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第34話 寓話の冥王

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廃工場。

 二階の暗闇の中から現れたのは暴力団員風の男だ。
 その後ろから一人の男が付いてきている。髪の毛を茶髪にして、耳にはピアスを付けていた。子分だろう。
 ディミトリが睨み付ける中、短髪男は子分を従えて悠然と階段を降りてきた。

「シカトしてんじゃあねぇよっ!」

 自分を無視された売人は大声を出してきた。だが、ディミトリは短髪男を睨みつけたままだ。
 本能が『要警戒』と告げているのだ。

「まあまあ、コイツが若森って奴か?」

 短髪男は階段を降りながら声を掛けてきた。何故かニヤついている。自分が優位に立っていると、思い込んでいる男にありがちな反応だ。恐らく懐に何かを持っているのだろう。
 そして男はディミトリの顔を知っているようだった。

(やはりか……)

 名前も知っているという事は、中国の連中の仲間かもしれないと考えた。

「大人しくコッチの質問に答えれば痛い目に遭わなくて済むよ……」

 短髪男は懐からベレッタを取り出した。イタリア製の優秀な拳銃だ。
 余裕が有ったはずだった。

(ベレッタか…… 装弾数は十五発だっけ?)

 ディミトリが銃を見ていると、短髪男は遊底を引いて薬室に弾を送り込んだ。
 恐らく、ディミトリが銃を見るのを珍しがっていると勘違いしたのであろう。玩具を手に入れた子供が粋がるようなものだ。

「お前が知っている、お宝の有りかを教えて欲しいんだよ」
「お宝? 俺の秘蔵のエロ本か??」
「舐めんじゃねぇっ!」

 馬鹿にされたと思った短髪男は床に向かって引き金を引いた。銃の発射音が室内に響く。空薬莢が床に転がる音が続いた。
 急な事に女はビックリして悲鳴を上げてしまっている。

「ちょっと、私関係無いんだけどっ!」

 女が咄嗟に逃げようとして走り出した。そこを短髪男が発砲してしまった。引き金に指を掛けたままだったのだ。
 素人が銃を持った時によくやる失敗だ。
 女が急に動いたのでビックリして銃を向けてしまい。その際に引き金に力が加わったのだ。

「ぐあっ!」

 だが、運の悪い事に狙いが逸れてディミトリに命中してしまった。脇腹の辺りにだ。
 万が一の事を考えて防弾チョックを着ていた。しかし、防弾用素材と素材の隙間にある、縫い目を弾丸は通過したようだ。
 ディミトリが昔使っていた奴はそうは成らなかった。普通の防弾チョッキには縫い目など無い。
 さすが中華製だ。肝心な所で役に立たない。

(くそったれが……)

 ディミトリはそのまま膝を付いてしまった。弾丸は貫通せずに体内に有るようだ。全身が燃えるように熱くなるのを感じていた。

「え?」

 発砲したヤクザは何故かビックリしている。どうやら彼は威嚇のつもりで撃ったらしい。

(撃ったのはテメエだろうがっ!)

 間抜けな短髪男に逆ギレしたい処だが、それどころではなかった。全身の震えが止まらない。すると、何を思ったのか短髪男は不用意にも近づいてきた。

「おい……」

 ディミトリは右の袖からスタンガンを取り出し、男のスネの部分に押し当てスイッチを入れた。

「がっ!」

 バチバチと音がすると同時に短髪男が棒立ちになってしまった。
 ディミトリはすかさず男が持つ銃を捻りあげる。男はスタンガンの電気ショックも有りあっさりと銃を手放した。

 これはロシア軍の初年訓練でさんざんやらされた訓練の一種だ。もっとも、実際の戦場で役に立ったこと無かった。
 接近する時には銃弾を雨のように撒き散らして相手を殲滅するからだ。

ドンッ

 ディミトリは男の腹を目掛けて引き金を引く。そのままの体制でピアスの男・売人・半グレの子分と撃ち続けた。
 突然の展開に驚いた彼らは、身を隠すなどという事をしなかった。射撃の的のように簡単だった。
 彼らは銃撃戦という物の経験が無いのか、その場に棒立ちのままだったのだ。

「……」

 工場の中は彼らのうめき声で満たされている。ディミトリは無言のままピアスの男に近づき頭に銃弾を撃ち込んだ。
 短髪男の子分も同様に射殺した。

 彼らはディミトリが欲しい情報を持っていない。つまり、不要だから処分したのだ。下手に生かしておいて復讐に来られたら面倒だとの考えからだ。

「ま、待て…… た、助けてくれ……」

 売人の男が哀れな声を絞り出しながら嘆願してきた。

「何故、俺を罠に嵌めたんだ?」

 ディミトリは売人に尋ねた。

「その男に頼まれたからだ……」

 売人は短髪男を指差しながら答えた。

「そうか……」

 ディミトリは売人を射殺した。もう、用は無い。
 彼はそのまま短髪男の所にやって来た。

「お前は誰の使いで来たんだ?」
「うるせぇっ!」
「そうか……」

 ディミトリは短髪男を射殺した。聞きたい事は山程あるが、ディミトリは治療を必要としている。
 生かしておく理由も義理も無い。何より時間が無いので始末したのだった。

 すると部屋の中に異臭が漂い始めた。

「ん?」

 見ると女の足元に水たまりが出来つつ有った。失禁したのだ。それはそうだろう彼女の人生で、殺人を目撃することなど無かったからだ。
 ところが、目の前にいる男は躊躇すること無く、銃弾を人間に送り込んでいる。しかも、助命を懇願する相手にもだ。

「お前もコイツラの仲間か?」

 彼女は盛んに首を振った。彼女の目は一杯に開かれている。恐らく相手に対する恐怖がそうさせているのだろう。

「た、頼まれただけです……」
「誰に?」
「大串くんです……」
「本当か? 考えて答えろよ。 お前は死ぬかどうかの瀬戸際にいるんだ……」
「誓って本当です……」
「ふん……」

 きっと、嘘だろう。女相手の尋問は色々と楽しいが今はやらない事にした。時間が惜しい。
 出血の度合いを考えて、後十五分程度で自分は気を失ってしまうだろう。
 だから、出来ることを優先せねばならないのだ。

「コイツラのポケットに入っているものを全て集めろ……」
「……」

 ディミトリは彼女に全ての荷物をまとめるように指示を出した。腹に銃弾を抱えているので、自分では俊敏に動けないからだ。
 荷物を全て集めるのは、見つかった場合に備えて仲間割れを装う為だ。後で戻ってきて始末するつもりだ。

(とにかく今は傷の手当が先だ……)

 ディミトリは撃たれた脇腹を押さえつけていた。手の隙間から血液が溢れ出てきている。
 背中を触ると抜けた跡が無い様だ。弾丸を摘出しないと拙いことになるなとディミトリは思った。

(手術の必要があるか……)

 肝心な情報を何も手に入れる事が出来ないばかりか怪我までしてしまった。
 やはり、ジンクスは信じるべきだったと後悔してしまった。

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