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第十章 闇夜に咲く胡蝶蘭

永遠に覚めぬ夢の中で

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 手を取られ歩き出すや、私はふらついてしまう。少しばかり、呑み過ぎたようです。

 私たちが観覧席からも見える位置に来たからか、大歓声が巻き起こっていました。

「呑みすぎた……」

「馬鹿だな。アナは……」

 流石に口を尖らせるしかない。

 ルークに馬鹿と言われては格好が付かないのよ。

 ならばと私は酔い覚ましも兼ねて、浄化魔法を唱えます。

「ハイピュリフィケーション!!」

 煌めく光の粒が会場を包み込む。

 あらゆるものを浄化するこの魔法にて、私の酔いだけでなく、会場中の穢れもなくなったことでしょう。

 再び大歓声が私たちに送られました。

 火竜の聖女たる私の浄化魔法は神秘的な輝きでもって、来場者の心を掴んだようです。

 テラスの外に咲き誇る胡蝶蘭と合わせて、浄化魔法は神々しい雰囲気を醸し出していました。

「もう酔いは醒めたわ。私のダンスについてこれるかしら?」

「言ってろ。俺はもう昔の俺じゃねぇよ」

 再び手を取って中央へと進む。

 私たちを待っていたのか楽団が演奏を始めました。

 軽快なワルツに乗って、ダンスが始まる。少しばかり緊張していたのはここだけの話です。

 自分の気持ちに気付いてから、ルークと普通に接しているのも初めてなのですから。

「やるじゃない?」

「もっと暴れてもいいぞ? これならイセリナの方が大変だったくらいだ」

「何ですって!?」

 何だか前世に戻ったかのよう。

 私は敬語も忘れて、ルークと会話していました。

 前世では幾度となく踊ったのよ。このような冗談を口にしつつ、様々な場所で踊ったんだ。

 王国だけでなく、それこそ国賓として外国でも。


 夢のような時間。観衆の雑音はまるで気にならない。

 この瞬間こそが人生のクライマックスなのだろう。

 私はそんなことを考えていました。

 憧れの舞台で好きな人と踊ることが、こんなにも心に響くなんて。許されるのなら、何曲でも踊っていたいと感じてしまう。

 二曲目はスローバラードでした。恐らくは楽団による私への忠告だろうと思われます。

 夢の時間はもうタイムリミットなのだと。婚約者の代理は繋ぎでしかないことを明確にしていました。

「誘ってくれてありがとう」

 抱き寄せられ踊る私はふと感謝を口にしています。

 一人でお酒を呑んでいたとすれば、この思い出は手に入らなかった。この人生を納得をして終わらせることなどできなかったことでしょう。

 永遠にこの時間が続けばいいのに。

 想いを寄せる彼に身を委ね、難解な愛のパズルを解いていきたい。辿る未来は分かっていても、私はそのような願望を夢見ている。

 前世で成し遂げられなかったことが、この人生ならきっとできたのにと。

「変わってないな、アナは……」

 不意にそんな言葉をかけられていました。

 変わってない? 私はあの頃、十二歳だったんだよ?

 色々と変わっているというのに、貴方は何を言っているの?

「胸が当たっているのに、変わっていない?」

「わ、馬鹿! そんなんじゃねぇよ! てか、体型はその……立派になったな……」

 私は笑みを零す。

 別にからかったわけでもなかったのですけれど、照れる彼が前世と違いすぎて、おかしく思えています。

 やはり、この世界線は別の世界なんだ。凄く積極的だった彼はウブな少年のよう。年齢もあるでしょうけれど、とても新鮮な反応でした。

 過度に掻き回した末の世界。ようやく私は区切りを付けられたように思います。

 私が知るあのルークと、この世界線のルークは別人なの。

 異世界線のあの人を押し付けるのは違うし、そんなことしたくもない。

 この世界線のルークが選んだのはイセリナであって、私ではなかった。子爵令嬢という身分で生まれた瞬間から、それは決まっていたことなのよ。

「雰囲気は何も変わってない。強気な性格もそうだし、君には壁のようなものを感じないんだ……」

 ルークは理由を語る。私が変わっていないというわけ。

 強気な性格は放って置いて欲しいのだけど、壁を感じないのはおかしいように感じる。

「私は子爵令嬢ですの。王家の皆様には敬意を……」

「そうか? 俺には感じないけどな。だから、俺は過ちを犯した。アナが抱えていた問題に気付かなかった。もしも、俺が何もしていなかったなら、アナの失踪理由に俺は関係なかっただろう。今も対等な関係を築けていたのかもしれない」

 それは恐らく真実でしょうね。

 でも、貴方がキスをしようとしたことは運命だから。あんなところでセーブした女神アマンダの責任なのよ。

「人は運命に抗えない。人生とは儚いもの。正答を引き続けるなんてできやしない。過ちを重ねたものこそが人生だと思うわ」

 死に戻ったとして、正解が分からないのよ。

 一度の選択で正解を引き当てるなんて無理ゲーだから。

「達観してんな? 確かに人生の選択ってのは難しい。でもな……」

 ルークは同意しつつも、反論のようなことを口にしています。

「アナをダンスに誘った選択だけは間違っていないと思う」

 私は息を呑んでいました。

 どうしてそんなこというの?

 私を惑わさないで欲しい。私としても最良の選択だったけれど、貴方も同じように考えているの?

「じゃあ、最低の選択ってしたことある?」

 私は問いを返しています。

 かといって、それは明確な回答がある問いだ。

 なぜなら、つい先ほど聞いたばかり。彼が十二歳の頃に過ちを犯したのだと。

「最低な選択などなかったと信じたい。アナと出会い、嫌われたことや、イセリナとの婚約についても……」

 ところが、私の予想は間違っていたようです。

 ルークはルークなりに前を向いていました。間違いがあったと認めてしまえば、前を向けなくなってしまう。

 王子としての自覚か、彼は強く未来を見据えていました。

「イセリナは良い子よ? 怠け者だけど……」

「何度か会って、それは理解した。最初は誰も幸せになれないのではないかと考えていたけれど、たぶん現状が最も適切な選択だと分かったよ」

 家格の問題が貴族にはある。まして彼は王家の人間であり、第一王子でもあった。

 ど田舎の下位貴族を選ぶなんて、初めから選択肢としてありません。

「だけど、この先の選択について、俺には少しばかり望みがある」

 どうしてか、ルークがそんな話を始めた。

 婚約をした現状は貴族院を卒業して、成人となるだけ。そのあとは自動的に結婚という流れだというのに。

「セシルだけは選ばないでくれ……」

 身勝手な願望が告げられていました。

 自分自身に対してではなく、それは私だけに向けられたもの。私の選択を奪う望みに他なりません。

 しかしながら、私は頷いています。

 このダンスで踏ん切りがついた。私が目指すべき世界。全うすべき世界の行く末について。

「私は誰とも婚約いたしません」

 これで良いのよ。全てが終わったなら、スカーレット子爵家に戻って、ほのぼの開拓ライフでも始めるわ。

 弟であるレクシルのお嫁さんにウザがられながら、私は生きていくのよ。

「ありがとう、アナ。俺も心残りがなくなった」

 ある意味において、これは別れなのでしょう。

 向かい合う愛はその勢いのまま、すれ違っていく。

 そのルート上に、重なり合う場面など存在しないかのように。


 スローバラードがフェイドアウト。耳に残る余韻が少しずつ失われていった。

 愛の終わりを告げる調べ。

 長きに亘って紡がれた愛はこのときをもって、エピローグを迎えました。

 イセリナとルークを祝福しつつ、私は表舞台から去って行くだけ。

 今夜のダンスを生涯の宝物として、私は生きていくの。

 思い残すことがあるとすれば、ルークに私の本心を伝えられなかったことくらいしかありません。

 だけど、今となってはです。だからこそ、私は心の中で呟く。

 表層的な感情ではなく、心からの気持ちを込めて。


 好きよ――――。
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