秘色のエンドロール

十三不塔

文字の大きさ
9 / 38
第二章 首輪と接吻

しおりを挟む


 3

 
 銅音は不安だった。半年間、昏睡するか間欠的に石になってしまう同級生の姿が頭から離れず、夢の中ですら彼女を苛むのだった。
「で、なんで俺なんだよ?」
 寒さを避けて今日は屋上ではなく、校舎間の連絡通路で森下は作業をしていた。テーブルに青緑のペンキが塗られていく。酒造りの唄は寒風の中、伸びやかに響いた。
「あんたしか話せないから」
「突っ立ってねえで作業手伝えよ、それでなくてもおまえ評判悪いぞ」
「学園祭どころじゃないでしょ。知ってたんでしょ星南のこと? 同級生があんな目に合ってるって」ペンキ缶に突っ込んだ刷毛を森下に突き付けて銅音は迫った。塗料の飛沫が森下のジャージにかかる。
「バカの手だって借りたいくらい忙しい」
「はぐらかさないで。星南がどうなってもいいの?!」
「は? あいつはダチじゃねえし」
 すっかりこなれた森下の手つきは、塗料をムラなく木目の上に伸ばしていく。
「あ、ペンキが切れそうだな。また買い出し行かねーと」
 口をへの字にした森下に銅音は癇癪を爆発させる。
「この薄情者! ぺんぺん草! 卑劣漢の乳輪野郎!」
「……にゅう」
 中途半端な顔つきと姿勢のまま森下は固まった。
 そこへ銅音はさらなる攻勢をかけるのだった。
「星南が変態に手籠めにされてるんだよ。地球の裏側じゃなくて、すぐそばでさ。ひと肌脱がなくてどーすんのさ」
「死にゃしねーだろ」
「死ぬよかひどいじゃん!」
「おまえは」と森下は右手の刷毛を置くと低く問うた。「どうして俺が臥織を助けるなんて思ったんだ? 無関係な女に手を差し伸べるお人好しに見えるか? いいか。学校なんてところは同じ地域に住んでるか、似たり寄ったりの学力の奴らかで寄せ集められた、なんの必然性もない集団なんだ。たまたま可哀想なクラスメートに出くわしたからって手を差し伸べてたら身体がいくつあっても足りねえよ」
「……う」
 銅音は身悶えした。森下は声を潜める。
「それよか約束通り、〈パラドクサ〉へ行くんだ。受け取って欲しいものがある」
「なんでわたしが」
「忘れるな。おまえは俺に借りを作ったんだ。違法なギャングに。だろ?」
 そっけなく森下は言うが、その声音には底冷えのするものがあった。
「あんたのことだからどうせヤバいものでしょ?」
 いまさらだったが銅音はカーディガンを脱いで、余分の軍手を装着する。興奮と身じろぎとですでに銅音の制服はペンキの飛沫でずいぶん汚れていた。
「ふふふ、それをおまえは知る必要がない……ってなんかクライムムービーっぽいな」
「あんたがそれ言って冗談になると思ってんの」
 銅音が吐き捨てると、森下は肩をすくめた。
「ま、大したものじゃない。中身を見たって構わないがきっと拍子抜けするはず」
「ふん、そんなのはどうでもいい。やるよ」銅音は安請け合いしたことを後に後悔することになる。「ねえ、もっかい聞くけど、クラスメートを見殺しにするわけ?」
 話を戻して銅音はしつこく食い下がるが、森下は「見殺し?」と聞き返した。
「わたしは……あんただって助けるよ! ピンチだって知ってたら!」
「余計なお世話だ」
 おまえに何ができる、そう言いたげな眼差し。
「この国は酒造業を見殺しにし続けてきた。今もこれからも。ひねり潰されたくなけりゃ抵抗するしかないな。俺はそうしてる。いいか、女子高生。この世はな、誰かが誰かをひねり潰すための場所なんだ。法の内だろうが外だろうが。もう一度聞くけどさ、なんでおまえは俺が臥織を助けるだなんて思うんだ?」
 ここ数日で何度も浴びせられてきた視線だった。おまえは無力で無知なしがない女子高生だ、身の程をわきまえろ、と突き付けてくる多くの瞳。侮りと戒めとが入り混じった感情の引き潮。
「俺を動かしたいなら、臥織を助けることに何らかのメリットを作り出せ」
「利害関係だけで生きてんの? それって気分いいの?」
「堂々巡りだな。ダチでもないやつに好んで手を差し伸べる慈善家じゃねーの」
「バーカ、バーカ、だからあんたってモテないんだよ! 女子人気皆無だかんね」
 通路に敷いた新聞紙を踏みにじりながら銅音はおおっぴらに喚いた。これにはさすがの森下も傷ついたようだ。あるいは傷ついたふりをした。実のところ異性からの森下の人気はまんざらでもないのだったが、銅音は微妙に女子のネットワークからも疎外されていたから、それも耳に入っていなかった。
 チッと森下は舌を鳴らした。
「わぁーたよ。一個だけ無料で提供してやる。これでクラスメートとしての義理は果たしたと思ってくれ。臥織を貸り出してる変態はな、漆間嶺って野郎だよ」
「漆間嶺。慈善家デビューおめでとう」
 それができたなら軽薄な口笛を吹いだろう。不器用な銅音はぎこちなく唇を尖らせることしかできない。
「まぜっかえすなよ。特定複合観光施設区域整備法をちょろっと調べりゃすぐに出てくる名前だ。臥織を救いたいなら、やつを闇討ちするなり誘拐するなりすりゃいい」
 そういえば星南もカジノがどうとかって言っていた。しかし銅音には難しいことはさっぱりわからないし興味もない。政治家の利権や腹の探り合いなんかは。
「だからわたしは法を守る。相手が無法者でも犯罪者でも」
「おまえにできんのは、漆間よりちょっとマシな変態に制服でも売って小銭を作ることくらいだろ。カッコつけんのもたいがいに……あ、ペンキ乾いてねえからそっちの椅子も触るんじゃねえ」
「変な色」
「知るか。それより〈パラドクサ〉には必ず行けよ。正義の味方なら約束は果たせ」
 森下は銅音を黒とも白ともつかない世界に押し出そうとする。補習の日の腹いせにそうしているのだとしたら、根深い怒りを森下は抱えていることになる。
 ――今度で本当に最後だ。あんな場所には二度と足を向けないから。
「あんたには、もう頼まない」
 密かに銅音は決意する。決意するだけでなく、それを口にする。
「そうかい、それはありがたい。……今日は天気がいいから、すぐに乾くな」
 光が強いほど影も濃くなる、なんて物言いは嘘っぱちだ。それは光が隅々にまで満ち溢れていないからだ。あるいは光がまだ弱いからだ。愛情や優しさ、そして正義が十全に降り注げばこの世界はよくなるに違いない。十七歳の少女が見えない首輪に繋がれたあげく、半年という時間のスリットを人生に刻まれるのは、まったくもって正しい世界ではない。
 ――不正と不善が蔓延る世界でやることといったら、椅子を冴えない色に塗ること?
 鼻息荒く銅音は同じ決意を反芻するのだったが、どうすればいいのかは、ちっともわかっていやしなかった。そう、わからなさの度し難い深刻さすら、銅音はわかっていなかったのだ。

しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...

MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。 ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。 さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか? そのほかに外伝も綴りました。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

母の下着 タンスと洗濯籠の秘密

MisakiNonagase
青春
この物語は、思春期という複雑で繊細な時期を生きる少年の内面と、彼を取り巻く家族の静かなる絆を描いた作品です。 颯真(そうま)という一人の高校生の、ある「秘密」を通して、私たちは成長の過程で誰もが抱くかもしれない戸惑い、罪悪感、そしてそれらを包み込む家族の無言の理解に触れます。 物語は、現在の颯真と恋人・彩花との関係から、中学時代にさかのぼる形で展開されます。そこで明らかになるのは、彼がかつて母親の下着に対して抱いた抑えがたい好奇心と、それに伴う一連の行為です。それは彼自身が「歪んだ」と感じる過去の断片であり、深い恥ずかしさと自己嫌悪を伴う記憶です。 しかし、この物語の核心は、単なる過去の告白にはありません。むしろ、その行為に「気づいていたはず」の母親が、なぜ一言も問い詰めず、誰にも告げず、ただ静かに見守り続けたのか——という問いにこそあります。そこには、親子という関係を超えた、深い人間理解と、言葉にされない優しさが横たわっています。 センシティブな題材を、露骨な描写や扇情的な表現に頼ることなく、あくまで颯真の内省的な視点から丁寧に紡ぎ出しています。読者は、主人公の痛みと恥ずかしさを共有しながら、同時に、彼を破綻から救った「沈黙の救済」の重みと温かさを感じ取ることでしょう。 これは、一つの過ちと、その赦しについての物語です。また、成長とは時に恥ずかしい過去を背負いながら、他者の無償の寛容さによって初めて前を向けるようになる過程であること、そして家族の愛が最も深く現れるのは、時に何も言わない瞬間であることを、静かにしかし確かに伝える物語です。 どうか、登場人物たちの静かなる心の襞に寄り添いながら、ページをめくってください。

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

同じアパートに住む年上未亡人美女は甘すぎる。

ピコサイクス
青春
大学生の翔太は、一人暮らしを始めたばかり。 真下の階に住むのは、落ち着いた色気と優しさを併せ持つ大人の女性・水無瀬紗夜。 引っ越しの挨拶で出会った瞬間、翔太は心を奪われてしまう。 偶然にもアルバイト先のスーパーで再会した彼女は、翔太をすぐに採用し、温かく仕事を教えてくれる存在だった。 ある日の仕事帰り、ふたりで過ごす時間が増えていき――そして気づけば紗夜の部屋でご飯をご馳走になるほど親密に。 優しくて穏やかで――その色気に触れるたび、翔太の心は揺れていく。 大人の女性と大学生、甘くちょっぴり刺激的な同居生活(?)がはじまる。

二重のカーテン (スカートの下の黒い意志)

MisakiNonagase
青春
洗濯物の隙間に隠したのは、母としての祈りと、娘のプライド。 かつて、女子高生という生き物はもっと無防備で、自由だった。 44歳の主婦、愛子が朝のベランダで手にするのは、娘たちが毎日履き替える漆黒のオーバーパンツ、通称「黒パン」。それは、令和を生きる娘たちが自らの尊厳を守るために身に着ける、鉄壁の「鎧」だった。 小学校時代のママ友たちとのランチ会。そこで語られるのは、ブルセラショップに下着を売っていた奔放な50代、無防備なまま凛と歩くしかなかった40代、そして「見せないこと」に命を懸ける10代の、あまりに深い断絶。さらには、階段で石像のように固まる父、生徒の背後に立たないよう神経を削る教師……。 一枚の黒い布を通して浮き彫りになる、現代社会の歪さと、その根底にある不器用なまでの「優しさ」。 ベランダに干された黒いカーテンの向こう側に、あなたは何を見ますか?

【短編集】こども病院の日常

moa
キャラ文芸
ここの病院は、こども病院です。 18歳以下の子供が通う病院、 診療科はたくさんあります。 内科、外科、耳鼻科、歯科、皮膚科etc… ただただ医者目線で色々な病気を治療していくだけの小説です。 恋愛要素などは一切ありません。 密着病院24時!的な感じです。 人物像などは表記していない為、読者様のご想像にお任せします。 ※泣く表現、痛い表現など嫌いな方は読むのをお控えください。 歯科以外の医療知識はそこまで詳しくないのですみませんがご了承ください。

還暦の性 若い彼との恋愛模様

MisakiNonagase
恋愛
還暦を迎えた和子。保持する資格の更新講習で二十代後半の青年、健太に出会った。何気なくてLINE交換してメッセージをやりとりするうちに、胸が高鳴りはじめ、長年忘れていた恋心に花が咲く。 そんな還暦女性と二十代の青年の恋模様。 その後、結婚、そして永遠の別れまでを描いたストーリーです。 全7話

処理中です...