腹黒外科医に唆された件~恋人(仮)のはずが迫られています~

有木珠乃@『ヒロ弟』コミカライズ配信中

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第1話 事故に遭いまして……

 ある日、私はき逃げ事故に遭い、とある病院に入院することになった。それもとても大きな病院に。

 病室の入口には【一ノ瀬いちのせ しおり】と私の名前が書かれたプレートが挿し込まれている。

「だからあれほど言ったのに! 夜、出歩く時は気をつけなさいって」

 白いナースウェアを着た姉、一ノ瀬いちのせ琴美ことみが、まるで母のような口調で私を咎める。ベッドの上の私は、というとそれどころではなかった。

「お姉ちゃん、今の私の状態を見て」

 首にコルセットをして、左足は包帯でぐるぐる巻き状態。加えて全身がまだ痛い。正直、生きていたのが嘘のようだった。

「これで反省しないなんてあり得る? さすがにするって思うでしょう? 逆に何でしないと思うのか、理解できないわ」

 思わず顔を背けたかったが、残念なことにコルセットが邪魔をしていてできない。だからオーバーな物言いで抗議した。けれど姉の言っていることも理解できた。

 事故からまる二日経った現在。
 私はその間、意識のない状態で運ばれ、そのまま手術を受けたという。目が覚めてから状況を聞いた私は、頭を整理するだけで精一杯だった。

「まぁまぁ、その辺にしておいてあげなさいな。栞さんは一晩、路上に放置されていたのだから、姉である貴女が労ってあげなくてはどうするの?」
「院長夫人。申し訳ありません。ご迷惑をおかけしまして」

 姉が頭を下げる先を見ると、髪を綺麗にセットし、且つ首に淡い色のスカーフを巻いた柔らかな印象の老齢女性が目に入った。

 ベッドの近くで姉が立っていたため、視界に入らなかっただけで、ずっと近くの椅子に腰かけていたようだった。しかもその老齢女性は、私を助けてくれた恩人だという。さらにいうと、彼女はここ、芳口よしぐち病院びょういんの院長夫人。そして姉はそこに勤めている看護師だった。

 紹介された時、血の気が引いたのは言うまでもない。ただでさえ、事故で血が少ないというのに……少しは手加減をしてもらいたいものである。と愚痴をいえた立場ではないのだが……。

「いいのよ、一ノ瀬さん。って、やだわ、私。一ノ瀬さんが二人いるのに、これでは紛らわしいわよね。琴美さん、栞さん、とお呼びしてもいいかしら」

 院長夫人こと、芳口よしぐち園子そのこさんは、そう言いながら口元に手を当てて微笑んだ。その一つ一つの仕草がとても上品に見えて、私も姉も自然と恐縮してしまう。

「こ、こちらこそ、院長夫人に下の名前で呼んでいただけるなんて、光栄です」
「琴美さん、大袈裟よ。それにね、発見から救急車の手配、さらに夫の病院に運んでもらってから付き添いまでした患者なんて、栞さんが初めてなの」

 私も姉が勤務する病院の院長夫妻に助けられたのは初めてです。

「だからどうしても気になってしまって。こうして顔を覗きに来てしまったというわけなのよ。今までは病院内で私がうろつくと、周りが遠慮してしまうから避けていたのだけれど、今回はどうしてもね。夫もいいと言うから甘えさせてもらった、というわけ」

 まるで鈴を転がすように話す園子夫人。夫の芳口院長とも仲がいいらしく、日課である朝の散歩コースを一緒に歩いている時に、私を発見したという。

「院長先生にもご迷惑を……いえ、妹を助けていただき本当にありがとうございました」
「琴美さん、顔を上げて頂戴。貴女も大変だったのだから。幸い、栞さんの命に別条がなくて、私も安心したわ」
「はい。警察の方が言うには、栞を轢いたのは一台のみだそうです」
「あまり車が通らない道路だったから、それが幸いしたのね」

 逆に言うと、そんな道だから車が来るとは思わなかったのだ。

「街灯も少なく、夜だったので、もしも他の車にも轢かれていたら……命はなかった、と警察の方だけでなく、みなとさんにも言われました」
「まぁ! あの子ったら」

 園子夫人の驚きように、私は首を傾げた。何故、驚いたのか、ではなく、新たな登場人物の名に疑問を抱いたのだ。

「湊……さん? 誰ですか?」
「あら、琴美さん。栞さんに湊のことを話していないの?」
「……はい。いくら姉妹でも恋人の話は……すみません」
「恋人?」

 誰が、誰の?

「そうなのよ、栞さん。琴美さんとウチの湊がね」
「ウチのってことは……もしかして」
「私の息子であり、栞さんの担当医なの。だから、これからもちょくちょく様子を見に来るわね」
「え?」

 園子夫人の息子ってことは、芳口病院の跡取りじゃない。

「お姉ちゃん?」

 思わず顔を見ると、「実はそうなのよ」と可愛く照れた仕草をした。いやいや、二十四歳の女が両手で頬に触れても可愛くないから!

 そりゃ、芳口病院って言ったら、ここら辺では一番大きい病院だ。しかも評判が良く。「近くでいい病院はない?」と聞かれたら、誰もが一度は口にする名前だった。だから姉の就職が決まったと同時に、私たち姉妹はその近所に引っ越した。

 六年前の五月。両親を相次いで失くした私と姉は、親戚の元へ行かなかった。残してくれたお金を頼りに、姉の琴美は看護学校へ。
 手に職をつけるためだといい、二歳年下の私は高校を退学して就職。通い続けるだけのお金もないし、姉のような頭もなかったからだ。無駄に時間を浪費するよりも、仕事をしてお金を稼ぐ時間に費やした方が、何倍も効率的だと考えた。

 けれど中卒の月収など、たかが知れている。どんどん崩れていく貯金。職場で聞いた節約を実践し続けて、ようやく繋いた。

 そんなギリギリの生活の中、姉が晴れて看護学校を卒業。看護師になってからは、だいぶ生活しやすくなっていた。確かに引っ越しは馬鹿にならなかったけれど、それでも姉妹支え合えば十分、生活していけた。今まで通り節約を欠かさなければ。

 それなのに、姉は優良物件を捕まえたことを、どうして黙っていたの? 私がたかるとでも? 看護師になるまで支えてきたのは私よ!

 これからの入院生活よりも、裏切られた想いでいっぱいになった。

「……お姉ちゃん、おめでとう。それから院長夫人。姉共々、よろしくお願いします」

 それでも私は、祝いの言葉を口にして、下げられない頭の代わりに、顔に笑顔を貼り付けた。掛け布団の上で組まれた手を、ギュっと握り締めながら。
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