公爵子息だったけど勘違いが恥ずかしいので逃走します

市之川めい

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第一部

逃走します

 俺は二人から気付かれないところまで行くと『わーーー』と叫びたい気持ちを何とかこらえ、そこからは全速力で部屋に戻った。
 頭の中でさっき聞いた二人の声が絶え間なく続いている。消し去りたいのに消えない。どんどん強くなり、距離を空けて聞いていたはずの声が、俺の体を這いつくばりながら耳元まで迫って来る怪物のように感じられる。 
 目に入った光景も頭の中で処理できず椅子にぶつかりよろけたが、転ぶのは何とか回避できた。
 むしろ頭を打って記憶を失くした方が好都合なのかもしれないが。

 這うようにして部屋の真ん中にあるアーチをくぐり寝室側へ入った。そして勢いよくチェストの扉を開け、奥から最近は使う機会のなかった旅行鞄を引っ張り出す。訓練で使っている物より大きいサイズだ。
 もうここにはいられない。早く自分のことを知っている人がいない所まで逃走しなければ……
 自分の本当の身分を知り、ギファルド公爵家にいるのは分不相応なので遠慮して身を引く――なんて殊勝な態度ではなく、ただ単に自分の勘違いが恥ずかしいからだ。 

 それに何より、万が一このことが周りに露見して今まで俺に頭を下げていた使用人達と同じ立場に落ちるなんてまっぴらごめんだ!
 だがこの考えが、さっきの二人の会話にあった出自の差――いや、どう転んでも俺はレオンのように謙虚になれない。そう、なれないのだから出て行くしか道はない。

  
 気を取り直すと、鞄の中にさしあたって必要な物、着替えや衛生用品を入れていく。学園での訓練のおかげだ。普段なら使用人に任せるだけの立場の俺では、到底できなかっただろう。本当は水と食料も少し欲しいところだが、この部屋には何もなく、使用人には頼めない。
 だが幸いにして俺は四大公爵家嫡男だ――だった。買い物などの会計は全て従者であるレオン任せだったが、自分で使える金もある。夜が明けて町に着いたら買えばいい。

 重要なのは、誰にも気付かれずに屋敷を出て行くことだ。早くしなければ、会話を終えた二人と鉢合わせする可能性がある。それに屋敷内で俺を探しているはずのレオンが、見つからないのでこの部屋に戻って来るかもしれない。
 急いで詰め込み終わると立ち上がり、扉の方へと向かう。名残惜しくなり一度部屋を振り返ると、ベッドが目に入った。レオンとの行為――をはっきりと思い出し、様々な光景が頭の中に浮かび上がった。さらさらな漆黒の髪、熱を帯びた緑色の瞳、温もりを感じるしなやかな体……
 込み上げる感情に無理やり蓋をして、俺はひっそりと静まり返る廊下を進んだ。
 

 すでに夜は深い。レオンが英雄だったということで少なからず浮き足立っていた屋敷も、今は静まり返り暗い影を落としている。音を立てないように注意しながら使用人が使う裏口まで辿り着いた。当然ながら鍵がかかっている。
 仕方ない――どうせ朝になれば俺がいなくなったと分かるのは時間の問題だ。

 屋敷の窓から見えないよう、背中を向け人差し指の先に小さな火を出した。 明るさで体の輪郭が浮かび上がらないよう、爪の大きさくらいだが高温の火で鍵穴をゆっくりと溶かしていく。
『ガコン』と小さな音がして鍵が外れたのを確認し、俺は生まれて初めてギファルド公爵邸の使用人専用の裏口から外に出た。
 本来の身分に合っているな。俺を支えていた自尊心はいとも簡単に崩れ落ち、今までの人生で全く縁のなかった自虐すら出てくる。
 
 俺がこっち側だったなんて、昨日までの俺が聞いたら、表面上はいつものように貴公子然とした態度でかわしても、内心は面白い冗談だと失笑するのだろうか。それとも馬鹿にするなと怒るのか……俺の性格からして多分後者だろう。
 笑って現実逃避したくなるが、どう考えてもその笑いは長くて数分しか続かず、その後は現実を直視せざるを得ない。今現実を振り返ったらもう立て直せない、ここにいたら見つかってしまう。歩いて、が明ける前に王都を離れなくては。
 今まで陽の当たる場所のみを歩いていた俺は、闇夜に紛れて田舎へ続く道を進んだ。


 ギファルド公爵家子息として移動の際は常に馬車を使っていたが、幸いなことに学園での訓練で鍛えていたため、夜通し歩き続けるだけの体力はある。
 だがいつもレオンを斜め後ろに従えていた習慣からか、いないと落ち着かず、何度も後ろを振り返って確かめてしまった。 
『いつもと違って気配が感じられないのが気になるから!』そう自分に言い聞かせているが、今俺を追って来てくれているか、その期待が糸に紡ぎ入れられているかのように、反射的に頭を引っ張られて後ろを確認してしまう。

 追いかけて来るはずがない……普通は、今まで自分をしいたげていた者がいなくなったら安堵し、つらかった過去を忘れようとはすれど、寂しさなど湧きようがない。もしそうならレオンはとんだ被虐性欲の持ち主だ。
 むしろ歓喜して、立場が変わったなら同じようにやり返したいと俺なら思う。
 レオンやリューイ、ダッドなら自分を抑えられるだろうが、大多数の人間がこっちだろう。ラファエルとかな――いや、あいつはあれで、俺と違いずっと上の立場をなんだかんだ享受きょうじゅする。実際にあいつは、どれだけ出来が悪かろうと、れっきとした四大公爵家ヴェルディア家の子息だ。
 自尊心が高過ぎても、身分や能力が備わっていれば一目いちもく置かれるが、そうでなければただの道化者だ。
 
 四大公爵家の実子として育てられていた子が実は血が繋がっていない平民同士の子だったとしても、今まで目立たない存在だったら周りから同情され、腫れ物に触れるような扱いをされるだけで済んだだろう。

 だが俺は貴公子然とした姿で周りの注目を集め過ぎたし、血統主義的なところを見せないように振舞ってはいたが、使用人のレオンを常に従えていた。ラファエルほどではなくとも、もしかしたらそう感じさせる言動があったかもしれない。だからこそ、周りはそんな俺の転落を笑う。それに平民が好きそうな逆転劇という要素まで加えられている。
 
 人から嘲笑ちょうしょうされるなんて、俺から一番遠いところにあると疑いもしていなかった。


 王都を抜け、整備されていない道を何かからのがれるように早足で進む。休まず歩き続け、日が昇る頃に町に着いた。ここは規模が大きく王都からも近いため、少し休んだらまた別の町に行かなければ見つかる可能性が高い。ゆっくりしていられない。食べる物を買いたいがどうやって買えば良いのかも分からないため諦め、まずは馬車乗り場を探した。

 とにかく早く行ければどこでも良い。案内所で遠方の町行きの一番早い時間に出発する馬車を訊き、運良く空きがあったためそれに乗り込んだ。
 
 今まではギファルド家の紋章付きの大きな馬車にレオンと二人で乗っていたが、この乗り合い馬車は質素な作りの上、身動きが取れないくらいまで人が積み込まれている。ずっと同じ姿勢でいるため体がつらい。周りには商人風や肉体労働系の男性の他に比較的身なりの良い老夫婦、母親と幼い子どもまでいる。何で皆、普通にしてられるんだ。
 
 そういえば……昔だったか領地へ行くため舗装されていない道を走った時、尻が痛くなるからってレオンの膝の上に座ったこともあったな。小さい子や女じゃなく、同じような体型の男を長時間乗せるのだからレオンは相当きつかっただろうが、あいつは顔色ひとつ変えなかった。
 

 途中何度か馬車を乗り換え、馬車が停止した時には俺はすでに廃人のようになっていた。目的地に到着したようだが、地面が揺れていて荒れた海上にいるみたいに頭の中も回っている。吐ければ少し楽になるだろうが、丸一日何も食べていないためえずきしか出てこない。

 もうこれ以上動けない、俺は地面に崩れ落ちた。耳元で誰かに話しかけられているが、気持ち悪くて何も考えられない……
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