魔法と科学の境界線

北丘 淳士

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同時刻、実験室

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 隣に立つ北野は、金属部に無数の傷がついた古めかしい腕時計を見ながら、旭とその時を待っていた。強化ガラスの奥、隣の実験室の中央に置かれた、腰ほどの高さの架台に乗せられたアマニを見つめる。
 実験室と強化ガラスを挟んだこちら側、旭たちのいる観測室内には10名ほどの研究員も待機して、2列になったカウンター型コンソールでアマニのチェックを淡々と続けていた。この実験室室長の北野は、それらの数値をコンタクトレンズを通して視界の端に広げていた。
「彼女が現れたのは、23時10分頃だったな」
「はい、開闢実験とは10分ほどのずれがありました」
「君も恐らく考えているだろうが、おそらくアマニは亜空間とのエネルギー差を動力源としたものだろうな」
 旭は北野の目を見ながら頷いた。
 圧縮されて爆発した燃料が、逃げ場を求めてタービンを回し発電するように。この宇宙とは濃度が違う未確認のエネルギーが亜空間から流れ出て、それがアマニの動力源となって稼動させている。それは間違いないと二人は思っていた。亜空間から漏れ出る、現代の科学力で捕らえられないある種のエネルギーがアマニを動かしている。だから、アシンベルリングがサブスペースゲートを開かない限りアマニは動かない。その瞬間がもうそこまできている。旭は幼い頃から見に染みついた探究心がむずむずと蠢き始めた。

 18時になった。まだアマニにはこれといった変化は起こらない。
「まだ時間はある……」
 旭は知らないうちに呟いていたのが、北野にも聞こえていた。
「まあ、機密事項なのであまり声に出せないのだが、ゲートが開くのは18時10分頃だ。少なくとも15分間は段階的にリングの回転速度を高めなければいかんからな」
「……教授は前回の開闢実験に関わっていたのですか?」
 その問いに北野は小さく頷いただけだった。
 旭は再びアマニを見る。リータのホログラムが、あの黒いラグビーボールから投影されたのは、ほぼ間違いない。今の科学技術に匹敵する技術でだ。ただその投影元と投影距離が異常なだけで。
「旭君、まだ時間がある。そう気負っていては疲れるぞ」
 旭は教授のその言葉がやけに遠くから聞こえていた。すでに呼吸をするのも忘れるほど眼前のアマニに集中している。時間が経つのがいつもより何倍も遅い。口の中が渇いて唾も出ず、瞬きも意識しないと忘れてしまう。

 1時間ほど時間が経ったのではないかと思った頃、「10分だ」、と北野の口から漏れた。その瞬間、アマニの側面に直径10cmほどの白く塗り潰された円が忽然と浮かび上がった。旭が、あっ、と小さく声を漏らすと同時に、北野が後ろを向いて指示を飛ばす。
「計測班、計器に異常はあるか?」
「ちょっと待ってください」と慌しくコンソールを操作する研究員は、LOTを通し何度も確かめる。
「異常はありません。熱量、質量とも変化なし、放射線、電磁波などもなしです。部屋の空気の成分も変化が見られません」
「……変化なしか、あの白斑を除いて」
 そう北野は呟いて、背後の研究員に指示した。
「それではEDの準備、アマニの白斑に接触して反応確認、ついでに白斑部の硬度も計測してくれ」
 機器班の一人が、コンソール上に置いてある眼鏡型の生体信号解読素子をかける。すると実験室の壁の一部が開き、人型のロボットが工具箱を持って出てきた。
「あれが、エクスプローラードール!」
 感嘆の声を上げる旭を見て、北野は鼻を鳴らしながら微笑む。
「法律上、遠隔操作のロボットは国に使用許可を貰わないと使えないからな。珍しいだろう」
 研究員の生体信号を読み取って遠隔操作出来るED(エクスプローラードール)は、視覚、聴覚を操縦者に返す。それはもともと戦争用に開発されたロボットだったので、普及当初は犯罪に使われるケースが多くあった。そのため現在では国際法に基づき、所有あるいは開発出来る国が限られ、ここ日本でも国に登録し使用許可を貰わないと法律で罰せられる。宇宙空間から超高圧の海底など、人間が立入ることの出来ない場所での活動に適しているので、日常生活では目にかかれない。旭もウェブで何度か見たことがあるだけだ。
 この実験室のEDは女性型だった。
 視覚、聴覚という情報入力源としては重要な位置を占める2つの感覚をリンクさせるため、操縦者の男女差を問わない中性的な体型のEDが本来なら求められるのだが、女性型を使っているのは、何らかの理由があるのだろう、と旭は思った。
 カフェを掃除するアンドロイドと同じく、人の動きと全く変わらないスムーズな足取りで、EDはアマニまでやってきて白斑に触れる。
「計器ともに変化無しです」
 計測班の研究員が答えた。そしてEDは工具箱から硬度計を取り出し、白斑に押し付ける。
「硬度も変化無しです。白斑部の試料も採取できそうにありません」
 EDを操作していた研究員が冷静に報告する。
「うーん、埒が開かんな……。俺の朋美ちゃんも役に立たなかったか」
 朋美ちゃん!? 名前が付けられている! EDが女性型なのは、単なる教授の趣味だったのか。
 やや呆れた感じで北野を見ていた旭の顔を、彼は見つめ返した。そしてその視線の意味に気付いた旭は、表情を整え黙って頷く。それを確認した教授は研究員に、「EDを戻してくれ」と言って、アマニが置いてある部屋に通じる扉へと旭を連れて向かった。そして手の甲を扉横のセンサーに翳すと、エアーコンプレッサーの音を立てて扉が開く。
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