αに軟禁されました

雪兎

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αに軟禁されました

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 目が覚めた瞬間、ここが自分の部屋ではないと分かった。

 白い天井。見知らぬカーテン。柔らかなベッド。

 そして、かすかに漂う甘くも鋭い匂い。

「……っ」

 喉がひりつく。これは——αのフェロモン。

 俺、篠宮 湊(しのみや みなと)は、隠して生きてきたΩだ。抑制剤を飲み、匂いを消し、普通の会社員として目立たないように暮らしていた。

 なのに。

「目が覚めたか」

 低く落ち着いた声が、部屋の奥から聞こえた。

 黒いシャツに身を包んだ男が、窓辺からこちらを見ている。

 整った顔立ち。揺るぎない視線。隠す気もない圧倒的なαの気配。

 ——鷹宮(たかみや)だ。

 取引先の社長。若くして会社を継いだやり手のα。

「……どうして、ここに」

「君が倒れたからだ」

 淡々と告げられる。

 昨日、帰宅途中に強い眩暈がした。抑制剤が効きにくくなっていたのは自覚していた。

「病院じゃなくて……?」

「君は、Ωであることを公にしたいのか?」

 息が詰まる。

 この社会では、Ωはまだ弱い立場だ。就職も昇進も、見えない壁がある。

 だから俺は隠してきた。

「……ここは?」

「私の家だ」

 さらりと言われて、心臓が跳ねた。

「しばらくここで休め」

「帰ります」

 ベッドから降りようとすると、足がもつれる。次の瞬間、腕を掴まれた。

 強い。

 けれど、乱暴ではない。

「無理をするな」

 近い。近すぎる。

 濃いフェロモンが絡みつく。身体の奥がざわつく。

「……軟禁、ですか」

 皮肉を込めて言うと、鷹宮は一瞬だけ目を細めた。

「そう思うなら、それでもいい」

「何が目的ですか」

 問い詰めると、彼は静かに答えた。

「君を守ることだ」

 意味が分からない。

 守る? 誰から?

「最近、Ωを狙った違法マッチングが横行している」

 ニュースで聞いたことはある。番契約を強制する違法組織。

「君のデータが流出していた」

「……は?」

 血の気が引く。

「私が抑えた。だが完全ではない。だからここにいる方が安全だ」

 それは確かに、理屈としては理解できる。

 だが。

「それでも、俺の意思は?」

 鷹宮の瞳が、わずかに揺れた。

「……君を脅かすつもりはない」

 そう言って、彼は一歩距離を取った。

「部屋は自由に使え。鍵もかけない。ただ——」

 言葉が止まる。

「発情期が近いだろう」

 図星だった。

 抑制剤の限界を感じていた。

「無理に一人で耐えるな」

 その声音は、支配ではなく、どこか不器用な気遣いに近い。

 それが、余計に混乱を招く。

 なぜこの人が、俺を。

「俺は、あなたのものじゃない」

 はっきりと言うと、鷹宮は真っ直ぐに返した。

「分かっている」

 静かな声。

「だからこそ、選ばせたい」

 何を——?

 そう問う前に、彼は部屋を出ていった。

 残された部屋に、彼の匂いだけが漂う。

 逃げられる。

 鍵はない。

 けれど。

 窓の外には高い塀。ここが簡単に出られる場所ではないと、直感が告げている。

「……本当に、軟禁じゃないか」

 呟きながらも、なぜか恐怖よりも別の感情が胸に残っていた。

 それは、不思議な安心感だった。

 ——この檻は、危険から守るためのものだと、どこかで理解してしまった自分がいる。

 だが、守られるだけで終わるつもりはない。

 俺は、自分の意思で生きたい。

 たとえそれが、αの隣であっても。



 夕暮れ時、部屋の扉をノックする音がした。

「入るぞ」

 鷹宮が食事を持って現れる。

 湊は窓辺に立ったまま振り返らなかった。

「俺、帰ります」

 はっきりと告げる。

 沈黙が落ちる。

「まだ危険がある」

「だからって、あなたの庇護下に入る義理はない」

 ようやく振り向くと、鷹宮は困ったように息を吐いた。

「君は昔からそうだな」

「……昔?」

 初耳だった。

「大学の頃、講義室で倒れかけただろう」

 記憶を探る。

 人混みの中で気分が悪くなり、誰かに支えられたことがあった。顔は覚えていない。

「……あれ、あなた?」

「ああ」

 驚きで言葉を失う。

「その時、君は言った。『大丈夫です。自分のことは自分でできます』と」

 まさか、覚えているなんて。

「強い人だと思った」

 鷹宮の声は静かだった。

「だが同時に、危ういとも思った」

 湊は唇を噛む。

「俺は、弱いΩって扱われるのが嫌なんです」

 だから隠した。抗った。

「守られるだけの存在になりたくない」

 鷹宮はまっすぐに見つめ返す。

「私は、君を所有したいわけではない」

 一歩、距離を詰める。

 だが触れない。

「対等でありたい」

 その言葉は、想像よりも柔らかかった。

「危険から守りたい。だが、君の人生を縛る気はない」

「……だったら」

 胸の奥のざわめきが、別の熱に変わる。

「ここから出してくれますか」

 しばしの沈黙。

 そして鷹宮はポケットから小さなカードキーを取り出し、テーブルに置いた。

「玄関のロックだ」

 あまりにもあっさりしている。

「本当に、いいんですか」

「ああ」

 少しだけ、苦笑する。

「選ぶのは君だと言っただろう」

 湊はカードキーを握りしめた。

 自由だ。

 今すぐ出ていける。

 なのに、足が動かない。

 ふと、気づく。

 この家の空気は、檻のようでいて、どこか温かい。

「……ひとつ、条件があります」

 顔を上げると、鷹宮の瞳がわずかに揺れた。

「なんだ」

「守るって言うなら、隣に立たせてください」

 逃げるのでも、囲われるのでもなく。

「俺は、あなたの後ろには立ちません」

 はっきりと言う。

 鷹宮は一瞬目を見開き、それから静かに笑った。

「望むところだ」

 初めて見る、柔らかな笑みだった。

 ふわりと、フェロモンが香る。

 だがそれは圧ではなく、安心に近い。

「正式に提案しよう、篠宮湊」

 真剣な声。

「私のパートナーにならないか」

 番という言葉は使わない。

 強制の響きを避けるように。

 湊は小さく息を吸う。

「対等なら、考えます」

「では、まずは食事からだな」

 緊張がほどけ、思わず笑ってしまう。

「軟禁は解除、ですね」

「ああ」

 鷹宮はうなずいた。

「だが、危険が完全に消えるまでは送迎くらいはさせてくれ」

「それは……検討します」

 軽口を交わす空気が、少しだけ甘い。

 窓の外には夕焼け。

 檻だと思っていた場所は、いつの間にか選択肢に変わっていた。

 守られるだけでも、閉じ込められるだけでもない。

 自分で選び、自分で隣に立つ。

 それが、湊の答えだ。

「鷹宮さん」

「なんだ」

「ありがとうございます」

 素直に告げると、彼は少しだけ驚いた顔をしたあと、静かに言った。

「こちらこそ」

 軟禁から始まった関係は、檻を開くことで形を変えた。

 それは支配ではなく、選び合う未来への第一歩。

 甘い匂いの中、二人は並んで歩き出す。

 ——対等な、パートナーとして。
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