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22話 フランの二つの心

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 キリウスとレオナードがカチラノス国に向かったその日の午後、女王のレーナは財務担当大臣のカテリア・デ・ニーサルの執務室を訪れていた。
 「お話し、というのは何ですかな?女王陛下」
 神経質な青白い顔に不機嫌そうな表情を貼りつけているのはいつものことだが、頼み事のあるレーナは「えっとね・・・あのね」と、なかなか話を切り出せずにいた。
「女王陛下、用がないなら帰っていただけませんか。私は今年度の予算案制作で忙しいのです。各大臣からの要望書に目を通して・・・」
「う~~っ、わかってますってば。・・・あのね・・・実は、レオナードとフランのことなの」
「?陛下の侍従と侍女がなにか?」
 レーナは意を決したように、ニーサルを琥珀色の瞳で見つめて
「結婚するのよね。それで相談があるのだけど」
 相談という言葉に反応したニーサルが、読んでいた書類から顔を上げて、訝し気にレーナを見た。
「結婚ですか、それはめでたいですな。・・・それで相談というのは」
 身構えているような気配は、今までにレーナが『相談』と持ちこんできたのはニーサルの思考の範囲内にないものばかりだったのだ。眉間にシワを刻みつつニーサルは尋ねた。
「今度は何ですか、女王陛下」



 財務担当大臣の執務室から戻ったレーナが妙に機嫌がいいのを見て、何か企み事が上手くいったのだな、と思いながらフランは午後のお茶を3人分用意した。
 リュシエールのケーキだけ3割増しで切り分けたフランは手を止めて、談笑している3人を見た。
 レーナ様、リュシエール様、イリア様・・・なんて美しい光景なんだろう。これにキリウス様が加わったら、見ている者は魂を奪われてしまうに違いない。見慣れているはずの私でも、気がつくと見惚れているんだもの。
 ほーっ、と悩ましい溜息をついてから、フランは侍女の顔に戻りケーキの皿を配った。
 それにしても・・・レーナ様は気づいていらっしゃるのか。
 次期魔教皇リュシエール様と懇意にしていることが、アリーシャ様への祝福の魔法で全世界に知れわたってしまった・・・魔教皇様はこの世界すべての魔法使いを統べるお方だ。魔教皇様と親交を深めているということは、ローマリウス国は絶大な権力を手にしているのと同じだ。
 しかも、その許嫁はレーナ様の身内のような少女だ。
 フランは3人がお茶を楽しんでいるテーブルの横に置かれた赤ちゃん用のベッドで、スヤスヤと眠るアリーシャに視線を移した。
 まだ生まれたばかりなのに、もう他の大陸の王侯貴族や皇族からも『婚約』の申し込みが殺到してると、外務担当大臣が嘆げくのをフランは聞いた。
 アリーシャ用の子供部屋も毎日の贈り物や貢物でもう置く場所もない。
 絶大な権力を持つ王国の、絶世の美貌を持つ王女。
 その恵まれ過ぎた環境がかえって不幸を呼び寄せるかもしれない。
 私が、お守りしたい。この小さな王女様を・・・産声を上げたときからずっと見てきたのだ。これからもずっと成長を見守っていたい・・・
 ・・・でも
 レオナードと結婚したら、侍女も辞めなければならない。朝の目覚めから夜の就寝まで主君の世話をする侍女の仕事が結婚生活と両立できるわけはない。
 レオナードといっしょになりたいと狂おしく思う一方で、レーナやアリーシャの側を離れたくないと切望もする。
 二つの思いに引き裂かれながらフランはぎゅっと唇を噛んで、安らかな寝息をたてるアリーシャを見つめていた。

 

 フランさん・・・どうしたんだろう。浮かない顔でアリーシャ様を見つめているけど・・・
 私はおやつのケーキを食べながら、そっとフランさんを横目で見た。レーナ様にフランさんは今はレーナ様の侍女で、元はヨークトリア国のお姫様の側近だったということは教えていただいた。
 その時のことはリュシエール様も関わっているみたいだけど、リュシエール様はなんだかコワイ笑みを浮かべただけで、何も教えてくれなかった。
 きっと、私は知らないほうがいいのかもしれないって思って、詳しくは聞かなかったけど。
 「それで、二人はいつ結婚するの?」
 レーナ様の質問に私はハッとして、リュシエール様を見た。
 リュシエール様はなんと答えるのだろうか。
「う~ん・・・そうだね、僕が正式に魔教皇になったら、その時に考えるよ。父さんはまだまだ現役で頑張りそうだから・・・」
 モグモグとケーキをほおばりながら、そう答えた。
 その時に考える・・・か。
 そうだよね。それは嘘じゃない。
「そんなの何も決まってないのと同じじゃないの。イリアはそれでいいの?」
 レーナ様に答えを振られて、私は「リュシエール様の決めたことなら・・・お任せしています」と、殊勝に答えたけど、レーナ様は納得がいかなかったみたい。
「リュシエール、イリアを弄んでるんじゃないでしょうね。この子はいい子よ。フザケ半分で婚約とか結婚とかいう話をしているのなら、私はあなたを見損なうわ」
 レーナ様の目は本気だ。本気で私を案じてくれてるのがわかる。
 なのに、私は嘘をついてるんだ。本当はカリソメの許嫁なのに・・・
「レーナ。僕だって人を見る目はあるつもりだよ。イリアがいい子なのは僕が1番よく知ってる。だから僕はイリアを許嫁に選んだんだ」
 『仮初カリソメ』って言葉は抜けているけど、リュシエール様は嘘は言ってない。
 それよりも、私が気になったのは・・・
 『いい子』・・・かな、私。
 レーナ様に心配してもらってるのに、本当のことを隠してるのが、いい子っていえるのかな。
 レーナ様だけじゃない。魔教皇様も、友だちのミディアも、皆をダマしている。
 それから・・・1番ダマしているのは自分自身の心。
 本当は、本物の許嫁になれたら、どんなにいいだろうって・・・思うのに、思ってないふりをしている。
「レーナ様。私はリュシエール様の許嫁になれて幸せなんです。どうか、心配しないでください」
 ニッコリと笑いながら私はそう言った。
 レーナ様の目に、私が幸せそうに映るといいな、と思いながら。
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