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31話 王の選択

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 長い、永劫に続くかと思われる沈黙の時が流れた。
 生命のない銅像のようだったカチラノス王が不意に動いた。
 あまりに唐突な動きにキリウスさえ反応が遅れた。カチラノス王はまるで質量のない動きで地下部屋を出ると、外から施錠したのだった。
「な」
 何をする、と言っても無駄だと瞬時に悟ったキリウスは扉に駆け寄り蹴破ろうとしたが、頑健な扉はびくともしなかった。
「カチラノス王、これが貴方の答えか」
 キリウスの声に扉の向こうのカチラノス王が反応した。
「申し訳ありません・・・ローマリウス王。・・・私は、どうしても、王妃といっしょにいたいのです。もう、2度と失いたくはないのです」
「まがい物でもか」
 少しの沈黙のあと「私にとっては化け物であろうと、クリステルはクリステルです。愛する女性です」
 その声に微塵の迷いもなかった。
「国王陛下、カチラノス王は王妃様を生かす選択をなされた。ですから、秘密を知った私たちをここから出すつもりはないようです」
 案の定、剣呑な事態になった、とレオナードは眉に険を刻んでキリウスを見た。
「たぶん、私たちが生きてここから出ることは叶わないと思います・・・そろそろ、夕暮れ・・・陽が沈めば闇は濃くなり妖しも動き出すでしょう」
 キリウスとレオナードはさっき王妃が消えていった奥の闇を見た。そこにはうっすらとカーテンで仕切ったベッドが見える。今は王妃が静かに眠っているのだろう。
「つまり。俺たちを王妃のエサにするつもりか」
 キリウスは丸腰で来てしまったことを悔いた。せめて剣があれば互角に戦えるものを。
「素直にエサになるつもりはないのですが・・・いくら人間離れした陛下でも素手で妖しと闘うのは分が悪いと思います。かといって・・・」
 見回しても、王妃のために女性らしい装飾が施された部屋には武器として使えそうなものは見当たらなかった。
 妖しと化した王妃と対峙すれば、自警団の男たちのように血を吸われてミイラのようになるに違いない。遺体は町中に転がしておけば、護衛も付けずに他国を訪れた不用意なローマリウス王が妖しに襲われた、という筋書きができるはずだ。
「隠れますか?国王陛下。そうしたら少しは時間が稼げるかもしれません」
 レオナードの言葉に分かりやすく嫌そうな表情になったキリウスは「俺に隠れろと言うのか?そんな不名誉なことをしろと言うのか?お前は何年俺の侍従をしている」
「レーナ様とアリーシャ様のためでも、お隠れになるのは嫌と言われますか?」
 ぐっとキリウスが詰まった。
 苦渋の決断を突き付けた侍従を冷めた青い瞳で睨みつけた。
「卑怯だぞ」
「ええ。勝機が少しでもあれば、私は卑怯者でも裏切り者でもなります。私が抗うのは愛しい女性ひとを悲しませたくないからです」
 侍従の真っ直ぐな答えにキリウスは気圧けおされた。
 フランと出会う前のレオナードなら主君の名誉のために命も投げ出していたはずだ。
「・・・わかった・・・隠れるとしたら・・・」
 キリウスは部屋を見回して「テーブルの下はもってのほかだな。こんなところに隠れるのはレーナくらいだ」
 こんな状況でもレーナの名を口にする時のキリウスは楽し気だった。
「隠れるのは衣装棚くらいしかなさそうですね・・・クリステル王妃が私たちが部屋にいることを知らなければ、一晩ほどはしのげるはずです」
 そう言って衣装棚の扉を開けたレオナードだったが、中の狭さに浮かない表情になった。
 男二人で密着はしたくない、とその顔は語っていた。
 キリウスも渋い顔をして衣装棚の中を見ていたが、王妃が寝返りでもしたのか、奥の闇が微かに動く気配を感じて
おまえとくっつきたくはないが、しかたあるまい」
 そう言ってレオナードを押し込めると自身も中に入って扉を閉めた。
「・・・・・・・・陛下、とてつもなく姿勢が苦しいのですが」
「我慢しろ。俺だって、固い男の身体など触っても面白くない」
 そういう問題じゃない。
「・・・・・・・・今頃・・・ローマリウスでは夕食の時間ですね」
「俺たちは夕食にされそうだがな」
 笑えない。
「陛下、私に幸運だったことがあるとすれば、フランと結婚していなかったことです。結婚してすぐにフランを後家にする不幸は免れました」
 キリウスは普段寡黙な侍従の饒舌に眉をしかめた。それだけ緊張をしているということか。
「俺はこんなところで、男と心中するつもりは・・・」 
 ない、と言いかけてキリウスは口を噤んだ。レオナードにも黙るように目で合図した。
 闇が動いた。
 衣装棚の中が暗闇だったせいもあり、神経は研ぎ澄まされて、外の様子が手に取るように分かった。
 クリステル王妃がベッドから這い出てきたようだ。
 前に現れたときには、まるで幽玄のように儚かった王妃の気配が、今は重苦しいほどの存在感を現している。
 王妃が引きずるように身体を扉の前まで移動させた。
 ガリガリと扉をひっかく音がキリウスとレオナードの耳に不快感を与えた。いつもなら王妃が餌を求める時間は扉は開け放しているのだろう。
 いつもなら。
 いつもと違う様子に王妃が首をかしげた・・・ようにキリウスには思えた。
 しばらく続いていた扉をひっかく音が不意に止んだ。
 このまま大人しく寝床に戻ってはくれないだろうか、と、わずかな期待を込めて息をひそめていた二人だったが、期待は虚しく王妃は部屋をうろつき始めた。
 レオナードがゴクリと唾を飲みこんだ。緊張のためか嚥下の音さえ妙に大きく聞こえる。
 部屋の中をずるずると足を引きずって歩くような音が急に止んで静かになった。
 静けさがしばらく続いた後に声がした。
「あなた・・・どうして私を閉じ込めてしまったの?あなた・・・一人は寂しいわ」
 細く、かよわく、悲し気な声だった。
「胸が苦しいの・・・私、どうしてしまったの?とても、悲しいわ」
 これは罠だと、キリウスの勘が言っていた。レオナードも警戒の色を瞳に浮かべている。
 お互いの意思の疎通を図ったように顔を見合わせた二人の耳に、音が飛び込んできた。
 鍵が解かれて、頑健な扉が開かれる音が。
「クリステル!」
 カチラノス王の声が部屋に響くと、キリウスはレオナードが止める間もなく衣装棚を飛び出した。
 キリウスの目に映ったのは、薄暗闇の中、禍々しい形相の亡者がカチラノス王を鉤爪の手で捕らえている姿だった。
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