僕は彼女の代わりじゃない! 最後は二人の絆に口付けを

市之川めい

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軍に復帰

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 復帰初日、マシューはまず参謀部への異動を願い出るために人事部へ行った。今までは王国軍の第三隊に所属する副隊長であったが、それだと参謀長の任務も兼ねている王太子殿下との接点が持てないからだ。
 隊長になれば作戦会議で同席できるかもしれないが、個人的に近づくのは容易ではないだろうし、隊長になりたいと願い出て、要らぬ敵を作ることは賢くない。
 
「そんな……急に言われてもすぐに返答できないですよ。貴殿の知性が高いのは否定しませんが」
「無理な願いだとは理解してる」
「第三隊の中で何か問題でも? そうでしたら違う解決法を提案いたしますよ」
「そういう意味での異動希望ではない、隊には満足している。軍人として隊だけでなく、全体を把握する能力を身につけ、成長したいのが理由だ」
「でしたら、次の編成までお待ちいただけますか? 希望はあげときますから」
 
 別な理由のほうが良かったか――仕方ない。そう思ってマシューは溜息をついた。
 するとそれをこの人事部の若手は勘違いしたのか、マシューに持ち掛けた。
 
「やはり今すぐ異動希望ですか? どうしてもと仰るなら……参謀部は空きがございませんが、衛生部なら人手不足なので、喜ばれますよ! 副隊長の後任を考えないといけませんが」
「衛生部? 僕は知識がないので役に立ちませんが」
「それが、本当に人が足りていませんで。雑用兼助手――いえ、助手兼雑用で十分ですよ」
 
 マシューは「それなら結構――」と断ろうとしたが、次の話を聞いて思いとどまった。
 
「参謀長が戦争での犠牲者や物資の無駄を減らすため、それぞれの部署の改革をしているんですよね。それで今は参謀部と衛生部、それに補給部で色々見直しをしているみたいで。こっちは処理する書類が多くて大変ですよ」
「具体的には?」
「それはいくらリュート中佐でも……ただ、王太子殿下とオーウェン先生とモーロー隊長で結構話し合いされているみたいです」
 
 オーウェン先生は知っているし、話しやすい。なら、王太子殿下に近づける可能性がありそうだとマシューは考える。
 
「先ほどの話は有効かな」
「どの話ですか」
「衛生部への転属だ」
「興味無さそうでしたが……」
「無理か?」
「いえ、可能だと思います! オーウェン先生と話して、また貴殿にご連絡します」

   *  *  *

「人事部から面白そうな話が来たんですよね」
 
 執務室で作業をしていると、医者のオーウェンが追加書類を渡しながら話しかけてきた。父親とともにマルフォニア王国一、二を争うと言われているこの医師は誰に対しても親和的で、王太子である自分に対しても緊張しないのか、常に最低限の儀礼だけで気軽な調子で話す稀有な人物だ。
  
「忙しいんだが。俺に振るほど面白い内容か」
「それは殿下次第ですが」
「なら別に言わなくていい」 
「でも本当に意外な話で」
「おまえが言いたいだけだろう?」
「そうなんですよ! 殿下はリュート中佐をご存知ですか」
「宰相の息子か、個人的には知らない」
 
 書類に目を通していたギルバートはそのまま関心がないように応えるが、実際はあの初めて見た時の衝撃的なほどに麗しい姿を思い出している。
 
「そのリュート中佐、実は数ヶ月前に訓練中に倒れて少し休養を取っていたんですが、復帰すると思ったら衛生部へ異動希望ですって!」
「だが、彼は確か剣の腕が優れていたはずだ。それがなぜ突然衛生部へ?」
「それは……私も詳しい理由はまだ聞いてないんですが、倒れた後から少し調子がおかしいみたいなんですよね。倒れた時も頭を打ったのに腹部を押さえて『刺されて痛い』って言ったり、左腕の内側を触ったりしていて。もしかしたら体調が理由かもしれません」
 
 ギルバートの手が止まる。
 
「倒れたのはいつ頃だったんだ?」
「確か――建国祭のすぐ後に行われた、第一隊から第十隊の合同模擬戦の訓練中ですよ」
 
 その日は…………
 ギルバートが遠い目をする。
 
「殿下、どうかされましたか」
「いや……だが彼に衛生部での勤務が務まりそうなのか?」
「医者としては無理でしょう。ですが、我々を手助けしてくれると信じていますよ」



 王国軍での任務は個人の技能の鍛錬と隊員への指示、他の隊との連携確認などが主だったが、衛生部に移ってからは、オーウェン先生を筆頭に他の上級医者の助手として働くことになった。人事部の隊員が仄めかしていた通り、実際は雑用が多く、医療器具を手配するための書類作業や薬の確認、片付けなど多岐にわたる。
 軍事力強化に力を入れているマルフォニア王国において、王国軍所属がこの国の若者にとっての憧れ・目標であり、当然ながら衛生部所属は下に見られる。
 王国軍は七十隊から構成されており、貴族街や国境の警備、衛生部隊や補給部隊などに分けられているが、各隊によって強さや統制力はまちまちだ。マシューがいたのは第三隊で、副隊長を務めていた。二十四歳という年齢でこの役職を得ていたのは、生まれながらの身分への優遇ではなく、国内でも評判になるほどに剣が使えたからだった。
 
 そのためマシューの異動当初、衛生部内はもちろん、他の隊所属の者たちからも好奇の目で見られていた。
 ましてや医者ではなく助手の立場での配置替えだ。周りの者たちは眉目秀麗な容姿から連想し、女性問題を起こして降格処分になったなどと言い、倒れたことを知っている者は体調に関してだと噂した。
 衛生部の隊員は、貴族と平民両方で構成されている。貴族だとしても主に下級貴族出身者で、そのほとんどが次男以降の爵位を継げない者、身体能力に優れず軍人に向かない者だ。そのため、軍人として有名で現宰相の息子で侯爵家跡取りという高い身分のマシューがいきなり同僚や部下になったことで、周りの人間は扱いに困った。
 軍事宮内の任務において上の命令は絶対だ。だが、マシューは今までは自分たちよりも上の立場であったし、衛生部所属は一時的な措置で、すぐにまた元に戻るだろうと予想する。少しでも出世したい男たちは、今後を考えマシューに媚びを売っておいたほうがよいかと下心を持つ。

 マシューはそんな自分を取り巻く状況を十分に理解していた。以前なら上手く対応できなかっただろう(そもそも下の立場になることがなかった)が、ローレルの記憶とハリーの診療所で過ごした経験により、今では周りに合わせて対応することも上手くなった。
 それに、衛生部を率いているのはオーウェン医師だ。彼は友好的な人柄で規律を重んじるが上下関係を悪用しない、人格者として慕われている。
 マシューは自身が倒れた時に診てもらった縁からオーウェンと親しく話すようになった。
 オーウェンとハリーはよく似ている……
 軍所属医と平民街の医者という違いがあるが、患者に対して真剣に向き合い、常に新しい知識を得ることを怠らない二人は、年上ということもありマシューにとって兄のような存在だ。

 
 この日はオーウェンに頼まれ、補給部隊所属の隊員と共に物資の納入、管理等について再度確認し合い、書類にまとめている。
 
「こうやってマニュアルを作っても実際みんな守らないから意味無くないですか」
 
 補給部隊員が飽きたのか、暇そうに話しかけてくる。
 
「だけど徹底的に周知し続ければそれが習慣化するんじゃないかな」
 
 この仕事も重要なことは分かっているが、王太子殿下フィルと話す機会を何とか作らないと……前に進めない。マシューは焦りを感じていたので、気持ちに余裕がなく対応が少しぞんざいになっている。
 
「リュート中佐は見かけによらず真面目なんですね」
「え? どういう意味」
「いえ、眉目秀麗で剣も強いって有名だったんで天才型の軍人かと思っていたんですが、意外と地味な作業も文句言わずしているので」
「あなたが無駄口叩きすぎているだけじゃない?」
 
 マシューが決して楽しんでいない雑談をしながら作業をしていると、扉を叩く音が聞こえてきた。
 先頭で入って来たのはマシューも知っている、参謀部の隊員だ。
 
「進捗具合はいかがかな?」
「今まとめているところですが、気になる点が」
 
 マシューは資料を探して、見せるために前に差し出した。すると、その隊員の後ろにいたもう一人の軍人が覗き込んだ。
 
「どこだ」
 
 あ……王太子殿下フィル
 マシューと補給部隊員はすぐさま立ち上がり王太子に対しての礼を取った。
 
「堅苦しいのはよい、説明してくれ」
「僭越ながら申しあげます」
 
 王太子も自分に対して少なからず特別な想いがあることなど想像する要素の欠片もなく、マシューは高まる気持ちを抑えながら話し出す。
 
「以前は軍用品や、食料、衛生物資などはそれぞれの部署の隊員が個別に納品から管理、輸送までしていたため、二重発注や物資の紛失が多発しておりました。改善策として、まとめて管理させる責任者を配置させれば、手続きも簡潔になり無駄が減るはずです」
「だが、全ての物資の需要に精通している者でないと務まらない。補給部隊員だけで可能か」
  
 ギルバートが低い落ち着いた声で言う。立派な体格、誰もが見とれるほどの美貌、王族としての風格、どれも噂には聞いていたが、実際に目の前にすると自然と恐縮してしまう威圧感がある。
 本当にフィルなのかな……ローレルたちといる時と別人みたいだ。
 
「よろしければリュート殿、貴方がされてみては?」
 
 マシューが別のことを考えていると、ギルバートと共に入室した参謀部の隊員が提案してきた。
 
「僕ですか」
「貴殿は第三隊にいたから軍用品に精通しているであろうし、今は衛生部所属だ。これ以上適任の者はいないのではないですか、王太子殿下」
「よろしい。衛生部の任務もあるから、書類の確認など、補助という形で頼む。オーウェンには私から伝えておく。それと補給部隊からも適切者を選んでおくよう伝えてくれ。ではリュート中佐、これからは私や他の部の隊員との行動も増え忙しくなる。心しておけ」
 
 ――嬉しがってはいけない。これは任務だ。
 
 考えが顔に出ないよう、無表情を装いマシューは答えた。
 
「かしこまりました、王太子殿下」
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