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塩対応の同室αが実は俺の番を狙っていた
「……ここ、俺の部屋?」
思わず、そんな声が漏れた。
全寮制で有名な名門校――
俺がこの学園に入学した理由はただ一つ。
Ωでも安心して通える学校だから。
オメガバース社会では、Ωはどうしてもトラブルに巻き込まれやすい。
だからこの学校は、Ω保護の設備やルールが整っていることで有名だった。
その代わり、寮生活は完全二人部屋制。
そして――
「今日からここがお前の部屋だ」
寮監に案内された部屋の前で、俺は固まっていた。
理由はシンプル。
ドアの前に、もう一人立っていたからだ。
黒髪。
背が高い。
制服の着こなしも綺麗で、いかにも優等生。
それだけならよかった。
問題は――
圧がすごい。
鋭い目つきで、じっと俺を見ている。
「あの……」
挨拶しようと口を開くと、
「……」
無言。
え、聞こえてない?
「今日から同室になる——」
「知ってる」
短い一言で会話が終わった。
(え、なにこの人)
寮監は気にした様子もなく言う。
「じゃあ二人とも仲良くやれよ」
バタン。
ドアが閉まる。
沈黙。
とんでもない沈黙。
気まずい。
すごく気まずい。
「えっと……」
なんとか話しかける。
「俺、橘悠真(たちばな ゆうま)。Ωです」
相手は数秒こちらを見てから、
「……神崎」
それだけ言った。
「神崎……?」
「神崎玲(かんざき れい)」
そして沈黙。
(終わり!?)
普通もう少し話すだろ!
同室だよ!?
だが神崎はそれ以上何も言わず、机の方へ行き、普通に本を開いた。
完全に
会話終了モード。
(うわ……)
俺は荷物を抱えたまま、しばらく立ち尽くした。
⸻
それから数日。
結論から言う。
同室生活は最悪だった。
理由は一つ。
神崎が
めちゃくちゃ塩対応。
挨拶。
「おはよう」
「……ああ」
会話。
「今日の授業って——」
「プリント見ろ」
共同生活。
「シャワー先どうぞ」
「……」
無言で入る。
(嫌われてる……)
絶対嫌われてる。
俺、何かした?
でも思い返しても心当たりはない。
むしろ、話しかけてもそっけないだけで、
向こうから話しかけてくることはゼロ。
それどころか。
なぜか
距離を取られている。
部屋の中でも微妙に離れる。
隣に座らない。
視線を合わせない。
(ここまで露骨に避ける!?)
さすがにメンタルが削られてくる。
そんなある日。
教室でクラスメイトに言われた。
「お前さ、神崎と同室なんだって?」
「うん……」
「うわー、大変だな」
「え?」
「神崎ってあの神崎だぞ?」
「あの?」
クラスメイトが声を潜める。
「αトップクラス。」
「……え?」
「成績一位、運動も上位。
しかも家、めちゃくちゃ名家らしい」
「ええ……」
そんな人と同室!?
知らなかった。
「しかもさ」
クラスメイトが続ける。
「Ωにはめちゃくちゃ厳しいって噂」
「え」
「フェロモンとか嫌いらしい」
「えええ」
(それで!?)
全部納得した。
俺Ωだし。
そりゃ距離取るよね!
嫌だよね!
(ごめん神崎……)
なんか申し訳なくなってきた。
⸻
その日の夜。
寮の部屋。
俺はベッドに座っていた。
体が少し重い。
「……やば」
嫌な予感。
鞄から薬を出す。
発情期抑制剤。
Ωにとって必須の薬だ。
だけど——
(間に合うかな……)
少し熱い。
フェロモンが微かに漏れ始めている。
タイミングが悪い。
今日に限って。
神崎が部屋にいる。
(最悪……)
Ωのフェロモンはαを刺激する。
普通のαなら我慢できる。
でも近距離だと危険。
だから寮でも
発情期は保健室へ行くルールがある。
立ち上がる。
「保健室……行かないと」
その時。
ガチャ。
ドアが開いた。
神崎が戻ってきた。
そして。
ピタッと動きを止める。
空気が変わる。
「……橘」
低い声。
「フェロモン出てる」
(やば)
「ご、ごめん!今出るから——」
言い終わる前に。
体がふらついた。
「っ」
視界が揺れる。
次の瞬間。
腕を掴まれた。
「……馬鹿か」
神崎の声が近い。
「この状態で廊下出る気か」
「でも……」
「他のαいたらどうする」
強く言われる。
そして。
神崎は小さく息を吐いた。
「……座れ」
「え?」
「俺が抑える」
「え?」
思考が止まる。
「大丈夫だ」
神崎は目を伏せて言った。
「他のαよりマシだろ」
その言葉の意味を、
この時の俺はまだ理解していなかった。
「……座れ」
神崎の声は低くて落ち着いていた。
けれど俺の頭は完全に混乱していた。
「え、いや……大丈夫だから」
「大丈夫じゃない」
即答。
「フェロモン強い」
「っ……」
自覚はある。
体が熱い。
頭も少しぼーっとする。
発情期の前兆だ。
本来なら保健室で隔離されるレベル。
「薬飲んだか」
「今から……」
「遅い」
神崎は短く言った。
そして俺の肩を押して、ベッドに座らせる。
「ちょ、神崎——」
その時だった。
ふわっと空気が変わった。
「……っ」
甘い香り。
一瞬、何が起きたのかわからなかった。
次の瞬間。
体の熱が、少し引く。
「え?」
思わず顔を上げる。
神崎は少しだけ顔をしかめていた。
「落ち着いたか」
「……今の」
「フェロモン」
「え?」
「αの」
さらっと言われる。
俺は目を丸くした。
「出してるの!?」
普通、αは簡単にフェロモンを出さない。
むしろ抑えるものだ。
特にΩの近くでは。
でも神崎は平然としていた。
「少しだけだ」
「でも……」
「お前のフェロモンが強すぎる」
神崎は淡々と続ける。
「このまま廊下出たら他のαに捕まる」
「……」
「ここで落ち着く方が安全」
理屈はわかる。
でも。
(距離が近い)
神崎がすぐ目の前にいる。
普段はあんなに距離を取るのに。
今は、手を伸ばせば触れる距離。
いや。
もう触れてる。
俺の腕を、神崎の手が掴んでいる。
「……」
神崎は俺の様子をじっと見ていた。
その目が妙に真剣で。
なんだか、落ち着かない。
「神崎」
「何」
「……そんなに俺のフェロモン嫌?」
思わず聞いてしまった。
すると。
神崎の眉が少し動いた。
「別に」
「でも避けてるじゃん」
「……」
沈黙。
やっぱりそうなんだ。
Ω嫌いなんだろうな。
「ごめん」
俺は目を逸らした。
「同室なのに迷惑かけて」
「……」
「Ωってやっぱ面倒だよね」
そこまで言った時。
ぐいっと顎を掴まれた。
「え」
顔を上げさせられる。
目の前に神崎の顔。
距離、近すぎる。
「誰がそんなこと言った」
低い声。
さっきよりずっと低い。
「え?」
「面倒なんて言ってない」
「でも……」
「勝手に決めるな」
強い言い方だった。
俺は目を瞬いた。
こんな感情的な神崎、初めて見た。
「……神崎?」
「……」
神崎は何か言いかけて、止めた。
それから、ゆっくり手を離す。
「薬飲め」
「え、あ、うん」
俺は慌てて抑制剤を飲んだ。
水を飲みながら、こっそり神崎を見る。
神崎は窓の方を向いていた。
でも。
耳が少し赤い。
(え?)
もしかして。
怒ってる?
いやでも。
怒る理由なくない?
混乱していると、神崎がぽつりと言った。
「……橘」
「なに?」
「発情期、近いのか」
「うん、多分」
「……」
神崎は少し黙った。
それから。
「その時は」
短く言う。
「俺に言え」
「え?」
「部屋にいればいい」
意味がわからない。
「でも神崎、Ω苦手なんじゃ——」
「違う」
即否定。
「……苦手じゃない」
その声は小さかった。
そして神崎は、俺を見ないまま言った。
「他のαに近づく方が嫌だ」
「え?」
思わず聞き返した。
でも神崎はそれ以上何も言わなかった。
「今日はもう寝ろ」
いつもの塩対応に戻っていた。
だけど。
ベッドに入ってからも。
俺の頭の中には、さっきの言葉がずっと残っていた。
——他のαに近づく方が嫌だ。
(それって……)
どういう意味?
発情期騒動の翌日。
朝。
「……おはよ」
俺は恐る恐る言った。
神崎は机で本を読んでいた。
ちらっとこちらを見る。
「……ああ」
普通だ。
いつもの塩対応。
(昨日のこと覚えてないのかな)
いや、そんなわけない。
あんな距離近かったし。
顎掴まれたし。
フェロモンも出してたし。
思い出すと顔が熱くなる。
「体調」
神崎が言った。
「大丈夫か」
「え?」
一瞬、聞き返してしまった。
神崎が体調を気にするなんて初めてだ。
「うん、大丈夫」
「そうか」
会話終了。
(でも……)
ちょっとだけ。
昨日より空気が柔らかい気がする。
⸻
昼休み。
食堂で一人でご飯を食べていると、クラスメイトが声をかけてきた。
「橘!」
「お、佐藤」
佐藤は同じクラスのαだ。
気さくで話しやすい。
「一緒いい?」
「どうぞ」
向かいに座る。
「そういえばさ」
佐藤が言った。
「神崎と同室なんだよな?」
「うん」
「どう?」
「……塩」
「だよなー!」
佐藤は笑った。
「神崎ってさ、基本誰にも興味ない感じだよな」
「うん……」
確かにそうだ。
クラスでも神崎はいつも一人だ。
友達と騒ぐタイプではない。
むしろ距離を置いている。
「でも橘すごいよな」
「え?」
「Ωなのに同室耐えてるじゃん」
「いやまあ……」
耐えてるって言われるとちょっと悲しい。
でも実際、気まずいのは確かだ。
「橘ってさ」
佐藤がふと言う。
「フェロモン優しい匂いするよな」
「え」
Ωはフェロモンの匂いがある。
でも普通、そんな直接言わない。
「昨日廊下ですれ違った時さ」
佐藤は笑った。
「ちょっとドキッとした」
「え、ちょっと」
それは困る。
Ω的に。
すると。
「……」
背後から視線を感じた。
振り向く。
そこにいたのは。
神崎。
(え)
いつからいた?
神崎は無言でこちらを見ていた。
その視線が。
なぜか
めちゃくちゃ怖い。
「神崎?」
声をかけると。
神崎はゆっくり近づいてきた。
そして。
俺の肩を掴む。
「……橘」
「な、なに?」
「戻るぞ」
「え?まだ食べて——」
「いいから」
強引だった。
俺の腕を引く。
「お、おい神崎!」
「……」
無言。
食堂を出るまで、ずっと腕を掴まれていた。
⸻
寮の廊下。
「神崎、ちょっと!」
俺はやっと手を振りほどいた。
「なんなの!?」
神崎は数秒黙っていた。
そして言った。
「……あいつ」
「え?」
「佐藤」
「うん」
「距離近い」
「え?」
意味がわからない。
「普通だよ?」
「普通じゃない」
神崎は眉を寄せていた。
「Ωにあんな近づくαは普通じゃない」
「いやでも友達だし」
「……」
沈黙。
そのあと神崎は低く言った。
「フェロモンの話してた」
「え」
聞いてたの!?
「別に悪い意味じゃ——」
「知ってる」
神崎は目を逸らした。
そして。
小さく言った。
「……嫌だっただけだ」
「え?」
「他のαが」
一瞬止まる。
それから。
「お前の匂い嗅ぐのが」
心臓が跳ねた。
「……神崎」
神崎は俺を見なかった。
でも。
耳が赤い。
「誤解するな」
神崎は言う。
「Ωだから気をつけてるだけだ」
「……」
「危ないから」
そう言って神崎は歩き出した。
「戻るぞ」
俺はその背中を見ながら思った。
(それだけ……?)
本当に?
本当にそれだけ?
最近、神崎の様子が少しおかしい。
いや、正確には——
俺への距離が近い。
以前なら机と机の間に必ず距離があった。
でも今は。
「……」
神崎が普通に隣に座っている。
寮の部屋。
俺はベッドで本を読んでいた。
神崎は机で勉強している。
その距離、二メートルもない。
前なら絶対もっと離れていた。
(なんでだろ)
しかも。
最近よく視線を感じる。
ふと顔を上げると、神崎がこっちを見ている。
でも目が合うとすぐ逸らす。
(なにこれ)
気まずい。
というか。
落ち着かない。
「橘」
「え?」
突然名前を呼ばれた。
「明日」
神崎が言う。
「保健室行け」
「え?」
「検査」
「なんの?」
神崎は一瞬黙った。
それから低く言った。
「番適合検査」
「え」
思考が止まる。
「……番?」
オメガバース社会で言う
運命の番。
αとΩが、唯一無二の相手になる関係。
フェロモンの相性が極端に高い者同士で、
一度番になると他の相手は受け付けなくなる。
でも。
「なんで俺?」
「……」
神崎は答えない。
「神崎?」
「昨日」
神崎がぽつりと言った。
「保健の教師に言われた」
「え?」
「お前のフェロモン」
神崎は少し眉を寄せた。
「……反応した」
「え?」
意味がわからない。
「αが?」
「……俺が」
一瞬、空気が止まる。
「え?」
「検査しろって言われた」
「な、なんで!?」
神崎はゆっくり言った。
「番の可能性があるから」
心臓がドクンと鳴った。
「え、でも」
そんなの。
漫画みたいな話じゃないか。
「神崎、俺のこと嫌いじゃ——」
「嫌いじゃない」
即答だった。
俺は固まる。
神崎は少し目を逸らした。
そして小さく言った。
「……むしろ逆だ」
「え?」
「だから」
神崎は立ち上がった。
そして俺の前まで来る。
距離が近い。
昨日より、さらに近い。
「検査しろ」
低い声。
「はっきりさせる」
「……もし」
俺は思わず聞いた。
「もし番じゃなかったら?」
神崎は一瞬黙った。
それから言った。
「……その時は」
「うん」
「距離取る」
「え」
胸が少し痛んだ。
「なんで?」
神崎は俺を見た。
その目は真剣だった。
「これ以上近くにいると」
そして。
小さく言う。
「我慢できなくなる」
「え」
「番じゃないΩに」
神崎は目を伏せた。
「手出すわけにはいかない」
頭が真っ白になる。
(え)
それって。
それってつまり。
「神崎」
声が震える。
「俺のこと」
神崎は一瞬だけ迷ってから言った。
「……好きだ」
心臓が爆発しそうになった。
でも。
次の言葉は。
「だから距離取ってた」
静かな声だった。
「最初から」
「え」
「お前のフェロモン」
神崎は苦笑した。
「最初からきつかった」
「ええ!?」
「番かもしれないΩと同室とか」
神崎はため息をついた。
「地獄だろ」
俺は呆然と神崎を見た。
つまり。
今までの塩対応は。
嫌いだからじゃなくて。
我慢してたから?
「……橘」
神崎が言う。
「明日検査しろ」
「う、うん」
「もし」
神崎は少しだけ笑った。
初めて見る笑顔だった。
「番だったら」
その目はまっすぐ俺を見ていた。
「もう遠慮しない」
心臓がうるさい。
(これ……)
どうなるんだ。
次の日。
俺は保健室の前に立っていた。
「……緊張する」
番適合検査。
普通は滅多に受けない。
そもそも運命の番なんてほとんど存在しないからだ。
なのに。
俺と神崎にその可能性があるらしい。
(嘘みたいだ)
コンコン。
ノックする。
「どうぞ」
保健教師に呼ばれ、中に入る。
神崎はもう来ていた。
窓際に立っている。
目が合う。
神崎は少しだけ頷いた。
それだけで、少し安心する。
「じゃあ二人とも座って」
保健教師が言う。
机の上に検査キットが置かれていた。
「やることは簡単。
フェロモン反応と血液検査」
俺はごくりと唾を飲む。
「もし適合率が高ければ」
教師が言った。
「ほぼ番確定」
ドキン。
心臓が跳ねる。
「じゃあ始めるよ」
⸻
検査自体はすぐ終わった。
問題は
結果待ち。
保健室のソファで並んで座る。
沈黙。
妙に落ち着かない。
神崎も何も言わない。
でも。
いつもより距離が近い。
肩が触れそうなくらい。
(近い……)
そう思った瞬間。
ふわっと匂いがした。
落ち着く匂い。
神崎のフェロモン。
俺は思わず顔を上げた。
神崎が小さく言う。
「……落ち着くか」
「うん」
素直に頷く。
不思議だ。
昨日まであんなに緊張してたのに。
今は。
神崎の匂いがあると安心する。
すると。
「結果出たよ」
保健教師が戻ってきた。
俺の心臓が爆音になる。
紙を見ながら言う。
「適合率」
一瞬の沈黙。
「99.8%」
「え」
「ほぼ確定だね」
先生は笑った。
「おめでとう」
俺は固まる。
「え、じゃあ」
「うん」
先生が言う。
「君たち番だよ」
その瞬間。
隣で空気が変わった。
神崎。
さっきまで落ち着いていたのに。
今は。
明らかに。
αの圧が強い。
「……橘」
低い声。
名前を呼ばれる。
ドキン。
「帰るぞ」
「え?」
「部屋」
神崎は立ち上がった。
先生が笑う。
「今日は授業免除しておくよ」
「ありがとうございます」
神崎は頭を下げる。
そして。
俺の手首を掴む。
「行くぞ」
「え、ちょ、神崎!」
そのまま寮まで連れて行かれた。
⸻
部屋に入る。
ドアが閉まる。
次の瞬間。
壁に押し付けられた。
「え」
距離がゼロ。
神崎の顔が目の前。
「神崎!?」
「……無理」
低い声。
「今まで我慢してた」
「え」
「限界」
神崎の手が俺の頬に触れる。
優しいのに。
震えている。
「橘」
名前を呼ばれる。
その目は真っ直ぐだった。
「俺の番」
胸が熱くなる。
「……うん」
小さく頷く。
次の瞬間。
神崎が俺を抱きしめた。
ぎゅっと。
強く。
「……やっとだ」
耳元で囁かれる。
「最初から」
「え?」
「お前の匂い」
神崎は笑った。
「好きだった」
心臓がうるさい。
「橘」
神崎が言う。
「番になる」
「うん」
「いい?」
答えは決まっている。
「……いいよ」
神崎の目が少しだけ揺れた。
そして。
首筋に顔を寄せる。
フェロモンが強くなる。
甘い匂い。
ドクドクと心臓が鳴る。
「噛むぞ」
「うん」
その瞬間。
軽い痛み。
歯が首に触れる。
そして。
番の印。
フェロモンが一気に混ざる。
体が熱くなる。
でも怖くない。
むしろ。
安心する。
神崎が離れた。
少しだけ赤い顔で言う。
「……もう逃がさない」
「え」
「橘」
真っ直ぐな目。
「俺のだから」
独占欲。
でも不思議と嫌じゃない。
むしろ嬉しい。
「神崎」
俺は笑った。
「これから同室だね」
神崎は少し驚いて。
そして。
小さく笑った。
「……ああ」
それから神崎は言った。
「今度は遠慮しない」
「え?」
「溺愛する」
顔が熱くなる。
「覚悟しろ」
こうして。
塩対応だった同室αは——
世界一甘い番になった。
思わず、そんな声が漏れた。
全寮制で有名な名門校――
俺がこの学園に入学した理由はただ一つ。
Ωでも安心して通える学校だから。
オメガバース社会では、Ωはどうしてもトラブルに巻き込まれやすい。
だからこの学校は、Ω保護の設備やルールが整っていることで有名だった。
その代わり、寮生活は完全二人部屋制。
そして――
「今日からここがお前の部屋だ」
寮監に案内された部屋の前で、俺は固まっていた。
理由はシンプル。
ドアの前に、もう一人立っていたからだ。
黒髪。
背が高い。
制服の着こなしも綺麗で、いかにも優等生。
それだけならよかった。
問題は――
圧がすごい。
鋭い目つきで、じっと俺を見ている。
「あの……」
挨拶しようと口を開くと、
「……」
無言。
え、聞こえてない?
「今日から同室になる——」
「知ってる」
短い一言で会話が終わった。
(え、なにこの人)
寮監は気にした様子もなく言う。
「じゃあ二人とも仲良くやれよ」
バタン。
ドアが閉まる。
沈黙。
とんでもない沈黙。
気まずい。
すごく気まずい。
「えっと……」
なんとか話しかける。
「俺、橘悠真(たちばな ゆうま)。Ωです」
相手は数秒こちらを見てから、
「……神崎」
それだけ言った。
「神崎……?」
「神崎玲(かんざき れい)」
そして沈黙。
(終わり!?)
普通もう少し話すだろ!
同室だよ!?
だが神崎はそれ以上何も言わず、机の方へ行き、普通に本を開いた。
完全に
会話終了モード。
(うわ……)
俺は荷物を抱えたまま、しばらく立ち尽くした。
⸻
それから数日。
結論から言う。
同室生活は最悪だった。
理由は一つ。
神崎が
めちゃくちゃ塩対応。
挨拶。
「おはよう」
「……ああ」
会話。
「今日の授業って——」
「プリント見ろ」
共同生活。
「シャワー先どうぞ」
「……」
無言で入る。
(嫌われてる……)
絶対嫌われてる。
俺、何かした?
でも思い返しても心当たりはない。
むしろ、話しかけてもそっけないだけで、
向こうから話しかけてくることはゼロ。
それどころか。
なぜか
距離を取られている。
部屋の中でも微妙に離れる。
隣に座らない。
視線を合わせない。
(ここまで露骨に避ける!?)
さすがにメンタルが削られてくる。
そんなある日。
教室でクラスメイトに言われた。
「お前さ、神崎と同室なんだって?」
「うん……」
「うわー、大変だな」
「え?」
「神崎ってあの神崎だぞ?」
「あの?」
クラスメイトが声を潜める。
「αトップクラス。」
「……え?」
「成績一位、運動も上位。
しかも家、めちゃくちゃ名家らしい」
「ええ……」
そんな人と同室!?
知らなかった。
「しかもさ」
クラスメイトが続ける。
「Ωにはめちゃくちゃ厳しいって噂」
「え」
「フェロモンとか嫌いらしい」
「えええ」
(それで!?)
全部納得した。
俺Ωだし。
そりゃ距離取るよね!
嫌だよね!
(ごめん神崎……)
なんか申し訳なくなってきた。
⸻
その日の夜。
寮の部屋。
俺はベッドに座っていた。
体が少し重い。
「……やば」
嫌な予感。
鞄から薬を出す。
発情期抑制剤。
Ωにとって必須の薬だ。
だけど——
(間に合うかな……)
少し熱い。
フェロモンが微かに漏れ始めている。
タイミングが悪い。
今日に限って。
神崎が部屋にいる。
(最悪……)
Ωのフェロモンはαを刺激する。
普通のαなら我慢できる。
でも近距離だと危険。
だから寮でも
発情期は保健室へ行くルールがある。
立ち上がる。
「保健室……行かないと」
その時。
ガチャ。
ドアが開いた。
神崎が戻ってきた。
そして。
ピタッと動きを止める。
空気が変わる。
「……橘」
低い声。
「フェロモン出てる」
(やば)
「ご、ごめん!今出るから——」
言い終わる前に。
体がふらついた。
「っ」
視界が揺れる。
次の瞬間。
腕を掴まれた。
「……馬鹿か」
神崎の声が近い。
「この状態で廊下出る気か」
「でも……」
「他のαいたらどうする」
強く言われる。
そして。
神崎は小さく息を吐いた。
「……座れ」
「え?」
「俺が抑える」
「え?」
思考が止まる。
「大丈夫だ」
神崎は目を伏せて言った。
「他のαよりマシだろ」
その言葉の意味を、
この時の俺はまだ理解していなかった。
「……座れ」
神崎の声は低くて落ち着いていた。
けれど俺の頭は完全に混乱していた。
「え、いや……大丈夫だから」
「大丈夫じゃない」
即答。
「フェロモン強い」
「っ……」
自覚はある。
体が熱い。
頭も少しぼーっとする。
発情期の前兆だ。
本来なら保健室で隔離されるレベル。
「薬飲んだか」
「今から……」
「遅い」
神崎は短く言った。
そして俺の肩を押して、ベッドに座らせる。
「ちょ、神崎——」
その時だった。
ふわっと空気が変わった。
「……っ」
甘い香り。
一瞬、何が起きたのかわからなかった。
次の瞬間。
体の熱が、少し引く。
「え?」
思わず顔を上げる。
神崎は少しだけ顔をしかめていた。
「落ち着いたか」
「……今の」
「フェロモン」
「え?」
「αの」
さらっと言われる。
俺は目を丸くした。
「出してるの!?」
普通、αは簡単にフェロモンを出さない。
むしろ抑えるものだ。
特にΩの近くでは。
でも神崎は平然としていた。
「少しだけだ」
「でも……」
「お前のフェロモンが強すぎる」
神崎は淡々と続ける。
「このまま廊下出たら他のαに捕まる」
「……」
「ここで落ち着く方が安全」
理屈はわかる。
でも。
(距離が近い)
神崎がすぐ目の前にいる。
普段はあんなに距離を取るのに。
今は、手を伸ばせば触れる距離。
いや。
もう触れてる。
俺の腕を、神崎の手が掴んでいる。
「……」
神崎は俺の様子をじっと見ていた。
その目が妙に真剣で。
なんだか、落ち着かない。
「神崎」
「何」
「……そんなに俺のフェロモン嫌?」
思わず聞いてしまった。
すると。
神崎の眉が少し動いた。
「別に」
「でも避けてるじゃん」
「……」
沈黙。
やっぱりそうなんだ。
Ω嫌いなんだろうな。
「ごめん」
俺は目を逸らした。
「同室なのに迷惑かけて」
「……」
「Ωってやっぱ面倒だよね」
そこまで言った時。
ぐいっと顎を掴まれた。
「え」
顔を上げさせられる。
目の前に神崎の顔。
距離、近すぎる。
「誰がそんなこと言った」
低い声。
さっきよりずっと低い。
「え?」
「面倒なんて言ってない」
「でも……」
「勝手に決めるな」
強い言い方だった。
俺は目を瞬いた。
こんな感情的な神崎、初めて見た。
「……神崎?」
「……」
神崎は何か言いかけて、止めた。
それから、ゆっくり手を離す。
「薬飲め」
「え、あ、うん」
俺は慌てて抑制剤を飲んだ。
水を飲みながら、こっそり神崎を見る。
神崎は窓の方を向いていた。
でも。
耳が少し赤い。
(え?)
もしかして。
怒ってる?
いやでも。
怒る理由なくない?
混乱していると、神崎がぽつりと言った。
「……橘」
「なに?」
「発情期、近いのか」
「うん、多分」
「……」
神崎は少し黙った。
それから。
「その時は」
短く言う。
「俺に言え」
「え?」
「部屋にいればいい」
意味がわからない。
「でも神崎、Ω苦手なんじゃ——」
「違う」
即否定。
「……苦手じゃない」
その声は小さかった。
そして神崎は、俺を見ないまま言った。
「他のαに近づく方が嫌だ」
「え?」
思わず聞き返した。
でも神崎はそれ以上何も言わなかった。
「今日はもう寝ろ」
いつもの塩対応に戻っていた。
だけど。
ベッドに入ってからも。
俺の頭の中には、さっきの言葉がずっと残っていた。
——他のαに近づく方が嫌だ。
(それって……)
どういう意味?
発情期騒動の翌日。
朝。
「……おはよ」
俺は恐る恐る言った。
神崎は机で本を読んでいた。
ちらっとこちらを見る。
「……ああ」
普通だ。
いつもの塩対応。
(昨日のこと覚えてないのかな)
いや、そんなわけない。
あんな距離近かったし。
顎掴まれたし。
フェロモンも出してたし。
思い出すと顔が熱くなる。
「体調」
神崎が言った。
「大丈夫か」
「え?」
一瞬、聞き返してしまった。
神崎が体調を気にするなんて初めてだ。
「うん、大丈夫」
「そうか」
会話終了。
(でも……)
ちょっとだけ。
昨日より空気が柔らかい気がする。
⸻
昼休み。
食堂で一人でご飯を食べていると、クラスメイトが声をかけてきた。
「橘!」
「お、佐藤」
佐藤は同じクラスのαだ。
気さくで話しやすい。
「一緒いい?」
「どうぞ」
向かいに座る。
「そういえばさ」
佐藤が言った。
「神崎と同室なんだよな?」
「うん」
「どう?」
「……塩」
「だよなー!」
佐藤は笑った。
「神崎ってさ、基本誰にも興味ない感じだよな」
「うん……」
確かにそうだ。
クラスでも神崎はいつも一人だ。
友達と騒ぐタイプではない。
むしろ距離を置いている。
「でも橘すごいよな」
「え?」
「Ωなのに同室耐えてるじゃん」
「いやまあ……」
耐えてるって言われるとちょっと悲しい。
でも実際、気まずいのは確かだ。
「橘ってさ」
佐藤がふと言う。
「フェロモン優しい匂いするよな」
「え」
Ωはフェロモンの匂いがある。
でも普通、そんな直接言わない。
「昨日廊下ですれ違った時さ」
佐藤は笑った。
「ちょっとドキッとした」
「え、ちょっと」
それは困る。
Ω的に。
すると。
「……」
背後から視線を感じた。
振り向く。
そこにいたのは。
神崎。
(え)
いつからいた?
神崎は無言でこちらを見ていた。
その視線が。
なぜか
めちゃくちゃ怖い。
「神崎?」
声をかけると。
神崎はゆっくり近づいてきた。
そして。
俺の肩を掴む。
「……橘」
「な、なに?」
「戻るぞ」
「え?まだ食べて——」
「いいから」
強引だった。
俺の腕を引く。
「お、おい神崎!」
「……」
無言。
食堂を出るまで、ずっと腕を掴まれていた。
⸻
寮の廊下。
「神崎、ちょっと!」
俺はやっと手を振りほどいた。
「なんなの!?」
神崎は数秒黙っていた。
そして言った。
「……あいつ」
「え?」
「佐藤」
「うん」
「距離近い」
「え?」
意味がわからない。
「普通だよ?」
「普通じゃない」
神崎は眉を寄せていた。
「Ωにあんな近づくαは普通じゃない」
「いやでも友達だし」
「……」
沈黙。
そのあと神崎は低く言った。
「フェロモンの話してた」
「え」
聞いてたの!?
「別に悪い意味じゃ——」
「知ってる」
神崎は目を逸らした。
そして。
小さく言った。
「……嫌だっただけだ」
「え?」
「他のαが」
一瞬止まる。
それから。
「お前の匂い嗅ぐのが」
心臓が跳ねた。
「……神崎」
神崎は俺を見なかった。
でも。
耳が赤い。
「誤解するな」
神崎は言う。
「Ωだから気をつけてるだけだ」
「……」
「危ないから」
そう言って神崎は歩き出した。
「戻るぞ」
俺はその背中を見ながら思った。
(それだけ……?)
本当に?
本当にそれだけ?
最近、神崎の様子が少しおかしい。
いや、正確には——
俺への距離が近い。
以前なら机と机の間に必ず距離があった。
でも今は。
「……」
神崎が普通に隣に座っている。
寮の部屋。
俺はベッドで本を読んでいた。
神崎は机で勉強している。
その距離、二メートルもない。
前なら絶対もっと離れていた。
(なんでだろ)
しかも。
最近よく視線を感じる。
ふと顔を上げると、神崎がこっちを見ている。
でも目が合うとすぐ逸らす。
(なにこれ)
気まずい。
というか。
落ち着かない。
「橘」
「え?」
突然名前を呼ばれた。
「明日」
神崎が言う。
「保健室行け」
「え?」
「検査」
「なんの?」
神崎は一瞬黙った。
それから低く言った。
「番適合検査」
「え」
思考が止まる。
「……番?」
オメガバース社会で言う
運命の番。
αとΩが、唯一無二の相手になる関係。
フェロモンの相性が極端に高い者同士で、
一度番になると他の相手は受け付けなくなる。
でも。
「なんで俺?」
「……」
神崎は答えない。
「神崎?」
「昨日」
神崎がぽつりと言った。
「保健の教師に言われた」
「え?」
「お前のフェロモン」
神崎は少し眉を寄せた。
「……反応した」
「え?」
意味がわからない。
「αが?」
「……俺が」
一瞬、空気が止まる。
「え?」
「検査しろって言われた」
「な、なんで!?」
神崎はゆっくり言った。
「番の可能性があるから」
心臓がドクンと鳴った。
「え、でも」
そんなの。
漫画みたいな話じゃないか。
「神崎、俺のこと嫌いじゃ——」
「嫌いじゃない」
即答だった。
俺は固まる。
神崎は少し目を逸らした。
そして小さく言った。
「……むしろ逆だ」
「え?」
「だから」
神崎は立ち上がった。
そして俺の前まで来る。
距離が近い。
昨日より、さらに近い。
「検査しろ」
低い声。
「はっきりさせる」
「……もし」
俺は思わず聞いた。
「もし番じゃなかったら?」
神崎は一瞬黙った。
それから言った。
「……その時は」
「うん」
「距離取る」
「え」
胸が少し痛んだ。
「なんで?」
神崎は俺を見た。
その目は真剣だった。
「これ以上近くにいると」
そして。
小さく言う。
「我慢できなくなる」
「え」
「番じゃないΩに」
神崎は目を伏せた。
「手出すわけにはいかない」
頭が真っ白になる。
(え)
それって。
それってつまり。
「神崎」
声が震える。
「俺のこと」
神崎は一瞬だけ迷ってから言った。
「……好きだ」
心臓が爆発しそうになった。
でも。
次の言葉は。
「だから距離取ってた」
静かな声だった。
「最初から」
「え」
「お前のフェロモン」
神崎は苦笑した。
「最初からきつかった」
「ええ!?」
「番かもしれないΩと同室とか」
神崎はため息をついた。
「地獄だろ」
俺は呆然と神崎を見た。
つまり。
今までの塩対応は。
嫌いだからじゃなくて。
我慢してたから?
「……橘」
神崎が言う。
「明日検査しろ」
「う、うん」
「もし」
神崎は少しだけ笑った。
初めて見る笑顔だった。
「番だったら」
その目はまっすぐ俺を見ていた。
「もう遠慮しない」
心臓がうるさい。
(これ……)
どうなるんだ。
次の日。
俺は保健室の前に立っていた。
「……緊張する」
番適合検査。
普通は滅多に受けない。
そもそも運命の番なんてほとんど存在しないからだ。
なのに。
俺と神崎にその可能性があるらしい。
(嘘みたいだ)
コンコン。
ノックする。
「どうぞ」
保健教師に呼ばれ、中に入る。
神崎はもう来ていた。
窓際に立っている。
目が合う。
神崎は少しだけ頷いた。
それだけで、少し安心する。
「じゃあ二人とも座って」
保健教師が言う。
机の上に検査キットが置かれていた。
「やることは簡単。
フェロモン反応と血液検査」
俺はごくりと唾を飲む。
「もし適合率が高ければ」
教師が言った。
「ほぼ番確定」
ドキン。
心臓が跳ねる。
「じゃあ始めるよ」
⸻
検査自体はすぐ終わった。
問題は
結果待ち。
保健室のソファで並んで座る。
沈黙。
妙に落ち着かない。
神崎も何も言わない。
でも。
いつもより距離が近い。
肩が触れそうなくらい。
(近い……)
そう思った瞬間。
ふわっと匂いがした。
落ち着く匂い。
神崎のフェロモン。
俺は思わず顔を上げた。
神崎が小さく言う。
「……落ち着くか」
「うん」
素直に頷く。
不思議だ。
昨日まであんなに緊張してたのに。
今は。
神崎の匂いがあると安心する。
すると。
「結果出たよ」
保健教師が戻ってきた。
俺の心臓が爆音になる。
紙を見ながら言う。
「適合率」
一瞬の沈黙。
「99.8%」
「え」
「ほぼ確定だね」
先生は笑った。
「おめでとう」
俺は固まる。
「え、じゃあ」
「うん」
先生が言う。
「君たち番だよ」
その瞬間。
隣で空気が変わった。
神崎。
さっきまで落ち着いていたのに。
今は。
明らかに。
αの圧が強い。
「……橘」
低い声。
名前を呼ばれる。
ドキン。
「帰るぞ」
「え?」
「部屋」
神崎は立ち上がった。
先生が笑う。
「今日は授業免除しておくよ」
「ありがとうございます」
神崎は頭を下げる。
そして。
俺の手首を掴む。
「行くぞ」
「え、ちょ、神崎!」
そのまま寮まで連れて行かれた。
⸻
部屋に入る。
ドアが閉まる。
次の瞬間。
壁に押し付けられた。
「え」
距離がゼロ。
神崎の顔が目の前。
「神崎!?」
「……無理」
低い声。
「今まで我慢してた」
「え」
「限界」
神崎の手が俺の頬に触れる。
優しいのに。
震えている。
「橘」
名前を呼ばれる。
その目は真っ直ぐだった。
「俺の番」
胸が熱くなる。
「……うん」
小さく頷く。
次の瞬間。
神崎が俺を抱きしめた。
ぎゅっと。
強く。
「……やっとだ」
耳元で囁かれる。
「最初から」
「え?」
「お前の匂い」
神崎は笑った。
「好きだった」
心臓がうるさい。
「橘」
神崎が言う。
「番になる」
「うん」
「いい?」
答えは決まっている。
「……いいよ」
神崎の目が少しだけ揺れた。
そして。
首筋に顔を寄せる。
フェロモンが強くなる。
甘い匂い。
ドクドクと心臓が鳴る。
「噛むぞ」
「うん」
その瞬間。
軽い痛み。
歯が首に触れる。
そして。
番の印。
フェロモンが一気に混ざる。
体が熱くなる。
でも怖くない。
むしろ。
安心する。
神崎が離れた。
少しだけ赤い顔で言う。
「……もう逃がさない」
「え」
「橘」
真っ直ぐな目。
「俺のだから」
独占欲。
でも不思議と嫌じゃない。
むしろ嬉しい。
「神崎」
俺は笑った。
「これから同室だね」
神崎は少し驚いて。
そして。
小さく笑った。
「……ああ」
それから神崎は言った。
「今度は遠慮しない」
「え?」
「溺愛する」
顔が熱くなる。
「覚悟しろ」
こうして。
塩対応だった同室αは——
世界一甘い番になった。
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