雨の放課後、君が泣いた理由

雪兎

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雨の放課後、君が泣いた理由

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 窓ガラスに当たる雨粒が、一定のリズムで音を立てていた。
 放課後の教室は、いつもなら部活に向かう生徒たちで賑やかだが、今日はやけに静かだった。
 悠真はプリントの整理を終えると、ふと視線を上げた。教卓の端、窓際に座る一人の背中が見える。

 ――陸だ。
 肩まで伸びた髪が少し濡れている。いつもなら明るく笑っているはずの彼が、じっと机に顔を伏せていた。
 声を掛けようか迷ったが、気づけば足は自然と近づいていた。

「…何してんだ、こんな時間まで」
「……別に」
 短い返事。
 以前なら、くだらないことで笑い合っていたのに、ここ最近はこんな調子だ。
 話しかけても、目を逸らされるか、そっけない返事だけ。理由は分からない。ただ、距離ができたことだけははっきりと感じていた。

 窓の外では、グラウンドに大きな水たまりができている。部活の掛け声も聞こえない。
 雨の匂いが漂うこの静けさが、やけに息苦しかった。

「陸…」
「…帰れば?」
 冷たい言葉に胸がざらつく。
 あぁ、やっぱり嫌われたんだろうか。
 心当たりがないわけじゃない。二週間ほど前、陸が部活を早退した日があった。声を掛けられたけど、俺は宿題に追われていて「後でな」とだけ答えてしまった。その後からだ。
 でも、それだけでここまで避けられるだろうか。

 机の上に置かれた陸の手が、小さく震えているのが見えた。
 ふいに、雨音が強くなる。
「…なあ、何かあったのか?」
「……」
 沈黙が返ってくる。
 けれど、その沈黙が、今までよりも遠く感じられた。

 机に伏せたまま、陸は動かなかった。
 俺は教卓の端に手をつき、彼の顔を覗き込もうとする。
 その瞬間、陸は勢いよく椅子を引いて立ち上がった。
「なんで……なんで今さら話しかけんだよ!」
 突然の声の大きさに、心臓が跳ねた。
 雨音すら一瞬かき消されたような気がする。

「今さらって……俺、別に――」
「“別に”じゃない!」
 陸の声は震えていた。怒っているようで、でもその奥には別の感情があるような。
 視線を合わせると、赤く滲んだ目が見えた。
「俺、ずっと……悠真に避けられてるって、思ってた」
「……は?」
 避けられてる? 俺が? むしろ距離を取られているのは俺の方だと思っていた。

「この前、話しかけたら“後で”って……それっきり、ずっと俺のこと見もしないし……」
「あの時か……」
 脳裏に、宿題に追われていた日の光景がよみがえる。
 たしかにあの日、陸の表情まで気にする余裕はなかった。
 でも、それだけで――。
「俺……悠真に嫌われたんだって、ずっと……」
 唇を噛みしめる陸の声は、小さく途切れた。

 胸の奥がぎゅっと締めつけられる。
「嫌うわけないだろ」
「でも……」
「俺だって、お前に避けられてるって思ってた」
「……え?」
 驚いたように目を瞬かせる陸。
「話しかけても返事がそっけないし、目を合わせないし……。だから俺、何か怒らせたのかと思って」
「……それは……俺が、悠真に嫌われたって……」
 互いの言葉が、まるで鏡写しのように重なる。

 間の抜けた沈黙のあと、ふっと陸が笑った。
 泣き笑いのような、不器用な表情だった。
「なんだよ……お互い、勘違いしてたのか」
「……あぁ、バカみたいだな」
 笑った途端、こみ上げてくる安堵感に、肩から力が抜ける。
 窓の外では、雨脚が少し弱まっていた。

 でも、まだ言わなければならない。
 俺は一歩近づいて、陸の視線をまっすぐ受け止めた。
「陸、俺……お前に避けられるの、嫌だった」
「……俺も」
 短い言葉の中に、今までのもやが少しずつ晴れていくような温かさを感じた。

 雨粒がガラスを滑る音が、さっきよりも柔らかく響いていた。

 静まり返った教室に、雨の音だけがゆるやかに流れている。
 お互いに言葉を失ったまま、しばらく視線を交わし続けた。
 その沈黙はもう気まずいものではなく、むしろ離れがたい温もりを孕んでいた。

「……なあ、もうさ」
 俺は机の端に手を置きながら、言葉を探した。
「こういうの、やめよう。勝手に誤解して、勝手に距離取って……もったいない」
 陸は一瞬だけ視線を逸らし、それから小さくうなずく。
「……うん。俺も、もう嫌だ」
 声はかすれていたけど、その響きは真っ直ぐだった。

 俺はそっと手を伸ばす。
 少し迷ったあと、陸の手に触れた。
 指先が重なった瞬間、彼の肩が小さく震える。
「……冷たいな」
「雨に打たれたから」
 そう言いながらも、陸は握り返してきた。
 その力は弱くも強くもなく、ただ確かだった。

「なあ、さっきの……」
「……うん」
「俺、本当に嫌ってないからな。むしろ……」
 そこまで言って、口を噤む。
 “むしろ好きだ”――その言葉は喉元まで来て、どうしても声にならなかった。
 けれど、陸はわかっているような目をして、少しだけ笑った。
「……知ってるよ」
 その一言で、胸の奥が温かく満たされていく。

 窓の外を見ると、雨はほとんど止んでいた。灰色の雲が切れ、夕暮れの淡い光が差し込む。
 教室の中も、さっきより少し明るく見えた。

「帰るか」
「……うん」
 手を繋いだまま立ち上がる。
 廊下を歩きながら、足元に響く二人分の足音が妙に心地よかった。
 昇降口の扉を押し開けると、雨上がりの匂いが一気に広がった。濡れたアスファルトが夕陽を映してきらめく。

 陸がふいに立ち止まり、握った手に少しだけ力を込めた。
「……ありがと」
「何が」
「ちゃんと、話してくれて」
 その言葉に、自然と笑みがこぼれる。
「当たり前だろ。これからは、ちゃんと聞く」
「……じゃあ俺も、ちゃんと言う」
 互いに笑い合い、また歩き出す。

 もう、あの日みたいなすれ違いはしない。
 握った手が、そう約束してくれているようだった。

 雨上がりの空に、細く虹がかかっていた。
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