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第二章 レース
フィンドール砂漠
しおりを挟む蝶や花を握り潰すヴィジョン。
それは、か弱く儚い者を手にかける凶行のモチーフだ。
手の中で脆く、あっけなく、しかし確実に命あるものがくずおれていく。繰り返される光景は、やがて少女を絞殺するという場面にまで発展した。
ベイリーは操り人形のように少女を追い詰め、息の音を止めようとする。青白い首に両手をかけた時、少女はついに抵抗をやめてしまう。そして咎めるのではなく憐れむ瞳で殺害者を見返すのだ。
ベイリーはその直視にうろたえ、惑乱する。贖罪の方法を探すが夢の世界には何もない。自分の頭を叩きつぶす石ころすら見当たらない。ぶよぶよした灰色の大地に死んだ少女とベイリーだけが取り残される。
いや、もうひとつある。あったはずだ。
疾走する玉座。
地平線の果てに見える、赤い石。海の巨獣から取り出したという神話の石。
見方によれば、どくどくと脈打つ心臓のようでもある。
それへ向けて一歩踏み出そうとした時――死んでいたはずの少女が信じられない力で足首を掴み――そしてベイリーは悲鳴とともに跳ね起きる。
あの日から繰り返し、こんな夢を見てきた。幾度も幾度も。眠りが責め苦になるまで。
近頃では、そんな夢に凍りつくような寒さが加わった。
ベイリーがおよそ体験したことのない雪原の凍えるような寒さがリアルに感じられる。フランケル山脈での体感を夢の中で再構成しているのだとしても、それはあまりに生々しく骨身に沁みた。
ある夢では、少女を無数の氷柱で串刺しにし、別の夢では同じ少女を裸で凍てつく川に投げ入れた。ベイリーは何度少女を殺しただろうか。うんざりだ。彼自身が処刑を命じた少女サルキアの顔をベイリーははっきりと記憶していない。のっぺらぼうの少女は夢に中で命乞いの嘆願をする。その口のない顔で。
「やめろ」
ボイラーの前でベイリーは身震いとともに眼を覚ます。
ゼロッドが心配げに声をかけてくる。
「また例の悪夢ですか」
「まあな……それにしても冷えるな」
悪寒がする。毛布に身を包んでいるにも関わらず、身体の芯にまで冷気が差し込んでくる。
「フランケル山脈はとうに過ぎ、標高も低い。このあたりの気候は温暖です」
質の悪い風邪か流行り病にかかったのかと医学の心得のあるクラリックに診せたが、異常は見つからなかった。
「ナローの酒があります。身体が温まりますよ」
酒の持ち込みに反対したゼロッドだったが、すっかり忘れたように勧めてくる。
「貰おう」
ベイリーは簡易寝台から身を起こす。なみなみとマーヴァ酒の注がれたグラスを受け取る手が震えた。ともかく寒い。いくら外套を着こんでもブルブルと背筋が震え、歯の根が合わない。
「あれからだ」
ベイリーは何度も反芻した記憶をまた呼び起こす。
「……何をご覧になったのですか」
「わからん。だが、あそこには――山頂付近には、何かが居た。ウェス・ターナーとレイゼル・ネフスキーはソレを見たはずだ」
「バカと煙はなんとやら、あんな高い所に登るのはあの発明小僧か、それとも竜くらいのもんですよ」
「竜だと……かも、な」
「まさか本気で仰っているのですか?」
ゼロッドは垂れた両眼をぱちくりさせた。
「気が触れたのかもしれん」
「わたしも竜を拝んでみたかったものですな」
ゼロッドは話を合わせた。竜とは伝説上の存在である。フランケル山脈は、確かに竜が棲むにふさわしい場所であったが、それにしても大の大人が竜などと本気で信じることはできない。
ルゴーもナローもメリサも何も見てやしない。ベイリーだけが、あの日、何者かを見たのだった。ウェス・ターナーと邂逅し、ささくれ立ちがちだった車内のムードが和んだ矢先だった。あの日からベイリーは精神は乱れた。
「荘厳で美しく、なによりも透明に輝いていた」
魂の底から絞り出すような感嘆だった。
竜がいるとしたら、とゼロッドは思う。竜は呪いをかけたのだ。ベイリーは、逆賊イルムーサを討ち、王都を制圧した。あとは玉座を手中に収めるだけだ。
それは人の行きつく栄達のおよそ極限といってもいい。ただし血塗られた栄光は同時に悪夢でもある。だとすれば竜は、さらに入り組んだ悪夢の内へベイリーを誘い込んだに違いない。
「寒い、寒い」
そう訴えながらもベイリーは油汗を浮かべている。竜はともかく、やはり何かがおかしいのだ。
「外をご覧になってはいかがですか。まもなくフィンドール砂漠です。気晴らしになりますよ。すぐに着替えも用意します」
しだいに大地の植生が変わりつつあった。灌木ですらまばらになり、色のない地衣類が目立つようになった。そこへ砂塵が舞う。シェストラ王国には二つの大きな砂漠があるが、フィンドールはそのひとつだ。
ベイリーは丈の長い濃紺の軍服をすっぽりと脱いだ。シャツ、それからインナーに手をかけた時、ゼロッドが驚きの声を上げた。
「ベイリー様、それは?」
汗で肌着が張りついたベイリーの背にうっすらと黒い形が透けた。もちろんベイリー本人はそれを確認することができない。
「お待ちください。クラリックを呼んでまいります。……ああ鏡も要る」
すぐにクラリックが駆けつけ、剥き出しになったベイリーの背を眺めた。
「これがどうしたので? 見事な刺青《いれずみ》だが」
軍人にとって刺青は珍しくもない。部隊名やエンブレムの意匠を彫ることもある。遠征となれば、家に残した妻や子供の名前を彫る者も少なくない。ナローは右手の中指に悪魔の姿を彫った。蒸気式装甲車の異名にちなんだのだろうが、それじゃ悪魔の中指じゃなくて中指の悪魔だろ、とからかわれたものだ。
「うん、こいつは値打ちものだ」
クラリックはお世辞抜きで惚れ惚れと背中に見入る。
「待て、私は刺青などない」
「しかし、現にここに」
クラリックが差し出す鏡をひったくったベイリーは自分の背中を眺めたきり硬直したように動かなくなった。
背後にかざした鏡に視線を向けた時、眼に飛び込んできたのは、得体の知れない幾何学模様だった。
「なんだ、何の冗談だ? ルゴーとナローの仕業か?」
寝ている間に施した悪戯ではないかとベイリーは勘ぐった。だが、冗談の通じない上官にそんなことを仕出かす怖いもの知らずがこの車に乗っているとは思えない。だとしたら?
そこにメリサが飛び込んできた。
「ベイリー様。見えました。玉座です!」
「よし。ひとまずこいつは後回しだ」
飲み干したグラスを放り投げて、ベイリーは車両の屋上部に這い登った。追いすがったゼロッドが軍服を羽織わせる。ルゴーにナロー、物見高い連中はすでに揃っていた。
「九時の方角」
キャットウォークから身を乗り出してベイリーは双眼鏡を覗く。
二両編成である悪魔の中指の前車の屋上部には砲台が一門取り付けられている。後車の側面からは左右それぞれに機銃が生えており、横合いからの攻撃に対応できる仕組みだ。
前方にひろがるのは見渡す限りの荒野で、動くものはといえば回転草《タンブルウィード》と岩陰に休むトカゲだけ。
「追え。必ず追いつけ。燃料は十分か?」
「はい」とクラリックが頷く。
「どれだけかかる?」
「最大速度をキープできれば二時間以内には。ただし、東から砂嵐が接近中」
雪崩の次は砂嵐か。自然は手を変え品を変え幾度となく牙を剥いてくる。
「巻き込まれたら、見失いかねません」
「くそっ! 回避の進路を取った場合は?」
「結果は同じ。玉座は俺たちの視野を遥かに逃れちまう。足跡が消えれば、また目撃情報の収集からやり直しです」
ルゴーは申し訳なさそうに言った。
さらにモノはついでというように言い添える。
「もうひとつ大将がお休みになっている間、補給地で具合の悪いニュースが飛び込んできました」
「言え」
「次の補給地であるレヴァヌで武装蜂起が。オアシスは灼熱の血盟団と称する勢力に占領されています。どうせ寄せ集めのゴロツキでしょうが」
「灼熱の血盟団」
「総員三百名ほどの勢力ですが、日に日に膨らんでいるとのことです」
「野盗どもが。次々に沸いて出る。……構わん、砂嵐を突っ切れ、眼を皿にして玉座を追え」
これまで何度もベイリーは各地に乱立する流民の軍、さらにベイリーに取ってかわろうと派兵した貴族の諸侯たちを鎮圧してきた。しかし、そのどれもが少なくない兵によるものだ。今回のような少数無勢――満足に戦闘訓練を受けたのはゼロッドだけだ――で対抗しうるだろうか。甚だ心許ないというほかない。
「だが、こちらには悪魔の中指がある」
ベイリーは玉座と砂嵐の方角を交互に睨みつけた。アルコールの熱とお馴染みの悪寒が身体の内側で拮抗する。天災も人災もまとめて相手になってやる。
荒々しく中指を突き立てたい気分だった。その指先を己の心臓に向ければ、シェストラにおいては信念を曲げない意志表示のハンドサインになる。
搭乗員たちは各々の持ち場に戻っていった。
薄荷の匂いのする巻きタバコを吸っていたメリサは、それを踏み消しながら確かめる。
「玉座は国の心臓、わたしたちは必ずそこへ至り着く。ですよね?」
「言うまでもない」ベイリーは迷いなく請け負った。
まもなく砂嵐がやってきた。
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