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番外編 救済と贖罪
【番外編】魔導士会はやめられない(2/2)
しおりを挟む玄関の呼び鈴に扉を開けると、ヤツが腕を組んで立っていた。
「…なぜ」
「なぜはないだろう。あれでは待ち合わせの時間も場所もわからん」
不機嫌そうに顔をしかめるヤルスの言っていることが一瞬理解できずに、私はボンヤリと口を開けてしまった。
今日の試食会のことだ。
確かにセオに言われた通りトラスレットで参加するよう連絡はした。
「行ってあげてくださいと書いたはずですが」
「…一緒に行くという選択肢を文脈だけで排除するな」
「それでもまだ早くないですか?…とりあえずどうぞ」
体を開いて家の中に入るよう勧めれば、ヤルスはしかめ面を作ったままヒョイと片眉を上げた。
「…いいのか?」
「帰っても?もちろんどうぞ」
「邪魔をする」
その言葉の通り本当に部屋に入ってきたヤルスは、玄関から続く狭い廊下に立っていると、まるで檻に入れられた猛獣のように見えた。
撫でつけてある焦げ茶の短髪と白い詰襟の制服が、大人しく飼われている感じがして一層笑える。
「狭そうですね」
「天井が低いのは廊下だけだから建築規格の変更は当面予定していないと、総務部から回答が来た」
もう規格の問い合わせすらしたらしい。
「なるほど。それで毎日あなたは自分の家でも首を屈めているんですね」
「廊下はいいが便所が低いんだ」
「それはお気の毒」
いい気味だなと思いながら予備に置いておいたマグカップに保温ポットから茶を注ぐ。
「…家族世帯用なら天井も高いんだが」
「へえ」
そう生返事をしてカップをゴンとテーブルに置くと、ヤルスは微かに肩を揺すって頷いた。
「あ、ああ。…ありがとう」
「どういたしまして」
会話はそれで終わり、あとはしばらく無言で二人で茶をすする羽目になった。
本当にこいつは一体なぜ来たのだろうかと首をひねりたくなる。
ヤルスは大きな図体でキョロキョロと気まずそうに視線を彷徨わせ、居間の壁の棚に置いてある面倒なものに目をつけた。
私を救ってから叩き落としてくれた恩人の、小さな遺影だ。
「あ、あれがコドルか?」
「ちっ、そうですけど?」
「…そうか。貴様の恩人だったのだろう?」
「そうですね」
なぜこいつはこうも無遠慮で無頓着なのだろう。
そしてこいつが私に執着し始めた理由が、いまいち想像がつかなかった。
アークとヤルスはどこかで血が繋がっていて、従兄弟のような関係にあると聞いたことはあるが、私にはもちろん魔導士に血縁者などいない。
ヤルスと私は任務の関係上、もっと新人の指導を厳しくしろとか小うるさいことを言われたことは多々あるが、セオのことがなければほとんど関わりのない相手だった。
「貴様をエードールで拾った地方監査官だったと記録で読んだが…なぜ貴様は養成官になったのだ?」
「…それは尋問ですか?」
「ただの質問だ」
午前の早い時間にいきなり来たヤルスは大変不愉快ではあったが、気を遣う必要がないという一点においてのみ、会話を続けるのも悪くはないかもしれないと思えた。
「…あの方が、そうしろと」
「エードールで貴様は魔力発露をしたのだったな?」
「そうですね…でも比較的容易に収束しましたので、当時はロスディアには来る必要はないと思っていたのです」
「そこまで故郷に未練があったのか?だが貴様は…」
そう言ってヤルスは今更黒い瞳を揺らして見せた。
最近、自分が何のために生きているのか、よくわからなくなる。
だからだろうか。私はこの不遜な人間に、自分の昔のことを話してもいいような気になった。
「はぁ…、確かに。記録にもあったでしょうが…私は両親を亡くした孤児でした。けれど私には…少し年の離れた弟がいたのです」
「弟…」
魔導士会は、魔導士を守るためだけにある。
ロスディア内で保護されるのは基本的に魔導士のみであり、魔導士たちはそれまでの家族や友人とは縁を切ることを強要されるのだ。
私は身を乗り出してきたヤルスを冷ややかに見つめながら、淡々と口を開くことにした。
「弟の名をミースと言いました。私はミースを守るためにも働こうとしましたが…エードール王国は非常に貧しく、ツテもないのに仕事にありつくことは困難でした。だからと言うのも何ですが…人を襲って金を奪い取るようになるまで、そう大して時間はかからなかった。しかし魔力発露の影響で私の体調が徐々に悪化すると、次に待っていたのはそれまで私が奪い取ってきた者たちからの報復でした」
ーーーいやがった!あん時のガキだ!このクソ野郎!
「私はかつて強盗した相手に数人がかりでボロボロになるまで暴行を受けた挙句、犯されそうになりました。しかし…そこで最悪なことに、ミースが私を探しにやって来てしまったのです…」
ーーー兄ちゃん!俺の兄ちゃんを離せ!
ーーーうるせぇ!このガキ!
「ミースが強かに殴られた時、私の身体に魔力暴走が起きました。そしてその魔力を追って…コドル師父がかけつけてきてくださった」
ーーー魔導士は、魔導士を守ってこそ自分を守れる。…でも只人の中では生きられないのですよ。残念なことにね。
「暴走した魔力で…私はミースすらも傷つけてしまいました。コドル師父は傷ついたミースを治療してくださり、塞ぎ込む私と共に、当時エードールの地方監査官たちの隠れ蓑となっていた孤児院に匿ってくださいました」
ーーーフィリップ、ミースのことは任せてください。我々が必ず、立派に育ててみせますから。
ーーー行ってよ兄ちゃん。そこなら兄ちゃんも、ちゃんと守ってもらえるんだろう?
「私はしばらく孤児院に身を寄せながらうじうじと悩んでいましたが、ミース本人から背中を押されて、ロスディアへ送られることになりました。以来コドル師父は指導と偽って、毎月欠かさずミースの手紙を送ってくださった。彼が日々成長する様子や魔導士としての心構えをなども書き添えて。私はその手紙を唯一の生き甲斐に、戦闘訓練にも耐えることができたのです。しかし…あの国は、どこまでも貧しかった…」
「エードール孤児院襲撃事件か」
ずっとしかめっ面で聞いていたヤルスが、低く呟いた。
私は表情の筋肉にすら気を遣うことなく、ただ淡々と頷いた。
「エードール王国は、当時王国に潜んでいた地方監査官たち三名を捕らえ、孤児たちとともに隣国へ奴隷として売り払いました。しかし…その救出に出向いた特務管理部の被害報告の中には、コドル師父とミースの名はなかった…」
ーーーどうした?
ーーーえ?ちょっフィリップ!
ーーー離せ!邪魔をするな!!魔導士なんかに誰がなるか!!
「戦闘訓練から逃げ出しエードールに向かおうとした私を、アークとヘルシエフが止めました。私はその二人も殺すつもりで魔法を撃ち込みました。結局あの時だけですね、アークに勝てたのは。そして飛竜で飛び出したロスディアの外れで、たまたま魔力探知にコドル師父の魔力が引っかかった」
ーーーフィリ……すみま……ミースに…怪我を……
ーーー何を言っているんですか!!あなたの方が死にかけじゃないですか!『命の神トールシアよ、傷ついた体を癒し給え』…!
ーーーああ…上手ですね…随分楽になりました。…あなたはきっと…先生なんか、向いてる…面倒見が良くて…優しい子ですから…
ーーーコドル師父…!
「ミースから聞けば、師父と二人で手紙を出しに町へ降りたところで、孤児院が襲撃されたのだそうです。そして二人にもすぐさま追手がかかり…不運にもトラスレットを破壊されてしまった。しかしコドル師父は追手を蹴散らしながらロスディアを目指し…盗賊にも襲われ、戦いの連続で魔力枯渇に陥っていた。師父は衛生管理棟で療養しました。私も無理を押して彼に魔力提供を申し出ましたが…怪我の具合も悪く、結局彼はその後一度も目を覚ますことはありませんでした」
ーーー兄ちゃん、俺もう、兄ちゃんに手紙書くのやめるよ。
「特例として認められたミースは、生活研修室に預けられることになりましたが…それ以来、彼から手紙が届くことも二度とありませんでした。やがてミースが十四になると、大工の仕事に就いたとだけ、研修室から連絡がありました。それでも私は…命をかけて弟を救い、私を導いてくださったコドル師父に感謝し、その教えを貫こうと…養成官となったのです…」
後先考えず人の恨みを買ったせいで一番守りたかったものを危険に晒した愚かな時代。
しかしそれを全て受け入れて、新たな生き方を示してくれたあの方。
だが結局その生き方でも、私は大事なものを守ることはできなかった。
今も若者たちを戦いに送り出すことで彼らの命までをも浪費し、周辺諸国の恨みを買っているのでは、無用な争いを生んでいるのではないかとすら思えている。
「しかしおかしいですね…最近はそんな師父の教えにも、疑問を覚えてしまうんです。結局あの方も、志半ばで亡くなってしまったのですから」
コドル師父は、魔導士会で教える掟を忠実に守っていた。
他を守ってこそ己を守れる。
自分もそれを真似すれば、こんなに悩むこともないと思ったのに。
「そうか…だがそいつのおかげで、貴様が今ここにいるのなら、俺もそいつに感謝せねばなるまい」
「馬鹿ですか。あなたがどう思おうと、私は人を庇っておいて勝手に死にかけるような人とは、これ以上親しくなりたいと思いません」
「それは…俺も死ぬのが怖いと、言ってるんだよな…?」
自分で半生を打ち明けておいて何だが、ヤルスの生まれ育ちにはさして興味はない。
しかし態度の端々から滲み出ている、いかにも恵まれて育ったような雰囲気が鼻についた。
「違います。恩人の教えなので一応は守っていますが…本心では初めから魔導士なんかとは深く関わりたくないと言っているんです。…帰らないんですか?」
「行かないのか?教え子の会社の感謝祭なんだろう。俺にとっての部下でもある」
「…そうですね」
まだまとわりつくつもりらしいヤルスに、私は仕方なく目を薄めて頷いた。
マイセン共和国との国境近く、アークが譲り受けた家の近くまで飛竜でヤルスと揃って舞い降りれば、丘の上は華やかに飾りつけられ、目立つ看板が立てられて、人々が所狭しと行き交っていた。
この日のためにわざわざ用意したのか、飛竜用の屋根のない厩舎まで備えられている。
「あっ、師匠!フィリップ師匠ーッ!」
アークに担ぎ上げられて一際高い位置から、セオが笑顔を輝かせて手を振っていた。今日は珍しく白いカッターシャツに青色のエプロンとネクタイをつけている。似合うには似合うが、少々可愛い子ぶりすぎではないだろうか。
その下の乗り物は憮然とした表情で肩を叩かれながら渋々私たちの所へやってくる。
「こんにちはセオ。今日はお招きありがとうございます」
「こちらこそ!ようこそいらっしゃいました。あっ!ヤルス司令…防衛部長!この前フィリップ師匠がヤルス防衛部長のこと褒めてましたよ!」
シュタッと軽やかにアークの肩から飛び降りたセオは、抱きつかんばかりに駆け寄ってきて私とヤルスの手を取って両手で包み込んだ。
熱烈な歓迎だが、これが彼の通常運転なのだ。
エロ可愛いからこのまま持ち帰れという意味ではない。
「何だと!?…詳細を報告しろ」
「えっ、いや、詳細ってほどでは…」
「私の可愛い教え子を買収するとはいい度胸だと言ったのです。今日はヘルシエフは来てないのですか?」
私はヤルスの手だけを振り払うとセオの肩を抱き寄せ、ゆっくりとエスコートするように会場である丘の上へ歩みを進めた。
「あ、は、はい。その、婚約者の方に反対されたとかで…」
「ああ…彼はかなり束縛するタイプですからね」
「師匠もご存知だったんですか?」
「同僚の教え子です。医療官を目指していたのも、ヘルシエフに近づくためだったようですよ」
「そ、そうだったんだ…ヘルシエフ先生、カッコよくて優しいですもんね…」
そう困ったように首を傾げるが、これでちゃんとヘルシエフのことを気にかけているのだ。
見た目は私に言い寄られて恥じらいつつも満更でもなさそうな、浮気な天使にしか見えないが。
「あなたも一層美しくなりましたよ。そのエプロンもお似合いです。先に味見してみたいですね。口づけても?」
「わっ、し、師匠っ!?」
「おい」
肩を掴んでクルリと身体を半回転させ、背を支えて傾ければ、まるで情熱的なダンスを楽しんでいるかのような格好のくせに、セオは目を丸くして驚いた。
しかし近づく唇がヒョイと上から素早く奪い取られて、私はその相変わらずの素早さにぶっと噴き出す。
「ふくくくく…っ、おや、またティオはお昼寝ですか?」
「あ、そうなんです。昨日興奮して眠れなかったみたいで…今近所の人に見てもらってるんです。後で起こしに行きます」
「私も興奮して眠れませんでした。君が寝かしつけてくれませんか?」
「俺が永眠させてやる」
「おお怖い」
スタスタとセオを抱えて歩くアークを追えば、あっという間に人ごみの前にたどり着く。
しかし立食パーティーかと思いきや、各家庭から持ち寄ったのか、あたりには大小様々な椅子やテーブルが並べられ、牧草地に敷いて直接座るための布まで貸し出されているようだった。
見たこともないスタイルのパーティーに少したじろいでしまう。
「貴様、こいつを揶揄う時が一番楽しそうだな…」
「ええまあ。でもセオが美味しそうなのは確かですからね。セオ、そろそろ不倫相手にどうですか?」
「そろそろって何ですか、もう…アークを揶揄うならいちいち俺を挟むのやめてください」
「残念。九割がた本気だったのですが」
「割合が高いですよ!」
適当に揶揄うと、セオは本気にしたみたいに顔を赤らめて頬を覆った。
脈アリにしか見えないが、これでいて全くナシなのだ。
「ヤルス。きっちり捕捉しておけ」
「おや。彼は無関係ですよ」
「ぐ…っ、む、無関係…」
「師匠、ヤルス司令官が傷ついていますよ。もっと優しくしてあげてください」
「そうですか?私も傷ついているのですが…優しくしてくれますか?セオ」
「おいヤルス」
「貴様は俺に一体どうしろと!?」
「くくくく…っ」
一通り堅物も一緒に揶揄ってリラックスしたところで、私はアークを肘で小突いて首を傾げた。
「ところですごく盛況のようですが…これはどういう集まりなんですか?」
「ああ…変だろう。この村の連中は全員参加してるらしい。一応そこかしこに看板は立てたのだがな」
「おお…本当にタダだと書いてあります」
「試食会ですから、一皿分の量は少ないんです。でも各ブースでレシピ付きの材料が買えます。これを買ってもらうのが狙いなんです!俺のオススメはもちろんアイスですが、持ち帰る内に溶けちゃいますし、今の時期は夜冷えますからね、あっちのグラタンやシチューが人気ですよ。これでもおいしく作れます!」
セオはまたもやアークの腕から逃れて、近くの屋台で売られているホワイトソースと書かれた缶詰を手に取った。
「グラタンが?これで?あんな複雑そうなものが家で作れるんですか?」
「はい!作り方もちゃんとパッケージに…ほら」
「なんなんですかこの美しい写真がついた紙は。食べ物でしょう?この缶は?小さくないですか?食べたら捨てるんですか?無駄ではないですか?」
「これが…『魔導の御子』の本気か…」
「やはり変だよな」
私が目を白黒させて渡された缶詰を見回すと、ヤルスも驚嘆し、アークはしみじみと頷いた。
セオは少し慌てたようにグラタンやホワイトソースが絡んだムニエルが乗った小皿を進めてくる。
「ご、ゴミはロスディア乳業で回収しますし!洗浄して溶かして再利用してますし!」
「それで一度魔力切れになって倒れたんだがな」
「魔力切れ?これにですか?なぜそこまで…」
「だってパッケージを請け負ってくれる工場が見つからなくて…!」
「こんなものを作る工房なんて存在しないと思いますが」
「だよな」
「なんで冷蔵庫とレンジがあって家庭用の缶詰がないんだ…!」
拳を握りしめて悔しそうにしているセオだが、私は魔導の御子が今まで偉業を成し遂げた理由の一端を垣間見た気がした。
何というか、価値観がまるで違うのだ。
この分だとこれからも相当苦労しそうだなと、私はアークが心底気の毒になった。
そこへセオと同じく青いエプロンを付けたロスディア乳業の従事者らしき若者が駆けてくる。
「あっ、社長いた!冷凍庫の魔石が外れてたみたいなんですけど!」
「ええっ!す、すぐ行きます!師匠、司令官、どうぞたくさん召し上がって、楽しんでいってくださいね!気に入ったらぜひお土産も買ってってくれると助かります!じゃあ俺、冷凍庫冷やしてきますんで!」
「待て!あまり走るな!」
ペコリと頭を下げて駆けていくセオを、アークが追いかけて持ち上げる。その甲斐甲斐しさがついつい笑いを誘うのだ。
見れば村の住人らしき者にも揶揄うような言葉を投げられて、セオは笑顔で手を振り返していた。
幸せそうな彼の笑顔に、まるで結婚式にでも来たかのような錯覚に陥る。
「行ってしまいましたね…それにしても驚きました」
「ああ…とんでもないな…こんなものに魔力を使おうなどと…」
「あ、これおいしい」
「ふむ…しかしオーブンか横型のトースターが必要と書いてあるぞ」
「食堂になら大抵ありますよね」
「順当に顧客を開拓しているようだな」
「そのようです。へぇ…結構簡単に作れるんですね」
「作るのか?家で食うのか?行っていいか?」
「あはは、ご冗談を」
そんなどうでもいい応酬を繰り返して、私は結局ヤルスと二人で会場の料理を食べ歩き、珍しい商品を手にとっては驚き合った。
持ち合わせがないというお坊ちゃんを放置して、私は人手も落ち着き始めた屋台の一つで紙箱に入ったシチューのルゥなるものを買った。カレーのルゥは魔導士会でも作っているが、シチューは初めて見た。
「買ったのか?」
「ええ。シチューです。一年保つと謳っていますが…一年待った方がいいでしょうか」
「やめてやれ。それよりそれはいつ作るんだ?行ってもいいか?」
「あははっ。それにしても飛ぶように売れていきますね。まさに祭りです。こんな商売の仕方があるなんて正直驚きました。振る舞った料理以上の収益はありそうです」
丘の上から会場を見渡せば、屋台の背後に積まれていた商品は次々と客の紙袋の中へ詰め込まれ、そこかしこの屋台に売り切れの文字が踊っていた。
「うむ…前に聞いた時はお客との信頼が新規顧客に繋がるんだとか息巻いていたな。生産部や会計部の連中も、ヤツの工場に異動して研修をしているらしいぞ」
「ああ、ではやはりあのパティシエ風の服は生産部の制服でしたか」
「たった五年で…全く大した手腕だ」
「魔法は使い方次第だと…ティルメイアと言っていることは同じでも、セオは…本気で魔導士会を経済的に支えるつもりのようですね」
「そのようだ。…俺も負けてはいられんな」
そう憮然と呟くヤルスだが、彼にとっても少なからず衝撃的な日となったらしい。
私は無駄に美しい写真と派手な形の文字が彩る紙箱を手に持って撫でた。
「あなたは…セオを、魔界を…恨んではいないのですか…?」
「…魔物のことか」
「ええ…公表されることはありませんでしたが、彼が犯した罪は…神力に翻弄されていたとは言え、重大な過失だったと言えるでしょう…?」
「そうらしいな。俺も…仲間たちを多く失った。何もわだかまりがないかと問われれば、全くないとは言い切れん」
「恨まないのですか?」
「ふん…っ、アレをか?逆に今まで自分がすがって祈りを捧げていたのが無性に恥ずかしくなったぞ」
「…それもそうですね」
そういえばこいつは信心深い方だったなと気の毒に思う。
私は元々神など信じていなかったので、本当に存在したと実感したことで、逆に呪文にも無用な祈りを込めるようになってしまったのだが。
それでも魔物と戦い失った教え子たちを思えば、彼の幸福を手放しで喜ぶことはできなかった。
幸福になって欲しいとは思うのだが。
だから彼がこうして足掻きながらも奇妙なことを始めて奔走する姿に、少し安心してしまうのだ。
「恨みはない。創造神たちの過失など…存在が違い過ぎてな…ただ、あの時はああいう時代だったと思うだけだ」
「そう…ですね…」
「貴様は恨んでいるのか?」
「…どう、でしょう。もう、よくわからないんです…」
魔界が消え魔物の被害はなくなったが、今度は方々から人との戦いがけしかけられている。
「愛する者を守るために大事なのは…守り方だと、コドル師父は私に仰いました」
「守り方か」
「でもきっと、あの方もそうだったように…私も、魔導士会も…自分たちを守るには、まだ何かが足りないのだと、思います」
ヤルスが怪訝そうな顔でシチューの箱を覗き込む。
「…それを、アイツは探そうとしていると?」
「そうなのでしょうね…。魔法で他国を威圧し、王族の真似事のように権威を誇示する体制は、すでに崩壊しかけている」
顔を上げれば、小さな人影と手を繋いだセオが、斜陽に照らされてまた誰かに笑顔を振りまいていた。
私はその笑顔を、ただ妖艶だとは思えなかった。
彼は罪を背負う覚悟を決めたのだから。
しかし私の隣に立ったヤルスは難しい顔で腕を組むものの、呑気そうに首をひねった。
「そうかも知れん。だが、崩壊するにしても今日明日の話でもない。今はただ、今できることをしていくしかない。いつもと同じようにな…。それに別の手なら…あいつがすでに打ってくれているんだろう?もうそれでいいんじゃないか?」
そんな風に顎をしゃくってふんぞり返る彼を、私は虚をつかれた気分で見上げた。
まさかそんな単調で無責任で楽観的な言葉が返ってくるとは思わなかったのだ。
しかしこいつはいつもこうして目の前のことだけを片付けていたのだなと妙に納得もした。
結局何を変えられるわけでもないのに、うじうじと悩んでいたことの全てが馬鹿らしいもののように思える。
あまりに自分がくだらなく思えて、無性にふつふつと笑いが込み上げてきた。
「ふ…っ、ふふふっ…、ははっ!…それもそうですね。今から価値観を変えられるほど若くもありませんし。後は若い子に任せましょうか」
「うむ」
「あなたのそういう能天気なところ、意外と好きですよ」
「そ、そうかっ!?」
うっかり笑ってそう言えば、妙に食いつかれてウンザリしたので、私は無視して帰ることにした。
なぜかヤルスも慌ててついて来ていたが。
家の近くの共同厩舎に飛竜を預けた後も、ヤルスはついて来た。
もうすっかり遅い時間だ。まさか家に泊まるつもりではないだろうなと怪訝に見上げると、ヤツは私の家の前で足を止めた。
「貴様は…魔導士会に感謝すると言ったな」
「何の話ですか?」
「アイツを探しに魔界へ行った時だ。浄化の光に巻き込まれる時、貴様は神には祈らなかった」
「ああ…」
記憶を奪った犯人であるセオを探しに魔界を彷徨い、突如として現れた虹色の光の壁に呑み込まれた時のことだ。
あの時は魔物と共に蒸発するものと死を覚悟したが、何のことはない、セオが神力を使い魔界を元に戻したのだということだった。
「あの時…初めて気がついたんだ。魔導士会があることのありがたさに」
「初めてですか。さすがはお坊ちゃんですね」
「…そうらしい。だが…俺は引退はしない。ずっとここを支えていく」
「そうですか」
そう考えているだろうとはわかっていたはずだが、ずっと戦いに身をやつすつもりだと宣言されると、奇妙に落ち着かない気分になった。
「貴様もだろう?」
「そうなるでしょうね」
「俺もここには感謝しているんだ。できるだけの…貢献をし続けたい」
「同感です。…あなたと意見が合うのは心外ですが」
「そこだけ合ってれば、あとは瑣末なことだろう?」
「そう、ですね…」
冬の寒さに凍え、空きっ腹を抱えて死にかけながらも、無様に生き続けた自分。
弟を唯一の心の支えとすがりつき、危険に晒しながらも手放すことを躊躇った。
その別れが必ず来ることを知りながらも、慰めでごまかし、それでも弟を守り抜いてくれたお人好しな魔導士。
そして示された、血塗られた虚構と幻想で塗り固められた約束の地。
それでも私は確かに、今生きていることに感謝していた。
約束の地など、嘘でしかないはずなのに。
そんないつまで経っても同じ場所を堂々巡りする私の思考を、ヤルスは嘲笑うかのように暴き出す。
「フィリップ」
「…」
「確かに俺は誰かを庇って死ぬかも知れん」
「はい」
「だが…その時は、あの遺影の隣に、俺も置いてくれないか」
そのあんまりな言い草に、私は瞠目した。
ふざけるな。
そう言って否定したいのに、きっと自分はもう、そういう生き方しかできないのだ。
だから、笑うしかない。
「…ふふっ、地獄じゃないですか」
「だが…今と大して変わらんだろう?」
「それもそうですね」
「これからもよろしく頼む。恋人兼、戦友として」
「…恋人を兼ねる必要性がわかりませんが」
「それは…俺にだって、そういう気持ちがあるんだよ」
「性欲ですね」
「愛だよ!わかれ!貴様が好きだってことだ!」
そんな似合わないセリフを吐く堅物だが、私は将来これの遺影を部屋に置いて、一人で話しかけなければならないらしい。
「なるほど。では…」
ああ。所詮この世界は、どこでどう足掻いても地獄なのだ。
そう私も覚悟を決めて、私はヤルスの左肩を掴んで引いた。
薄く固そうな唇の感触は、やはり薄くて固かった。
その健康そうな肩を殴って離す。
「これはあの時のお礼になりますね」
「あ…、ああ…」
「ありがとうは言いません。庇われるのはあまり気分が良くありませんから」
デートの別れは口づけと相場が決まっているかと思ったが、堅物にとってはそうではないらしい。
厳ついはずの顔を急に幼く緩めたと思えば、夜中なのに躾のない犬のように吠え出した。
「うお…っっしゃあああーーっ!!」
「…うるさい。別れましょう」
「えっ!?いや待て…っ!」
喚くヤルスの声がうるさいので、私は早々に扉を閉めて鍵をかけた。
あまり使っていなかった魔導背嚢からシチューの箱を取り出すと、出来の悪い印刷の遺影の隣に置く。
「コドル師父…やはりあなたは嘘つきだ。結局どこにいたって、地獄は続くみたいですよ」
他を守ってこそ己を守れるなど。
どこまでも優しい嘘で包まれた幻は、あなたと共に消えてしまったのだから。
運動場に集められた新入生たちは、厳つい態度で取り囲む養成官たちに早くも怖気づいているようだった。
「うわこっち見た怖っぅぇ…」
「おい、俺らの教官って、またフィリップ先生なんだって」
「な、なんだ余裕じゃん…」
「おい来たぜ」
「本当だ、フィリップ先生だ~」
許可もないのに勝手に無駄口を叩く相変わらずの腑抜け具合に、思わず苦笑が漏れそうになるが、私も必死に真面目な厳つい顔を取り繕った。
苛々した感情を隠しきれない養成官たちの声は、ただの号令も怒号のように響き渡る。
「フィリップ養成副部長、登壇!全員、整列!起立!敬礼!」
「起立ッ!!起立せよ!敬礼だこのノロマ!!」
まだ大きな態度を取っていた悪目立ちしがちな新入生の一人が、見せしめとして蹴り飛ばされる。
養成官の制服は白いローブに紺色の上掛けなので一見柔和で知的な印象を与えるが、裾さばきに慣れさえすれば身体の動きを上手く隠し、不意打ちで回し蹴りをするにはもってこいの格好なのだ。
広い運動場で十二名の養成官に囲まれて、新入生たちはすっかり萎縮していた。
私はそんな彼らの怯えた表情を見渡して、この時ばかりは慣れない声を張り上げる。
「これより、全魔導士必修戦闘訓練を開始する!ここにいる全員が全課程を修了するまで、君たちに自由は一切ない!魔導士は他を守ってこそ己を守れる!魔界が消失して五年が経過した!すでに我々の敵は人である!私が君たちに教えることはただ一つ!殺られる前に殺れ!自らが生き残るために!自らの居場所を守るために!それが君たちが持てる唯一の手段だ!」
寝ぼけた顔の百余名の若者たちが、目を丸くして私を見つめる。
彼らのひょうきんな顔に、私は薄く微笑んだ。
さあ私はいつも通り、また嘘と罪を塗り重ね、地獄の門番の仕事を続けよう。
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俺はよくあるBL魔法学園ゲームの世界に異世界転生したらしい。よりにもよって、役どころは作中最悪の悪役令息だ。何重にも張られた没落エンドフラグをへし折る日々……なんてまっぴらごめんなので、前世のスキル(引きこもり)を最大限活用して平和を勝ち取る! ……はずだったのだが、どういうわけか俺の従者が「坊ちゃんの足すべすべ~」なんて言い出して!?
異世界転生した双子は今世でも双子で勇者側と悪魔側にわかれました
陽花紫
BL
異世界転生をした双子の兄弟は、今世でも双子であった。
しかし運命は二人を引き離し、一人は教会、もう一人は森へと捨てられた。
それぞれの場所で育った男たちは、やがて知ることとなる。
ここはBLゲームの中の世界であるのだということを。再会した双子は、どのようなエンディングを迎えるのであろうか。
小説家になろうにも掲載中です。
悪役令息に転生した俺は推しの為に舞台から退場する
スノウマン(ユッキー)
BL
前世の記憶を思い出したアレクシスは悪役令息に転生したことに気づく。このままでは推しである義弟ノアが世界を救った後も幸せになれない未来を迎えてしまう。それを回避する為に、俺は舞台から退場することを選んだ。全てを燃やし尽くす事で。
そんな俺の行動によってノアが俺に執着することになるとも知らずに。
中年冒険者、年下美青年騎士に番認定されたことで全てを告白するはめになったこと
mayo
BL
王宮騎士(24)×Cランク冒険者(36)
低ランク冒険者であるカイは18年前この世界にやって来た異邦人だ。
諸々あって、現在は雑用専門冒険者として貧乏ながら穏やかな生活を送っている。
冒険者ランクがDからCにあがり、隣国の公女様が街にやってきた日、突然現れた美青年騎士に声をかけられて、攫われた。
その後、カイを〝番〟だと主張する美青年騎士のせいで今まで何をしていたのかを文官の前で語ることを強要される。
語らなければ罪に問われると言われ、カイは渋々語ることにしたのだった、生まれてから36年間の出来事を。
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