キスから始める恋の話

紫紺

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第31話 女スパイ

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 まさか、そんな馬鹿な。そんなことあるはずがない。そう思う反面、最悪予想の次くらいに考えていた(最悪は自分が知らずにリークしてた)。

 ――――でも五代さんのことだ。絶対故意じゃない。誰かに騙されたか、気付かずに漏らしてたんだ。お金のためとかじゃない。

『俺、なんかもうわからへんくなった。疑われてんのかな』

 焦燥した様子で僕に訴えていた五代さんを思い出す。もしかしたら、あの時点で思い当たることがあったのかもしれない。

『響子ちゃんと付き合うことにしたで』

 僕が菜々美ちゃんと出会った合コンで、五代さんも幹事の美女と付き合うことになったと嬉しそうに言ってた。彼女のこと、菜々美ちゃんもよく知らない人だと言ってたな。もしかして……。
 パソコンの中身が見た目は変わってないことを調べながら、頭の中では全く別のことを思いめぐらしていた。そこに社内メールが届く。スケジュールメールだ。今から十分後に前回監査部と面談した会議室に来いという。僕は一つ息を吐くと立ち上がり、その場所へと向かった。



 会議室はガラス張りで外から人がいるのが見える。誰が、までは見えないようすりガラスにはなってるが。
 壁にして見えなくすると、中でけしからんことをする輩がいるってのがその理由だ。それを透して見えるシルエットは、僕の上司である室長のようだった。

「失礼します」
「あ、八城。ご苦労だったな」
「いえ、僕は何も……」

 勧められるまま、僕は室長のまえの席に着いた。

「室長、一体何がどうなってたんですか? 五代さんが関係あったんでしょうか」

 本当は室長が話し出すまで待っているべきだったんだろう。僕は待てなかった。なんにしろ、監査部の連中じゃなくて身内の室長がいたことでつい安心してしまった。

「もうな。私も責任を取らされるだろうから、室長と呼ばれるのも今日までだよ」
「室長……」

 自分のことばかり考えてた。僕は自分を恥じた。ここに監査部でなく、室長が来たのは奴らの作戦なんだろうな。腹が立つけれど、その矛先はここにはない。

「じゃあ、やっぱり……」

 室長は大きなため息とともに頷いた。

「五代が幹事やった合コン、八城も行ったんだよな」

 僕は頷く。そうか、やっぱりそこか。

「あの時参加してた女性、三上響子ってのが、所謂スパイだったんだな」

 三上響子。彼女は菜々美ちゃんと同じ旅行会社に勤めていたが社員ではなく、契約社員だった。しかも、合コンの少し前に入ったばかりのかなり怪しい人物だったらしい。監査部はそこに目を付けた。
 僕が自室でゲームなんかやってた時も、五代さんはずっと会議室に缶詰にされ、質問攻めにあってたんだ。

「あいつさ、モテる方でもないのに、あんな美人に言い寄られたもんで嬉しかったんだろうな。パスワードを自分の名前や誕生日にしてくれって言われてホイホイやったらしい」

 室長は五十間近で白髪が目立つ学者タイプだ。それでもいつもは胸を張り、自信に溢れていた。それが、今目の前にいる人物は、世捨て人のように肩を落とし声にも張りがない。

「ま、救いはあいつが情報盗まれてることに気付いてなかったことだな。いや、それって救いかな。逆にないか。ははっ」

 笑いたくもないのに笑ってる。室長の姿が胸に刺さる。それと同時に、五代さんの失意を想像するのも辛かった。
 あの人は、自分のことより他人の気持ちを気にするような人だ。こんなことになって、きっと自分を責めているだろう。なんとか連絡取れないものだろうか。

「八城も気付いているだろうが、今、私達は五代と連絡取れないんだ。でも心配するな。人事部が見張ってる。奴の同期が面倒みてるみたいだから滅多なことはないだろう」

 滅多なこと。想像するだけでも恐ろしい。五代さんのアイコンがスマホのメッセージアプリから消えていたのは気付いていた。会社のメールアドレスも無くなってた。今回の事件が思っていた以上に大ごとであったこと、今更ながら僕は気付かされた。



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