嫉妬帝国エンヴィニア

兜坂嵐

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嫉妬の帝都

時空旅行でも腹は減る

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 翠の世界に、ひとつ、腹の音が鳴った。
「でさでさ、話変わるけど、うちらどうやって王都行くの?腹減ったんだけど」
 ウラヌスが空を見上げて言う。
 曇天のフィルターがかかったような空、その向こうには。
 かつて“神の都”と呼ばれた螺旋城の影がぼんやりと見える。
「……PayPay……使えるわけねぇよなぁ……」
 レイスが力なく呟く。
 顔を両手で覆い、現代人代表の絶望を全身で表現するようにうなだれた。
「はいそこ、文化依存しすぎ」
 サタヌスがツッコミを入れつつ、手の甲を掲げる。
 その皮膚には、淡く光る「紋章」が刻まれていた。

「でもコレ、“聖痕”って次元越えても発現すんのよ。
 前、アバドンでも使えたし、なんとかなるかもな」
「……マジかよ」
 ユピテルがフードを深くかぶりながらぼそりと呟いた。雷光の瞳がちらりと覗く。
「今だけは……時のボウヤ、あてにしてやるぜ」
 それは“信頼”というより“賭け”のような響きだった。
 四人はまだ転移直後の違和感を体に残しつつ、意識だけは前を向いている。
 だが、その背には――静かな“欠落”がある。

 カリストがいない。
 馬車で王都に向かった彼の不在は、まるで。
 パーティの芯が抜けたような奇妙な静けさを残していた。
「……ま、今さら後悔しても仕方ねーし」
 サタヌスは頭を掻いた。
「とりま、喰わねーと戦えねーぞ」
「魔王軍六将、まさかの腹ペコ状態だしなッ!」
 ユピテルはポケットからポッキーを探すが、一本も残っていなかった。
「……バッテリー……切れそう……」
 呟いたその瞬間、空気に一閃―乾いた静電気がパチリと跳ねた。

「マジでエネルギー源“おやつ”なんだな……」
 レイスは呆れたように、それでも微かに笑った。
 こうして、魔界最深部・嫉妬界にて。
 クロノチームは、「飯を探す」という最も人間的な理由で動き出したのだった。
 それが、このあと帝国の因縁と神の記憶を抉り出す“大事件”に発展するとは。
 この時点では、誰も想像していなかった。
 だって、腹は減るのだ。
 時を越えても、魔族でも、神の血を引いていても。

 レイスは、ほとんど呆れたような笑みを浮かべながら問いかけた。
「なぁ、サータ……アバドンの飯って、どんなのがあったんだ?」
「俺、深淵には何度か入ったことあるけどよ。……飯を食った記憶が、ねぇ」
 サタヌスは「はー?」と気の抜けた声を返しながら。
 記憶を手繰るように顎に手をやった。

「……うまかったぞ?」
「いや、マジで。たしか――蠢く焼きそばとか、タコ(推定)焼きとか食ってたし」
「“推定”って何……」
 レイスのツッコミも虚しく、サタヌスはどこか懐かしげな顔で続ける。
「最初はな、“息してるご飯”は無理だろって思ったんだけどよ。
 腹減ってりゃいけるモンなんだよ」
「慣れって、こえーな……」
 ウラヌスはその話に、腹を抱えて笑い出した。

「ちょっwwwwwサータはともかくとしてさ……
 勇者ちゃん(ガイウス)どうやって耐えてたのwww」
「“触った瞬間ビチビチ跳ねる深海いか飯”とか、無理でしょwww」
 しばしの沈黙。
 そのあと、ユピテルが静かに呟いた。
「……勇者は、次元の外でも勇者か」
「俺なら“動く飯”で殺意覚えるわ……」
 その瞬間、サタヌスは思い出す。
 “あのときの勇者”――深淵アバドンで、まるで何も感じていないように。
 ひと口ずつ、淡々と食っていた赤髪の青年。
 箸を握る手に迷いはなく、目の前で「生えるパスタ」が湯気をあげても。
 ただ「ふぅ……」と吹いて口に運んでいた。

「てかさ」
 サタヌスが笑いながら言う。
「……俺ら結構長居してたぞ?」
「生活してたのかよッ!!」
 レイスとウラヌスの叫びが、古代エンヴィニアの空に響いた。
 どうやら勇者ズは“深淵の中で、そこそこ楽しく生活してた”らしい。
 文明が滅びても、空間が歪んでも。
 勇者は、生きる。喰う。寝る。強い。
 この日、クロノチームの中で勇者株が謎の高騰を始めた。

 石畳の通りを、四人がゆっくり歩く。
 街は静かで、整っていて、美しいはずだった。
 だが、妙に肌に貼りつくような“空気の重み”がある。
 まるで目に見えないものに、全身をなぞられているような不快感。
 レイスがひとつ、舌打ちを漏らした。

「……ああ、やだな。これ“視られて”んな」
「ん~……嫉妬、ってやつ?」
 ウラヌスが首をかしげながら、地面を蹴るようにスキップする。
 が、軽快な足取りとは裏腹に、その背には何十もの“感情”がまとわりついていた。
 市民が、すれ違いざま、ウラヌスの髪を見てボソッと呟いた。
「見てあの子の髪……どうやってあんな色に……妬ましい……羨ましい……」
 ウラヌスはにこりと笑った。
「ありがとぉ♡エステ通ってまぁす☆」
 そのテンションとは裏腹に、彼女の手はスカートの裏でスマホを握っていた。

 レイスとユピテルの並ぶ姿を見て、心の底からの呻きを漏らす。
「……誰かと並んで歩けるだけで、羨ましい……僕には、そんな奴いないのに……!」
 レイスはフードを引き下げ、ちらと視線を向けただけ。
「お前にもいたろ?過去に。何か。誰か」
「……置いてきたのは自分じゃねぇの?」
 その声に、ピクリと眉を動かした。
 だが返事はなく、ただ“視線”だけがより濁っていく。
 男の一人がレイスを見て呟く。
「あんな顔で生まれたかった……あんな顔なんて……無ければよかったのに……!」
 それを聞いたサタヌスは、ニッと笑った。
 そして、親指を逆さにしてサムズダウン。

「ははは、羨ましいだろォ?せいぜい見上げてな」
 その瞬間、空気がヒュッ、と張り詰める。
 周囲の通行人たちの目が、一斉にサタヌスを見据える。
 目の奥が、完全に死んでいた。
 だが、誰ひとり、言葉も、手も出してはこない。
 これが、嫉妬が支配する王都“エンヴィニア”の街路。
 目で殺す都市。心の奥の悪意を、都市全体が“魔素”として共有している。

「……レストラン、どこだ?」
 ユピテルがぼそっと呟いた。
「このままじゃ、こっちが喰われるぞ」
 そんな中でも、ウラヌスはスマホを構えたままノリノリだった。
「#嫉妬の街ヤバい」「#メンタルバグる」「#モブたちの視線が重いってば♡」
 明らかに世界観が崩壊しそうだった。

 市街の通りを歩きながら、レイスがふと足を止めた。
 頭上の看板を見上げ、目を細めて呟く。

「……古今東西、レストランってのは看板があるもんだ」
「ナイフとフォークが描かれた建物を探せ。
 どこの時代でも、それが“食える場所”の印だ」
 ウラヌスはその隣で、陽気に首を傾ける。
「あのテント出てるお店~、カフェじゃな~い?」
「絶対パフェあるでしょ~♡あの光り方、バズりポイント☆」
 だが、ユピテルは真顔で却下した。
「……いや、俺あぁいう“映え”狙いの店、行かねぇンだわ」
「食いもンは味だ。写真じゃねェ」
 レイスがまぁそう言うと思った、と頷いた隣でサタヌスがひときわ元気に叫んだ。

「おい!あったぜ、メシ屋っぽいの!!」
 彼が指差した先─石造りの門に掲げられた看板。
 そこには古代エンヴィニア文字がびっしりと刻まれていた。
 が、読めない。
 全員、無言になる。



「……あー……なんて書いてんだ、これ」
「読めたら苦労しねーっての」
 レイスが困ったように眉を寄せる。
 ユピテルも近づいて看板を睨むが、うなずくだけだった。
「いや、俺の知識データにもねぇな。少なくとも現代魔界語じゃない」
「てかこれ、“レストラン”じゃなくて“儀式場”とかだったらどうする?」
 ウラヌスが顔を青ざめさせながら言う。

「料理じゃなくて、儀式の素材にされちゃう系!?
 私“生け贄”とかお断りなんだけど!?」
 サタヌスはそれを聞いてニヤリと笑いながら、親指を立てた。
「いいじゃん、どっちでも。とりあえず入ってみよーぜ!」
「腹減ってんだし!」
 4人が、読めない看板を掲げた古代レストランの扉をそろそろと押したその瞬間。
 ふわりと漂ってくる香ばしい香り。
 異国のスパイス、焼かれた肉の匂い、そして仄かなハーブと魔素の香り。

「……当たりだな」
 ユピテルがぽつりと呟いた。
 レイスは目を細め、鼻を鳴らす。
「食える匂いだ。料理人は生きてる」
「少なくとも“解体屋”の香りじゃねぇ」

 静かな石造りの店内。
 席に着いたクロノチームの前に、分厚い革表紙のメニューが置かれた。
 四人が、それを囲む。
 一瞬の沈黙。
 ユピテルがページをめくりながら、苦い顔をする。
「なンだこれは。キリル文字か……?いや違うな、母音が歪んでる」
 さすが元貴族、見たことあるフォントに詳しい。
 ウラヌスはスマホを掲げてパシャリ。翻訳アプリを起動した。

「はい~~~翻訳カメラいきまーす☆“夜に震える嫉妬のカタラーナ”?」
「こわっ!?!?料理名で怨念こもってんのやめてほしい!!」
「てかカタラーナって何!?プリン!?」
 サタヌスは指でメニューの先頭をトン、と叩いた。

「ここ、メインディッシュじゃねぇか?」
「ヴィヌスが言ってた。“お店自慢のメニューは最初に置くのが基本”って」
「“泣く者に与えられる誇りの切り身”?」
「……何それ?食えるの?」
 レイスが眉を寄せる。
「“泣く者”って客のこと?料理の名前?」
「翻訳結果で“誇り”って出てくる料理初めて見たわ……!?」
 一方、ユピテルは静かにページを閉じた。

「選ぶだけ無駄だな。ノリで頼め」
「当たれば儲け、外れたら話のネタだ」
 そのとき、テーブルにウェイターらしき人物が近づいてくる。
 目は笑っているが、笑っていない。
 口元には仮面のような笑み。
 だが視線は、まるで“こちらの心を覗いている”かのようだった。
「ご注文は、お決まりですか?」
 四人は無言で目を合わせる。

「……一番上、頼むか」
「YES!ド直感勝負!」
「外れても俺が食う!!」
「誰かが食えりゃいいだろ」
 こうして、“名前も読めぬ料理”とのファーストコンタクトが始まった。
 あとは……出てくるのを待つだけ。
 食えるかどうかは、また別の話である。

「おまたせしました!」
 現れた店員は、異様に爽やかな笑みでスープをテーブルに置いた。
 声は明るく、どこか“歌うような”節回しだった。
「当店自慢の名物《忘誉のスープ・エンヴィニア風》でございます♪」
「名前からしてエグッ!!?」
 皿に注がれた液体は、不自然なほどクリアなエメラルドグリーン。
 表面は波打ち、香りは甘いのに、どこか生臭い。
 そして、中には……蛇がいた。



 ぐつぐつ煮えているはずなのに、その身はひとつひとつ“動いているように”見える。
 漂う湯気の中に“目”が─明らかに、“見ているもの”があった。
 レイスは、それを一目見た瞬間、言った。
「……共食い……」
 声が異様に低く、空間を凍らせた。
 その身に蛇系の血を引く悪魔ハーフとして。
 “これは食べてはいけない存在”と、本能で察していた。
 背後が、漆黒に染まった。

 だが一人、何も恐れずレンゲを取り出す者がいた。
 ユピテルだ。ゆっくりと椅子を引き、スープの前に座る。
「ふっ……キラキラしてるだけが映えじゃねぇぜ……」
 言いながら、躊躇なくレンゲで掬う。
 一口、啜った。
「……うまい。素材を殺さずに仕上げてる。こりゃ、“目利き”がいるな」
「えぇぇぇぇ!!?!?!?あんた食うの!?!?!?!?」
 だが次の瞬間には、ウラヌスの目がキラキラと輝き出した。
「ヤバっ!!映ええええええ!!!」
 スマホを構え、全角度から写真を取り始める。

「#命のスープ」「#エンヴィニア名物」
「#ヘビ感謝」「#カメラ越しならギリいける」
 とタグを次々に入力している。
 そして──サタヌスは、凍りついていた。
「どこが映えだよおおおお!!!」
「こええええよおおおメルクリいいいいい!!!!」
 最後はなぜか、現代にいるはずのメルクリウスの名を叫んだ。
 完全なる長男依存である。

 この日、“嫉妬の王都”の名物料理は。
 四人の旅人の魂に深く刻まれることとなる。
 味覚?そんなものは、とっくに超越した。
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