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5. 惑溺の低気圧 ②
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榛瑠が置いたコーヒーカップがカチャリとささやかに音をつくった。
「……なんでいきなり出て行っちゃったの?」
えっ……ちょっと待って!あたし何をいきなり口にしてるの。おかしいでしょ!?
でも、表に出された言葉は戻ってこない。だから、待つ。
彼はスクロールする手を止めなかった。ただ、間をおいてこう言った。
「……貴方を傷つけたくなかったので」
え?なに?
榛瑠が私を見た。金色の瞳が私をとらえる。私はその瞳に射すくめられたみたいに動けなかった。
ゆっくりと彼の左手が伸びてくる。長いリーチ。手のひらが頬に触れる。
熱い。熱くて、指先が触れたところだけが冷たい。まるで彼そのもののような……。
その親指がゆっくり動いて唇の端にふれる。ビクッとする。払いのけたい。そのはずなのに、動けない。
指はそっと私の唇の形を確かめるように動く。目を開けていられない。
暗闇の中に、榛瑠の指だけが世界の全てのようだ。
優しくゆっくりと唇が押し開かれる。歯に、彼の綺麗な爪がふれる。
「それとも、私に壊されたかったですか?」
何?なんて言ったの?
指先がこじ開けるように入ってきて、舌先にふれる。知らなかった味覚。
「んっ」
怖くなって、噛む。涙がにじむ。
不意に触れていた彼の存在が取り除かれ、目を開けた。身体がガクガクいって、そのまま座り込んでしまいたかった。
目の前に、何もなかったように画面を見ている男がいた。
何が起きたの?
この人、なんでこんな顔してるのよ!
思わず唇を押さえる。
「っつ」
落ちてきそうな涙をこらえてその場を離れる。
部屋を出るとすぐ、扉を背に座り込んでしまった。喉の奥が痛い。
榛瑠のばか。大っ嫌いよ。
息を整えるために、大きく息を吐いた。みてなさい、負けないんだから。
わからないことばっかりだけど、わかったこともあるんだからね。
私は立ちあがって、この家を取り仕切ってくれている嶋さんを探し出すと、一緒に部屋へ戻る。
面食らう榛瑠に構わず、嶋さんは用意した体温計で彼に熱を測らせる。
「ダメですね、部屋を用意しますから寝てきなさい」
体温計は39度近くの数値を出している。絶対、熱いと思ったもん。
「大丈夫ですよ、嶋さん」
榛瑠は言うも、嶋さんには逆らえない。なにせ、私が生まれる前からこの家にいてくれた男性だ。
父というより、少し祖父的な感じでずっと見守ってくれて、でも、ある意味、お父様より怖くて逆らえない人だ。
「本当に大丈夫なんですけど」
榛瑠が嶋さんの隣を歩きながらまだ抵抗していた。
「君も十代の時はそれでよかったでしょうけどね。いつまでもそうはいかないよ。隠せなかった以上諦めなさい」
榛瑠は昔この家にいた時、具合が悪くても絶対言わなかった。
「なんだか、いっきに歳をとった気がします」
そう言いながら、用意された部屋のベットに腰掛ける。
嶋さんが、水分補給の飲み物やら用意するために部屋を出て行く。私も出て行く前に一言、言っておく。なるべく目は合わせないようにして。
「いい、絶対、大人しく寝てるのよ?仕事とかしないのよ?」
「はいはい、わかりましたよ、お嬢様。大人しく寝てます」
榛瑠はなんでだかちょっと楽しそうだ。
「そういえば、ご存知でしたか?あなたの元婚約者、ご結婚なさったんですよ」
「はい?」
「某大手企業の社長令嬢と。私も社長から聞いたのですが」
「あ、そうなんだ。お父様はなにも……知らなかったわ」
別に知りたくもないし。とう言うより、はじめ誰のことかと思った。16歳の時に破談した人ね。
「気にならないんですか」
「いや、別に……」
むしろ、全く関心が持てない自分に驚く。ちょっと薄情かしら。あの時は確かに傷ついたのに。まあ、どうせなら幸せになって欲しいとは思うけど。
「それなら良いんです。つまらない話でしたね、すみません」
「いいけど、それよりもちゃんと寝るのよ。確認に来るから、寝てないとばれちゃうんだからね」
そう言い置いて部屋を出た。なんだか他にも言いたいことがある気もするけど、まあいいや。
なんにしろ、病人には優しくしなくちゃ、うん。
小一時間もたった頃、部屋を覗きに行った。
部屋に入ってそっと覗き込むと、本当にちゃんと眠っていた。
よかった。少しは良くなるといいのだけれど。ムリしすぎなのよ、まったく。
榛瑠は定期的に寝息をたてていて、苦しそうな様子はない。
よかった。
なんだかこんなに近くで顔を見るの久しぶり、というか、普通はしないか。
ちょっと後ろめたいと言うか、恥ずかしいんだけど、つい、見ちゃう。
相変わらず綺麗な顔立ちしてるなあ。
汗をだいぶかいてる。えっと、タオル……
私はベット脇のサイドテールに用意されていたタオルでそっと顔をふいた。できれば起こしたくない。
「あれ」
ピアスの穴がある、って、三つある?気づかなかった。してるの見たことないし。
「いくつあけてるのよ」
ボソっと言ってみる。多分、日本に戻った時に、つけるのをやめたんだろうなあ。
向こうでどんな生活をしていたのだろう。私の全く知らない時間。それが、普通は当たり前だ。家族でもない他人の人生にずっと寄り添うなんてことはなかなかない。
でも、それまであまりにも長い間、近くにいたから……。
「……なんでいきなり出て行っちゃったの?」
えっ……ちょっと待って!あたし何をいきなり口にしてるの。おかしいでしょ!?
でも、表に出された言葉は戻ってこない。だから、待つ。
彼はスクロールする手を止めなかった。ただ、間をおいてこう言った。
「……貴方を傷つけたくなかったので」
え?なに?
榛瑠が私を見た。金色の瞳が私をとらえる。私はその瞳に射すくめられたみたいに動けなかった。
ゆっくりと彼の左手が伸びてくる。長いリーチ。手のひらが頬に触れる。
熱い。熱くて、指先が触れたところだけが冷たい。まるで彼そのもののような……。
その親指がゆっくり動いて唇の端にふれる。ビクッとする。払いのけたい。そのはずなのに、動けない。
指はそっと私の唇の形を確かめるように動く。目を開けていられない。
暗闇の中に、榛瑠の指だけが世界の全てのようだ。
優しくゆっくりと唇が押し開かれる。歯に、彼の綺麗な爪がふれる。
「それとも、私に壊されたかったですか?」
何?なんて言ったの?
指先がこじ開けるように入ってきて、舌先にふれる。知らなかった味覚。
「んっ」
怖くなって、噛む。涙がにじむ。
不意に触れていた彼の存在が取り除かれ、目を開けた。身体がガクガクいって、そのまま座り込んでしまいたかった。
目の前に、何もなかったように画面を見ている男がいた。
何が起きたの?
この人、なんでこんな顔してるのよ!
思わず唇を押さえる。
「っつ」
落ちてきそうな涙をこらえてその場を離れる。
部屋を出るとすぐ、扉を背に座り込んでしまった。喉の奥が痛い。
榛瑠のばか。大っ嫌いよ。
息を整えるために、大きく息を吐いた。みてなさい、負けないんだから。
わからないことばっかりだけど、わかったこともあるんだからね。
私は立ちあがって、この家を取り仕切ってくれている嶋さんを探し出すと、一緒に部屋へ戻る。
面食らう榛瑠に構わず、嶋さんは用意した体温計で彼に熱を測らせる。
「ダメですね、部屋を用意しますから寝てきなさい」
体温計は39度近くの数値を出している。絶対、熱いと思ったもん。
「大丈夫ですよ、嶋さん」
榛瑠は言うも、嶋さんには逆らえない。なにせ、私が生まれる前からこの家にいてくれた男性だ。
父というより、少し祖父的な感じでずっと見守ってくれて、でも、ある意味、お父様より怖くて逆らえない人だ。
「本当に大丈夫なんですけど」
榛瑠が嶋さんの隣を歩きながらまだ抵抗していた。
「君も十代の時はそれでよかったでしょうけどね。いつまでもそうはいかないよ。隠せなかった以上諦めなさい」
榛瑠は昔この家にいた時、具合が悪くても絶対言わなかった。
「なんだか、いっきに歳をとった気がします」
そう言いながら、用意された部屋のベットに腰掛ける。
嶋さんが、水分補給の飲み物やら用意するために部屋を出て行く。私も出て行く前に一言、言っておく。なるべく目は合わせないようにして。
「いい、絶対、大人しく寝てるのよ?仕事とかしないのよ?」
「はいはい、わかりましたよ、お嬢様。大人しく寝てます」
榛瑠はなんでだかちょっと楽しそうだ。
「そういえば、ご存知でしたか?あなたの元婚約者、ご結婚なさったんですよ」
「はい?」
「某大手企業の社長令嬢と。私も社長から聞いたのですが」
「あ、そうなんだ。お父様はなにも……知らなかったわ」
別に知りたくもないし。とう言うより、はじめ誰のことかと思った。16歳の時に破談した人ね。
「気にならないんですか」
「いや、別に……」
むしろ、全く関心が持てない自分に驚く。ちょっと薄情かしら。あの時は確かに傷ついたのに。まあ、どうせなら幸せになって欲しいとは思うけど。
「それなら良いんです。つまらない話でしたね、すみません」
「いいけど、それよりもちゃんと寝るのよ。確認に来るから、寝てないとばれちゃうんだからね」
そう言い置いて部屋を出た。なんだか他にも言いたいことがある気もするけど、まあいいや。
なんにしろ、病人には優しくしなくちゃ、うん。
小一時間もたった頃、部屋を覗きに行った。
部屋に入ってそっと覗き込むと、本当にちゃんと眠っていた。
よかった。少しは良くなるといいのだけれど。ムリしすぎなのよ、まったく。
榛瑠は定期的に寝息をたてていて、苦しそうな様子はない。
よかった。
なんだかこんなに近くで顔を見るの久しぶり、というか、普通はしないか。
ちょっと後ろめたいと言うか、恥ずかしいんだけど、つい、見ちゃう。
相変わらず綺麗な顔立ちしてるなあ。
汗をだいぶかいてる。えっと、タオル……
私はベット脇のサイドテールに用意されていたタオルでそっと顔をふいた。できれば起こしたくない。
「あれ」
ピアスの穴がある、って、三つある?気づかなかった。してるの見たことないし。
「いくつあけてるのよ」
ボソっと言ってみる。多分、日本に戻った時に、つけるのをやめたんだろうなあ。
向こうでどんな生活をしていたのだろう。私の全く知らない時間。それが、普通は当たり前だ。家族でもない他人の人生にずっと寄り添うなんてことはなかなかない。
でも、それまであまりにも長い間、近くにいたから……。
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