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芯の章
雑音
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就職という道を選んだものの、頭の片隅ではいつも違う方向へ行きたい自分がうずいていた。
周囲は大学受験や安定したキャリアの話で盛り上がり、親は「資格を取れ」「安定した職に就け」と繰り返す。
車の免許だって、一人前の証のように押し付けられる。だが心の奥底では、そんな道を歩んでいくことにどこか納得がいっていなかった。
自分が望んでいる未来は、他人の言葉の中には見当たらない。
それは、ひとつの地図を皆で覗き込みながら、自分だけは違う景色を見ているような、そんな奇妙な疎外感だった。
バイト先では社員の愚痴や、同僚の就活報告が耳に入る。飲み会の席では、皆がまるで既定路線を進むかのように未来の話をしていた。
主任は「三年は腰を据えて働け」と言い、友人は「資格取れば人生安泰」と口にする。
けれど、その言葉が胸に落ちてくることはなかった。どれも台本のセリフのようで、誰も自分自身の声で語っているようには思えなかった。
世間では「男磨き」だの「自己投資」だの、耳障りのいい言葉ばかりが飛び交っている。
筋トレをしろ、英語を学べ、ファッションに金をかけろ。
まるで人生の取扱説明書のように、決まった工程をこなせば完成された人間になれるとでも言いたげだ。
だが、本当にそうなのか?
「お前はまだ足りない」「まだ何かが欠けている」
──そう言われ続けているようで、耳の奥がずっときしむように痛んでいた。
心の底から虚無感が湧き上がる。もがいてももがいても、ぬぐえない何かに沈んでいくような感覚。
呼吸さえも困難になる時があり、悪霊でも取り憑いているのかと思うほどだった。
目の前の景色はありふれているはずなのに、色彩も音も感覚も、すべてが重く、湿った布で覆われたように感じられた。
さらに、頭の中では常に雑音が鳴り続けていた。
ラジオの周波数が合わない時のような、乾いた「ザーッ」という音。ときには遠くで人の話し声がかすかに混ざることもある。
雑音の正体は誰にも説明できなかった。
耳鼻科も脳神経外科も、精神科も答えを持たず、
「気のせいでしょう」「ストレスですね」「今の医療では分かりません」と繰り返すだけだった。
すべての仕組みに、限界が透けて見える気がした。
雑音は消えず、日々の背後でじりじりと耳を焼き続けた。雑音が鳴っている時は、世界そのものが遠ざかっていくように感じられた。
──そんなある夏の日。
ふと足が向いた古本屋。埃と紙の匂い、ジリジリとしたアナウンスが漂う空間。
外の街は薄暮で、電車が低く唸りを上げて目の前を走る。線路脇の電柱の電灯には、同じような虫が群れを成して集まっていた。
風はほんの少し涼しく、夏の夕暮れの湿った熱気と混ざり合って、肌に心地よく触れる。
就職したばかりの自分が、なぜビジネス書の棚を漁っているのか、自分でもよくわからなかった。
無意識のうちに「答え」を探していたのだろう。だが、本当にその答えが棚に並んでいるのか、心のどこかで疑っていた。
手に取った一冊──世界的に有名なビジネス書。
背表紙の『思考は~』の文字を追った瞬間。
頭の奥で鳴り響いていた雑音が、ふっと途切れた。
世界がひとつ、深い呼吸をしたような気がした。
空気が反転する。視界の輪郭が揺らぐ。
──ツッ……
プツリと雑音が切れる。
次の瞬間、そこには静寂があった。
ただの沈黙ではない。世界そのものが「待っていた」と告げるような、そんな静けさだった。
周囲は大学受験や安定したキャリアの話で盛り上がり、親は「資格を取れ」「安定した職に就け」と繰り返す。
車の免許だって、一人前の証のように押し付けられる。だが心の奥底では、そんな道を歩んでいくことにどこか納得がいっていなかった。
自分が望んでいる未来は、他人の言葉の中には見当たらない。
それは、ひとつの地図を皆で覗き込みながら、自分だけは違う景色を見ているような、そんな奇妙な疎外感だった。
バイト先では社員の愚痴や、同僚の就活報告が耳に入る。飲み会の席では、皆がまるで既定路線を進むかのように未来の話をしていた。
主任は「三年は腰を据えて働け」と言い、友人は「資格取れば人生安泰」と口にする。
けれど、その言葉が胸に落ちてくることはなかった。どれも台本のセリフのようで、誰も自分自身の声で語っているようには思えなかった。
世間では「男磨き」だの「自己投資」だの、耳障りのいい言葉ばかりが飛び交っている。
筋トレをしろ、英語を学べ、ファッションに金をかけろ。
まるで人生の取扱説明書のように、決まった工程をこなせば完成された人間になれるとでも言いたげだ。
だが、本当にそうなのか?
「お前はまだ足りない」「まだ何かが欠けている」
──そう言われ続けているようで、耳の奥がずっときしむように痛んでいた。
心の底から虚無感が湧き上がる。もがいてももがいても、ぬぐえない何かに沈んでいくような感覚。
呼吸さえも困難になる時があり、悪霊でも取り憑いているのかと思うほどだった。
目の前の景色はありふれているはずなのに、色彩も音も感覚も、すべてが重く、湿った布で覆われたように感じられた。
さらに、頭の中では常に雑音が鳴り続けていた。
ラジオの周波数が合わない時のような、乾いた「ザーッ」という音。ときには遠くで人の話し声がかすかに混ざることもある。
雑音の正体は誰にも説明できなかった。
耳鼻科も脳神経外科も、精神科も答えを持たず、
「気のせいでしょう」「ストレスですね」「今の医療では分かりません」と繰り返すだけだった。
すべての仕組みに、限界が透けて見える気がした。
雑音は消えず、日々の背後でじりじりと耳を焼き続けた。雑音が鳴っている時は、世界そのものが遠ざかっていくように感じられた。
──そんなある夏の日。
ふと足が向いた古本屋。埃と紙の匂い、ジリジリとしたアナウンスが漂う空間。
外の街は薄暮で、電車が低く唸りを上げて目の前を走る。線路脇の電柱の電灯には、同じような虫が群れを成して集まっていた。
風はほんの少し涼しく、夏の夕暮れの湿った熱気と混ざり合って、肌に心地よく触れる。
就職したばかりの自分が、なぜビジネス書の棚を漁っているのか、自分でもよくわからなかった。
無意識のうちに「答え」を探していたのだろう。だが、本当にその答えが棚に並んでいるのか、心のどこかで疑っていた。
手に取った一冊──世界的に有名なビジネス書。
背表紙の『思考は~』の文字を追った瞬間。
頭の奥で鳴り響いていた雑音が、ふっと途切れた。
世界がひとつ、深い呼吸をしたような気がした。
空気が反転する。視界の輪郭が揺らぐ。
──ツッ……
プツリと雑音が切れる。
次の瞬間、そこには静寂があった。
ただの沈黙ではない。世界そのものが「待っていた」と告げるような、そんな静けさだった。
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