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9話
④
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大失敗の再現は、絶対にしない。
そんな決意が──やらかした時の恐怖と共に──本能に刻まれてしまったのか。
全速力で駆け抜けたビィズは、勢いのまま自宅に飛び込んだりはせず。まず、自宅近くの誰も居ない物陰に飛び込んだ。
そこで、全力で走った故に乱れている呼吸を少し整え、ちゃんと変身を解き、震える足を叱咤して再び走り、家の住人…『ジュイ』として自宅に飛び込んだ。
(ど、どうしよう…! どうしよう…!?)
寝室。蹲って頭を抱え、考える。
しかし何もまとまらない。そもそも何を考えれば良いのかも分からない。
耳に入る、自分自身の呼吸音が思考を乱して来て鬱陶しい。ぜぇぜぇ、と。ぜぇはぁ、と。聞いている内に、走った故の疲れまで自覚してしまう。
(どうしよう…! もう直ぐ、カノハがここに来る…!)
もう直ぐ、と言っても『本当に直ぐ』ではない。奴が来るのは、食材やら何やらを買いに行ってから…だ。
だが、それでも。『本当に直ぐ』ではなくても……もう直ぐではある。
(…まだ何にも決めてないのに…!!)
『自惚れ』が本当に自惚れだった場合も、そうでなかった場合も、やって来るカノハに対して何かしら行動したいと思っていた。
本当に自惚れだった場合は、唐突だろうと不思議がられようと礼を言おうと思っていた。
自惚れではなかった場合…つまり今は。…何も決まっていない。
(て言うか、どうすれば…!? どんな顔して、どう振る舞えば…!?)
未だ解除されない混乱状態で、そんな事を考えてみてはいるが。答は分かっている。
…普通の顔で、普通にすればいいのだ。
カノハの気持ちを聞いたのは『ビィズ』であって『ジュイ』ではない。『ジュイ』が挙動不審になっている理由があるのは、おかしいのだ。
つまりジュイが今、分からないのは。「どんな顔でどう振る舞えばいいか」ではなく、
(普通にしとくとか無理なんだけど…! ど、どうすればいいわけ…!!)
…なのだ。
「~~っ!! ………!!」
頭を抱え、考える。熱い顔と、うるさい心臓と、共に必死に…考える。
今日、この後ほぼ1日、ずっと。カノハと過ごしている間、どうすれば普段通りの自分で居られるか。
考え、考え、考えた末。
「……」
ジュイは立ち上がり、玄関まで行き、扉をほんの少し開けた。ほんの少し…だが、開いていると分かる隙間を作った。鍵も閉めないまま放置する。
そして寝室に戻り、上着を脱いで放り投げ、ベッドに飛び乗って布団を被った。
…苦肉の策。『風邪を引いた事にして、カノハには早々に帰ってもらおう作戦』である。
◇
結果。作戦は失敗した。
否。普段のジュイなら見えていた失敗だったのに、今日のジュイには見えなかった。
…風邪を移すと駄目だから帰っていいですと言えば、その通りに帰ってくれる相手ではない。分かり切っている事のはずだった。
「ほら。水分補給しやすい飲み物と、アイスクリーム買って来た。今、食うか?」
「…………食う」
扉が開いている・鍵を閉めろ。そんな文句を言いながら入って来たカノハに対し。──布団の中から──風邪を引いている故、帰れと伝えると奴は1回外へ出て行った。
が。直ぐ、こうして、風邪を引いた人間に必要な物や有ると良い物を買って戻って来たのだ。
「っとに、突然風邪とか…どうした? いや、どうせまたバカやったんだろ」
「…酔ったまま布団被らずに寝た」
「つまりやっぱりまたバカやったんだな」
室内の温度が最適になっていても過信するな。冬はちゃんと布団を被ってから目を閉じろ。夏でも油断するな。風邪をこじらせて死にでもしたらどうする。
…などなどの説教付きで、カノハがアイスクリームを差し出して来る。説教もアイスも黙って受け取り、ジュイは小さく安堵の息を吐いた。
(帰ってもらう作戦は失敗したけど…)
むしろ最初から成功する道は無かったが。…しかし。
(普段の俺、じゃなくても…大丈夫、にはなった…)
首から上に熱が溜まっていたり、多少言葉に詰まったりしても不自然には思われない…はずだ。
つまり、今日という日をただ乗り切るだけなら可能になった。最低限、超えたい壁は超えられた。
そしてその事実と安心感が、気持ちを落ち着かせてくれる。混乱状態をやや解除してくれる。冷静にしてくれる。口に入れたアイスの味も分かる。…ミルク味だ。美味しい。
「今日は別の物作ろうと思ってたけど…予定変更してお粥にするからな。使えなくなった食材は置いてくから、ダメになる前に自分で使えよ」
「やだ、無理。料理なんか無理。全部料理の形にしてから置いてってよ」
「甘えんな、バカ。病人なら何言ってもいいとか思ってるのか」
言いながら、カノハが近付いて来た。こちらの顔を覗き込み、じっと凝視して来た。…思わず視線を逸らす。
「…顔は赤いけど」
ジュイの長くて鬱陶しい前髪を掻き分けて、カノハの手が額に触れる。
『赤い』と言われて慌てたジュイは、顔面に「赤くなるな」と指示を出す。心臓に「騒ぐな」と指示を出す。…全て綺麗に無視された。
「熱は…見た目程は、無さそう…だな」
確認を終え離れて行った手に、とりあえず安心したような、寂しいような、矛盾する気持ちを抱えつつ。
ジュイは眉間に皺を寄せ、唇を尖らせて見せる。
「…そりゃそうだよ。朝、起きて直ぐに…風邪かもって思って、家にあった薬飲んで、それから今までずっと寝てたし。…悪化はしてない、治りかけてる。多分…」
「そっか。…なら、良かった」
視界の外でカノハが微笑んだ気配がした。本当に、心底「良かった」と思ってくれている気配だ。
ちゃんとソレを目で見たくなって、盗み見るように視線を奴へ向けてみたが。…奴は既に半分以上、こちらに背を向けていた。
「でも今日は1日、絶対安静な。寝てろ。…なるべく静かに、音立てないように掃除するから」
「…帰ってくれていいのに」
「いいから、早く寝てろ」
まずは…と、冷蔵庫の中身を入れ替えに行ったカノハを見送って。ジュイはとりあえず、ぼんやり、ゆっくり、アイスクリームを食べた。
空になったカップとスプーンをベッドの隣のサイドテーブルに置き、もぞもぞと…布団に潜ってみる。
…が。眠くない。ただでさえ眠気など全く無いのに──カノハの気持ちを聞いた事による──熱と興奮と混乱は有る。眠れるわけがない。
「……」
仕方なく。布団に潜ったまま、カノハの姿…または気配を眺めている事にした。
ついでのように、ゆっくり。思考も巡らせてみる。
(…俺の事。ジュイ、の事。好き…だって)
テキパキと作業をしているカノハを眺める。奴は素早く、しかし丁寧に作業をしている。…今日も姿勢がいい。
(好きだって。…誰の事も好きにならない…って、決める前から好きだったって…)
直ぐ、カノハは視界に入らない場所へ移動して行った。
それでも奴が居るであろう方向を、ぼんやり眺める。布団に顔が埋まった。何も見えなくなるが、それでも眺める。
…意味の無い、こんな行動をしながら。頭の中で何度も繰り返してみる。
(カノハは、俺の事、好きなんだって)
じわじわと。真っ先に滲み出て来るのは、単純な嬉しさだ。顔が熱くなって行く感覚、心臓が動く速度を増す感覚だ。
だが次に滲み出て来るのは、やはり。どうしようもない怒りだった。
今更、何だ。かつての自分の辛さ、それを無くすための忘れるための戦いは何だったんだ。馬鹿みたい、ではないか。25年続けて来た人生の内、ほぼ全てと言える割合の日々が…馬鹿みたいな物だったという事か。
…そんな、どこにどうぶつければ良いのか分からない怒りだ。
(…むかつく。腹立つ。今更…)
視界に入れられる場所にカノハが戻って来た気配がした。
もぞりと、少しだけ顔を出す。ほんの少しだけ、奴を睨んでみるが…当然気付かれない。
(今更…知って。今から…どうすればいいんだよ…)
いっそ、自惚れだった方が楽だったかもしれない。カノハからの好意は『友達として・身内として・仲間として…だけの物』だった方が。おそらく簡単だった。
そう思うと、ますます腹が立って来た。…だが、嬉しくもあるのだ。「どうして今、知らせるんだ」と…今のジュイは怒りながら喜んでいるのだ。
「…?」
ジュイからの視線を感じたのだろうか。カノハが不意にこちらを見た。
特に表情の無かったその顔が、一瞬で不審を形作る。次の瞬間には驚いている。そして、驚いた顔のまま。
「おい、どうした? どっか痛いのか?」
カノハはベッドの側までやって来た。
「……何が?」
思った事を思った通り口にして、直後。ジュイは気付いた。
顔に溜まった熱のせいか、湧き出して来た怒りのせいか、喜びのせいか。…いつの間にか──ほんの少しだが──自分は泣いてしまっていた。
「あー…」
己自身に対する、呆れの溜め息が出る。
心配そうにこっちの様子を窺っているカノハを横目に、ジュイは身を起こし、物凄く雑に目元を拭った。
「大丈夫、これ。体調が良くないせいで、涙腺の具合も少し変になってるだけだよ。どこも痛くないって言うか、涙出てるのにも気付いてなかった」
「…そうか? …だったら、いいけど」
カノハが苦笑する。
「酔ってもないのに、お前が泣くとか。天変地異の前触れかと思った」
「…クソ失礼だよね」
この1年の間に、何度か。カノハのせいで泣いたり泣きそうになったりしている故か。
本当に失礼だと思ってしまう。どの口が戯言を、と頬をつねるか引っ張るか…してやりたくなってしまう。
だが、その苛立ちは──我慢して──置いておき。
「……。カノハは、さ…」
ジュイはとりあえず、目の前に居る人間…自分を悩ませている張本人に、意見を求めてみる事にした。
「大分昔に、チャンスが無いって確信して、追うのをやめた事があったとして…」
「…うん?」
「今になって、実はチャンスがありましたー…って知らされたら、どうする? …今更知って、昔の苦悩は何だったんだ…みたいなさ。そういう状況…」
「仕事の話か何かか、それ?」
…頷いておく。
自分がやろうと思った研究、魔法装置の発明を、先にやり始めていた奴が居て諦めた。しかし最近になって、ソイツが「実はその発明は始める直前にやめてた」と言った。
などと。適当な作り話も付け足しておく。
「難しく考えなくても良くないか、それ」
迷いもせずそう言って、カノハは右側へ首を傾けた。
「確かに、昔の苦悩…? 諦めた時の悔しさ、とかは…無駄と言うか無意味と言うか。そういう物になっちまうのかもしれないけど」
奴の首元には特徴的な2つの黒子が見える。見えるが、ジュイは気にしない。否。気にしないよう努めながら、話を聞く。
「…『今更知ってしまった』じゃなくて。逆に、『今知れた』って考えれば…悪い事じゃないと思うぞ」
「今、知れた…?」
「ああ。ずっと知れなかったら、ずっと諦めたまま終わるんだ。今知れたんなら、ほら。じゃあ、今から頑張るかーって出来るだろ」
「……」
確かに。…心中で、ジュイは自然とこの4文字を返していた。
かつての辛さは何だったんだ、長い間耐えたのに…と。過去の自分に寄り添っていても仕方がない。どうせ、過去は変えられない。『これから』…どうにかするしかない。
それなら、そうだ。
大勢に嫌われる中、大勢に好かれたいと望んでいた──幼少時代の自分を、今、『ビィズ』が少しだけ癒してくれているように。
カノハへの初恋に破れて苦しんだ、泣きまくった時代の自分は、『これからのジュイ』が癒せばいい。
「な。難しく考える必要ゼロの、簡単な話じゃないか?」
『呆れ』が100%の、しかし冷たくはない笑みで、カノハが言った。
気が緩んでいるのか、それともジュイが深刻な顔をしてしまっていたのか、珍しく頭を撫でて来る。グシャグシャにして来る。
「…もう1回」
「ん?」
「もう1回、頑張って…いいのかな」
「いいに決まってるだろ。当たり前だって」
涙が再び姿を現わそうと、こみ上げて来るのが分かった。
先手を打って、目元を拭う。眠気に対する行動ですよ、と誤魔化すため…小さく欠伸──をしたフリ──をして見せる。
「…ありがと。ごめん、急に変な相談して」
「どーいたしまして。…頑張れ」
頭を撫でる手が、記憶を蘇らせる。既視感を押し付けて来る。
子供の頃、よく撫でてくれた記憶…だけではなく。この1年の間に何故か、何度か押し付けられた既視感。それと同じ物だ。
そして流れるように浮かんで来たのは、疑惑と、仮説。
アオ所長が任されたのは『最後の1人の確保』だったのか、違うのか。この疑問と、この疑問に対する──自分の中ではほぼ正解になった──仮説、答。
これら全てが混ざり合う。
そこへ、『ビィズが聞いた彼の言葉や話』が。『ジュイが聞いた彼の言葉や話』が。白黒はっきりさせる前から「自惚れではないのかも」とモヤモヤさせて来た…全てが加わって。
「…………」
今日、何かしらの行動を起こそうと。決めていたのに、何も出来そうにないジュイの脳内で。
1つ。確かな結論が出た。
(やっぱり。…結局、俺は──カノハじゃなきゃ、嫌だ。俺には、カノハがいいんだ。…カノハに居て欲しい、カノハがいい)
今日、この日は。何の行動も起こせず、風邪を引いた人として終わるだろう。
…だが。
「頑張る。…もう1回、頑張ってみる…」
これから、どうするか。
1番決めておきたかった、それだけは決まって、決められて、ジュイは心の底から笑う事が出来たのだ。
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