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九月・名月の湯

舌ブチ込んで来やがった

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 みなさんこんにちは。佐山遼河です。
 今月の変わり湯は…って、呑気に案内してる場合じゃねぇや。

 いつも通り練習終えて銭湯に向かおうとした所、「はたの湯」が臨時休業とのLIMEが入りました。ってかその理由ってのが、お婆ちゃんの交通事故?救急搬送されて、今は病院にいるって?
 潤くん、さぞや不安で仕方ない筈…!そう思い、取るものとりあえず「はたの湯」に向かいました。
 「…買い物帰りの自転車に、ちょっと接触しただけだってさ。相手がクッソ気使って救急車呼ぶから、仕方なく乗ってあげたんだと。レントゲンとか取って、今日は大事を取って泊まるらしい…」




 威勢のいい言葉の割に、本人は結構なショックを受けているようだった。無理もない。潤くん、きっと自分自身の交通事故を思い出しているんだ。そして、お婆さんにもしもの事があったと考えたら。今回は、大事ではなかったからいいものの…。ご実家に両親がいるとは言え、ずっと二人で力を合わせて生きてきたろうから。
 「オレも病院にいたかったけど、突っ返されたよ。婆ちゃん、ピンピンしてるからってさ…。それよりも、風呂の開店をしっかりしとけって言われた。りょーががいてくれるなら、何とかなるな。今からでも…」
 「そ、そんな…。そりゃ、オレに手伝える事なら何でもするけどさ。無理すんなよ。潤くん、こんなに震えてるじゃん。こんなに、小さな身体で…。何もかも、抱え込まなくたっていいんだよ。いついかなる時も、気丈に振る舞わなくていいんだよ。もっと、隙を見せてよ。弱音吐いてよ。オレは、いつだって…」
 言い終わらないうちに、潤くんを抱きしめていた。震える身体を、しっかりと抱え込む。理性の限界で、気づけば唇を重ね合わせていた…。
 「…傍に、いるからさ」
 「この、スケベ野郎。あれだけ言ったのに、舌ブチ込んで来やがった…。まぁ、いいや。なかなかに、悪くはなかったから。それにちょっと、気分も落ち着いてきた…。でも今日は、お言葉に甘えて休業しとこうかなぁ。なぁに。たったの一日くらい開けなくなって、『はたの湯』は潰れやしねぇ」
 「そ…そうだよ。潤くん、その意気!あの、ところで…。あれ、ずっと気になってたんだけど」
 潤くんのスマホからは、ひっきりなしにLIMEの着信音が流れていた。待ち受け画面を軽く見ただけだが、80件は送って来られていたものと思われる。送り主は、聞かずとも分かっていた。潤くんの、元家庭教師だったと言う人だろう。
 「うっかり婆ちゃんの事故を伝えたから、心配して送ってきてくれてたらしいな…。悪い人じゃねぇんだよ、本当に」
 「あの、潤くん。これも、ハッキリとしておきたいんだけど。やっぱ君、この家庭教師さんて人が好きだよね?今も、変わらぬ気持ちでいるとか…?」
 
 「そんなんじゃねぇったら。そんなんじゃ、ねぇけど…。ちょっと、一言で説明が難しいな。一旦、オレの部屋に行くぞ」
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