キスから始める恋の話

紫紺

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番外編 ~キスから始めて見た~

第2話 壁ドンしてみた。

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 その日、俺の元上司が定年退職するというので、送別会に出掛けた。新人の頃(今でも十分新人だが)、お世話になった方だ。出席しないわけにはいかないだろう。

 最後の挨拶は涙涙で、サラリーマンというのは本当に会社を愛してるんだなあと感慨深い飲み会だった。俺? 俺はあと二年ここに勤めたら独立するつもりだ。
 リモートワークが増えたおかげで、色々ノウハウを得ることが出来た。会社もそうだが、やはり大学で培ってきた人脈が大きい。やっていけるだろう。
 ついでと言ってはなんだが、ハチも誘ってやろうかな。あいつは少し畑違いになるけど、きっとうまくいくと思う。ま、今は俺の勝手な妄想だけどな。


 さて、ほろ酔い加減でアパートに戻ってくると、同じように足取りが怪しいハチがいた。いつも以上に上機嫌だ。また合コンかよ。ったく、人の気も知らないで呑気な奴だな。

「ハチ、今帰りか?」
「はい。先輩も?」

 酔いのせいか黒目勝ちな瞳がウルウルしてる。鼻の頭まで赤くして可愛すぎだろ。
 でも今にも鼻歌が飛び出すくらい嬉しそうで、なんだか癪に障る。家に連れ込んで襲っちゃおうかな。

「ウチで飲み直さないか?」

 俺も酔っ払ってんのかな。物騒な気持ちを隠して誘ってみた。嫌と言うわけがない。

「いいんですか? 僕の釣果聞きます?」

 いつになく大胆に来たな。こいつ、酒飲むといつもこんな感じになるんだよな。自分で気がついてんのかな? ま、こういうところも可愛いんだけど、今夜はちょっとムッとした。

 ――――釣果だと? ふうん。どうしてこう、いつもいつも簡単に釣られるんだよ。おまえ、自分が釣られてること、絶対気付いてないだろう。

 毎度のことながら呆れてしまう。俺は酔いも手伝ってハチに勢いよく迫った。所謂壁ドンだ。
 こういうの、女子相手にやったら訴えられるよな、普通。これを現実で実行出来る奴は相当の馬鹿か勘違い野郎だよ。

「それは豪勢だな。聞かせてもらおうか」
「ひい……」

 ハチの鼻の頭と俺のが擦りそうな近距離。ハチが息を呑むのが聞こえた。大きな目をより一層見開いて、ヒクヒクしてる。可愛いっ。やべえ、今すぐキスしてそのまま押し倒したい!

 だが、ここはアパートのエントランスだ。そのうち誰か来るかもしれない。それにこんな酔いに任せての行動は後々誤解を生むし、やってはならんことだ。

 ――――どうしてこんな時に、俺は普通に冷静な判断をしてしまうんだろう。こんなの勢いに任せてやってしまえばいいのにっ。

 と、頭の中ではイケイケの俺と、いやいや落ち着けの俺がせめぎ合う。もう数ミリ向こうには可愛いハチが震えていると言うのにっ。

 ――――押せば何とでもなる。もう布石は打った。何のためにキスしたんだよっ、意気地がないな!

 ――――そうか? 何とでもなるか? あの朝だって、随分とよそよそしかったんだ。これ、完全に嫌われるパターンだぞ?

 結局、意気地のない俺が勝利した。

「あ、ははっ。なんて顔してんだよ」
「え? 酷いな……」

 正直、ハチはがっかりしたんじゃないかな。俺が壁から手を離した時、ハチは『え? もう終わり?』みたいな表情を見せた、気がした。

 それは俺にとって、『しまった』ではない。決してやせ我慢じゃないぞ。脈ありなのが判明したからだ。俺の5年が無駄じゃなかった(かもしれん)。
 それなら焦ることはない。逆に焦らして網をずるずると引いていけば自ずと掛かってるってもんだ。

「なんかちょっとヤキモチ妬いた」

 俺は、効果的な一言を残すつもりで言った。これをどう取るのか、おまえ次第だな。
 ハチは俺を悄然とした様子で見送っている。このところの俺の行動が読めなくて困ってるんだろう。

 でもな、おまえが狼狽えるのはこれからだぞ。俺を散々待たせたんだ。覚悟しておけな。



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