思考終端-code:UTOPIA

兜坂嵐

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SIDE-蜻蛉とプリンと不気味の谷・6

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「……さいしょはね。ぼく、おいしゃさんにカゼをひきやすいっていわれてね」
声はか細いが、はっきりしている。
まだ“自分が異常だ”と完全には理解していない声音。
「おとうとも、おとなりさんも、みんなナノマシンいれてたから……だいじょうぶって、おもって……」
その“だいじょうぶ”が、胸に落ちる。
信じていた言葉の残骸みたいに。
レイスは壁にもたれ、天井を仰いだ。
煙草の代わりに、深く息を吐く。

「0.05%……上層じゃ誤差でも、ここじゃ絶対価値だな。」
NULLの声は揺れない。
「統計は個を救わない。だが“居場所”は救う。」
廊下からルイ院長の靴音が近づく。
白衣が揺れ、いつもの芝居がかった笑みが浮かぶ。
「我が母マリーはね……“誤差は、愛の始まりだ”と言ったんだよ。」
「そんなこと言ってねぇだろ絶対!!」
レイスが即座に突っ込むが、声はどこか柔らかい。
ルイは笑い、少年の頭にそっと手を置いた。
その手つきは驚くほど慎重だった。

「ようこそ、闇病院へ。発症確立0.05%——君は“奇跡”の側にいる。」
都市では排除の理由になった数字が、ここでは祝福の言葉に変わる。
フォウがストレッチャーの横に膝をつく。
少年の震える指が、彼女の布をつまむ。

その瞬間、フォウの胸が燃えるように熱くなる。
怒りでも、悲しみでもない。
守らなければならない、という衝動。

翅がふるりと揺れた。
診察室の照明がやわらかく明滅する。
空気が少しだけ温度を変える。
恐怖の縁が、撫でられるように溶ける。
少年の虹彩の回転が、ほんのわずかに緩む。
フォウは手を握ったまま、静かに言う。

「……だいじょうぶだよ。ここではね、“存在しない”なんて、だれにも言わせないから。」
少年は、初めて“安心”という表情を浮かべた。
それは大きな笑顔ではない。
ただ、肩の力が少し抜けただけの、小さな変化。
サタヌスが小さく笑う。
「存在しないもんばっか、よく集まる病院だな。」
レイスが応じる。
「最高じゃんそれ。」
都市に捨てられた0.05%の命を、この壊れた病院が確かに受け止めている。
フォウの手に包まれた小さな指が、かすかに温度を取り戻す。

闇病院の空気は静かだ、統計には載らない。幸福値にも反映されない。
それでも、ここでは確かに何かが救われている。
そしてその夜、0.05%という数字は、初めて“命の重さ”を持った。
サタヌスはにっと笑い、少年の肩を軽く叩いた。
叩くといっても衝撃はほとんどない。触れられたと分かる程度の、控えめな力だ。

「ぐるぐるはな、弱さじゃねぇ。個性だぞ。
 都市じゃ弾かれるけど、ここじゃ“仲間の証”だ。」
少年は自分の目に指先を伸ばしかけ、途中で止めた。
触れれば壊れてしまうのではないかという不安が、まだ残っている。
「……かっこいいの……? ぐるぐるなのに……?」
その問いは、評価を求める声だった。
否定され続けた目に、初めて肯定の可能性が差し込む。

「ぐるぐるだからだよ。」
サタヌスは片目を細める。
「見てみ? 俺のなんかもっとエグいぞ。」
彼の虹彩が光を拾ってゆっくり回る。
同心円は密で、境界は曖昧で、どこまでが黒目で瞳孔なのか分からない。
それは異形だ。だが誇らしげでもある。
その瞬間、ルイが静かに歩み出た。

白衣ではなく、古い洋装を思わせるジャケット。
時間から取り残された貴族のような佇まいで、ゆっくりと膝をつく。
少年と視線の高さを合わせる。
「君の目はね……“純粋な円”なんだ。」
ルイの声は穏やかだった。

「都市はそれを恐れた。
 濁りなき円は、揺らぎを許さない人工社会には眩しすぎる。
 だから消そうとする。
 純潔は、いつでも権力の敵だ。」
レイスがぼそりと呟く。
「出たよ歴史オタクモード。」
フォウが小さく遮る。
「しっ……!」
ルイは止まらない。

「円卓の騎士には、“純潔”を象徴する少年がいる。
 真っ直ぐで、恐れを知らず、どんな闇にも名前を失わなかった騎士だ。」
少年の瞳が揺れ、回転がほんの少しだけ遅くなる。
「……君に似ているよ。ガラハッド。どうかな?」
削除されたIDの代わりに、与えられる音。
少年の口元が、ほんのわずかに上がる。

「……かっこいい……」
その言葉は、確認ではなく、受け入れだった。
フォウの翅がぱぁっと光を反射する。
レイスは腕を組み直し、わざとらしくため息をつくが、口元は緩んでいる。

「決まりだな。」
ルイは立ち上がり、少年の額にそっと手を添える。
「ようこそ……ガラハッド。
 今日から、君は“存在しない子ども”ではない。円卓の新しい騎士だ。」
ガラハッドは、胸の奥で何かが灯るのを感じた。
それは恐怖とは違う震えだった、拒絶ではなく、肯定から生まれる熱。
フォウが彼の手を握り、軽く揺らす。

「ガラ……よろしくね。ここは……みんな、きえないよ。」
サタヌスが笑う。
「闇病院じゃな、ぐるぐる目はむしろモテるぞ!」
ガラハッドはふっと笑った。小さく、しかし確かな笑み。
「……ほんと……?」
「あぁ。」レイスが応じる。
「嘘ついてもしゃーねぇだろ。」
中庭のガス灯が揺れ、影が重なり合う。
削除されたはずの存在が、新しい名とともに再登録される。
その中心で、小さな瞳の円が、回転ではなく揺らぎとして光る。
ガラハッドの名は、サーバには記録されない。
だが確かに、この場所に刻まれた。
そして初めて——彼は自分の目を、隠さずにいられた。

夜。

外のビル群は冷たい人工光で青白く浮かび上がり、ネオンは一定周期で点滅していた。
脈拍のようでいて、実際には演算されたリズム。
都市の鼓動は常に管理されている。
その中で、ただひと部屋。
闇病院のキッチンだけが、ぽつんと暖色に包まれていた。
小さなオレンジの灯りは、LEDではなく古いガス灯だ。

ミカは袖をまくり、古びたガスコンロの前で眉間に皺を寄せていた。
火は安定しない。人工ガスは純度が高すぎて、逆に扱いづらい。

材料はすべて人工製、卵液と再構成タンパク質。
乳成分、合成脂肪。糖液、幸福庁基準の均質甘味。
“再現度99%”。
その1%が、どうしても埋まらない。

ミカは火加減を細かく調整する。
手首の角度、鍋の傾き、湯煎の深さ。
目を離さず、泡の立ち方を見つめる。

「……プリンアラモードは無理だったよフォウ……ごめん。人工卵液、コクが足りなくて……」
出来上がったのは、キメが細かく、少し固めで。
昭和の喫茶店を思わせる素朴なプリンだった。
フォウの瞳が、ぱっと明るくなる。

「プリン……! しあわせ……♡」
ミカが目を瞬く。
「えっ……? これで、いいの……?」
言い終わる前に、サタヌスが皿を掴んだ。

「いやいやいや!? これめっちゃうまくね!?
 俺“喫茶店プリン”派なんだけど!!固めで甘さ控えめとか神じゃん!!」
ミカの目がじわっと潤む。
「ほ、ほんと!? それは……うれしい……!」
レイスはスプーンでプリンを崩しながら、半眼でフォウを観察する。
「……ああ。満足してるっぽいな。ほら羽、また幸せに震えてる。」
フォウは一口食べるたびに翅を揺らす。
甘さに合わせて、小さな波が広がる。
「……本物じゃなくても……しあわせ……♡」
その言葉に、ミカの胸が締めつけられる。

(だめ……泣く……こんな……“作っただけ”なのに……こんな喜ばれたら……)
都市では“再現度99%”と評価されるだけの味。
だがここでは、誰かのために作られたという事実が、残りの1%を埋める。
サタヌスがカラメルをすくって笑う。
「このほろ苦さがまた最高なんだよな!」
「お前、甘いか苦いか分かってねぇだろ。」
レイスが突っ込む。
ミカは照れながら、しかし誇らしげに頷く。

「……うん。じゃあ今度はアラモード、もうちょい近づけてみるから。」
「ほんと!? ミカ、だいすき!」
フォウの言葉に、ミカの頬が熱を持つ。
キッチンの暖色灯が三人の影を柔らかく揺らす。
人工光に満ちた都市で、ここだけは“人が灯した光”だった。
フォウの翅は、プリンの甘さに合わせるように震え続ける。
小さな幸福波形が、静かに広がる。

外ではネオンが冷たく瞬いている。
だが闇病院のキッチンには、数字にならない幸福が満ちていた。
0.05%の命と、再現度99%のプリン。
どちらも都市では誤差扱いだ。
けれどここでは、その誤差こそが確かに、生きている。
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