宮花物語

日下奈緒

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第15話 子を成す意味

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「王……これからは、黄杏さんの元へ、通って下さい。」

紅梅は、微笑みながら言った。

「いや……しばらくは、そなたの元へ通う。黄杏の時も、黒音の時もそうしてきた。」

だが紅梅は、首を横に振った。

「私は、大丈夫です。」

「紅梅?」

そこには、悲しさや切なさと言った負の表情は、全く見当たらなかった。

「人づてに聞きました。白蓮様に、『跡継ぎは、一度懐妊したお妃から産まれる。』と、神託が下ったようですね。」

「あれは……」

神託?

亡霊の戯れなのか。

だが白蓮が信じている事を、むやみに否定する事もないから、放っておいたと言うのに。

「だとすれば、その神託に合うお妃は、黄杏さんお一人。今は、私よりも黄杏さんの元へ行って頂くのが、よろしいかと思うのです。」

そう言って、紅梅はにこにこと笑っている。

その様子を見た信志は、ため息を一つついた。

「王?」

「全く……私の妃達はなぜこうも、私が通う場所を勝手に決めようとするのだ。」

「も、申し訳ございません!」

紅梅は、慌てて謝る。

「黄杏の元へ通えと申すが、そなたの元を訪れたい時は、どうしろと言うのだ。我慢しろと言うのか?この私に?」

「えっ!あっ、いえ……その……」

困りながら、半分嬉しそうに照れる紅梅を見ていると、信志は紅梅もまた、愛おしいと思うのだ。

「黄杏の元も行く。だがそなたの元へも参る。紅梅も、紅梅のお腹の子も、跡継ぎが産まれる事と同じくらい、大切だからな。」

信志は、紅梅の肩を軽く叩こうとして、思いとどまった。

「……どうしたのですか?」

紅梅が、大きな瞳で信志を見つめる。

「いや……これからは、こうしなければな。」

そう言うと、紅梅の肩をそっと抱き寄せた。

「信寧王様……」

紅梅が信志の胸に、体を預ける。

王にとって自分はずっと、部下のような存在だと思っていた。

そして黄杏が宮殿に来てからは、もっと遠くに行ってしまったと。

もう自分の元へは、来てくれないのだと思っていた。

だが今は、一番欲しかった王の愛情が、何より近くにある。


「王……私は、幸せです。」

「そうか?これからもっと、幸せな暮らしが待っているぞ。私と紅梅と、産まれてくる御子との暮らしがな。」

「はい……」

それでもどこか、この幸せは一時的なものだと、感じていた紅梅。

だが不思議な事に信志の愛情は、紅梅が思う以上に、続く事になった。

お腹に子が宿り、半年が経つと言うのに、信志は毎晩欠かさず、紅梅の元を訪れていたのだ。

「今日も、私の子は健やかか?」

夜になると必ず寝台で、紅梅の大きくなったお腹を、信志は愛おしそうに摩った。

「もう少しで7か月になるのか。産まれてくるのが、楽しみだな。」

時には、耳をお腹につける事もあった。

「ああ。動いている、動いている。紅梅に似て、元気な子だ。」

子はかすがいだと言うけれど、こんなにも移ろ気な方を、自分の元へ引き留めておけるとは。

紅梅は、嬉しいどころか怪しくも感じていた。


ある日。

紅梅が大きなお腹を抱えて、外へと出ると、そこには花の手入れをする黄杏の姿があった。

こんな姿、見せる事はできない。

黄杏の子が流れたのは、この頃だから、ふとした事で思い出してしまうかも。

紅梅は黄杏に声を掛けずに、神殿へと行こうとした。

「あら、紅梅さん。」

だが幸か不幸か、黄杏から声を掛けられてしまった。

「お腹、大きくなりましたね。」

ここまで言われると、無視する事もできない。

紅梅は、ゆっくりと後ろを振り返った。


「……お元気そうね、黄杏さん。」

「紅梅さんも。」

手に綺麗な花を持っている黄杏は、なぜか和やかな雰囲気を醸し出している。

「なんだか黄杏さん。王が来なくても、大丈夫そうね。」

「そうなの。」

黄杏は頬に手を当て、突然困った顔をした。

「少し前までは、王がいらっしゃらないと、胸が潰れそうになるくらい悲しくて、眠れない時もあったのに。最近、王がおられない方が当たり前になってしまって……寂しくもならないなんて、一体どうしてしまったのかしら。」

紅梅は、口をあんぐりと開けてしまった。

王がいらっしゃらないと、胸が潰れてしまう?

そんな可愛いこと、自分は一度も思った事がない。

しかも、しばらく王がお訪ねにならないのなら、それはそれで、他の妃とよろしくやってるんでしょうよと、半ば諦めの気持ちも生まれると言うのに。

寂しくならない事が、おかしい?

紅梅は、ため息をついた。


「紅梅さん?」

「あなたには、つくづく負けたわ。」

「えっ?」

黄杏は、首を傾げている。

「どちらかと言えば、私が紅梅さんに負けたような気がするけれど。」

「ああ、なに?私の方が、先にお子が産まれるから?」

「はい。」

真面目に答える黄杏に、紅梅は白目を向く。

「あなたって、本当にお目出度いわね。」

「だって、そうでしょう?王をお慕いして、ここに来たんだもの。会えなかったら、悲しくなるのは、当然だと思うけれど?」

ここまでくると、黄杏の為に、一肌脱いであげたくなる。

まるで、姉のような気分だ。


「心配しないで。私が、王に言ってみるから。」

「ええ?」

「大丈夫よ。王はそろそろ、私だけの生活に、飽きている頃だし。密かに青蘭さんと、逢瀬を楽しんでいると思うし。」

それを聞いて黄杏は、また悲しい顔をする。

「やっぱり……青蘭さんの元へは、行くのね……」

「ああ、ほら!あの人は、半ば浮世離れしているところがあるから!」

紅梅は、黄杏の肩を揺らしながら、彼女を励ます。

「黄杏さんは、前と同じように、王をお迎えする準備をしていればいいのよ。」

「紅梅さん……」

そして紅梅は、にっこり微笑むと、大きなお腹を抱えて、屋敷へと戻って行った。

その日の夜。

紅梅は早速、王である信志に、黄杏の元へ通うように促した。

「黄杏の元へ?」

「はい。今日、黄杏さんとお話させて頂きましたが、とても寂しがっておられましたよ。」

そう言うと、信志はどこか複雑そうな顔をした。

「……そうは言っても、そなたには子が産まれるのだし。」

「それは、王の言い訳ではありませんか?」

紅梅と信志は、しばし見つめ合った。


「言い訳?私が、黄杏を避けているとでも?」

「はい。私に先に子ができました故、黄杏さんに合わせる顔がないのでは?」

信志は、紅梅から目線を反らした。

「やはり、そうなのですね。」

紅梅はここでも、ため息をついた。

紅梅から見ても、二人が思い合っているのは、明々白々。

すれ違っている原因だとすれば、自分しかないのだ。


「黄杏さんは、私に子ができた事など、なんとも思っていませんよ。」

信志は、ちらっと紅梅を見る。

「それよりも、王がお訪ねにならない事も、いつも気にかけていらっしゃいます。」

「黄杏が?」

その歪んだ顔は、紅梅から見ても、妬むくらいだ。

「お訪ねになって下さいませ。好き合おうて、一緒になった仲ではありませんか。」

自分で言うのも、辛くなってくる。

子まで成した夫の、想い人は違う人なのだ。

それを感じてか、信志も紅梅を抱き寄せる。


「すまぬ。」

「何を謝るのですか?」

「黄杏の事……子が産まれるまで、一緒にいると言ってたのに……」

心なしか、信志の抱きしめる力も、強くなる。

「いいのです。それに……」

紅梅は、信志から体を離した。

「それに、子を授かったのは、黄杏さんのお陰だと、この前お話致しましたでしょ?」

すると信志は、フッと鼻で笑った。

「そう、だったな。」

何か吹っ切れたような表情。

それがまた、運命の歯車が、回り始めた瞬間だった。

次の日の夜。

王の今夜の泊まり先は、黄杏の屋敷だと決まった。

何か月振りに、夫の顔を見るのだろうと、黄杏は考えたが、なぜか心は踊らない。


「ご公務、お疲れ様でございました。」

「ああ。」

信志を屋敷の玄関で迎えても、お互いよそよそしい。

「お酒を、召されますか?」

「そう、だな。」

席についた信志に、酒を勧めても、どこか心ここにあらずと言った雰囲気だ。


「どうぞ。」

久しぶり過ぎて、酒を注ぐ黄杏の手が震える。

「……緊張しているのだね。」

「申し訳ありません。」

ここで話が弾むと思っていたが、黄杏は謝ったきり、一言も話さない。

一体、どうしてしまったと言うのか。


「紅梅から、黄杏が寂しくしていると、聞いたのだが……」

「はい……」

「そうでも、なさそうだね。」

そしてまた重い空気が、信志と黄杏を包む。

「なんだか私達は、すれ違ってしまったようだね。」

黄杏は、じっと信志を見つめる。

元はと言えば、足が遠のいたのは、信志の方。

だがそれは、紅梅の懐妊と言う、お目出度い事もあったからで、それを責める気は、黄杏にはない。

もっと言えば、懐妊した妃よりも、自分の元に通わせるだけの魅力が、自分になかったと言えば、それまでだ。


「……それも、致し方のない事だと、思います。」

信志は、盃を黄杏に近づけた。

「そなたは、離れていた私に、嫌みの一つも言わぬのだな。」

黄杏は、酒を注いだ。

「嫌みの一つでも申せば、何か変わるのですか?それに、嫌みを言われたら、お困りになるのは信志様の方でしょう?」

「そうであったとしても、少しの嫉妬ならば、返って可愛いと言うものだよ、黄杏。」

酒を呑み干す信志を、大人しく見つめる黄杏。

「そうですね。そう言う事も、いつの間にか、忘れてしまったのかもしれませんね。」

黄杏は、窓の外に浮かぶ、月を眺めた。
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