罪人は今世を復讐に、前世と来世を彼に捧ぐ

宮枝ゆいり

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Pair.4

贈り物

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 わだかまりがするりとほどけると、それからは時間が夢のように過ぎていった。

 眠りにつく前に思い悩んだ時間と比べて、えもいわれぬ幸福感に溢れて楽しく、わたしたちだけが世界よりも先の時空に辿り着いたような心地がした。

 まず古書店に寄ってみると、賢者フィーリ稀覯本きこうぼんの原本が置いてあった!

 種類も豊富、わたしにとっては垂涎の品である童話も価格抑えめに売られていたので、真っ先に買ってしまった。アレンが、財布の紐の緩み過ぎじゃないかと心配してくれた。確かにそうだ。……買ってしまった後だけど。

 服飾品店ではわたしのドレスの採寸を取ることになった。

 待つ間、アレンはデザイナーのマダムに「もっと格好の良い服を……!」と強めの押し売りをいただいていて困惑していた。目鼻立ちが整っていて、身体も鍛えられているから、アレンは何を着せても似合うのだろう。今日の訓練服も似合っているけど、婚約パレードの日の正装もきまっていたし。

 肝心のドレスのラインナップについては、どれもこの前のモニカ姉様紹介の絵と比べて、腰回りが更にほっそりしていた。あと、お高い。

 なので、宝石装飾少なめに、わたしの淡い苺色のような金髪に似合う布地での注文に落ち着いた。簡素なドレスでも、着れる日が待ち遠しかった。

 剣を売る店もあったが、並べ立てられていたのはどれも儀礼用で、アレンのお気に召さなかったようだ。アレンは、シンプルで実用的な剣が好みらしい。



 ――皇都の白亜を夕焼けに染める斜陽の光。

 耳を澄ますと聴こえるメロディは、どこの音楽家の集いサロンのものだろう。

 一日の終わりを告げる夕暮れに、わたしは心寂しさを感じていた。

 だから思い切って、わたしは気持ちを声にする。

「アレン」
「何でしょうか、ロザリンド様」
「今夜は我が家のタウンハウスで晩餐でもいかがかしら……!」


***


 せっかく皇都の案内をしてもらったのだ。

 それがたとえ婚約パレードの日の埋め合わせだとしても。

 彼にお礼をしない理由にはならない。

 食堂室の晩餐で、アレンは使用人が背後に控えていること自体が落ち着かない様子だった。

 けれど、食事の方は好き嫌いなく、わたしとは皿が空になる速さが段違いなほどに食べてくれた。

 事前に辺境伯領の地域料理に近い味付けを、とコックにお願いしといた甲斐があった。この嬉しさが、もてなしや気遣いで尽くす理由なのだと、メイドのヨルダが言っていたっけ……。

 晩餐も終わり、泊る部屋のことを訊ねるとアレンは宿泊を辞退するという。

「客室に泊っていただいても良かったのに。明日は早朝から召集だなんて残念ですね」
「実は、長居しないようにと厳命されています。領地持ちの貴族とは仲良くできない空気が第二騎士団にはあるので」

 そうだった、とわたしは思い出す。

 アレンがこうして一日付き合ってくれたのも、マディル公爵の圧力があってのこと。

 元々は領地持ちの貴族が辺境伯領出身の第二騎士団を邪険に扱うから、第二騎士団側も距離を置こうとしているだけ。

 その命令や空気感は彼らなりの防衛反応なのだ。

「でも、少しだけ……庭園を少しだけ、見るぐらいの時間はありますよね……?」
「それは……そうですね。少しだけなら中隊長に許されると思います」

 アレンは少しの微笑みと同時に、彼自身の髪を触る。

「では! ……ええと、あの、先に庭園の方へどうぞ。わたしは準備がありますので」
「はい。お待ちしております」

 おさまりの良い庭園は、タウンハウスの灯りと月光で仄かに照らされていた。

 樹木や草花が宵闇にひっそりと佇み、小さな噴水の水音が現在をゆっくりと教えてくれる。

 優しい夜風が流れる中、アレンは月を見上げて、待っていた。

「アレン。今日のお礼です」

 そう言って、わたしはリボンで結ばれた箱を彼の前に差し出した。

「私にですか? ありがとうございます」
「サイズが合うかどうか、念の為に今、開けてみてください」
「わかりました。……ああ、自分の方こそロザリンド様にハンカチもいただいたのに、用意もせず申し訳ありません」
「これはわたしの気持ちですから。アレンが贈りたいと思えるものがあった時で良いですよ」

 他愛のない会話の内に、包装が解かれ、箱が開かれる。

「これは……革手袋?」
「はい。アレンのための特注品ですよ」

 私がそう言うと、彼は空箱を脇で抑えつつ、白色の革手袋を両手にはめた。

「ちょうどいいサイズです。ありがとうございます、ロザリンド様」
「むっ、特注品なのはサイズではありませんよ。気付きませんか?」

 わたしが自慢げに言うと、何の変哲もなさそうな革手袋をアレンはじっと眺めた。

 眉間にしわを寄せながら、穴が開くほど見詰めてみてもピンとこない様子。

 それで最後は顔に近づけてみて、ようやく気付いたようだった。

「あ……オレンジの香りですか?」
「ええ、そうです! オレンジです! 婦人の間で知られている名前で呼べば、ネロリ。正式名称で呼ぶならビターオレンジの賦香ふこう手袋です」

 アレンは数度革手袋の香りを嗅ぎなおす。

「ビターオレンジというのは……あの?」

 他称ネロリという言葉自体聞き馴染みがなく、その驚いた表情からも良い思い出はないようで。

「味も苦くて食べられたものじゃない、あのオレンジがこの香りを……辺境伯領にもビターオレンジはありましたが、こんな使い道があったとは知りませんでした。ロザリンド様は素晴らしいことを思い付きますね」

 アレンのその言葉がお世辞でないことは、後に続いた素直な感想に表れていた。

「それに香料のキツさがない。嬉しいです」
「ええ、香りは控えめ。けれど革の匂いを消して長続きするように調香されています。そこが特注品たる所以ゆえんですね」

 でも、どうしてわたしがそんな特注品を用意できたのか?

 あの日の出会いを偶然のままにしておきたくなくて、わたしはアレンに訊ねた。

「多分そうなのかな……と思っていたのですが。アレンも、香りが強かったり、複数の香りが混ざったりした場所は苦手でしょう?」

 あの日、アレンがわたしを庇ったのは偶然ではなかったのだ。

 ――婚約パレードの日、アレンも皇都に漂う雑多な香りに辟易としていた。

 食べ物の匂いや花の香り、そして人々が纏う香料は、嗅覚が優れた者の集中を乱すから。

 しかし、彼は警邏中の騎士団員。任務から離脱することはできない。

 せめて香りの薄い場所へと思い、アレンは人通りの少ない路地裏に目を向けた。

 そこで、ちょうど猫に気を取られて、ハンカチを落としたわたしを見かけたのだ。

「ロザリンド様は何でもお見通しですね」

 アレンの空色の瞳が、宵闇の中で見えなくなった。

 けれど、雲の合間から月光が射し、彼の表情が照らし出される。

 彼の前髪が落とした影の中で、アレンは幸せそうに微笑んでいた。

「晩餐の料理も、私の為に辺境伯領風に作っていただいて……ロザリンド様と一緒にいて居心地が良いのは、香りだけじゃなかったんですね」
「そうおっしゃっていただけて光栄です。でもアレンは、はじめてのお友達ですから。お友達だったら、それぐらいのことは普通でしょう?」

 友というのは、なんでも分かち合うものだと、わたしは学んでいた。

 たとえば、城下街の市場で、屋台の軽食を分け合っていたあの少年少女のように。

 食事だって分け合うし、楽しい時間や幸せも分け合い、共有して、辛い境遇にあれば持った力や知恵で困難を分かち合い、乗り越える。

 わたしも、できればアレンとそういう関係になりたかった。

「全部……特別な人にすることですよ」

 アレンは少しがっかりした様子で言うので、一抹の不安が心によぎる。

「やり過ぎだったかしら……」

 度を越した気遣いはありがた迷惑というものだ。

 けれど、彼はそれを否定してくれた。

「いえ、決してやり過ぎではなかったと思います。少し驚きましたけど、オレは嬉しかったです。だって、領地持ちの貴族のロザリンド様が、こんなオレと仲良くしたいとか、普通はありえないことですから……はは、駄目ですね、気付くのが遅すぎる」

 彼は自嘲気味に笑いながら彼自身の髪を触っていたが、ふと手を離して、真剣な顔つきになる。

「オレも、ロザリンド様のことを特別な人として扱っていいですか?」
「ええ、大歓迎です! もしかして、それは『親友』というもの?」

 くすりと笑ったアレンはくだけた話し方になって、指を振った。

「いーや、まったく違います。親友は当人同士自然と成立するもので、オレひとりが親友になりたいと考えたって、上手く出来はしません。突き詰めていえば、お互いが親友になりたいと思っても、性格や気質に折り合いが付かなければ、親友にはなれないんです」

 わたしは深々と頷いた。へぇ……なるほど、勉強になる。

「オレが言いたいのは、つまり、ロザリンド様は普通の友達以上、です」
「アレンにとっての、お友達格付けにおけるわたしの立ち位置は普通!」

 会って数ヶ月。領地持ちの貴族と辺境伯領出身の従騎士という敵対関係。

 このふたつを鑑みれば、上々の立ち位置ではないだろうか?

 ちょっと得意げな気持ちでいると、アレンは口ごもってしまった。

「……えぇと、あのぅ、オレのはロザリンド様に対する心持ちの表明であって、正直、友達同士には優劣をつけないことが暗黙の了解といいますか」

 言葉選びに悩んでいるような間を経て、彼は左手を握りしめながら言う。

「間違っても、格付けといって友達を品定めすることはありません」
「そうなのですか?」
「あと……普通以上と言いましたが、訂正させてもらえるなら、オレにとって、ロザリンド様が普通の友達だとは思ってませんから!」

 ? じゃあ、いったいアレンにとってわたしは何なのだろう。

 アレンにとって、わたしは普通の友達以上だけど、普通の友達ではない。だから、普通の友達より上であろう『親友』の立ち位置に当てはまるはずだけど、『親友』でもない……。

「……好敵手こうてきしゅでしょうか?」
「えっ、えぇ?」

 さきに挙げた、出会って間もないことや、敵対関係の集団に属する事実。それらを結びつける関係性は好敵手こうてきしゅしかない。

「わたしが世の常識には疎いことは存じております。ですが、親しき仲にも闘いあり――お互いを認め合っているわたしとアレンだからこそ、あり得た普通の友達以上の関係性ですね。好敵手こうてきしゅ――いい響きです。まだ、ケンカも言い争いもしたことがありませんけど」

 アレンは苦笑いで言い返した。

「そもそも好敵手は友達ではないような……あとですね、『闘い』ではなくて、『親しき仲にも礼儀あり』というものでは……?」
「おっしゃる通り! アレンは物知りですね」

 そして褒め癖に従うがまま、わたしは続々とアレンを褒め称える言葉を口にする。

 そうしたら、わたしの声を遮るようにアレンが叫んだ。

「わざと言い間違えたりして……ロザリンド様は大真面目におちょくるのが好きなんですか!?」
「まさか。大真面目に褒めています」

 わたしがにっこりと笑いかけると、アレンは口をとがらせた。

「にしては冷静にとぼけている様子なんですが。そもそも、お互いを認め合うとか、オレはロザリンド様のことを凄い方だと認めてますけど、ロザリンド様は違うでしょう?」
「――アレンのことは立派で偉大な騎士様だと信じています」

 また、アレンが自嘲気味になっている。

 そう思ったわたしは励ますつもりで褒め言葉を武器に詰め寄った。

「信じられませんか、伝わっていませんか? 敵対する第一騎士団相手に、アレンは立ち向える勇気があります。自らの不利を明かす実直さだって持っています。容姿も皇都のマダムがお褒めになるほどカッコイイですよ? すべて嘘偽りなく、アレンが立派で偉大な騎士様だと証明しているではありませんか!」
「うわぁ! 伝わってます、伝わっていますから! 褒め殺しだけはやめてくださいっ、オレ、慣れてないんで、今めちゃくちゃ恥ずかしいです。もう、帰りますから! 流石に!」

 庭園路をせかせかと逃亡していくアレン。

 わたしは彼の背に再会の約束を投げかけた。

「また今度、お会いしましょう!」

 アレンは数歩進んだ後、何か言い残したことがあったのか。

 彼は庭園路を戻ってきて、わたしに耳打ちした。

「……服飾店にいた皇都のマダムは、確かにオレをカッコイイとか言っていたかもしれません。けど、ロザリンド様自身はオレのこと、カッコイイと思いますか?」
「当然の事を訊かないでください。アレンはカッコイイですよ、自信を持って!」

 わたしが励ますと、不意に彼は先程の耳打ちをした時よりも近づいてきた。

 頬と頬が触れそうになる。

 彼の吐息の風が当たって首元がくすぐったい。

「アレン……?」

 顔を上げた彼は決意の表情をしていた。

「ロザリンド様の香りは覚えました。今度こそは、第一騎士団より先に、ロザリンド様を迎えに参ります」

 その言葉と彼の綺麗な空色の瞳に、わたしの心臓は跳ね上がった。


***


 心臓のドキドキが収まらない。

 アレンとの距離が縮まって。

 真剣な宣誓をされて。

 このまま眠りにつくには、今日の何もかも、刺激が強すぎた。

 枢機卿猊下や女神ヴェルザンディ様にお目見えしたこと。第一騎士団の待ち伏せに、騎士団長ハロルド・アド・ユグミシット卿の提案。アレンが話してくれた悪魔の報復の負い目と、皇太子の変更、割譲されたままの土地、そして騎士団同士の確執。

 そして最後は………。

 わがままで引き延ばしたアレンとの別れを胸に、ふと気付く。

「モニカ姉様の、あの呟きはそういうことだったんだ……」

 覆された皇太子の皇位継承権と、意味深な呟きが、わたしの頭の中で繋がった。

 婚約パレードの前日に、モニカ姉様が呟いたあの言葉だ。


『皇太子妃なんて前提から曖昧であるのに』


 皇太子妃が存在する前提条件は皇太子が存在することだ。

 その皇太子の立場が一度でも覆ったのなら、伴侶皇太子妃の地位は脆いものに思えてしまう。

「まさか皇太子も、まだ誰なのか決まっていないとか……うーん、それは流石に飛躍しすぎた発想かも」

 下世話な噂話のような考えを取り消す。

 憶測で他人様の噂を膨らませることは面白いことかもしれないが、褒められたものではない。

 膨らませ過ぎた噂が破裂した時、多くの人に噂の破片が突き刺さり、傷つけるだろう。

 この憶測で最も傷付くのは皇太子と皇太子妃両殿下だ。同時に、二度も皇太子の交代が起こってしまえば、皇帝陛下が賜った女神の加護の効力王権の一端が疑われ、国の根幹を揺るがす事態になってしまう。

 そんな事態に陥らないように、わたしができることは何だろう?

 それこそ、まずは側妃候補として彼らのいる後宮へ行くことなのだ。

 子爵領のために、ひいては皇国のために。

 ――そして、リヴウィル皇太子殿下未来、看守となる彼を助けるために。

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