【R18】この夏、君に溺れた

日下奈緒

文字の大きさ
上 下
16 / 16
もしも許してくれるのなら

しおりを挟む
また夏が行き過ぎる。

そう思いながら、駅の前を歩いていた。


ここは、先生と再会した時に、一緒に歩いた場所。

先生に初めて抱かれた後も、別れたあの日も、一緒に歩いた場所。

もう戻ってこない時間なのに、季節だけは今年も巡ってくる。

私は、そっと目を閉じた。

今年の夏は、去年程暑くはなかった。

あの身を焦がすような、暑い夏ではなかった。


「あー、暑い。」

同じ半袖のワンピース、同じ日差し、同じセリフなのに、どうしてこんなに、違う夏だと思ってしまうのだろう。

「ああ、でもやっぱ暑い。」

額から流れる汗を拭いたら、ふと近くに本屋があるのが見えた。


先生と再会した、あの本屋。

私は去年と同じように、涼みに本屋に入った。

クーラーが効いていて、涼しい。

少しだけ生き返った私は、頭を上げた。


|《衝撃の、禁断ラブストーリー》

そんなキャッチコピーが、私の目に入って来た。


こんな街中の本屋さんで、大々的に宣伝しているなんて。

どんな本なんだろう。

私は、その下にある本を見た。



|《新人コンテスト 最優秀賞
    平塚孝太郎先生が贈る期待のデビュー作》



「先生?」

そこには、まさかの名前があって。

あの時の先生の夢が叶っていたことに、後から後から感情が降って沸いた。

「よかった、先生……」

私はその本を一冊手に取ると、ぎゅっと抱きしめた。

その時だった。

私の隣に立つ影が見えた。

「その本って、面白い?」

驚いて横を見ると、スーツを着たサラリーマン風のお兄さんだった。

「あっ、いえ。私、まだ読んだ事が無くて……」

なのに、こんな抱き締めてるなんて、恥ずかしい。

「でも!中身は保証します!この作家さんも、本当にいい人なんです!」

知らない人相手に、むきになって叫んでいた。


「くくくっ……」

ほら、相手に笑われている。

私は、余計に恥ずかしくなった。

「すみません。」

「いや。嬉しかったよ。」

「えっ?」

私はその隣に立つお兄さんを、じーっと見た。

「芽依、俺だよ。俺。」

少し伸びた前髪から覗いた目。

それは……


「先生!?」

目を大きく見開いて、口をあんぐり開けている私を見て、先生はまた笑っている。

「しっかし、去年と同じワンピース着てるって。成長してるのか、してないのか、分からないな。」

覚えてくれていた。

しかも、着ていた服まで!

「……先生は、変わった。」

「ああ、スーツ着てるからな。」

先生は、上着の襟を直した。

「……一年前は、ボロボロの服を着てたのに。」

「ボロボロって……」

「髪もボサボサだったのに。」

「そこまで言うかよ。」

困った顔をした先生が、私の気持ちを蒸し返した。


「先生!」

「うわっ!」

思わず先生の胸に、飛び込んだ。


「えっ?芽衣?」

「先生、先生!」

あの別れた先生が、目の前にいる。

嘘じゃないよね。

嘘じゃない!


「芽衣……取り合えず、外に出ようか。」

「えっ?」

「……周りの人が見てるから。」

ハッと我に返って、周りを見ると、こっちを見ていた人達が空咳をしながら、視線を反らしていく。

「はははっ……」

恥ずかしくなって、抱えていた先生の本を持って、カウンターに向かった。

お会計の時も、先生はこっちを見ている。

おかげで、カウンターのお姉さんに、変な人扱いされた。


「お待たせしました。」

「ううん。」

スーツを着た先生に、ドキッとする。

まるで一目惚れをした、国語の先生の時と被る。

夏の日差しみたいに、眩しい。


「芽衣、少し歩こうか。」

「うん。」

そしてまた私達は、駅前の道を一緒に歩く事にした。

「あー、暑いな。」

先生は、日差しを手で遮った。


一年前は、本だったけれど。

「さっきの本屋で再会した事、覚えてる?」

「うん。はっきり覚えてる。」

だって思い出したから、この本屋に入ったんだもの。


「あの時、俺さ。小説家になろうって決めて、バイトスパッと辞めてまで、物書きに打ち込んだのに、全然いい話書けなくてさ。」

「うん……」

「俺、どうなっちまうんだろうって、思いながらこの本屋に入ったんだ。」

あの日の事を語り始める先生は、あの日のボサボサ頭の先生とタブって見える。

「正直、芽衣と会った時。恥ずかしかったよ。落ちぶれた自分を、見られている気がしてさ。」

「そんな、落ちぶれたなんて。スーツか私服かの違いでしょう?」

ふっと笑った先生は、一緒に暮らした先生と、変わってなかった。


「だから芽衣に言い寄られた時は、どうにかなってしまったと思ったんだ。ああ、そうだ。これは、小説の題材だ。この子を利用して、教師と生徒の疑似恋愛するだけだって。」

「そうだったんだ……」

なんとなく分かっていたけれど、はっきり言われると、胸が痛くなる。

「あっ、いや!その続きがあって……」

そう言った先生は、何気に私の手を握った。


「だから、芽衣と一緒にいるようになって、楽しかった分、何やってんだよって。何、高校生にペース乱されてるんだよって。いつも思ってた。」

「先生が?私のペースに、乱されてたの?」

「うん。」

あんな冷静に見えたのに。

嬉しくて、泣けてくる。


「もう、そう思った時点で、俺自身、芽衣に溺れてたのかもな。」

「先生……」

「だから、芽衣を幸せにする為に一度離れて、ちゃんとしようって、決めたんだ。あの時、ちゃんと話さなくて、すまない。」

その言葉を聞いた途端、堪らなくなって、先生の首にぶら下がるように、抱きついた。

「有り難う、芽衣。こんな不甲斐ない俺を許してくれて。」

「ううん。許すも許さないもないよ。私、ずっとこの日を待ってたんだから。」

「本当に?」

「うん。」

私は涙を流しながら、笑顔を浮かべた。

「私なんて、先生よりも先に、先生に溺れてたんだから。」


そうだよ。

この日は、先生と約束した日。

もう一度会おうって、約束した日でしょう?


「芽衣……」

「ずっと会いたかった。」

「うん。俺もずっと……芽衣に会いたかった。」

先生の腕が、私を包み込む。



















あの暑い夏。

私達は二人で、恋に溺れた。
しおりを挟む

この作品の感想を投稿する


処理中です...