なりゆきの同居人

七月きゅう

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#33

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 あらかた夕飯の準備を整えると、律は最後にポタージュの味見をした。
冷蔵庫をチェックしてビールの缶が充分量あることを確認すると、サラダに使うレタスをちぎり始める。
ちょうどその時、玄関で鍵を解錠する音が聞こえた。

由紀奈だ。そう直感した律は素早く手を拭いて、家主を出迎えるために小走りで廊下を渡る。
「由紀奈さんお疲れさまでした!お帰りなさい!」
主人の帰りを待ちわびた飼い犬さながらに飛び出したところで、そのまま硬直する。

「ただいま」
熱烈な出迎えに、にっこりと笑みを返したのは…詩織だった。
「こういう迎え方をされるなら、毎日帰ってきてもいいな」
彼は切れ長の目を細め、にやりと口の端を持ち上げる。
すれ違いざまに茶化すような言葉をかけられ、律は同じ轍を踏んだ己の失態を呪う。

「ゆっ…由紀奈さんだと思ったからです!」
いい年をした女の馬鹿みたいにはしゃいだ出迎えを、まさかまたも彼に目撃されることになるなんて。
律が由紀奈だと信じて疑わなかったのは、今日は絶対に、絶対に!詩織が帰ってこないと踏んでいたからだ。

なぜなら“半月に一度帰ればいい方”の彼が、昨日と一昨日と、二日続けてこの家に帰ってきたのだから。
しかし、彼が戻ってきたのならちょうどいい。
 律は、詩織の後を追いかけてリビングに入るなり、すかさずテーブルの上の茶封筒を掴んだ。

「三上さん、これどうぞ」
サマージャケットを脱いでいる彼に、それを突きつける。
「中身は?」
まるで封筒に入っているものが見えるかのように、彼は興味薄の反応をする。
「昨日の食事代の、私の分です」

詩織は封筒を一瞥しただけで、洗面所に手を洗いに行ってしまった。
「やっぱりこういうのはよくないと私は思います」
律は諦めず、洗面所から戻ってきた彼に再び茶封筒を差し出す。
詩織があからさまなため息を吐いた。

「…そのことについては昨日の時点でケリがついたと思っていた」
「考え直したんです」
「残念だ、俺の考えは変わらない」
「三上さんの考えは関係ありません。私の気持ちの問題です」
「それは俺の気持ちの問題でもある」

奢りたがる男というものは、この世に奢られたくない女がいることなんて、微塵も頭にないらしい。
仕方なく、律は話の切り口を変えた。
「昨日は夕食をご一緒できて嬉しかったです」
「俺もだよ」
甘ったるい笑みを返される。

その美貌に一瞬見入ってしまいそうになり、律は慌てて視線を空中に逃がした。
「そ…それは光栄です。えーと…なので余計、その特別な時間に対価を払わないことは気が咎める、と思っていて…」
「気にするな。特別な時間というのはプライスレスだと相場が決まってる」

…ああ、もう。そういうことじゃないんです。
詩織の冗談に、律は頭を抱える。
このままでは良くて平行線、悪くて律の負けだ。
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