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34話 再び死を

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 妖しの姿をした王妃様をベッドに横たえると、リュシエール様は私を手招きした。
「イリアが見ててくれたら、難しい魔法でも僕がんばっちゃうよ」
 なんだかお道化どけたようなリュシエール様の言葉だったけど、きっと私に魔法の勉強をさせるつもりなんだ。だって、目は真剣だもの。
 私は神妙に頷いて、リュシエール様の横に立った。
 王妃様は苦しそうな息をしている。早く人間に戻さないと妖しのまま死んじゃうかもしれないと思って私は怖くなった。自分の爆撃魔法の強さを自分で確認して、落ち込んでしまった。魔法が強いのは本当は喜ぶべきなのに、こんなの、ちっとも嬉しくない。
「さてと、どんな魔術式を使ってくれてるかな」
 皆が固唾を飲んで見守っている緊張の中で、リュシエール様の声だけが軽く部屋に響いた。
 でも、白いローブを纏っていなくても、やっぱりリュシエール様は上級魔法使いだ。その魔術式解読魔法の澱みない呪文に私は感嘆の溜息を洩らした。
 魔法使いじゃない普通の人間には『音』としか聞こえない呪文の細部がものすごく緻密で複雑で、こんなのが本当に私にも唱えられるようになるのか、と、疑問どころか絶望を覚えるほどだ。
「なるほどね。マグノリアで使われたことのある蘇生術と見たことのない魔術式の組み合わせなんだ。でも、これじゃ、完璧じゃない」
 リュシエール様の独り言に私は思わず尋ねた。
「完璧じゃないことが分るんですか?」
「うん、人間の形を維持できない。命を維持するためには欠けているものを採取しなきゃいけないようになってる」
「・・・それが、人間の血か?」
 そう言ったキリウス様にリュシエール様が頷いて「そんなもんかな。でも、前よりは進化してるね」
 進化?
「前の失敗を経験に、新しい魔術式を考えたってことなのか・・・」
「さあね。でも、同じ逸れ魔導士だったらあり得るかもしれないね」
 え・・・と。じゃあ、逸れ魔導士が人を生き返らせる実験をしてるってこと?死んだ人を使って・・・
 それって・・・
「ひどい」
 フランさんが私が思ったことを口に出した。
「大切な人を失った悲しみにつけこむなんて、ひどすぎます」
 うん、私もそう思う。
「それで、その魔術式は解けそうなのか?」
 キリウス様の問いにリュシエール様が気楽そうに答えた。
「ま、なんとかなると思うよ。逸れ魔導士程度の魔術式が解けなきゃ、上級魔法使いの名折れだよ」
 そう言って、リュシエール様は王妃様の胸に手を当てて、滑らかな美しい音楽のような呪文を唱え始めた。やっぱり私は、聞き惚れてしまう。何度聞いてもリュシエール様の呪文は恍惚となってしまう。
 魔法使いなら私だけじゃなくって、皆、そうなると思う。
 しばらく呪文が続くと、リュシエール様が手を当てている王妃様の胸のあたりに白い魔法円が浮かんだ。リュシエール様の魔法の色は最高と言われている白色で、それは父親の魔教皇様とリュシエール様しか使えない色だ。私の魔法の色は黒色で・・・魔法国では美しいとは言えない色・・・というか、むしろ、侮蔑されることもあったりするから、よくない色なんだろうな。
 そんなことを思っていたら、王妃様の身体が白いもやのようなものに包まれていった。
 すっかり白い靄に包まれて王妃様が見えなくなってしまうと、リュシエール様は呪文を止めて、薄紅をひいたようなキレイな唇をすぼめて靄に息を吹きかけた。
 たった一息だったのに、まるで突風が吹いたように王妃様を包んだ靄はきれいになくなってしまった。
 そして、ベッドに横たわっていたのは凶相の妖しじゃなくて、白百合の花のように美しい女性だった。
「クリステル!」
 今まで静かに、強張った顔でリュシエール様の魔法を見つめていたカチラノスの王様がベッドに走り寄ってきた。
 「クリステル」
 王様は王妃様の手を握りしめて顔を覗きこんだ。王妃様が薄く目を開けて、最後の力を振り絞るように、優しい笑みを浮かべて、唇を動かした。
 私にはそれが「ありがとう」と言ったように見えた・・・もしかしたら「愛してる」だったかもしれないけど。
「愛してる。貴女がいて、私は幸せだった」
 王様の言葉を聞いて、微かにうなずくと王妃様は目を閉じて動かなくなった。
 
 静かな闇が部屋を満たした。

 今は王と王妃を二人だけにしてやろう、と、キリウス様が言ったので私たちは地下部屋の階段を上がって、城の外に出た。
 外はきれいな星明りで、まるで今までのことが夢の中で起きた幻のように思えた。
「後のことはカチラノス王に任せて、俺たちは帰るか」
 キリウス様のどこか沈んだ声に皆が頷いた。
 もう私たちにできることは何もないんだ。王様はご自分のしたことやその結果の始末をご自分でつけるしかないんだと、私にも分かっている。
 でも、王様の悲しみが少しでも安らいでくれたらいいと・・・星を見上げて私は願った。
 「んじゃ、ローマリウスに帰ろうか」と、リュシエール様の言葉に、フランさんとレオナードさんが青い顔をして後ずさった。
 あれ?もしかして、フランさん・・・あの時はレオナードさんのことに夢中だったから、それどころじゃなかったけど、実は、かなりキツかったのかな?魔法で瞬間移動したのが。
「申し訳ありません。国王陛下・・・私とフランは・・・魔法での移動が、少しばかり苦手で・・・」
 少し、って感じのしない苦い顔でレオナードさんが言った。
「なんだ、軟弱だな。瞬間移動あんなものはどうってことはなかったぞ」
 キリウス様は平気みたい。
 小声でリュシエール様が「そりゃあ、キリウスは体力バカだから」と言うのが私の耳に入って、私はヒヤヒヤしながらキリウス様を盗み見た。
 キリウス様には聞えてなかったみたい。
 よかった。
 ほんっと、リュシエール様は心臓に悪いことを平気でするんだから。
「では、私たちは宿に預けてある馬で帰ります。そのように女王陛下にはお伝え願えますか」
 レオナードさんがフランさんをかばうように、肩を抱いてそう言った。
 キリウス様は「好きにしろ。たまには二人きりで宿に泊まるのもいいだろう」と、鷹揚に頷いた。
「じゃ、キリウスは僕たちと帰ろう~。レーナが心配して、気を揉んでるよ」
「わかってる」
 キリウス様は短く答えた。そのお心はもうローマリウスに向かっているみたいだった。 
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