で飛ばせる?」
「えっと……」
「だから風で火を少し離れたところまで持っていって燃やして、検問所にいる警備隊員が消している隙に突破しようって」
「…………それはさすがに、怒られます……」
「大丈夫だって。できるよね?」

 どの辺に火を起こせば検問所にいる隊員全員が持ち場を離れるかを考えた。遠過ぎても近過ぎてもだめだ。三人共が様子を見に行き、僕達が通り過ぎても気が付かない距離。
 この時間は人の往来が少ないのか、警備隊員は一応の体裁を取りつつ退屈そうに立っている。

 段取りが決まると、ジルベールは機会を窺った。国民全員が使える異能だが、適正な訓練をし続けなければ十歳以下で使える子どもはほぼいない。練習をしても無理な場合も多いので、それだけでもジルベールが優秀で努力家だということは分かる。
 ただ世の中には天賦の才に恵まれた者がいる。それがレオンだと、ジルベールが知るのはもっと先のことだ。
 
 レオンを自分の横に立たせてジルベールは炎を出した。手のひらより少し小さいくらいの火種を、レオンは消さないように慎重に操り事前に決めた場所へと落とす。するとパチパチと音を立てて踊りだした。
 警備隊員は数メートル離れた場所で突然起きた異変を見逃さず、三人残らず向かって行った。通常ならばこの距離では、検問所を訪れた者が声をかければすぐに対応できるからだ。

 全員が赤い物体を覗きこんだ瞬間、二人は全速力で走って駆け抜けた。実はこの時、ここで捕まるのは一番まずいと、足音を消すためにレオンが風を吹かせていたなど、ジルベールには気付きようがなかった。

 その甲斐もあり無事に平民街に侵入した二人は、目的もなく町をさまよう。ジルベールは自身の屋敷よりもかなり小さい、彼にとっては小屋のような建物、馬車を使わず歩く人々、全てが物珍しく、キョロキョロと周りを見ながら歩いている。

 彼らは外套マントを頭まで羽織っていたが、ジルベールは平民街に来れば自身を知っている者がいないと思い、レオンにも「もう大丈夫」と言い、迂闊にも動きやすくするために取ってしまった。
 だが――それがいけなかった。ジルベールは神々しいまでの金髪碧眼に高貴さが漂う美形で、レオンは漆黒の髪に宝石のような緑色の瞳と、同じく大変整った容姿をしている。ジルベールにとっては質素な普段着でさえも、一般的な平民の大人にしてみれば、飾りは少ないが最高級の上質な生地を使ったものだと分かる。

 大多数の平民は、貴族の坊っちゃま達のお忍びお遊び――だと思い眺めるだけであるが、ある一部の悪意を持った者達からは格好の餌食だ。当然後をつけ、実行する機会を窺っている。
 レオンは平民街出身だが幼かったため、住んでいた家のことは覚えていても土地鑑はない。二人は歩き続け、賑わいから徐々に離れて人通りのない道へと進んで行った。

 前から来る男達の様子がおかしいと思った時にはすでに遅く、気配から後ろにいる者達も仲間だと分かった。リーダーらしい、中心にいる男が口を開いた。

「坊ちゃん達、金目かねめの物を渡してもらおうか」

 レオンが横で怯えている。ジルベールも危険は感じるが、そこは高位貴族嫡男だ。このような場合でも堂々とできるだけの度胸はすでに育っている。
 
「そんなものは持ち歩いていない」
「持っていなくてもその服を渡してくれるだけでいいんだがな。さぞかし高値で売れそうだ」

 何も答えないでいると、男が、「あまり気が進まねえが……それならしょうがねえ、攫ってお貴族様の親に金銭を要求しようじゃねえか」と言った。多分、初めからそっちが目的なんだろう。

「貴族ではないし、要求されてもむだですよ」

 男達から笑い声が上がった。

「おいおい、貴族じゃないとか。こんなお高くとまった平民の子どもがいるか? 嘘つくならもうちょっとマシな嘘にしてくれよ」

 いや、レオンに関しては本当だけど……という考えは当然口にしない。

「抵抗すれば怪我させるぞ。諦めて大人しく捕まるんだな」

 リーダーの男が下っ端に合図し、数人がニタニタと嫌らしい顔つきで近寄ってくる。確かに貴族は普通下心を巧妙に隠すから、ここまでねっとりとした笑みは出さない。
 ジルベールはレオンを見た。震えていて今にも泣き出しそうな表情だが、ジルベールが言いたいことは理解している目だ。

 男達が襲いかかろうと身を乗り出した瞬間を見計らい炎を出し、それをレオンが風に乗せ瞬く間に彼らの前まで飛ばした。小さく攻撃力としては物足りないが、いくら貴族の子どもだと分かっていてもすでに異能を扱えるとは想像できないであろう彼らをひるませ、その隙に逃げ出すだけの効果はあったようだ。

 全速力で駆け抜け、大人が通れない幅の建物のあいだを進む。
 もし男達が瞬間移動できる――だとか、捜索能力がある――だとか、遠距離攻撃系の異能を持っている――だとかならば、あのように身を落とさず国王軍や警備隊に所属しているはずだ。

 夢中で走り、もう大丈夫だろうと思い周りを見渡すと、二人は森の中にいた。

「ここまで来れば大丈夫そうだ」
「……はい」

 まだ日は昇っているしすぐ先に町も見える。確か家庭教師が、『平民街の西側そとには森が広がっております。町近くでしたら市井しせいの人の憩いの場になっておりますが、奥まで行くと獰猛な生物がおりますので危険です』とか説明していたっけ。
 ということは――このまま少し探検できる。

「レオン、こっちに行ってみよう」
「ジルベール様、森を歩くのは危ないです」
「それはもっと向こうに行った場合の話だよね? 少しだけなら問題ないよ」

 ジルベールはレオンの忠告も聞かず勝手に進んで行く。もちろんジルベールの世話係と言いつけられているレオンは側を離れられない。

 日が落ちれば平民街は真っ暗になる。貴族街でも高級な場所に位置しているギファルド邸の近辺でふんだんに使われている灯りに慣れていたジルベールには、想像できなかった。

 気付いた時にはすでに町も見えなくなり、周りは同じような景色が続いていてどの方向に帰ればいいのか分からない。辺りが静まり返る中、遠くで唸るような鳴き声が響き渡る。
 さすがのジルベールもどうしようと思いレオンを見ると、緑色の瞳がきらきらと光っているように思えた。

「レオン?」

 えっと……泣いている? 

「どうしたの? 確かに声も聞こえるけど……離れているし大丈夫だと思うよ。レオンは町の方向覚えてる?」

 レオンから返ってきたのは、ぐじゅっと鼻をすする音だけだ。

「怖い?」

 ジルベールも正直怖くなっていたが、子どもながら言い出したのは自分だという自覚はある。
 ここで狼狽うろたえるわけにはいかない。レオンの目の前まで近づき、さらさらな漆黒の髪を撫でる。

「レオンは危ないって言ってくれたのに……僕のせいで……こんなことになってごめん」

 恐怖からかレオンはずっと黙ったままだ。手を握ると、震えているのが分かった。
 
「頑張って帰り道を探そう。僕がレオンを絶対に護るから、安心して」


 気のせいかな? 握った手の震えが止まって力が入り、『任す』と頼られたような感覚になった。

 ――声がする方が森の奥ってことだから……反対に行けばいいはずだ。

 左手でレオンを引っ張り、右手で小さな炎を出して辺りを照らしながら、音から離れるように歩きだした。レオンもたどたどしい足取りで付いてくる。
 けれど、行けども行けども木々があるだけで町があるようには見えない。

 普段は訓練時のみ、専門の教師の元で扱う異能をこの日はすでに何回も使い、しかも今は炎が消えればまた出して……と乱用している。ましてや歩き続けたことと極度の不安から、すでに体力の限界に達しようとしていた。

 小さな木の根につまずき転んだジルベールは、疲れもあってなかなか立ち上がれない。

「大丈夫ですか……?」

 力が――入らない。

「……ジルベールさま?!」

 意識が遠のいているジルベールの肩を、レオンが叩いて呼びかけ続けると、五分くらい経ってからやっと重たい瞼を開けた。
 
 焦りと安堵の感情が入り交じった声がジルベールの耳に届く。

「ジルベールさま! 良かった……本当に、良かった……です」
「ん……ぼ、く……どうした……?」
「つまずいて、倒れてから……起きなくて……頭を、打ち、ましたか?」
「ううん、大丈夫。多分――寝てたみたいだ。心配かけてごめん」

 レオンを見ると、母親とはぐれた小さい子どものように、ひゃっくりを上げ顔全体で泣いていた。

「ごめん……火も消えちゃったし真っ暗の中、一人で怖かった?」

 レオンは首を大きく横に振りながら「ち、がい、ます……」と、途切れ途切れに否定し、「ジルベールさまが……もう、起きない、のかと……怖かった、です」と続けた。

 ――ああ、自分と一緒にいる時に主人の息子の僕に何かあったら、使用人として絶対に許されないから……怖いだろうね。

 もちろんレオンの『怖い』は純粋にジルベールを心配してがための思いだったのだが、両親からきちんとした愛情をもらえていないジルベールの思考回路では繋がらない。

 どうせ父上達には、僕に命令されて断れずに屋敷を抜け出したって言うんだろうし、父上だってレオンがお気に入りだ。心配しなくても、どうせ怒られるのは僕に決まってるのに。むしろ僕は捨てられるかも……
 ちょっとした好奇心から町を見て、父上達が戻る前に帰る予定だったのに……どうしてこうなった?
 それに、気のせいだと思いたいけど……唸るような鳴き声がさっきより大きくなってない? 

「レオンは疲れてる? まだ歩けそう?」
「歩け、ます」
「じゃあ行こう」
「どこに、生き物が……いるか、分からないので……危ないと、思います」
「でもここにいるのも危険だよ。どこか隠れられるところまで行こう」

 再び歩き出したが、今度ははっきりとが自分達を追ってくるのが分かり、逃げるように走り出した。もつれそうになる足を必死に動かし、手を取り合う。
 だが、少し走ったところで二人の前に何かが立ちはばかった。獰猛な生物――のイメージにしては細長いし、動いているので木ではない。
 そして自分達にも分かる言葉を発した。

「アンドレ様。二人を見つけました」

 ――父上の名前?

 すると少しのけて、また誰かが来たと同時に辺りが炎で明るく照らされた。

「ジルベール、レオン、無事だったか」
「……父上」

 助かったという安堵と怒られるという恐怖からその場に立ち竦む。レオンも同じようだ。

「疲れただろう。話は屋敷に戻ってからだ。まずは帰って皆を安心させなさい」

 アンドレは長身の人物に何かを告げ、その人は僕達に手を繋ぐよう命じた。
 え? ――と思った時には体が今までにない感覚に陥り、懐かしいギファルド邸の入口にいた。周りからは使用人達の歓声が上がっている。
 クリスティーナレオンの母親がレオンに駆け寄ってくるが、母上は今夜もいないようだ。
 顔を横に逸らして見ないようにした直後、急にクリスティーナにレオンと共に抱きしめられた。

「とても心配したわ。本当に無事で良かった」
 
 温かくて柔らかい……母親ってこんな感じなんだ。でも――使用人という立場なら、自分の子だけ抱きしめるわけにはいかないよね。

 もやもやした気持ちを抱えて顔を上げると、父上が先ほどの人と話しているのが目に入った。
  
「フェリー隊員、貴殿のおかげだ。礼は何が――」
「私はギファルド様の散歩のお供をさせていただいただけございます」
「だが……せめて、親として助けてもらった礼だけは言わせてほしい」
「いえ、皆様の安堵の表情だけで十分伝わっておりますので」

 父上はそれでも頭を下げて隊員を見送り、僕達に汚れを落としてから執務室に来るように命じた。



 怒られることは確実だ。何て言い訳しよう……レオンに頼む?
 いや――そういえば先生が、『主人が出した指示に対して、使用人はその内容に異議を唱えられない』とか何か難しいこと言ってたよね。ならお願いしなくても、僕が何を言ってもレオンは反抗できないはずだ。
 確かその後に、『――ですから、ジルベール様は常に冷静に物事を判断し、自我主張をしないよう己を律する必要がございます』とかも言ってたっけ。

 要するに――ってことだよね。

 いくら毎日勉強しているジルベールといえども、自分にとって都合良く解釈するのはまだまだ子どもなので仕方ないことなのかもしれない。
 ましてや普段、親から与えられる愛情が枯渇しており、絶対的な安心感のない状態では自分からレオンを誘ったなど、怒られるよりもジルベールにとって恐怖な、見放されるという結果しか予想できない場合には、はたから見ればおかしいことでも、どうにかして回避しようとするのは普通の行動だろう。


 
 機密漏洩や密談を人に聞かれることを防ぐために最適な父上の執務室の扉は、強固な作りのギファルド邸の中でも特にどっしりと厚く、普段は閉ざされているが、今は自分達を迎えるためか少し開かれている。到着したことを告げ中に入ると、驚いたことに侍従ではなくクリスティーナがいた。

 いなくなった息子を心配する母親のためか……それとも使用人として息子の不始末のために呼ばれているのか……父上の考えはどっちだろう。
 
 レオンもクリスティーナも立場を弁え、母子ははこで会話するようなことはしない。アンドレから、真ん中に置いてあるソファーへ二人並んで座るよう促された。左横にクリスティーナ、向かいに父上という形になる。

「まずは二人が無事に見つかったことは幸いだった」

 言葉の意味と同じ、安堵感が含まれた声色こわいろで言ったアンドレは、次にジルベールを真っ直ぐに見つめた。

「さてジルベール。それで、おまえ達があそこにいたことについてだが……もちろん、どうやって屋敷と貴族街を抜け出したかについてはすでに調べが済んでいる。訊きたいのは、その理由だ」
「父上、本当に申し訳ありません」

 咄嗟に謝ったが、アンドレは「謝罪の言葉を私が要求していたかね? 尋ねたのは理由だ」と、強い口調で言った。
 僕はどっちの理由を言うか、まだ決められない……
 決められないまま口を開こうとした時、横にいるレオンが発言の許可を求めた。

「アンドレ様……私が、話しても……いいですか……?」
「聞こう」
「――あそこにいたのは、私が……前に住んでいた家を、見たいって……言ったから……ジルベールさまには、危険だと、言われましたが……私が無理やり、お願い、したんです」

 僕は驚きつつも、その感情を外に出さないように頑張った。せっかくレオンがこう言ってくれたんだ、このままレオンのせいにしたい。

 父上はすぐに何か言うことはなく、少し考えているようだった。

「だが結局家には行かず、森にいたのはどうしてだ?」
「それは、平民街を歩いていたら……男達に捕まりそうに、なって……走って逃げて、気が付いたら、森に、いました」
「今話した内容は本当かね?」
「は……い」

 アンドレはレオンから視線を外し、自身の右側を見た。外の音が入り込まないこの部屋で、沈黙がより一層空気を重くしている。
 
「ジルベール」

 その張り詰めた空気をやいばで切り裂くように名前を呼ばれ、悪いことが露見したみたいに体を震わせた。
 
「おまえも本当だと認めるのかね?」
「――はい、父上」

 絞り出すような声で言ったジルベール、後半の部分は……という思いはもちろん口にしない。
 その様子をつぶさに観察していたアンドレが、何かを諦めたかのような溜息ためいきをついた。

「レオン。おまえは使用人クリスティーナの息子でジルベールの世話係兼遊び相手という立場だが、そのの解釈を間違えないで欲しい」
「はい……アンドレ、さま」

 アンドレは二人を見ながら続ける。
 
「好奇心から冒険をしたい、その気持ちは理解できる。だがそのわがままのためにを巻き込み、危険な目に遭わせたことは分かっているのか? おまえ達はまだ子どもで、大人が守っているから安全に生活できていることを忘れられては困る」

 友達? 父上の言い方に違和感があるのは気のせいだろうか。

「二人がいないと分かり、使用人達は大変心配し探し回った。それに――検問所を勝手に抜けたこともだ。多くの者に迷惑をかけたことを理解しないといけない。まあ警備隊員に関しては、体制を見直す良い機会になったかもしれないが。決しておまえ達の行いが褒められたものではないことを反省してほしい」
「……はい」

 二人の返事が重なった。 

「明日からはまたいつも通りの授業と訓練がある。勝手な行動は慎み、ギファルド公爵家子息として相応しい振る舞いを心掛けるように。それと能力を使った件だが、ジルベール、確かにその炎のおかげで獰猛な生物も寄ってこなかっただろう。だが基礎ができていない内にむやみやたらに使えば反動も大きい。注意してくれ」
「分かりました、父上」
「二人とも疲れただろう、今夜はもう休みなさい」

 立ち上がろうとしたところで、父上が「レオン、一人にして悪いが――私は少しクリスティーナと話がある」と、前みたいに気遣うような素振りを見せた。
 僕はいつも一人なのに。なんでいつもいつもレオンだけ……
 
 挨拶を終え執務室を出ると、そのまま無言で廊下を進む。

 結局レオンのおかげで助かった。だがすっきりしない。息子が使用人のせいでこうなったのに怒らなかった父上に違和感がある。
 本で読んだけど……普通なら怒るだけじゃなくて、拷問とかまでするんじゃないのかな。
 やっぱりレオンが優秀だから? それとも――認めたくない考えが頭に浮かぶ……父上は僕のこと……どうでもいいから使用人に対して怒らなかったの? ――と。クリスティーナと違って抱きしめてもくれなかったし。
 母上だって……息子がいなくなったのに帰ってきてくれなかった。

 色々考えごとをしていたせいで、自室に向かうことを伝えるレオンの言葉も耳に入らず、ジルベールは部屋に戻りそのままベッドに倒れ込んだ。



 使用人に起こされ、また同じ様な一日が始まった。
 最初の授業を受ける部屋に入ると、すでにレオンがいて本を広げ予習しているのが見えたが、僕に気が付いてすぐに立ち上がった。
  
「ジルベールさま、おはようございます」
「おはよう。ねえ昨日、何で父上にあんな風に言ったの?」
「勝手な、ことをして……申し訳……ありません」
「いや、それは正直助かったんだけど……父上がどうして赦したのか分からないけど、もしかしたらレオンがすごく怒られたかもしれなかったよね。ううん、怒られるだけじゃ済まなかったかも。それを分かっていて僕を庇ったの?」

 先生が来るいつもの時間まで、まだ余裕がある。
  
「――庇うと、いうか……ジルベールさまは、私が、仕える主人なので……当然、のことです」

 気弱そうな言い方と違い、緑色の瞳には力が入り、青色に真っ直ぐ向かっている。

 ああ、そうか……父上が怒らなかった理由――
 多分父上は僕が誘ったって気が付いているんだ。そうだよね、こんなおどおどしているレオンから言うわけない。咎めなかったのは、使用人レオン使用人レオンらしく振舞ったからだ。

 要するに僕はレオンより偉いし、レオンは僕に何も言えない。
 父上が昨日、『ギファルド公爵家子息として相応しい振る舞いを心掛けるように』、レオンにも『僕の世話係兼遊び相手というの解釈を間違えないで欲しい』って言ってたし、今まで僕はレオンに対して優しすぎたんだ。
 公爵家嫡男としてもっとそういう風に振る舞えば、ギファルド公爵父上に相応しいと認められて抱きしめてもらえるかも……
 してもらえなくても、僕にはレオンという、絶対的に付き従う者がいる。十分だ。

「そうだよ。レオンは僕の使用人だ。だからこれからもね」

 大いに言葉の意味を歪めて解釈をしたジルベールの思考は、教師の入室によって停止された。
 そのレオンへの勘違いはそれから長く、この国に英雄が現れる時まで続くことになる。
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