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【5】禁じられた夜、義父とともに
①
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今夜、私は亡くなった母に、最後の別れを告げなければならなかった。
「うっ……くっ……」
喉の奥で声が詰まり、涙が頬を伝う。
まだ若かった母。
あまりに突然の事故だった。
信じたくない、でも、現実は変わらない。
私は、たったひとりになってしまった――。
その時だった。
「心音。」
背後からそっと呼ばれ、振り返ると、母の再婚相手である和臣さんがいた。
喪服に身を包んだその姿は、いつもよりずっと遠く感じられて、でもどこか安心した。
「辛いよな。でも、ひとりじゃない。」
そう言って、私の手を包み込むように握ってくれた。温かい。その温もりに、私は身体を震わせた。
ずっと、好きだった。
母がいたから、絶対に言ってはいけない想いだった。でももう、母はいない。
禁じられた恋が、喪失の悲しみの中で、静かに胸の奥から顔を出した。
和臣さん、あなたに触れられるたび、私は自分を止められなくなりそうで怖い。
「ありがとう、和臣さん……」
そう言ったあと、自分でも気づいてしまった。
私は一度も、彼を「お父さん」と呼んだことがなかった。
母の再婚相手として紹介されたあの日から、彼はずっと優しくて、家族として接してくれていたのに。
「私、どうしたらいいのか分からなくて……」
震える声でつぶやくと、和臣さんは静かに言った。
「一緒に暮らそう。お母さんがいなくなっても、俺が面倒を見るから。心音をひとりにはしないよ。」
その言葉に、堰を切ったように涙がこぼれた。
大きな胸に顔を埋めると、彼の温もりが全身を包む。
苦しかった心が、少しずつ溶けていくのを感じた。
「一人じゃないよ。心音には俺がいるから。」
何度も繰り返すその言葉が、私の弱さを優しく包み込む。
泣いて、泣いて、ようやく気持ちが落ち着いたとき、私は決めていた。
――この人と、生きていこう。
たとえそれが、家族という枠を壊してしまうとしても。私の心はもう、彼に向かって動き始めていた。
それでも時折、私は母の部屋をそっと開けては、その中に残された温もりを探していた。
タンスの上に飾られた写真立て。
そこには、母と和臣さんと、私の三人が並んで笑っていた。
明るい日差しの中で、母は優しく微笑んでいる。
「お母さん……」
写真を胸に抱きながら、目を閉じる。
声に出すと、どうしようもなく会いたくなった。涙が、またひと粒こぼれた。
その時だった。
カチリと音を立てて、ドアが開く。
振り返る前に、後ろからそっと腕が回される。
「心音は、いつもここにいるね。」
耳元で囁かれる低い声。和臣さんだった。
「心音は本当に、お母さんが好きだったんだね。」
「うん……」
私は頷きながら、彼の腕の中で目を閉じた。
温もりが、恋しかった。哀しみと安らぎが、同時に胸に満ちていく。
このまま、泣いてもいいですか。
そんな問いを飲み込んだまま、私は彼にそっと身を委ねていた。
それからというもの、和臣さんは私の涙にすぐ気づくようになった。
ふいに肩を震わせれば、何も言わずに背中を撫でて、そっと抱きしめてくれる。
その胸に顔を埋めるたび、トクン、トクンと穏やかな心音が響いてきて、自然と涙は止まっていた。
「落ち着く……」
そんな呟きが口からこぼれる。
それに、和臣さんの匂い。
洗剤とスーツの香り、少しだけ煙草の名残。
私がずっと欲しかった、大人の男の匂い。
あの日まで、母のものだったこの匂いが、今は――私だけのものみたいで。
「心音、大丈夫?」
覗き込むように、優しく見つめる和臣さんの顔。
その唇が近づくたびに、私は理性が揺らいだ。
抱きしめられるだけじゃ、もう足りない。
触れて、感じて、繋がりたかった。
どうしようもなく、キスがしたかった。
この人を、女として好きだと思ってしまった。
それは、もう家族なんかじゃない気持ちだった。
ある日、どうしても寂しくなって、私はつい、和臣さんの寝室に足を踏み入れてしまった。
朝の陽射しがカーテン越しに差し込む中、和臣さんはまだ眠っていた。
穏やかな寝息。いつもより少し無防備な表情。
その隣に、私はそっと横たわった。
同じ布団の中。こんなに近くにいるのに、胸が苦しくなる。
「んん……」
和臣さんが寝ぼけたように身じろぎをした。
今だったら……言えるかもしれない。
ずっと呼べなかった、あの言葉を。
「……お父さん。」
そっと呟いたその瞬間。
和臣さんが、私の方に寝返りを打った。
そして、目を閉じたまま、低く囁いた。
「俺……父親じゃない。」
「えっ?」
思わず、声が漏れる。
だけど、和臣さんはまた静かに寝息を立てはじめた。
……今のは、夢の中の言葉?
それとも、心の奥に隠していた、本音?
私は和臣さんの背中を見つめながら、胸の鼓動が速くなるのを止められなかった。
その日はよく眠れなかった。
和臣さんの「俺、父親じゃない」という言葉が、頭の中をぐるぐると巡って、目を閉じても眠りが遠かった。
朝――ようやくまどろんだところで目覚ましが鳴った。
「やば……寝坊した……!」
慌てて飛び起きると、キッチンから音と匂いが漂ってくる。
「早くしないと大学、遅れるぞ。」
ワイシャツ姿の和臣さんが、フライパンを手に振っていた。
きちんとアイロンがかかっていて、第一ボタンだけ外された襟元から、鎖骨が少し覗いている。
その姿に――私は、男の人なんだと改めて意識してしまった。
「はい、心音が好きな卵焼き。」
お皿に並べられた、ふっくらとした卵焼き。
一口食べると、ふと懐かしい味がした。
「……なんで、お母さんの味、知ってるの?」
思わず聞くと、和臣さんは少し困ったように笑った。
「それは……ねえ。」
視線を逸らしながら、曖昧に笑うその顔に、また胸がざわついた。
何かを隠しているようなその笑みが、気になって仕方なかった。
「うっ……くっ……」
喉の奥で声が詰まり、涙が頬を伝う。
まだ若かった母。
あまりに突然の事故だった。
信じたくない、でも、現実は変わらない。
私は、たったひとりになってしまった――。
その時だった。
「心音。」
背後からそっと呼ばれ、振り返ると、母の再婚相手である和臣さんがいた。
喪服に身を包んだその姿は、いつもよりずっと遠く感じられて、でもどこか安心した。
「辛いよな。でも、ひとりじゃない。」
そう言って、私の手を包み込むように握ってくれた。温かい。その温もりに、私は身体を震わせた。
ずっと、好きだった。
母がいたから、絶対に言ってはいけない想いだった。でももう、母はいない。
禁じられた恋が、喪失の悲しみの中で、静かに胸の奥から顔を出した。
和臣さん、あなたに触れられるたび、私は自分を止められなくなりそうで怖い。
「ありがとう、和臣さん……」
そう言ったあと、自分でも気づいてしまった。
私は一度も、彼を「お父さん」と呼んだことがなかった。
母の再婚相手として紹介されたあの日から、彼はずっと優しくて、家族として接してくれていたのに。
「私、どうしたらいいのか分からなくて……」
震える声でつぶやくと、和臣さんは静かに言った。
「一緒に暮らそう。お母さんがいなくなっても、俺が面倒を見るから。心音をひとりにはしないよ。」
その言葉に、堰を切ったように涙がこぼれた。
大きな胸に顔を埋めると、彼の温もりが全身を包む。
苦しかった心が、少しずつ溶けていくのを感じた。
「一人じゃないよ。心音には俺がいるから。」
何度も繰り返すその言葉が、私の弱さを優しく包み込む。
泣いて、泣いて、ようやく気持ちが落ち着いたとき、私は決めていた。
――この人と、生きていこう。
たとえそれが、家族という枠を壊してしまうとしても。私の心はもう、彼に向かって動き始めていた。
それでも時折、私は母の部屋をそっと開けては、その中に残された温もりを探していた。
タンスの上に飾られた写真立て。
そこには、母と和臣さんと、私の三人が並んで笑っていた。
明るい日差しの中で、母は優しく微笑んでいる。
「お母さん……」
写真を胸に抱きながら、目を閉じる。
声に出すと、どうしようもなく会いたくなった。涙が、またひと粒こぼれた。
その時だった。
カチリと音を立てて、ドアが開く。
振り返る前に、後ろからそっと腕が回される。
「心音は、いつもここにいるね。」
耳元で囁かれる低い声。和臣さんだった。
「心音は本当に、お母さんが好きだったんだね。」
「うん……」
私は頷きながら、彼の腕の中で目を閉じた。
温もりが、恋しかった。哀しみと安らぎが、同時に胸に満ちていく。
このまま、泣いてもいいですか。
そんな問いを飲み込んだまま、私は彼にそっと身を委ねていた。
それからというもの、和臣さんは私の涙にすぐ気づくようになった。
ふいに肩を震わせれば、何も言わずに背中を撫でて、そっと抱きしめてくれる。
その胸に顔を埋めるたび、トクン、トクンと穏やかな心音が響いてきて、自然と涙は止まっていた。
「落ち着く……」
そんな呟きが口からこぼれる。
それに、和臣さんの匂い。
洗剤とスーツの香り、少しだけ煙草の名残。
私がずっと欲しかった、大人の男の匂い。
あの日まで、母のものだったこの匂いが、今は――私だけのものみたいで。
「心音、大丈夫?」
覗き込むように、優しく見つめる和臣さんの顔。
その唇が近づくたびに、私は理性が揺らいだ。
抱きしめられるだけじゃ、もう足りない。
触れて、感じて、繋がりたかった。
どうしようもなく、キスがしたかった。
この人を、女として好きだと思ってしまった。
それは、もう家族なんかじゃない気持ちだった。
ある日、どうしても寂しくなって、私はつい、和臣さんの寝室に足を踏み入れてしまった。
朝の陽射しがカーテン越しに差し込む中、和臣さんはまだ眠っていた。
穏やかな寝息。いつもより少し無防備な表情。
その隣に、私はそっと横たわった。
同じ布団の中。こんなに近くにいるのに、胸が苦しくなる。
「んん……」
和臣さんが寝ぼけたように身じろぎをした。
今だったら……言えるかもしれない。
ずっと呼べなかった、あの言葉を。
「……お父さん。」
そっと呟いたその瞬間。
和臣さんが、私の方に寝返りを打った。
そして、目を閉じたまま、低く囁いた。
「俺……父親じゃない。」
「えっ?」
思わず、声が漏れる。
だけど、和臣さんはまた静かに寝息を立てはじめた。
……今のは、夢の中の言葉?
それとも、心の奥に隠していた、本音?
私は和臣さんの背中を見つめながら、胸の鼓動が速くなるのを止められなかった。
その日はよく眠れなかった。
和臣さんの「俺、父親じゃない」という言葉が、頭の中をぐるぐると巡って、目を閉じても眠りが遠かった。
朝――ようやくまどろんだところで目覚ましが鳴った。
「やば……寝坊した……!」
慌てて飛び起きると、キッチンから音と匂いが漂ってくる。
「早くしないと大学、遅れるぞ。」
ワイシャツ姿の和臣さんが、フライパンを手に振っていた。
きちんとアイロンがかかっていて、第一ボタンだけ外された襟元から、鎖骨が少し覗いている。
その姿に――私は、男の人なんだと改めて意識してしまった。
「はい、心音が好きな卵焼き。」
お皿に並べられた、ふっくらとした卵焼き。
一口食べると、ふと懐かしい味がした。
「……なんで、お母さんの味、知ってるの?」
思わず聞くと、和臣さんは少し困ったように笑った。
「それは……ねえ。」
視線を逸らしながら、曖昧に笑うその顔に、また胸がざわついた。
何かを隠しているようなその笑みが、気になって仕方なかった。
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