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6.なかなか難しい
しおりを挟むこの辺の男性はやらないような綺麗な所作に少々驚く。
まるで物語から出てきたかのようだ。
「ヒュース……さんね。よろしく」
自然と笑顔になって、手を差し出す。
私の手を見て、逡巡したヒュースさんが、おずおずと手を取った。
大きくて、少し硬い皮膚をした、あたたかい手。
出会った時の姿が一瞬頭によぎる。
その時の彼の温度も。
お医者さんから聞くまでは手放しで喜べないけれど、見た感じ元気そうな様子に嬉しくなる。
本当によかった。
言葉が通じないので、世間話さえ出来ない。けれどニコニコして座っている私に、彼は少し戸惑っていた。
すると背後から元気な声がかかる。
「すみません、お待たせしました!」
振り返ると、そこにはVネックの医療用スクラブを着た男性。
人懐こい笑顔の彼は、おそらく担当医だろう。ハツラツとした空気に好感が持てる、爽やかな人だった。
「初めまして! 担当させて頂いております、旭といいます。今日はご足労下さりありがとうございます!」
「ご丁寧にどうも。三浦と申します。お世話になっております」
会釈しながら簡単に挨拶する。
話し始めた私たちを見て、ヒュースさんは不安気な顔をしていた。
大丈夫だよ。という気持ちを込めてヒュースさんに笑顔を向ける。
「彼はヒュースさんというのですね。ファミリーネームでお呼びした方がいいのかな……。言葉が通じなかったので難儀していたんです。彼も不安だったことでしょうし、三浦さんに来ていただけて助かりました」
「いえ……私も言葉が通じているわけではないのですが……そう言って下さるなら来た甲斐があります。旭先生、それで、彼の状態とか教えていただけますか?」
「では、部屋を移動しましょうか。フィンセントさんも、歩くのは支障ないと思いますので、こちらへ」
旭先生がヒュースさんの腕を取り、反対の手で部屋の外を指す。恐る恐るスリッパを履いた彼が立ち上がった。
旭先生はその様子をみて、ヒュースさんの顔に苦痛が出ていない事を確認すると、背中にそっと手を当てながら部屋を後にする。
私も追うように二人について行った。
並んで歩く二人を後ろから眺める。
旭先生は、頭一つ高いヒュースさんの顔を見上げ、言葉が通じないながらも優しい声色を意識しつつ話しかけている。
ヒュースさんも、旭先生の話し声と空気のおかげか戸惑ったり、怯えたりした様子はない。
じっと旭先生の目をみて、真摯に話をきく姿。意味はわからなくとも、一生懸命に噛み砕こうとしている様だ。
人を安心させる術に長けた先生だなぁと心で感心していると、大きな談話室に着いた。
まばらに人がいるが、暇を持て余した入院中のおじいちゃんや、井戸端会議に花を咲かすおばあちゃん達は、こちらを全く気にかけていない。
先生は、その横にある六畳ほどの小部屋に私達を通すと、ドアを弄っていた。
おそらく、扉についた【使用中】の札を触っていたのだろう。
小さな会議室と思われる部屋の椅子に腰掛ける。
「診察室が遠いので、こちらで申し訳無いのですが。簡単に状況をお話しします。」
興味津々に周りを観察していたヒュースさんも、席に着き話し始めた旭先生に視線を定めた。
受け持つ担当患者のことは頭に入っているのだろうか、何も見ずに話し始める。
「まず、腹部への打撲痕ですが、幸い表面的なものだけで、出血など内臓への被害はほぼみられませんでした」
筋肉がついているので、そのおかげでしょうね。と旭先生は続ける。あとはしばらくのこっても、いずれは治るでしょうとのこと。
それは良かった。
まあ、内臓へダメージがあれば、こうして歩いたりすることは無かったはずなので、予想はしていたが。
ただ……と一旦言葉を切ったあと、言いづらそうにこちらを見る。
「言葉が通じないので、断定は出来ませんが……ヒュースさんは恐らく全生活史健忘に近い状態かと思われます。
……通称として、記憶喪失と言えば分かりやすいでしょうか。
先ほど、三浦さんのおかげでお名前がわかりましたが、こちらでの問診では使っている言語が判断できない事、お住まいやその他についても解が得られなかった事から、その様に診断しました」
予想していなかった診断結果に絶句する。
旭先生は軽く唇を結び、揉むような仕草をしながら言葉を選んでいた。
「……したがって、ヒュースさんには今後、当院の精神科棟に移っていただき、治療を受けながら警察による調査結果を待つ形になります」
先生によると、その間に記憶が戻らなかった場合や、警察の調査で身内や関係性を持つ人が発見できなかった場合は別途新しい戸籍を取得する流れになるらしい。
その間は生活保護によって保護されるとの説明があった。
「通常は受付にてこういった説明があるのですが、今回は特殊なケースの為僕の一存でこの様な形でお知らせしました。
……三浦さんに金銭等でご負担はありませんのでご安心下さい。」
そう締めくくった旭先生。
説明を聞いて、私は自然と、隣にいるヒュースさんを見上げた。
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