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35.陽、招く
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積み重なった睡眠負債はいまも水岡の身体の奥底にこびりつき、背骨を引っぱるようなだるさを伝えてくる。それなのに、首から上は電流でも流されたみたいに神経が高ぶって、陽のくちびるがこすれる音すら聞き分けられそうだった。
指一本分くらいうすく開いたそのすき間の奥の熱をもう知っている。
「これ以上、一秒だって思い煩いたくないのに、あなたのことを思い出すたびに眠れなくなる。暑い日に水に飛びこむみたいに、むちゃくちゃに触りたくなる」
ここまであけすけに言えばさすがに引くだろうと思ったのに、陽は一瞬視線をさまよわせたものの、逃げなかった。
伏せかけたまぶたを上げ、眉を寄せる。
「ええと……俺は謝るべき?」
「別に」
「じゃあなんで俺のせいなんて言うの」
「知らないです。でもそうなっちゃってるんだからしょうがないでしょ」
開き直ってはっきり言うと、すいと伸ばされた指先に耳をつままれた。焼きゴテでもあてられたようにびくりと身を引く。
「なにするんですか!」
「余計寝られなくしてやろうと思って」
「悪魔」
「そうだよ。だから、自分の欲求を優先しちゃう」
いっそ思いっきり触ってみたら? と悪魔は言った。
「腹が減ったら思う存分食べるみたいに、満足するか飽きるかしたら落ち着くんじゃない?」
「あなたはそれでいいんですか」
「いいよ。俺も触ってほしいし」
「は? なんで」
「好きだから」
おかしい。
十二月だというのに、一年で一番夜の長い日だというのに、身体は熱いし辺りはまぶしくてたまらない。
人質にとられていたペンライトを差し出されてつい手を伸ばすと、手首ごとつかまれた。度数の高いアルコールをぶっかけられたように、全身の皮膚が鋭敏になる。
この男はわかってやっているんだろうか。
かっと頭に血が上った。苛立ちにも似た衝動のまま腕ごと引っ張ってやりたくなるのをこらえる。
「好きですよ。だから触りたいし触られたい」
水岡の葛藤に気づいているのかいないのか、陽はプレゼントをもらった子どもみたいな顔で笑った。
かなわないと思った。
さっさと手放したくて仕方なかったはずなのに、繋いだ手を離せる気がしない。
あなたは? というように見つめられて、水岡は白旗を上げた。
「触りたいです」
陽は口を開かない。不思議に思って、自分が大切なことを言い忘れていることに気づく。
「好きだから」
よくできました、というかのように笑みを深めると、陽はあっさりと手をほどいた。スーツの内ポケットから取り出したキーケースを渡される。
「イベント、十時までなんです。片付けとかして、撤収は日付越えちゃうかも」
手のひらに落とされた銀のカギは、雪みたいにあっという間に体温と馴染んでいく。
◇
なにせ予算がカツカツだから、搬入も搬出もできうる限り手弁当だ。
すべての物品をあるべきところへ返却し、解散となったのは真夜中をとうに過ぎてからだった。
携帯を確認する。連絡はない。
カギを使わず家に入るのがはじめてで、オートロックの文字盤でちょっとだけ迷う。起きてるかな。寝てるかな。その前に、部屋に来ているとも限らないわけで。
あらゆるシミュレートをしてみても、不思議と心は落ち着いていた。疲れているからだろうか。銀色の呼出ボタンが冷たくて、スマホをずっとにぎりしめていた手が温まっていることを知った。
玄関を開けてくれた水岡は、ラフな格好をしていた。整髪剤で固められていた髪もほどけて、陽のよく知る優しい香りがする。
「シャワー浴びた?」
「一度、家帰ったんで」
風呂に入って着替えて、わざわざ来てくれたという。「あ、そうなんだ」とか何でもないふりをしてその実、めちゃくちゃ緊張した。
え、なんで?
告白したときも、カギを渡したときも、インターフォンを鳴らしたときも、あんなに平気だったのに。
緊張して動揺したから、腕にひっかけていたビニール袋を下ろす前にコートを脱いで、結果荷物が派手に転がった。
ドラッグストアの袋から、商品が飛び出す。
「あ」
拾い上げた水岡が固まった。
節くれだった手の中にある透明なボトル。
そりゃあ固まるよね。ごめんねデリカシーなくって。でもとんとご無沙汰だったから用意もないし、痛いの嫌だし。いや、別に使わなかったら使わなかったでいいんだけど、念のためってだけで。
「えっと」
「かぶった」
「は?」
顔をあげると、口元を押さえた水岡がふらふら視線を泳がせている。その視線をたどると、部屋の隅にまとめられた彼の荷物、その前に、同じ店のロゴの袋が。
同じ形のボトルが二本並ぶと、とたんに業者感が出て、気恥ずかしさよりおもしろさが上回る。
「うーん、とりあえず相撲でもする?」
「は? なんで」
伝わらないかな、と思っていたけど案の定で、その怪訝そうな顔がまたおもしろくて笑った。
やっぱ箱入り。なのに、どんな顔してローションなんて買ってきたんだか。
笑えば笑うほどぽろぽろいろんなねじが外れていくようで、一向に笑いが止まらない陽に痺れを切らした水岡が、
「さっさと風呂入ってきてください」とぐいぐい背中を押してきてまた笑った。
こんなものを買ってくるくせに、そんな、水たまりに張った薄氷を拾うような手つきで触るんじゃない。
指一本分くらいうすく開いたそのすき間の奥の熱をもう知っている。
「これ以上、一秒だって思い煩いたくないのに、あなたのことを思い出すたびに眠れなくなる。暑い日に水に飛びこむみたいに、むちゃくちゃに触りたくなる」
ここまであけすけに言えばさすがに引くだろうと思ったのに、陽は一瞬視線をさまよわせたものの、逃げなかった。
伏せかけたまぶたを上げ、眉を寄せる。
「ええと……俺は謝るべき?」
「別に」
「じゃあなんで俺のせいなんて言うの」
「知らないです。でもそうなっちゃってるんだからしょうがないでしょ」
開き直ってはっきり言うと、すいと伸ばされた指先に耳をつままれた。焼きゴテでもあてられたようにびくりと身を引く。
「なにするんですか!」
「余計寝られなくしてやろうと思って」
「悪魔」
「そうだよ。だから、自分の欲求を優先しちゃう」
いっそ思いっきり触ってみたら? と悪魔は言った。
「腹が減ったら思う存分食べるみたいに、満足するか飽きるかしたら落ち着くんじゃない?」
「あなたはそれでいいんですか」
「いいよ。俺も触ってほしいし」
「は? なんで」
「好きだから」
おかしい。
十二月だというのに、一年で一番夜の長い日だというのに、身体は熱いし辺りはまぶしくてたまらない。
人質にとられていたペンライトを差し出されてつい手を伸ばすと、手首ごとつかまれた。度数の高いアルコールをぶっかけられたように、全身の皮膚が鋭敏になる。
この男はわかってやっているんだろうか。
かっと頭に血が上った。苛立ちにも似た衝動のまま腕ごと引っ張ってやりたくなるのをこらえる。
「好きですよ。だから触りたいし触られたい」
水岡の葛藤に気づいているのかいないのか、陽はプレゼントをもらった子どもみたいな顔で笑った。
かなわないと思った。
さっさと手放したくて仕方なかったはずなのに、繋いだ手を離せる気がしない。
あなたは? というように見つめられて、水岡は白旗を上げた。
「触りたいです」
陽は口を開かない。不思議に思って、自分が大切なことを言い忘れていることに気づく。
「好きだから」
よくできました、というかのように笑みを深めると、陽はあっさりと手をほどいた。スーツの内ポケットから取り出したキーケースを渡される。
「イベント、十時までなんです。片付けとかして、撤収は日付越えちゃうかも」
手のひらに落とされた銀のカギは、雪みたいにあっという間に体温と馴染んでいく。
◇
なにせ予算がカツカツだから、搬入も搬出もできうる限り手弁当だ。
すべての物品をあるべきところへ返却し、解散となったのは真夜中をとうに過ぎてからだった。
携帯を確認する。連絡はない。
カギを使わず家に入るのがはじめてで、オートロックの文字盤でちょっとだけ迷う。起きてるかな。寝てるかな。その前に、部屋に来ているとも限らないわけで。
あらゆるシミュレートをしてみても、不思議と心は落ち着いていた。疲れているからだろうか。銀色の呼出ボタンが冷たくて、スマホをずっとにぎりしめていた手が温まっていることを知った。
玄関を開けてくれた水岡は、ラフな格好をしていた。整髪剤で固められていた髪もほどけて、陽のよく知る優しい香りがする。
「シャワー浴びた?」
「一度、家帰ったんで」
風呂に入って着替えて、わざわざ来てくれたという。「あ、そうなんだ」とか何でもないふりをしてその実、めちゃくちゃ緊張した。
え、なんで?
告白したときも、カギを渡したときも、インターフォンを鳴らしたときも、あんなに平気だったのに。
緊張して動揺したから、腕にひっかけていたビニール袋を下ろす前にコートを脱いで、結果荷物が派手に転がった。
ドラッグストアの袋から、商品が飛び出す。
「あ」
拾い上げた水岡が固まった。
節くれだった手の中にある透明なボトル。
そりゃあ固まるよね。ごめんねデリカシーなくって。でもとんとご無沙汰だったから用意もないし、痛いの嫌だし。いや、別に使わなかったら使わなかったでいいんだけど、念のためってだけで。
「えっと」
「かぶった」
「は?」
顔をあげると、口元を押さえた水岡がふらふら視線を泳がせている。その視線をたどると、部屋の隅にまとめられた彼の荷物、その前に、同じ店のロゴの袋が。
同じ形のボトルが二本並ぶと、とたんに業者感が出て、気恥ずかしさよりおもしろさが上回る。
「うーん、とりあえず相撲でもする?」
「は? なんで」
伝わらないかな、と思っていたけど案の定で、その怪訝そうな顔がまたおもしろくて笑った。
やっぱ箱入り。なのに、どんな顔してローションなんて買ってきたんだか。
笑えば笑うほどぽろぽろいろんなねじが外れていくようで、一向に笑いが止まらない陽に痺れを切らした水岡が、
「さっさと風呂入ってきてください」とぐいぐい背中を押してきてまた笑った。
こんなものを買ってくるくせに、そんな、水たまりに張った薄氷を拾うような手つきで触るんじゃない。
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