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第四章 遡航
天才ウェスの華麗なる推察と解明
しおりを挟む「ブラボー! ますます腕を上げたねクローデル」
「はい、お父様」
滞在一日目。
ヴァイオリンという楽器をひとしきり演奏したレイゼルはしとやかに一礼すると、嫣然とほほ笑んだ。彼女の無事を喜んだのも束の間、スタンとウェスはまるで別人のようなレイゼルの振舞いに呆気に取られるほかない。
「どうしちゃったんだよ、姐さん」
「うん、あれはおかしいなぁ」
ここで記憶を差し替えられたのか、洗脳されたのかしたのだろう。宮殿での洗練された暮らしにはどこか麻酔的な効果がある。食べ物もスタンたちが口にしたこともないほど複雑で重層的な味付けがする。そのくせ、夢の中に居るような朧気なとりとめのなさもあるのだ。
「トラロキヤっておっさんもジャックスたちみたく機械なのかな」
「可能性はある。後肢の機械は他の部分が生身だってことを保証しない」
ウェスと違って世慣れたスタンは警戒を緩めない。
警備のジャックス=アーロンをやり過ごすと宮殿はそこから手薄で、勝手知ったる我が家のように物色することができた。宮殿の中へも、罠もなければ、身体をチェックされることもなく通された。
ラトナはもぎ取ったアーロンの首を持ち歩いていたが、驚くことにそれはまだ機能を失っておらず、時間になると人格を交代させて、それぞれが思い思いの言葉を吐き出すのだった。ただし、その時間もボディを失ったせいか曖昧になり、デタラメなタイミングで勤務交替《シフト》が起こることもある。
「こいが宮殿けぇ、外から見てたんじゃわかんねぇぐれ、どっと広ぇもんだぁな」
「ジャックス、おまえアーロンと二重人格だってんなら、早く言えよ。ビビったんだからな」
「ほったらこと知んね。おらぁ、アーロンと交代で宮殿を守るってことしか聞かされてね」
ジャックスは自分の秘密に気付いてはいなかったようだ。それを直視できないように設計されているのだろう。まぁいいや、とスタンは引き下がった。生首にアイデンティティークライシスを起こされても困る。
滞在二日目になっても、レイゼルと腹を割って話すチャンスはなかった。いつもトライロキヤというケンタウロスの中年がひっついてくるからだ。
「あいにくクローデルは宮殿を出るつもりはないんだ。ボクとずっとここで暮らすのさ」
「レイゼル姐さん……クローデルはそれでいいのかい?」
「ええ、お父様に従っていれば間違いはありませんわ」
と万事こんな調子だった。
「どうするウェス?」
スタンは、この埃ひとつない宮殿に馴染め切れずにいたが、レイゼルの意思が固いのなら、無理に面倒な旅へと連れ戻すわけにはいかない。お芝居かもしれないレイゼルの振舞いにいったん調子を合わせることに二人は逡巡を感じた。
「少し様子を見ようよ。興味深いものがたくさんあるしわけだし」
それからというものウェスは宮殿の図書館に入り浸りだった。
工学分野の蔵書は少なかったが、華やかなりし頃のロドニーの文化や暮らしを写し取った歴史書や文学は豊富だった。ナドアの民がロドニーの住人の生き残りだという説も信ぴょう性がある。なにしろ、あの美しい祈りの言葉の原典《オリジナル》がここにあったのだ。
「『サイラス助祭と生命の書』、こいつの縮約版のそのまた縮約版があの祈りのフレーズなんだ」
ナドアが伝えていた13の句《スタンザ》も元は倍近くあったことが判明した。この詩とも警句とも言えるフレーズはロドニーの哲学的支柱だったのだろう、宮殿内のさまざまな場所にレリーフやカリグラフィとして記されている。
充血した眼が真っ赤になるほどウェスは徹夜で本を読み込んだが、スタンと違って決して飽くことがなかった。山と積まれた本に埋もれて小柄のウェスの姿が見えなくなることもしょっちゅうだった。
(姐さんだけじゃねえ、うちの相棒もここに永住しそうな勢いだぜ)
「――それも悪くないのか?」
ダメだ、とスタンは靄がかった意識に活を入れる。いかなる磁力が働いているのか、ここにいれば少しずつ気勢が殺がれる。古代都市の煌びやかな宮殿に埋もれて生涯を閉じてもいいような気がしてくる。
ただし、倦怠をものともしないウェスはここでも騒ぎを起こす。
「じ、じいちゃんの書き込みがどうしてあんだ?!」
図書館では静粛に、と習わなかったらしい少年はためらいなく大声を上げた。
今日のお茶は、図書館を出ることを厭うウェスのため図書館に持ち運ばれたのだったが、ウェスの突然の大音量にスタンは吹き出し、貴重な書物を濡らしてしまう。
「お茶だけでいいのに、おまえらは来なくたって」
「目を離すと何をしでかすかわからない御仁だと聞いたものですから」
とトライロキヤ。
「そんなことより、おじいさまがここへいらしてたの?」
ポットからお茶を注ぐ仕草も様になっているレイゼルは、犬たちを引き連れて砂漠や密林を駆けていたとは思えなかった。
「このドヘタな癖字はじいちゃん以外ねえ」
「確かに彼と遺伝的近親者が40年ほど前にここへ訪問したことがあったようだ。率直に言ってよく似ている」
鼈甲仕立ての単眼鏡でトライロキヤはウェスをのぞき込んだ。
紅茶の芳醇な香りがインクのにおいと混じり合って、鼻腔と脳を刺激する。トライロキヤは得体が知れないが悪いやつではなさそうで、過去の薄れた記憶をウェスのために探り当てようと奮闘する。
「でも、どうやってジャックスとアーロンを突破したんだ?」
「――そう、彼は薄い翼のようなものを拵えて、時計塔から滑空したのだった。さしものアーロンたちもその高さまでは対応できずに侵入を許した」
「さすがヴィンス・ターナーだな」
スタンにもウェスの祖父の記憶はある。幼い頃だったが、何度か郷土に戻ってきたヴィンスに遊んでもらったことがある。気難しげだった佇まいも、老年にさしかかるにつれてほどよく緩んだようでスタンの知るヴィンスは好々爺といった感じに落ち着いていた。
「そうか、光走船《ルカ》の原理もここで掘り出したもんだったのか。いくらじいちゃんでもちょっとオーバーテクノロジー気味だって思ってたんだよね」
『プランクトンと太陽光発電』『循環社会におけるバイオマス技術』その他、多くの書籍にヴィンスと見て間違いない筆跡が残されていた。もちろん、ローデファイ語で書かれた書物を読めるのはウェスとトライロキヤのみだったが、彼らにしてもその内容を隅々まで了解できるわけではない。ヴィンスは図表や式から内容を読み取ったとしか考えられない。
「若い頃、放浪してたってのは聞いてたけど、ここにも来てたんか」
どうもウェスは先回りされたようで気に食わない。
いつも偉大なる祖父を引き合いに出されるために、屈託のないウェスにしては、微妙なコンプレックスを祖父にだけは抱いているようだ。
「そう、ヴィンスだったな。面白い男だった。あの時は蒸気機関の列車の走る鉄道網を敷くと息巻いていたな」
ウェスの祖父との思い出は、トライロキヤにとって良いものであったらしい、記憶をまさぐる様子は楽しげだった。
「ターナーの汽罐車《きかんしゃ》は半ば実現した」ウェスは本から顔を上げた。「でも、ボクなら蒸気機関よりもっと安上がりで安全な交通網を作れるけどね」
子供っぽい対抗心だったが、天才ウェスがこうして気炎を上げたなら、それはなにがしかの勝算があるのだ。スタンは贔屓目ではなく、公平に評してヴィンスはその孫に及ばないと信じていた。ラトナはもちろん永遠にウェスの友だから、ウェスの気概に感じて書架を飛び回る。
「ヴィンス・ターナーの汽罐車は廃れ、次なるターナーの機関車がシェストラを席巻する」
汽罐とはボイラーのことであり、すなわち蒸気機関を動力としたものとするのであれば、ウェスの言う機関車とは別種の動力システムを期待させる言葉だ。トライロキヤはレイゼル改めクローデルと顔を見合わせた。
「わかんないかい? 王たちの遊歩道さ。あの古代機械《クモ》は燃料の補給もせずに疾走を続けてる。未知のエネルギー源がある。地脈の力か、なんらかの素材を埋設しているのかわからないけれど王たちの遊歩道には秘密がある。それを利用できれば、燃料の要らない列車が実現できる」
ウェスは早口にまくし立てた。理解を求めているのではない、衝動的な感情の発露。
(みんなが玉座にかまけてるうちに――)
「おまえはそんなことを考えてたのか」
「物流と旅行の概念がすっかり変わるはずだよ。飛行船はまだ不安定な技術だ。シェストラ全土が蜘蛛の巣のような鉄道網に覆われれば、文化と科学の進化は倍速で進む。進むんだよ、スタン」
ウェスの大言壮語に眼を輝かせたのは、トライロキヤだった。
「すばらしい。君となら、ここのテクノロジーを研究して面白い発見ができそうだ」
ようやく対等に会話できるだけの知的資産を持つ相手に巡り合えたのだ。クローデル同様ウェスも手放したくなくなるかもしれない。
「うーん、それも悪くないよね、でも、もっと身近な謎から解き明かしたいよね」
「たとえば?」とクローデルが無垢な表情を傾げてみせる。
(あんたが洗脳されているのか演技なのか、それだって問題さ)
スタンは内心で皮肉ったが、ウェスが持ち出したのは別のことだった。
「ロドニーのテクノロジーはすでに紙とインクで情報を収蔵する段階を越えていたはず、この図書館はたんなる懐古趣味であって、本物のアーカイヴじゃない」
「書物の知識も外界の科学力とは比べるべくもないが、それを凌ぐ知識があると?」
「宮殿も図書館も芝居の書割みたいなもので演出の一部じゃないかな。本質は別のどこかにある。ちなみにここの間取りと照らし合わせるとどうしても辻褄の合わないスペースがあるんだよね。怪しいだろ」
テーブルの上に宮殿の見取り図を広げて、ウェスは「ここだ」と説明した。ウェスが示したのは絵画収蔵室であり、実際の部屋は、見取り図のスペースよりもずっと狭いのだという。
「ふむ、それはボクも気づいていたが」トライロキヤが頷いた。
「だったら、この宮殿に一枚も鏡がないことも気づいていたはずだ」
「もちろんだ。ボクの記憶では、ここで鏡を見た記憶はない。つまり自分のむさ苦しい顔ともずっとご無沙汰というわけだ。幸いにもね」
そこで勤務交替《シフト》したばかりアーロンが唐突に叫ぶ。
『女王陛下の守護! 繁栄の堅持! 国旗を顕揚せよ!!』
「ラトナ、猿ぐつわだ」
生首のアーロンはあっさりと沈黙を強いられて、部屋の隅に転がされる。
「猿に猿ぐつわをさせるとは」
妙なところにトライロキヤは感心する。
確かに鏡の不在はスタンも気になってはいた。洗面室はおろか、女性の居室やダンスホールにもない。ここまで徹底されているとなれば、鏡はロドニーの宗教的な禁忌なのではないかと考えたくなるが、トライロキヤの意見は違うらしい。
「これは謎かけなのだと思っているのだ。鏡を探せという」
「そだね、ロドニーの謎々なら考えるに値する。景品は何かな?」
楽しそうなウェスにトライロキヤは首を振った。
「随分、探したんだが、見つからなかった。で、ご覧の通りの無精ひげというわけだ」
顔を覆う豊かな剛毛をまさぐり、意見を求めるようにクローデルを見る。
「お似合いですこと、お父様」
「ははは、そうか。そうか」
幸福な父娘、という題の絵を眺めているようだった。
(レイゼルでもクローデルでもどっちでもいいや、当の本人が満足なら)
レイゼルの無事を確認し、必要ならば助け出そうと張り切っていた自分がバカらしくなってスタンは苦く笑う。こんなところで子供じみた謎解きに興じている間に玉座は遠く彼方まで逃げていくだろう。
「鏡なら――」とウェスが言うのを、己が内に沈静するあまりスタンは、ほとんど聞いていなかった。
(猿と生首と半人半馬の中年、そして義手の淑女。宮殿や玉座よりはサーカス向きの顔ぶれだぞ。ロドニーを出たら大道芸人でもなって稼ぐか?)
「もう見つけた」
「何を?」訝しげに親友を見返す。
「いやだからさ、鏡ならもう見つけたっての」
× × ×
ウェスの種明かしは手っ取り早かった。
鏡の意味を文字通りに捉えてはならない。
「そうじゃないんだってば。鏡ってのは何か? はい、クローデル君」
「自分を映すものです」いきなり振られて慌てるクローデル。
「正解だけど50点」
「反転させるものだ」娘の仇を討とうと出張ってきたのはトライロキヤだった。
「何を?」
「左右を」
「そう、左右を反転させて映し出す。つまりここには対称性が絡んでる」
ふんふん、と皆が一様に頷く。首だけのジャックスまでもが頷くのだから、器用なものだ。
「逆に言うなら対称性の軸となるものは鏡と見做すことができるというわけだ。ほら、もうわかったろ?」
しん、と水を打ったような静けさに図書館は包まれる。
「ぜんぜん、誰一人わかってない!」
ウェスは生徒たちのあまりの手応えのなさにがっかりし、イライラと舌打ちをする。
「――君たちってば、打てども響かぬ様は猿以下だよ、まったく。そら、ラトナ、教えてやりなさい!」
心得たとばかりにラトナは壁をよじ登ると、図書館の入口に掲げられている碑文をペチペチと叩いた。それはナドアの祈りの詩句であり、もとはといえばロドニーの古き書物の縮約版だった。
「わからないか、これは回文になってるんだよ! ボクが知ってる13の句《スタンザ》も、その他のも例外なく!」
ウェスはナドアの族長から貰ったタブレットを取り出す。そこには美しい書体で彫られたいくつかの詩句があった。
「そうか」ピンときたのはトライロキヤだった。
閃きは伝染せず、他のメンバーはひとりとして答えにたどり着くものはない。
「はぁ、もういいや。回文ってのは頭から読んでもケツから読んでも同じ文章ってことだろ。それってつまり真ん中に鏡がある左右対称の文章だってことにならないか?」
おあつらえ向きに図書室には小さな黒板をあったので、ウェスは白墨を握ってさらさらと文字を書いた。
――トマト
「文じゃなくて単語だけど、これだと二文字目が折り返し地点、つまりそこを中心に左右が反転する鏡になる」
――世の中ね、顔かお金かなのよ(よのなかねかおかおかねかなのよ)
――来てもよい頃だろ。来いよモテ期(きてもよいころだろこいよもてき)
「もちろん回文における鏡は奇数文字の場合だけ現れる」
ウェスはそう言うと、今度はローデファイ語を書きつけた。
――No devil lived on
「例えば、こいつは偶数なんで鏡にあたる場所は空白となる」
「そうか」スタンが納得した頃には、猿も生首も完全に理解していた。
「ボクが携えた13の句とこの宮殿にあった無数の句、重複するものを除いて合わせると18の句となる。そこから偶数文字から成る3つを差し引くと15の句が残り、さらに鏡となる文字を取り出すと――」
カツカツと白墨を叩きつける音が響く。
――eeeegsaqvodnuth
「こうなる」
もはや誰にもウェスがどんな手続きをしているのかわからなかった。
「意味をなさない文字列だが、これを並べ替えてやれば――」
ウェスがラトナに白墨を投げて渡すと、あろうことか猿は器用に文字を並べ替えて、それを書きつけていく。
――god save the queen
「こいつが15枚の鏡の正しい並びだ。やったなラトナ」
ウェスとラトナのハイタッチに誰もが茫然となってしまう。
いまのがアドリブであったなら、ラトナの知能はすでにある面ではスタンを凌いでいると言っていい。アーロンとの戦いで見せた戦闘能力といい、もはやペットの域を超えていた。
(ますますとんでもない猿になってきたな)
「聞け宮殿、ゴッド・セイヴ・ザ・クイーン。これがおまえを開く鍵だ」
スタンの賛嘆をよそにウェスが声を轟かせた。
息が詰まるような一瞬ののち、宮殿は反応した。荘厳な音楽が鳴り響き、滑らかに機構が動くと、何かが組み替わる音がする。
「隠し部屋が開いたぞ、絵画収蔵室だ」
一同は冷めたカップを置き去りにして我先にと図書館を飛び出した。
同じく取り残されたジャックスの首は壁面に投影された旗を見た。それは音楽と合わせて表示される明白な演出だった。
「おお、おらぁが国だ。偉大なるジョン・ブル!」
紺地に赤と白のライン。それは縦横斜めと走り、中央で交わっている。
音楽に合わせて、ジャックスは涙ながらのだみ声で国歌《ゴッド・セイヴ・ザ・クイーン》を歌った。
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