公爵子息だったけど勘違いが恥ずかしいので逃走します

市之川めい

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第二部

もうひとつの真実

 父上は当時の感情を一気に吐き出すように、話を続ける。

「クリスティーナはあの美貌がゆえに問題が起きるのを防ぐため、家族が偽名を使わせていた。当然平民の姓だ。洗練された雰囲気から何かあると薄々感じてはいたが、まさかあのような出自だとは全く思いもしなかった。そのためどうやって両親を説得させようかと、悩んだことは否定できない。そうやって少し時間が過ぎた頃、エロイーズが私の前に見覚えのある書類を持ってきた。婚姻のための届け出だ」

 父上の顔が苦痛に歪んだ気がしたのは、俺の見間違えではない。
  
「その書類が母上との署名になっていたということですか?」
「そうだ。そして彼女は私に言った。『妊娠している』と、『あの地方任務から帰られた日の、とても幸せだったわ』とも……」


 沈黙に耐えられないのか、緊張で喉が渇いているのか、父上がすでに冷たくなっている茶に口をつけた。

「私は……混乱した。どう見ても私の筆跡だが、書いた記憶がなかった。それに――あのはクリスティーナとだったはずだ。だがその後、気が付くと両親にも私とエロイーズが結婚すると伝わっており、すでに公になっていた」
「全て母上の能力、なんですよね」
「ああ、だが知ったのはもっと後でだ」

 アンドレの暗い表情は、その運命を突きつけられた時の心境だろう。
 やめてくれと叫びたい。
 様々な理由をつけて自分に大丈夫だと言い聞かせているが、実際には胸中に渦巻いている黒い感情をどうにかして覆い隠そうと、無理やり自分を納得させているに過ぎない。

 目は口ほどに物を言う、とは上手く言ったものだ。父上の表情からはエロイーズの妊娠、すなわち俺ができたことが地獄の始まりだと、丁寧に教えてくれている。

 
「私は誰にも相談できず、そもそも記憶が曖昧になっており、エロイーズと完全に何もなかったと言い切れる自信もなかった」
「それは母上の異能の所為せい、ということでしょうか?」
「おそらくそうだと思うが……断言はできないし、彼女自身も相手の記憶がどうなっているかまでは分からないようだ」

 父上は顔を少し歪めながら溜息ためいきをついた。怪我のことよりも精神的な苦痛の方が大きいだろう。

「それで父上はどのような……」
「私は何もできなかった。エロイーズを認めた両親が話をどんどん進めており、抗うことは不可能だった。今になって思えば彼らも記憶を操作……いや、両親はもういないし確かめる必要もないだろう」
「……はい」
「クリスティーナにも一度説明がしたかった。泊まり込み任務が終わり、やっと時間が作れて会いに行ったが、すでに以前の場所から消えていた」

 クリスティーナは父上の身分を知っていたのだろう。四大公爵家の婚姻ならば王都の平民街まで噂が届く。

 その時の父上の心情――計り知れない絶望や困惑に同情し、どうにかして癒されてほしいと思う。自分の存在否定が根底にあるのにな。いくら父上が自分に興味がなくとも、実の親子でなくとも、俺は父上のように割り切れない。


「私はその後、流されるままこの屋敷でエロイーズと暮らし始めた。彼女はその頃は夜会にも行かなかった。明るく社交的で使用人達とも気さくに会話し、ギファルド家にあっという間に馴染んだ。そして……だんだんと私が記憶を忘れているのではないかと考えるようになった」
「何の――記憶ですか?」
「エロイーズと関係を持ったことを。例えば、酒を飲んでいて良く覚えていないと言う者がいるだろう? あのような感じだ」

 罪を犯した者が弁解する時に使う言葉。父上にとってその行為がもたらした結果が犯罪だとするならば、俺は完全に悪か。

「そう考えるとそれまで沈んでいた気持ちが上向き、私は新たな生命の誕生――おまえに会うのを待ち侘びるようになった」
「え?」

 聞き間違いか?

 
「そしておまえが無事に産まれて、私はこの世にこれほど幸せなことがあるのかと、自分よりも大事だと想える存在に……より一層任務に励み、この国とギファルド家を護ろうと誓った」

 ここまでなら一見いっけん良い話だが――残念ながら先がある。だって、実際に俺が受けてきた仕打ちと違うし。

 その懸念はアンドレにも十分に伝わっている。察しが良く周りを見る目がなければ、いくら生まれ持った地位があってもここまで上手く立ち回れない。


 応えようのないまま沈黙していると、父上が古い記憶を回想し始めた。

「おまえはすくすくと成長し、とても利口な子だった。何かを上手くできた時、頭を撫でると可愛く笑うので、それが見たくて使用人達と競い合っておまえを褒めたものだ」
「――父上も……ですか?」
「ああ、そうだ」

 記憶になくとも、頭を撫でられ褒められたことはあったのだ。

「私に似ておらず母親似だったおまえのことを、私の古い友人などは、『冴えない父親でなく美人の母親に似て良かったな』と言っていたな」

 家族の微笑ましいエピソードを語っているのに、明るい茶色の瞳に影がさした。

「私も――おまえは母親の髪と瞳の色を引き継いでいるのだと思っていた。だがおまえが二歳頃だったか……エロイーズとある男の関係が怪しいと、使用人から話があった」

 その男のことを言いたくなさそうにするアンドレの表情から推測できるのは、一人しかいない。

「俺の本当の父親……ですか?」
「ああ、そうだ。あの時……トニーという名の平民の料理人と言ったのは覚えているか?」
「はい」

 忘れたくとも忘れられるはずがない。

「彼も輝くような金色の髪と素晴らしく整った顔立ちの男性だった。私は使用人から二人の関係を指摘されようとも、何も疑わなかった。興味がなかったからではなく、エロイーズを信じていたから。だが……ある時シャンティエから、『大事な話がございます』と言われ、彼が知り得たエロイーズの胸の内を私に打ち明けたのだ」
「はい」

 身体中に冷んやりとしたどろどろの液体が広がる。脱出しようと藻掻けば藻掻くほど、底なし沼のように深みに嵌っていく。

「私は……目の前が真っ暗になった。おまえが私の子でなかったなど、どう受け入れられる? 信じたくなかった。私はエロイーズを問い詰めた。シャンティエの能力を話し、そして……彼女は認めたのだ」

 父上は一応、初めの頃は俺を自分の子だと思ってくれていた。だが裏切られた衝撃と、そんな母親の息子だと分かってから嫌悪するのは普通だろう。むしろ……嫌われていても、実子レオンの代わりにされても、完全に無視をされてはいなかった。負の繋がりだろうが、繋がりは辛うじてあった。それは父上なりの情けなのかもしれない。


 アンドレの視線は一点を見つめ、唇の端が震えている。

「エロイーズは昔から美人と有名だったため、貴族から声をかけられることも多かったらしい。伯爵家の養子になった後は、平民だったことを覚えている者がいるかもしれないからと、定期的に美容院へ行き、元々の茶色の髪を金色に変えていたそうだ」

 俺の――ずっと母上からの遺伝だと思っていた輝くような金髪は、父親トニーからだったのか。

「その直後だったか。おまえが私のところに来て 、『家庭教師から褒められた』と言った。以前ならば頭を撫でていたのだが、私は、あの時はおまえの髪、実の親トニーと同じ色にどうしても触れることができず、拒否してしまった……」

 アンドレは威厳さも温和な雰囲気も消えた、いつもより一回り小さく見える肩を揺らしながら息継ぎをした。

 空気が薄く感じ、頭の中にもやがかかって思考を鈍らせる。何度も突きつけられた現実は、最後は大きなやいばで襲いかかってきた。

「ジルベール。それでもおまえは、優しく私に微笑んでくれた。そして――私は、恐怖を感じたのだ」
「恐怖、ですか……」
「ああ。エロイーズを養子にした伯爵は他にも色々と不正をしていた。国王陛下もちょうど別件から彼を調査しており、最終的に爵位剥奪の上、処分した。そしてトニーには退職金を上乗せをして暇を出したからこれで上手くいくと、そう思っていたのだが………」

 父上の、以前は知らなかった目尻に皺が刻まれているのが目に入った。恵まれた環境だとはいえ、幼少期からの鍛錬、勉学、日々の重圧や苦労は相当なものだろう。

「トニーがやめた後、エロイーズは屋敷にいることが徐々に少なくなった。私はエロイーズがおまえを連れて出ていくのではないかと……怖くて堪らなかった」

 この時は――まだ父上は実子レオンの存在を知らないはずだから……跡継ぎがいなくなるって意味でか。俺にはその価値しかない。

「私は本当に未熟だった。万が一おまえがいなくなった時の精神的な負担を少なくできればと、おまえと距離を置こうと考えてしまった。言い訳になるが、当時は国王軍の任務の他に国王陛下から指示された王宮での勤務もあり、屋敷に戻る暇がなかった。私はそれを理由にし、ますますジルベール、おまえを遠ざけた」

 うろ覚えだが――やはり、父上は故意で屋敷にいなかった。そんなに俺と顔を合わせたくなかったのかと思うと、レオンによって塞がれたはずの傷が開く。

「クリスティーナのことは胸にしまっていたはずだった。だがある時、隊員達と食事に出かけたのだが、その時に彼らが『平民街に絶世の美女がいる』と、話題にしてな。クリスティーナかエロイーズか……それとも他の人だったのかは分からないが、私は無性にクリスティーナに会いたくなった」
「はい……」
「男として情けないと思うか? 私は……生涯であの一度しか経験がない。夢のような時間だった。その夢心地に浸りたいと、再度彼女に癒しを求めた」

 レオンとの濃厚な時間が無条件に思い出される。父上ほどの地位ならばいくらでも遊ぶ相手はいるだろうが、温厚篤実な父上にその発想はないだろう。
  
「そして、シャンティに頼んで探してもらい……私は会いに行った」


 おそらくその時に実子レオンの存在を知った。俺の思考を読むように、父上が続けた。

「彼女にはおまえと同じくらいの……黒髪と緑色の瞳を持つ、子どもがいた」
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