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第一章 追跡者たち
レイゼル・ネフスキー
しおりを挟む北の凍てつく大地にも人は住まう。
シェストラの北限はつねに蛮族の脅威にさらされていた。北の歴史とはすなわち、侵攻と防衛の絵巻物であった。
ただでさえ日照時間の短い土地にはろくに作物が育たぬ。さらに害獣どもがなけなしの食いものを奪っていく。人は意気消沈し、暖かな土地を夢みるだろう。ここには、別天地を夢見ることを忘れた不器用な者たちだけが残った。
故にこの土地に踏み止まり、代を重ねた家族たちは、まるで鍛え抜かれた鋼のごとく強靭で我慢強い。
レイゼルの一族であるネフスキー家もまさにそんな鉄の一族だった。
「玉座が逃げた? 何の冗談だ。おとぎ話なら間に合っているぞ」
彼らがまとう毛皮とよく似た毛並みの銀髪の主は、堂々たる体格をしていた。それが女だとはにわかには信じがたい。逞しい筋骨は長い年月をかけて狩りと戦いで造られたものだ。
レイゼル。彼女こそが北の領主であり、ネフスキー家の頭首であった。
「バローキ。おまえが冗談を言うのを一度も聞いた覚えはない。すると事実か」
バローキと呼びかけられたのもまた巨漢の男である。その体躯の勇壮さに似合わず、落ち着き払った理知的な眼差しが印象的だ。
「ふもとの村の女たちが見かけたそうです。次に子供たちが。そして眼のかすんだ長老までも」
「イルムーサが失脚し、玉座が失われたのが本当であれば、王都を掌握しているのは?」
「ベイリー・ラドフォード。レザの紛争で戦功を残したクライス・ラドフォードの息子です。図に乗ったオカマの美容師を打倒し、王家の最後のひとりサルキア公女を保護したとの情報です」
これはすでに国中に広まっている事実と見てよい。
北の大地にニュースが届くのはいつも遅かったが、そのかわりレイゼルのもとに届く情報の確実性は折り紙付きだった。
レイゼルの瞳に常ならぬ光が宿っているのにバローキは気付いていた。バローキはネフスキー家の親戚筋にあたる男で、レイゼルの幼馴染であり、また信頼のおける右腕でもあった。
小屋《ロッジ》と呼ばれる屋敷の応接室で地酒を酌み交わす二人の間には不思議な熱気があった。
ちろちろと暖炉の火が揺れているが、熱はそこからだけ発しているのではない。
「わたしは玉座を追うぞバローキ」
決然とレイゼルは告げた。
長年の付き合いであるバローキにはわかっている。レイゼルには王になるというバカげた趣味はない。だが、玉座を取り戻し、王位継承権を持つ最後の人間であるサルキアにそれを譲れば、新王に貸しができる。
「我らが切願を果たすべき時だ」
北の民は虐げられている。幾世代にも渡って繰り返し北の領主が中央に反旗を翻したがために、いまも冷遇されているのだった。普段は北の大地に押し込められているが、いったん戦争があれば招集され、また大規模な土木工事があれば駆り出される。
レイゼルは、そんな北の民への扱いを自分の代で変えてやるつもりだった。
このたびの事態はまたとないチャンスなのだ。
疲弊と絶望に彩られたこの土地の人間たちの暮しに、もっと人間らしい慈しみと温もりとを添えてやる。大それた願いではない。自分が領主となったからには、それは必ず為さねばならない決定事項である。
「俺も同行します」とバローキ。
レイゼルは、しかし穏やかにそれを拒んだ。
「わたしの流儀を知っていようバローキ。狩りは単独でするものだ。……いや、兄妹同然の犬たちは例外だがな」
「獲物の臭いを犬たちは追います。玉座にはそれがありますか?」
「汚れた権力と腐敗の臭いがある。必ず追いつくさ」
――白狼号を準備しろ、続けてレイゼルは命じた。
それはネフスキー家に代々伝わる橇の名だった。レリーフの彫られた木と鉄の塊に過ぎないそれが、八頭のコギト犬に曳かせることで一陣の颶《ぐ》風なるのだった。
レイゼルの決意に呼応するようにして野外につながれたコギト犬たちが一斉に吠えた。
こうしてレイゼルは疾走する玉座への第一の追手となった。
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