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僕は小説の主人公らしい

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「私は神様だ。きみは物語の主人公、小説の登場人物である。ありきたりなテンプレ展開はもう飽きた。新展開を望む」

 朝起きたら、机の上にそんなメモが置かれていた。

 ぼくみたいな一介の男子高校生の部屋に自由に入って、寝ている間にイタズラができるのは同居している家族くらいだろうけど、ぼくに兄弟はいないし、両親はこんなイタズラを仕掛けるタイプではない。

 神様からの伝言? ぼくが主人公? しかも、小説の?
 ぼくが「登場人物」で、このカラダが文字列で構成されているとでも? 

 いやいや、それはない。
 そんな馬鹿げた思考を巡らせていたら、階下から「早く朝ご飯食べなさーい、遅刻するよー」と母親の呼ぶ声が聞こえた。
 時計を見る。冷や汗。
 そうだ、こんなことで時間を潰している場合ではない。本当に遅刻してしまう。

 気持ちを切り替え、慌てて制服に着替える。
 階段を駆け下りて、洗面所で顔を洗い、家族と挨拶を交わして、食卓につく。
 一応、「ぼくの部屋の机に変なメモ、置いたりしてないよね?」と父と母に確認してみたが、ふたりとも「なに言ってるの?」という顔だった。
 まあ、こっちだって「親が犯人かも」と本気で疑っていたわけじゃない。ただの確認だ。

 朝のテレビ番組では、占いコーナーが始まっていた。
 まずい、そろそろ出ないと本当に学校に遅れる。
 
 ぼくはコップの牛乳を喉に流し込み、カリカリに焼いたトーストを口にくわえると、手櫛で後頭部の寝癖を直しながら、

「ごめん、遅刻しそうだから、もう出る!」

 サラダやハムエッグには手をつけずにダッシュで家を出た。歯も磨いてない。

 かなりギリギリだ……隣の家の玄関先に立っていた、幼馴染(可愛いけど何かと世話を焼いてくる女の子)の心配そうな顔が視界の端にちらりと見えたが、そんなのは無視だ。

 声を掛けたら、どうせ「また夜更かししてたんでしょ、いつも寝坊して」とか文句を言われて「あたしも一緒に走ってあげるから」とか並走してくるに決まっている。

 そういうのを誰かに見られたら恥ずかしいんだから、待たずに先に行けって、ぼくは何度も言っているのに、幼馴染には聞き入れてもらえないのだ。
 律儀に、ぼくが登校する時間に合わせて、一緒に家を出てくるのだ。

 とにかく! ここまで遅れた原因は、あのメモのせいだ。なーにが神様だ。
 ぼくは気合いを入れて走り始める。

「遅刻だ、遅刻!」


 ―――そこで目が覚めた。

 見慣れた天井が、視界に飛び込んでくる。

 ぼくはまだベッドの中にいて、寝るときのジャージ姿だ。まだ、制服に着替えていない。
 時計を見る。登校には早い。むしろ、いつもより早起きだ。
 口にくわえていたはずのトーストも消えている。

 さっきのは夢だったのか。
 遅れそうになって、大慌てで登校するなんて、ずいぶんリアルな夢だったような気もするが……でも、夢なら、メモの存在にも説明がつく。

 夢の中なら、不条理だろうが意味不明だろうが、何でもアリだし。

 そう、あれは夢だったに違いない。

 しかし……、イヤな予感が胸をよぎる。

 ぐるりと首を回し、机に目を向けると、メモがあった。

 嘘だろ? 
 まだ夢の続きなのか?

「私は神様だ。きみは物語の主人公、小説の登場人物である。ありきたりなテンプレ展開はもう飽きた。新展開を望む」

 手に取ってみると、メモの内容は夢で見た内容とまったく一緒だ。

 ん? いや、違うな。

 もう一行、文言が増えている。

「主人公の遅刻で始まる物語など、ありきたりで使い古されたものである」

と追加されていた。

 は? どういうこと? 
「主人公の遅刻」ってのは、もしかして、ぼくがトーストをくわえて、このままだと遅刻だ、と焦っていた、さっきのアレを指しているのだろうか?

 というか、遅刻の件は夢じゃなかったのか?

 これじゃあ……ぼくが本当に「小説の主人公」みたいじゃないか。
 このぼくが? 
 主人公?

 いけない、こんなことを考えて時間を取られていたら、また遅刻しそうになってバタバタと焦る流れになってしまう。

 でもまあ、ぼくが本当に主人公なら、できればハーレムもので、ちょっとエッチなラッキースケベ展開とかも期待したくなるけどね。
 メモの文章を見ながら、そんな願望を妄想して自分で苦笑しつつ、ぼくは、気分転換にカーテンを開けて、朝の光を室内に取り入れた。

 密接して建っている隣の家には、ぼくと同い年で、同じ高校に通う、幼馴染の女の子が住んでいる。
 彼女の部屋は、ぼくの部屋の窓と向かい合っており、ジャンケンの手が見えるくらい近い。
 小さい頃は、ハシゴを窓から窓に渡して橋代わりにして、お互いの部屋を往来したこともあった。
 落ちると危ないからやめなさい、なんて親に注意されたものだけれど。

 この時間にぼくがカーテンを開けることなんて、滅多になかったからだろう。
 すっかり油断していた彼女は、自分の部屋のカーテン全開で、制服に着替えていた。

 カーテンを開けたばかりのぼくは、下着姿の彼女と、ばっちり目があった。
 ……白か。

 一瞬、お互いに硬直して絶句したあと、真っ赤になった彼女は勢いよくカーテンを閉めた。


 ―――そこで目が覚めた。

 気付けば、ぼくはまだベッドの中。ジャージ姿。
 さっき開けたはずの部屋のカーテンは閉まっていて、室内は薄暗い。

 時計を見る。登校にはまだ早い。早起きといえるレベルの時刻。
 あれ? また夢を見ていたのか? 
 瞼を閉じれば、下着姿で白い肌を大胆に晒した、幼馴染の肢体が頭にはっきりと浮かんでくる。
 ブラを押し上げる胸元の豊満な曲線。膝上まで上げていた制服のスカート。贅肉のない薄いウエスト。中心には可愛いおへそ。ちょっと太めの長い脚。あと鎖骨。ぼくは鎖骨や首筋フェチなところがある。それはどうでもいいか。

 そんな刺激的な光景を思い出していると、ムラムラ、違う、モヤモヤして、なんとも落ち着かない気分になる。
 変だな……実際に目で見たような、リアルな記憶がある。これが夢なもんか。彼女が顔を真っ赤にして、こっちを睨みつけてシャッとカーテンを閉めた瞬間の様子、はっきりと覚えているんだけど。

 イヤな予感がして、机の上を確認。
 やっぱり、「神様」のメモは、あった。さらに文言が増えている。
「主人公の遅刻で始まる物語など~」という、あの文章の後ろに、また改行して、

「カーテンを開けたら女の子の着替えシーンと遭遇するような展開も、ありきたりなものである」

 これはどういうことだ。

 ぼくが体験したことがそのまま、このメモに反映されている。

 確かに、言われてみれば、寝坊した主人公が「遅刻する~」とパンを口にくわえて学校へ急ぐような物語の冒頭など、もう使い古されすぎて、ひと回りしたベタなギャグみたいな感はあるし、女の子の着替えている場面に出くわすなど、少年マンガではお馴染みすぎる、ステレオタイプなサービスシーンではあるけれど。

 このメモの主が本当に「神様」で、ぼくが「小説の主人公」だと仮定すると、神様が設定した「ありきたりなテンプレ展開」のカテゴリを外れる行動こそが「新展開」で……「主人公」であるぼくが意識的に行動し、そういう「新展開」に転がすのを望んでいる、ということなのだろうか。

 このぼくに? 

 うーん、と首をひねっても、答えなんか出てくるはずもない。

 でも、イベントとかで絶対に遅刻できない日って、精神的な緊張作用かもしれないけれど、「ギリギリで起きる夢」を何度も繰り返して見ちゃうことってあるし。

 自身の精神状態が作り出した、現実みたいな夢。
 そういうやつかもしれない。
 
 ぼくは、軽く考えることにして、机の上のメモを丸めてゴミ箱に入れると、制服に着替えて朝の支度を整え、ちゃんと朝食を済ませて、余裕で玄関を出た。

 いつもだったら、隣の家の玄関先に、幼馴染の女の子が立っているのだけれど、着替えを見られた気恥ずかしさからか、今日は見当たらなかった。
 きっと、ぼくとは時間をずらして登校するのだろう。
 ぼくだって気まずい。間近に居られたら、目撃した下着姿が脳裏に鮮明に蘇って、悶々としてしまいそうだ。


 春の日差しが心地よい、朝の通学路。ぼくと同じ制服たちが、揃って歩いていく。
 家が学校に近いので、電車もバスも自転車も使わず、ぼくは毎日徒歩で登校している。

 何も起こらない。皆は普通に歩いている。ぼくも普通に歩いている。
至って平和な日常の光景そのものだ。

 あのメモの主が誰なのか、何の意味があってあんなイタズラをしたのかは分からないけれど、やっぱり「奇妙な夢」だったのだと、そう考えることにした。
 問題のメモと一緒に、悩みもゴミ箱に放り投げて、きれいさっぱり捨てたのだ。

 気が楽になって、鼻歌でも歌っていると、急に誰かがぶつかってきた。
 丁字路の横道の死角から、向こうが勢いよく飛び出してきたのだ。反動で、ぼくも、相手も、地面にしりもちをついて転倒してしまった。

「いてて……」

 顔を上げると、ぶつかった相手は、ぼくと同い年くらいの女の子だった。同じ制服だったけれど、見覚えのない顔。学年が違うのかもしれないし、同じ学年でもぼくが知らないだけなのかもしれない。

「ちょっとアンタ、どこ見てんのよ! ちゃんと前見て歩きなさいよ!」
 
 女の子は攻撃的な口調で文句をぶつけてきたが、ぼくはそれよりも彼女の下半身が気になった。しりもちをついた時に、大胆にもM字開脚状態になっており、スカートが捲れ上がってピンク色の可愛らしい下着があらわになっていたのだ。ぼくの視線の先に気付くと、彼女は恥ずかしそうにスカートを押さえ、立ち上がった。

「な、な、何見てんのよ、やらしー! このスケベ! ヘンタイ!」

女の子の綺麗な脚が、見事にぼくの顔面にヒットした。

 ―――鼻血を覚悟したぼくだったが、気づくとベッドにいた。

 ケガをして病院に運ばれたとかじゃなさそうだ、鼻を押さえたが、痛みはない。
 ここは、自分の部屋のベッドだ。
 カーテンを開けていないので、まだ薄暗い部屋。
 そして、まだ制服に着替えていないジャージのまま、時計を見るとまだ早起きとも言える時刻……。

 また夢か! また「神様」なのか! ぼくは飛び起きて、机の上を睨む。

 やっぱり、あった。ぼくが丸めてゴミ箱に放り投げた、あのメモが。シワも折れ目も一切なく、まっさらな状態で。

文章は、「神様」からの見慣れたメッセージ、遅刻と、カーテンを開けたら着替え、という二つの追加要素に、さらに三つ目が加わっていた。

「女の子とぶつかって転んだ拍子にパンツを見るような展開も禁止」

 二回目までなら、きっと夢だ、気のせいだ、で済んだかもしれないが、さすがに三回を越えると事情が変わってくる。信じざるを得ない。

 つまり、メモの主こと「神様」は、「テンプレ展開」にぶつかると、時間を巻き戻して、その日の朝、ベッドの中でぼくが目を覚ますところからリスタートさせている、ということだろうか? 
 これは「夢」ではなく、ぼくにとって「現実の時間」をループさせている? 

 ありきたりなテンプレ展開はもう飽きたから、ぼくに「新展開」を見つけさせるために「やり直し」をさせている?
 自分の願う目が出るまで、サイコロを振り続ける。そういうことなのだろうか。

(続く)
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