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4、聖女
③
元公爵令嬢の私に、家事はさせられないと、グレイブは通いのお手伝いを雇っていた。
隣に住むミーシャさんだ。
ある日、ミーシャさんの視線が、私の手にじっと注がれていることに気づいたのは、水汲みをしようとした時だった。
バケツに手をかけようとした私に、冷たい声が飛んでくる。
「その手で、水なんて汲まないでください。」
驚いて振り向くと、ミーシャさんが鋭い目をして私を見ていた。
戸惑いながらも手を引っ込めると、彼女はわざとらしく笑う。
「水仕事もしたことないような、真っ白な手。ああ、嫌だわ。」
その言葉は、鋭く胸に突き刺さる。
彼女の視線は私の指先をなぞるように追い、そこにある“貴族”の証を責めているようだった。
「いいわね、お嬢様は。どうやってグレイブを口説いたの? まさか、泣いてすがっただけ?」
心に刺さるような皮肉に、私は言葉を失った。
グレイブの隣に住むミーシャさんが、彼のことを好きだったなんて……今まで気づかなかった。
けれど、彼女の苦しみも、怒りも、少しだけ分かる気がする。
きっと彼のそばにいられると信じていたのに、突然、元公爵令嬢である私が現れて、彼の心を奪ってしまった。
でも――
「……口説いたわけじゃないわ。ただ、私が泣いていた時に、グレイブがそばにいてくれただけ。」
正直にそう答えた。
それが彼との始まりだった。
見栄も計算もない、本当にただ、泣いていただけの私を抱きしめてくれた、あの夜。
「あなたがどれだけグレイブを想っていたかは知らない。でも、私も……彼を失いたくなかった。それだけよ。」
ミーシャさんは黙っていた。
その瞳には、怒りとも、悔しさともつかない、複雑な光が宿っていた。
――私はまた誰かを傷つけてしまったのだろうか。
そう思うと、心が少しだけ痛んだ。
けれど、譲れないものが、私にもある。
たとえどれだけ恨まれても、私は彼を選んだ。
そして、彼に選ばれた――それだけは、誰にも否定させたくなかった。
グレイブが鍛錬を終えて帰ってくる夕暮れ時――
いつもその時間になると、私の胸は少しだけ高鳴る。
泥と汗のにおいを纏って現れる彼は、それでも私には誰より頼もしく見えて、扉を開けた瞬間、思わず笑みがこぼれる。
「ただいま」
その一言のあと、グレイブは必ず私を強く抱きしめてくれる。
「アーリンの顔を見ると、どうしても我慢できないんだ」
そう囁かれた瞬間、頬が熱くなる。
だが――
その時、必ず感じるもうひとつの視線。
ミーシャさんが、私たちをじっと見ている。
音もなく、表情もなく、けれど確かに、冷たい感情を滲ませた瞳で。
グレイブもそれに気づいている。
「こればっかりは、すまないな。ミーシャ」
気まずそうにそう言う彼の背中越しに、ミーシャさんの目が一層鋭くなった。
彼女は分かっているのだ。
いつか私とグレイブが、正式に夫婦になることを。
止めようのない流れだと。
それでも――気持ちは、止められないのだろう。
隣に住むミーシャさんだ。
ある日、ミーシャさんの視線が、私の手にじっと注がれていることに気づいたのは、水汲みをしようとした時だった。
バケツに手をかけようとした私に、冷たい声が飛んでくる。
「その手で、水なんて汲まないでください。」
驚いて振り向くと、ミーシャさんが鋭い目をして私を見ていた。
戸惑いながらも手を引っ込めると、彼女はわざとらしく笑う。
「水仕事もしたことないような、真っ白な手。ああ、嫌だわ。」
その言葉は、鋭く胸に突き刺さる。
彼女の視線は私の指先をなぞるように追い、そこにある“貴族”の証を責めているようだった。
「いいわね、お嬢様は。どうやってグレイブを口説いたの? まさか、泣いてすがっただけ?」
心に刺さるような皮肉に、私は言葉を失った。
グレイブの隣に住むミーシャさんが、彼のことを好きだったなんて……今まで気づかなかった。
けれど、彼女の苦しみも、怒りも、少しだけ分かる気がする。
きっと彼のそばにいられると信じていたのに、突然、元公爵令嬢である私が現れて、彼の心を奪ってしまった。
でも――
「……口説いたわけじゃないわ。ただ、私が泣いていた時に、グレイブがそばにいてくれただけ。」
正直にそう答えた。
それが彼との始まりだった。
見栄も計算もない、本当にただ、泣いていただけの私を抱きしめてくれた、あの夜。
「あなたがどれだけグレイブを想っていたかは知らない。でも、私も……彼を失いたくなかった。それだけよ。」
ミーシャさんは黙っていた。
その瞳には、怒りとも、悔しさともつかない、複雑な光が宿っていた。
――私はまた誰かを傷つけてしまったのだろうか。
そう思うと、心が少しだけ痛んだ。
けれど、譲れないものが、私にもある。
たとえどれだけ恨まれても、私は彼を選んだ。
そして、彼に選ばれた――それだけは、誰にも否定させたくなかった。
グレイブが鍛錬を終えて帰ってくる夕暮れ時――
いつもその時間になると、私の胸は少しだけ高鳴る。
泥と汗のにおいを纏って現れる彼は、それでも私には誰より頼もしく見えて、扉を開けた瞬間、思わず笑みがこぼれる。
「ただいま」
その一言のあと、グレイブは必ず私を強く抱きしめてくれる。
「アーリンの顔を見ると、どうしても我慢できないんだ」
そう囁かれた瞬間、頬が熱くなる。
だが――
その時、必ず感じるもうひとつの視線。
ミーシャさんが、私たちをじっと見ている。
音もなく、表情もなく、けれど確かに、冷たい感情を滲ませた瞳で。
グレイブもそれに気づいている。
「こればっかりは、すまないな。ミーシャ」
気まずそうにそう言う彼の背中越しに、ミーシャさんの目が一層鋭くなった。
彼女は分かっているのだ。
いつか私とグレイブが、正式に夫婦になることを。
止めようのない流れだと。
それでも――気持ちは、止められないのだろう。
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