秘色のエンドロール

十三不塔

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第三章 虹と失認

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 俺はタバコを吸わない 酒を飲まない ファックをしない
 少なくとも俺は考えることができる
 耐えられない! ついていけないよ!
 足抜けするよ、この世界から!
           ――Minor Threat『Out of Step』


 1


 銅音と星南は、問題なく〈パラドクサ〉の入店チェックを通過した。〈相乗り〉オムニバスを隠蔽する〈ダイパー〉の効力を疑いなかったが、いざ強面のバウンサーに瞳孔を覗き込まれると自分でも呆れるほど身を固くしてしまう。小娘を連れたろくでなしの金満家といった素振りでへらへらと顔見知りに挨拶を交わしていく奥村だったものの、お付きの小娘たちの振舞いはどこかぎこちない。
「さぁ行くぞ、獲物はもっと深い場所に居る」
 カウンターについた奥村は、樫の扉に閉ざされた向こう側へ視線を流した。
『背徳の間。馬鹿げたネーミング。そこに漆間はいるの?』
 星南の内声を銅音は奥村へと伝える。
「情報は確かなの?」
「もちろん。やつは確実に今日ここに来ているはずだ」
 葬儀の日から二日を経た。金属球の中身は特殊な記憶媒体だった。その中身を奥村は確認済みだったが、銅音はそれを観るつもりはなかった。
 奥村は駆けつけ一杯の黒ビールを呷りながら請負った。
「段取りはわかってるな。酒姫サーキィ
「うん、ポーカーをしてくる」
 ここに預けたクレジットをゲームで増減させること。それが背徳の間に踏み入る三つの条件のひとつなのだった。さらに飲酒と淫行。法と倫理を踏み外すことで得られる――それは認証パスだった。ここでは悪徳こそが通行証となる。気が重い銅音だったが、もちろん覚悟は揺らがない。
「のめり込むな。軽く流して打ってこい」
「もちろん」
 奥村がバーボンのグラスを二杯空けるまでに銅音たちは戻ってきた。
 稼いだか、とは奥村は訊ねなかった。ただジッと顔を見つめて「ツキは?」とだけ訊いた。
「クラブのフラッシュでオールインした――」
「そりゃいい」とさっそく顔を赤らめて奥村は言った。アルコールの回りが早い。この男なりに緊張しているのかもしれない。
「――ら負けた。何にでも乗ってくるルースな奴だと思った相手のハンドが、びっくりストレートフラッシュだった」
「なんてこった? まさか全財産つぎ込んだわけじゃないだろ?」
「チップに換えたのは総額の半分くらいだけど、女子高生にとっては眼の飛び出るくらいの金額。ちょっと奥村さんが暗い顔しないでよ」
『大丈夫?』と星南が語り掛けてくるのを、引きつった表情でやり過ごして、
「もちろん、バイト代の半年分くらいだし、半年分‥‥うう」
『落ち込んでるじゃん』
(平気。厄払いだと思うことにする)
 銅音と星南はひとつの身体の中で語り合うが、〈オムニバス〉に慣れた二人のやり取りは傍目にはそれとわからぬらしい。奥村は暗いムードを切り替えようとするように「で、何を飲む?」と訊いた。
「エンドロール」
 二つ目の悪徳はこれだった。バーテンダーは優しい眼差しで銅音を見つめ、ゆっくりと頷いてから青磁の肌の色に似た液体でグラスを満たしていった。
「――これって秘色のエンドロール」
 そう声を出したのは銅音ではなく、星南だった。
 感情の昂ぶりにともなって表面化する人格が入れ替わったのだった。エンドロールというカクテルには星南の秘められた心の色が反映している。褪めた鉱物質のブルーが。
「レシピは内緒。でも、これから命を賭ける人間にはこれが似合います」
 芝居気たっぷりにバーテンダーはウィンクしてみせた。
「洒落たことをするじゃねえかよ」
 アルコールで火照った奥村の喉が震えた。
「この娘の眼には覚悟が。唇には傲岸が。指先にはためらいが見える。まるでバラバラの人間がひとりの身体に入ってるみたい」
 銅音と奥村は顔を見合わせた。まるですべてを見透かされているようだったから。
「それは――」咄嗟に何か言い訳を試みた銅音だったが、バーテンダーは皆まで言うなといわんばかりに掌を突き出した。
「大丈夫。あなたの中に何人が棲んでようが、このお酒を飲むのなら酩酊はひとつ。同じ身悶えを味わうことができる。酒は古来から結びつきを強めるものだった。人と神とを。彼岸と此岸とを。死者と生者とを。あらゆる儀式においてそうして酒は使われてきた」
「〈オムニバス〉とは考えないのか?」奥村が水を向けると、バーテンは首を傾げた。
「多重人格だろうと憑依だろうと〈オムニバス〉だろうとなんだっていい。崇高な目的を果たせるのなら手段を問うべきではないでしょう。長年この仕事をしておりますと稀にこんなお客様に出会うことがございます」
「手段を選ばない。そのことが崇高に成り得るのか?」
 奥野の問いにバーテンダーは肩を竦めた。
「問いに問いで答えさせてください。お客様はどうお考えですか?」
 もちろん、と奥村は語気を強めた。
「考えか。そんなものはない。ただ気取ったままじゃ遅れを取るばかりさ」
「誰に?」
「崇高さの真逆にいる連中にさ」と奥村は吐き捨てるように言った。
 銅音はラムベースのカクテルを流し込み、口の中に残るライムの香りを愉しんだ。ソフトドリンクにはない独特の鈍い気怠さが全身を駆け巡る。
「同じのをもう一杯」銅音は追加した。
「おい、飲み過ぎるなよ」
「二人分よ」と乱暴に銅音は言った。
 円筒型のチムニーグラスに注がれる二杯目のエンドロールは、まるで異星人の青い血液のようで憧憬と違和感の両方のニュアンスを帯びる。それを半分ほど飲み干した時点で、銅音と星南はじっと奥村を見据えた。
「いい? 勘違いしないで。三つ目の最後の悪徳を手に入れるため。こうするの」
 と銅音が内側で制止するのを待たずに星南は奥村にキスをした。口中のライムの香りに煙草の脂臭さが混じる。しかし、それは不思議と不快ではなかった。
 二人の唇は離れた。あの病院で唇を重ねた記憶が銅音と星南の内側で蘇る。
「――おい。するにしてもだな。いきなり過ぎる」
こんなにも奥村がたじろぐ様を見るのははじめてだ。
「心の準備が必要だった? 純潔乙女じゃあるまいし」
 他者の遺伝情報を自己の身体に付着させていること。それが背徳の扉を開く最後の条件だった。血が出るほど奥村を殴りつけてもよかったが、銅音たちはそうしなかった。
「あらら」と呆れたようにバーテンが言った。「いいんじゃないですか。歳の差なんてね」
「そんなんじゃねえよ」必死に否定する奥村が少し可愛く見えた。
「賭博に飲酒。それにキス。これであっちに行けるってことね」
 銅音と星南は、ひとつの身体で武者震いをして、残りのエンドロールを飲み切ると、スツールから腰を上げる。
「……手筈通りに進めろ。時間が鍵だ。間違えるな」
「うんわかってる」
「取り戻してこい。クソみたいな大人から何もかも――なんて外野から喚いてるだけの俺もクソみたいな大人のひとりだけどな」
「そんなことないよ」
「そんなことあるんだよ」
 奥村はもどかしそうに言い切った。気まずい空気をただ見守っていたバーテンダーは両者を取りなすように割って入った。
「お客様。お味はいかがでしたか?」
「秘色のエンドロール。ようやく飲めた。絶対に忘れない」
 そう口にしたのは星南だった。そうだ、あのガソリンスタンドの廃墟で星南が銅音に告げた言葉がすべてのはじまりで――ここはついに足を踏み入れた終局でもあった。
「どんな事情でどんな勝負をするのか知りませんが、可愛い女の子が打ち負かされる世界なんてうんざりです。嘔吐に値する」
 ふいにバーテンダーが職業的無表情を解いて、ニッと笑った。
「あの向こうは分厚い壁に阻まれていて何が行われているのかわからない。きっと恐ろしいでしょう」
鋲打ちされた、赤いなめし皮の扉。向こうに何があるのか、ここからでは一切がうかがい知れない。
「うん。そうね」銅音は感情を素直に認めた。
 バーテンダーはカウンターから身を乗り出して、耳打ちする。
「これを覚えておいてください。見ない障壁よりむしろ透明であけすけなものに気をつけること。透き通っているからといって不正がないとは限らない。どうか幸運を」
 聞き覚えのある台詞だった。銅音は腑に落ちた。ここは敵だらけの戦場ではないのだと。
「そっか……うん、行ってくる」
 そうして銅音と星南は二人で扉を開けた。
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