1 / 1
雨の放課後、君が泣いた理由
しおりを挟む
窓ガラスに当たる雨粒が、一定のリズムで音を立てていた。
放課後の教室は、いつもなら部活に向かう生徒たちで賑やかだが、今日はやけに静かだった。
悠真はプリントの整理を終えると、ふと視線を上げた。教卓の端、窓際に座る一人の背中が見える。
――陸だ。
肩まで伸びた髪が少し濡れている。いつもなら明るく笑っているはずの彼が、じっと机に顔を伏せていた。
声を掛けようか迷ったが、気づけば足は自然と近づいていた。
「…何してんだ、こんな時間まで」
「……別に」
短い返事。
以前なら、くだらないことで笑い合っていたのに、ここ最近はこんな調子だ。
話しかけても、目を逸らされるか、そっけない返事だけ。理由は分からない。ただ、距離ができたことだけははっきりと感じていた。
窓の外では、グラウンドに大きな水たまりができている。部活の掛け声も聞こえない。
雨の匂いが漂うこの静けさが、やけに息苦しかった。
「陸…」
「…帰れば?」
冷たい言葉に胸がざらつく。
あぁ、やっぱり嫌われたんだろうか。
心当たりがないわけじゃない。二週間ほど前、陸が部活を早退した日があった。声を掛けられたけど、俺は宿題に追われていて「後でな」とだけ答えてしまった。その後からだ。
でも、それだけでここまで避けられるだろうか。
机の上に置かれた陸の手が、小さく震えているのが見えた。
ふいに、雨音が強くなる。
「…なあ、何かあったのか?」
「……」
沈黙が返ってくる。
けれど、その沈黙が、今までよりも遠く感じられた。
机に伏せたまま、陸は動かなかった。
俺は教卓の端に手をつき、彼の顔を覗き込もうとする。
その瞬間、陸は勢いよく椅子を引いて立ち上がった。
「なんで……なんで今さら話しかけんだよ!」
突然の声の大きさに、心臓が跳ねた。
雨音すら一瞬かき消されたような気がする。
「今さらって……俺、別に――」
「“別に”じゃない!」
陸の声は震えていた。怒っているようで、でもその奥には別の感情があるような。
視線を合わせると、赤く滲んだ目が見えた。
「俺、ずっと……悠真に避けられてるって、思ってた」
「……は?」
避けられてる? 俺が? むしろ距離を取られているのは俺の方だと思っていた。
「この前、話しかけたら“後で”って……それっきり、ずっと俺のこと見もしないし……」
「あの時か……」
脳裏に、宿題に追われていた日の光景がよみがえる。
たしかにあの日、陸の表情まで気にする余裕はなかった。
でも、それだけで――。
「俺……悠真に嫌われたんだって、ずっと……」
唇を噛みしめる陸の声は、小さく途切れた。
胸の奥がぎゅっと締めつけられる。
「嫌うわけないだろ」
「でも……」
「俺だって、お前に避けられてるって思ってた」
「……え?」
驚いたように目を瞬かせる陸。
「話しかけても返事がそっけないし、目を合わせないし……。だから俺、何か怒らせたのかと思って」
「……それは……俺が、悠真に嫌われたって……」
互いの言葉が、まるで鏡写しのように重なる。
間の抜けた沈黙のあと、ふっと陸が笑った。
泣き笑いのような、不器用な表情だった。
「なんだよ……お互い、勘違いしてたのか」
「……あぁ、バカみたいだな」
笑った途端、こみ上げてくる安堵感に、肩から力が抜ける。
窓の外では、雨脚が少し弱まっていた。
でも、まだ言わなければならない。
俺は一歩近づいて、陸の視線をまっすぐ受け止めた。
「陸、俺……お前に避けられるの、嫌だった」
「……俺も」
短い言葉の中に、今までのもやが少しずつ晴れていくような温かさを感じた。
雨粒がガラスを滑る音が、さっきよりも柔らかく響いていた。
静まり返った教室に、雨の音だけがゆるやかに流れている。
お互いに言葉を失ったまま、しばらく視線を交わし続けた。
その沈黙はもう気まずいものではなく、むしろ離れがたい温もりを孕んでいた。
「……なあ、もうさ」
俺は机の端に手を置きながら、言葉を探した。
「こういうの、やめよう。勝手に誤解して、勝手に距離取って……もったいない」
陸は一瞬だけ視線を逸らし、それから小さくうなずく。
「……うん。俺も、もう嫌だ」
声はかすれていたけど、その響きは真っ直ぐだった。
俺はそっと手を伸ばす。
少し迷ったあと、陸の手に触れた。
指先が重なった瞬間、彼の肩が小さく震える。
「……冷たいな」
「雨に打たれたから」
そう言いながらも、陸は握り返してきた。
その力は弱くも強くもなく、ただ確かだった。
「なあ、さっきの……」
「……うん」
「俺、本当に嫌ってないからな。むしろ……」
そこまで言って、口を噤む。
“むしろ好きだ”――その言葉は喉元まで来て、どうしても声にならなかった。
けれど、陸はわかっているような目をして、少しだけ笑った。
「……知ってるよ」
その一言で、胸の奥が温かく満たされていく。
窓の外を見ると、雨はほとんど止んでいた。灰色の雲が切れ、夕暮れの淡い光が差し込む。
教室の中も、さっきより少し明るく見えた。
「帰るか」
「……うん」
手を繋いだまま立ち上がる。
廊下を歩きながら、足元に響く二人分の足音が妙に心地よかった。
昇降口の扉を押し開けると、雨上がりの匂いが一気に広がった。濡れたアスファルトが夕陽を映してきらめく。
陸がふいに立ち止まり、握った手に少しだけ力を込めた。
「……ありがと」
「何が」
「ちゃんと、話してくれて」
その言葉に、自然と笑みがこぼれる。
「当たり前だろ。これからは、ちゃんと聞く」
「……じゃあ俺も、ちゃんと言う」
互いに笑い合い、また歩き出す。
もう、あの日みたいなすれ違いはしない。
握った手が、そう約束してくれているようだった。
雨上がりの空に、細く虹がかかっていた。
放課後の教室は、いつもなら部活に向かう生徒たちで賑やかだが、今日はやけに静かだった。
悠真はプリントの整理を終えると、ふと視線を上げた。教卓の端、窓際に座る一人の背中が見える。
――陸だ。
肩まで伸びた髪が少し濡れている。いつもなら明るく笑っているはずの彼が、じっと机に顔を伏せていた。
声を掛けようか迷ったが、気づけば足は自然と近づいていた。
「…何してんだ、こんな時間まで」
「……別に」
短い返事。
以前なら、くだらないことで笑い合っていたのに、ここ最近はこんな調子だ。
話しかけても、目を逸らされるか、そっけない返事だけ。理由は分からない。ただ、距離ができたことだけははっきりと感じていた。
窓の外では、グラウンドに大きな水たまりができている。部活の掛け声も聞こえない。
雨の匂いが漂うこの静けさが、やけに息苦しかった。
「陸…」
「…帰れば?」
冷たい言葉に胸がざらつく。
あぁ、やっぱり嫌われたんだろうか。
心当たりがないわけじゃない。二週間ほど前、陸が部活を早退した日があった。声を掛けられたけど、俺は宿題に追われていて「後でな」とだけ答えてしまった。その後からだ。
でも、それだけでここまで避けられるだろうか。
机の上に置かれた陸の手が、小さく震えているのが見えた。
ふいに、雨音が強くなる。
「…なあ、何かあったのか?」
「……」
沈黙が返ってくる。
けれど、その沈黙が、今までよりも遠く感じられた。
机に伏せたまま、陸は動かなかった。
俺は教卓の端に手をつき、彼の顔を覗き込もうとする。
その瞬間、陸は勢いよく椅子を引いて立ち上がった。
「なんで……なんで今さら話しかけんだよ!」
突然の声の大きさに、心臓が跳ねた。
雨音すら一瞬かき消されたような気がする。
「今さらって……俺、別に――」
「“別に”じゃない!」
陸の声は震えていた。怒っているようで、でもその奥には別の感情があるような。
視線を合わせると、赤く滲んだ目が見えた。
「俺、ずっと……悠真に避けられてるって、思ってた」
「……は?」
避けられてる? 俺が? むしろ距離を取られているのは俺の方だと思っていた。
「この前、話しかけたら“後で”って……それっきり、ずっと俺のこと見もしないし……」
「あの時か……」
脳裏に、宿題に追われていた日の光景がよみがえる。
たしかにあの日、陸の表情まで気にする余裕はなかった。
でも、それだけで――。
「俺……悠真に嫌われたんだって、ずっと……」
唇を噛みしめる陸の声は、小さく途切れた。
胸の奥がぎゅっと締めつけられる。
「嫌うわけないだろ」
「でも……」
「俺だって、お前に避けられてるって思ってた」
「……え?」
驚いたように目を瞬かせる陸。
「話しかけても返事がそっけないし、目を合わせないし……。だから俺、何か怒らせたのかと思って」
「……それは……俺が、悠真に嫌われたって……」
互いの言葉が、まるで鏡写しのように重なる。
間の抜けた沈黙のあと、ふっと陸が笑った。
泣き笑いのような、不器用な表情だった。
「なんだよ……お互い、勘違いしてたのか」
「……あぁ、バカみたいだな」
笑った途端、こみ上げてくる安堵感に、肩から力が抜ける。
窓の外では、雨脚が少し弱まっていた。
でも、まだ言わなければならない。
俺は一歩近づいて、陸の視線をまっすぐ受け止めた。
「陸、俺……お前に避けられるの、嫌だった」
「……俺も」
短い言葉の中に、今までのもやが少しずつ晴れていくような温かさを感じた。
雨粒がガラスを滑る音が、さっきよりも柔らかく響いていた。
静まり返った教室に、雨の音だけがゆるやかに流れている。
お互いに言葉を失ったまま、しばらく視線を交わし続けた。
その沈黙はもう気まずいものではなく、むしろ離れがたい温もりを孕んでいた。
「……なあ、もうさ」
俺は机の端に手を置きながら、言葉を探した。
「こういうの、やめよう。勝手に誤解して、勝手に距離取って……もったいない」
陸は一瞬だけ視線を逸らし、それから小さくうなずく。
「……うん。俺も、もう嫌だ」
声はかすれていたけど、その響きは真っ直ぐだった。
俺はそっと手を伸ばす。
少し迷ったあと、陸の手に触れた。
指先が重なった瞬間、彼の肩が小さく震える。
「……冷たいな」
「雨に打たれたから」
そう言いながらも、陸は握り返してきた。
その力は弱くも強くもなく、ただ確かだった。
「なあ、さっきの……」
「……うん」
「俺、本当に嫌ってないからな。むしろ……」
そこまで言って、口を噤む。
“むしろ好きだ”――その言葉は喉元まで来て、どうしても声にならなかった。
けれど、陸はわかっているような目をして、少しだけ笑った。
「……知ってるよ」
その一言で、胸の奥が温かく満たされていく。
窓の外を見ると、雨はほとんど止んでいた。灰色の雲が切れ、夕暮れの淡い光が差し込む。
教室の中も、さっきより少し明るく見えた。
「帰るか」
「……うん」
手を繋いだまま立ち上がる。
廊下を歩きながら、足元に響く二人分の足音が妙に心地よかった。
昇降口の扉を押し開けると、雨上がりの匂いが一気に広がった。濡れたアスファルトが夕陽を映してきらめく。
陸がふいに立ち止まり、握った手に少しだけ力を込めた。
「……ありがと」
「何が」
「ちゃんと、話してくれて」
その言葉に、自然と笑みがこぼれる。
「当たり前だろ。これからは、ちゃんと聞く」
「……じゃあ俺も、ちゃんと言う」
互いに笑い合い、また歩き出す。
もう、あの日みたいなすれ違いはしない。
握った手が、そう約束してくれているようだった。
雨上がりの空に、細く虹がかかっていた。
6
この作品の感想を投稿する
あなたにおすすめの小説
青龍将軍の新婚生活
蒼井あざらし
BL
犬猿の仲だった青辰国と涼白国は長年の争いに終止符を打ち、友好を結ぶこととなった。その友好の証として、それぞれの国を代表する二人の将軍――青龍将軍と白虎将軍の婚姻話が持ち上がる。
武勇名高い二人の将軍の婚姻は政略結婚であることが火を見るより明らかで、国民の誰もが「国境沿いで睨み合いをしていた将軍同士の結婚など上手くいくはずがない」と心の中では思っていた。
そんな国民たちの心配と期待を背負い、青辰の青龍将軍・星燐は家族に高らかに宣言し母国を旅立った。
「私は……良き伴侶となり幸せな家庭を築いて参ります!」
幼少期から伴侶となる人に尽くしたいという願望を持っていた星燐の願いは叶うのか。
中華風政略結婚ラブコメ。
※他のサイトにも投稿しています。
溺愛系とまではいかないけど…過保護系カレシと言った方が 良いじゃねぇ? って親友に言われる僕のカレシさん
315 サイコ
BL
潔癖症で対人恐怖症の汐織は、一目惚れした1つ上の三波 道也に告白する。
が、案の定…
対人恐怖症と潔癖症が、災いして号泣した汐織を心配して手を貸そうとした三波の手を叩いてしまう。
そんな事が、あったのにも関わらず仮の恋人から本当の恋人までなるのだが…
三波もまた、汐織の対応をどうしたらいいのか、戸惑っていた。
そこに汐織の幼馴染みで、隣に住んでいる汐織の姉と付き合っていると言う戸室 久貴が、汐織の頭をポンポンしている場面に遭遇してしまう…
表紙のイラストは、Days AIさんで作らせていただきました。
happy dead end
瑞原唯子
BL
「それでも俺に一生を捧げる覚悟はあるか?」
シルヴィオは幼いころに第一王子の遊び相手として抜擢され、初めて会ったときから彼の美しさに心を奪われた。そして彼もシルヴィオだけに心を開いていた。しかし中等部に上がると、彼はとある女子生徒に興味を示すようになり——。
ラピスラズリの福音
東雲
BL
*異世界ファンタジーBL*
特別な世界観も特殊な設定もありません。壮大な何かもありません。
幼馴染みの二人が遠回りをしながら、相思相愛の果てに結ばれるお話です。
金髪碧眼美形攻め×純朴一途筋肉受け
息をするように体の大きい子受けです。
珍しく年齢制限のないお話ですが、いつもの如く己の『好き』と性癖をたんと詰め込みました!
もう観念しなよ、呆れた顔の彼に諦めの悪い僕は財布の3万円を机の上に置いた
谷地
BL
お昼寝コース(※2時間)8000円。
就寝コースは、8時間/1万5千円・10時間/2万円・12時間/3万円~お選びいただけます。
お好みのキャストを選んで御予約下さい。はじめてに限り2000円値引きキャンペーン実施中!
液晶の中で光るポップなフォントは安っぽくぴかぴかと光っていた。
完結しました *・゚
2025.5.10 少し修正しました。
ブラコンすぎて面倒な男を演じていた平凡兄、やめたら押し倒されました
あと
BL
「お兄ちゃん!人肌脱ぎます!」
完璧公爵跡取り息子許嫁攻め×ブラコン兄鈍感受け
可愛い弟と攻めの幸せのために、平凡なのに面倒な男を演じることにした受け。毎日の告白、束縛発言などを繰り広げ、上手くいきそうになったため、やめたら、なんと…?
攻め:ヴィクター・ローレンツ
受け:リアム・グレイソン
弟:リチャード・グレイソン
pixivにも投稿しています。
ひよったら消します。
誤字脱字はサイレント修正します。
また、内容もサイレント修正する時もあります。
定期的にタグも整理します。
批判・中傷コメントはお控えください。
見つけ次第削除いたします。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる