月夜の砂漠に紅葉ひとひら

日下奈緒

文字の大きさ
上 下
3 / 32
夢か現実か

しおりを挟む
修学旅行の前日。

まだ私は、実感が湧かないまま旅行の準備をしていた。

「紅葉。修学旅行の準備、できたの?」

母親が皿洗いをしながら、聞いてきた。

「うん。一通りは。」

「じゃあ、お小遣いあげなきゃね。」

手を洗いながら、母親は財布から一万円を出した。

「わお。太っ腹‼」

感激しながら両手を出すと、母親は手をバチっと叩いた。

「その代わり、ちゃんとお土産。買ってくるんだよ。」

「わかってます!」

母親から万札を受けとると、頭を下げた。


「俺、八ツ橋がいい。」

お風呂から出てきた弟が、いつの間にか居間にいた。

「八ツ橋?」

「知らねえの?京都の名物。」

2歳も下なのに、その言い方に腹が立つ。

「お母さん、千枚漬けね。」

「千枚漬け!?」

すると母親は、じっとこちらを見ながら言った。

「あら、知らないの?京都の名物。」


弟の生意気な口調は、絶対母親譲りだと思った。


「はいはい。ちゃんと買って来ますよ。」

濡れた髪の毛を乾かしながら、私は二人に答えた。

「しかしねえ。」

「ねえ。」

母親と弟は、顔を見合わせて頷いた。

「何よ。」

「今時、修学旅行が京都って。」

弟がバカにしながら、言った。

「俺、中学生だけど修学旅行、沖縄だぜ?」

「沖縄ぐらいで、何威張ってんのよ。」

「いや、だからさ。国内旅行なんて中学生レベル?」

「何よ、それ。」

髪の毛を乾かしていたタオルて、弟を叩こうとしたら、避けられた。


「俺、姉ちゃんの高校だけは受験しねえわ。」

「は?」

「高校生になったら、海外に行きたいもんね。修学旅行。」


無言でもう一度、タオルを振り回したら、偶然弟に当たった。

「痛いな。」

「あんたが悪いんでしょ?」

不貞腐れた顔して、弟はリビングを出ていった。


「まあまあ、とっちでもいいじゃない?」

母親は慰めてくれたけれど、私の怒りは治まりきれなかった。



その日の夜。


私は、不思議な夢を見た。


「はぁはぁはぁ……」

皮膚がジリジリと焼ける。

咽が異常に渇く。


歩いても歩いても砂の世界。


「何なの?ここ……」

やけに足を取られる。

それが、やけに現実味を滲ませた。

「どこまで行けばいいの?」

果てを知らないその世界。

上を見上げれば、太陽が生まれて初めて、大きく感じた。


体に力が入らなくて、ふらっとした後、その場に膝を着いた。

「私、このまま死んじゃうのかな。」

そう呟いて目の前に、倒れこんだ。

全身が暑い。

上からも下からも、体を焼かれている気がした。


砂から湯気が出ている。

おそらく砂に含まれる僅かな水分まで、その暑さは奪っているのだ。

「もうダメだ。」

目がトロンとして、開いていられなかった。


死を覚悟したその時だった。

遠くから動物の鳴き声がした。


その音はやがて私に近づいてきた。

そして、聞こえる人の足音。


ん?人?


「大丈夫か?」

肩に触れる手の温もり。

私はすぐさま目を開けた。

「おい。生きているんだな。」

白い服装と黒い服装の男二人。


やった。

助かった。


「う……ん……」

私は声を振り絞った。

「しっかりしろ‼」

白い服装の男に抱き抱えられ、口許に硬い何かが当たった。

間もなくそこから水が流れ落ち、私の体の中に水分が入ってくる。


私は両腕でそれを持ち、中から出てくる水をゴクンゴクンと飲み干した。

「慌てるな。ゆっくりと飲め。」

そんな忠告も聞かずに、ありったけの水を体に入れようと必至だった。


「はあ……」

飲み干すだけ飲み干して、私は深呼吸を繰り返した。

「よかった。死んではいないようだ。」

「はい。」

二人の声を聞き、私は改めてその人達を見た。

日本人と同じ褐色の肌。

濃い顔つき。

そこが砂漠だった事と、白黒の衣装が、この二人をアラブ人だと、私に教えてくれた。


「あの……ありがとうございます。」

私は水筒を持ちながら、頭を下げた。

「礼には及ばない。何よりも生きててよかった。」

白い服装の男の人が言った。


整った顔の作り。

品のある振る舞い。

優しそうな笑顔。

どれも私の心を捉えて、離さない。


「どうした?」

「……いえ。」

うなづくと、手を差し出された。

私は持っていた水筒を渡す。

白い服装の人は、それを黒い服装の人に渡すと、もう一度私に手を差し出した。

「立てるか?」

その手を握り、なんとか私は立ち上がった。


「そなた、名はなんと申す?」

「……紅葉です。」

「クレハか。良い名前だ。」

そんな事言われた事がなくて、恥ずかしくなった。


「クレハ。なぜ砂漠の中を歩いていた?」

「さあ?」

「分からぬのか?」

「はい。」

すると黒い服装の人が、腰にあった刀に、手をかけた。

「ひぃ!」

私は2、3歩後ろへ下がる。

「ハーキム。止めろ。」

「しかし!」

「よいのだ。」

白い服装の人に言われ、"ハーキム"と呼ばれた黒い服装の人は、刀から手を離した。


「クレハ、許せ。ハーキムは、俺の大事な友。俺を守ろうとしての行動なのだ。」

「はあ…」

白い服装の人の、瞳の奥が深くて、私は吸い込まれそうになった。


「俺の名前は、ジャラール。この先のオワシスまで行くのだ。クレハは?」

「いや、私は……」

そこで、ふと頭に引っかかることがあった。


ジャラール。

どこかで聞いた事がある名前。


「クレハ?」

「あっ、いや、その……全く行き先なんて決めていなくて……」

黒い服装のハーキムさんは、私を見ながら深いため息をついた。

「でしょうね。ターバンも巻かずに砂漠を歩くなんて。」

「へ?」

「無防備にも程がある。クレハ殿は、命を粗末にする気か?」

「はあ……」

そんな事言われたって、普段そんな物は被んないし、砂漠だって歩いた事はない。


「だめだ。ジャラール様、このような者、相手にするべきではありません。先を急ぎましょう。」

「まあ、いいではないか。ハーキム。」


なんかよく分からないが、ハーキムって人は、私が普通の洋服で砂漠を歩いていたことに、嫌悪感を抱いているみたい。

いや、私もなんかこの人、好きになれそうにないけど。


「一日でも早く宝石を持ち帰らないと、ネシャート様が……」


ん?

ネシャート?

益々聞いた事がある!


ジャラールにネシャート。

私の頭の中に、図書室で見た本が浮かんだ。


「ああっ‼」

思わず指を指す。

「どうした?」

どこかで聞いた事があるって、この人。







あの本に出てくる主人公だよ!!


く~~

本のイラストよりも爽やか系でいい男だよ。

アラブ系でもこんな人いるの?

ヤバイ!

アイドルみたい。


「クレハ?」

「は、はい?」

「急にどうした?」

一気に不信な視線をなげかける二人。

「あっ、いや。なんでもない。」

まさかカッコ良すぎて、興奮していたなんて言えない。


「ハハハ!」

しかもジャラールさん、笑ってるよ。

「面白い女だ、クレハは。」

「あっ、ありがとうございます。」

一応、お礼は言っとく。


「どうだ?クレハ。もし行き先が決まっていないなら、俺たちと一緒に旅をしないか?」

「旅!?」


うそ………

私、あの本の主人公に誘われている!?


「ジャラール様。まだ何者か分からぬのに。危険です。」

「大丈夫だ、ハーキム。クレハは我々を騙すような人間 ではない。」


心臓がドクンっと、波打つ。

この人、私の事信じてくれた。

「共に参ろう。」

そう言って、ジャラールさんはスッと右手を差し出してくれた。 
しおりを挟む

処理中です...