武装列車グングニル -古龍を穿つ鋼鉄の鼓動と、明日への計算-

結城ロジカ

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第3話:計算の外側

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​「……寝てないのか、お嬢さん」
 
 翌朝、アッシュが食堂車に足を踏み入れると、そこには異様な光景が広がっていた。
 テーブルの上には山のような計算用紙、空になったコーヒーカップが五つ。さらにはナプキンや伝票の裏、果てはリネット自身の白い軍手の手の甲にまで、びっしりと狂気じみた数式が書きなぐられていた。
​ リネットは髪を振り乱し、隈の浮いた目で計算尺を弾いている。その姿は首席観測士というより、取り憑かれた祈祷師のようだ。
 
「……うるさいわね。解析しているのよ。あなたのあの『勘』の正体を、変数として数式に組み込めれば、グングニルの命中率は論理的に一〇〇パーセントに到達するわ。……だというのに、どうしてここだけ値が収束しないのよ……っ!」
 
​ガリッ、とペン先が紙を突き破る。リネットはそれを捨てる余裕もなく、隣にあった冷めたスープの伝票の余白に続きを書き始めた。
 
​「ははっ、まだそんなことやってんのか。ほら、飯食えよ、飯」
 
 アッシュがトレイに乗った脂ぎった厚切り肉のサンドイッチを差し出しても、リネットの視線は数式から離れない。
  
​「いい?アッシュ。あなたはあの時『龍がここに来たいと言っている』と表現したけれど、それは気流の僅かな揺らぎや、マナの濃度変化を無意識に知覚し、そこから龍の筋肉の収縮を逆算しているに過ぎないはずなの。つまり、これは高度な『多角的確率予測』よ。決してオカルトなんかじゃない。天才的な計算で導き出した結果のはず」 
​「……おー、おー。よく分かんねえが、凄そうだな」
 
​ アッシュが呆れたように笑ったその時、床から伝わる振動の質が変わった。
 ガタガタという規則的な走行音に、重低音の「うねり」が混ざる。
 
​ その時、アッシュの顔から色が消えた。
 
​「──リネット、計算を止めろ」 
​「ちょっと、邪魔しないで。今、大事な計算を……」 
​「いいから計器を見ろ! 龍じゃねえ、何かが来る!」
 
​ 直後、列車全体を揺るがす巨大な衝撃が走った。
 食器が床に叩きつけられ、非常警報が鳴り響く。
 
​『──緊急連絡! 線路前方に巨大な「歪み」を確認! これは──バカな、空間そのものが波打っている!?』
 
​ 艦橋からの悲鳴に近い通信に、リネットがモニターを叩く。映し出されたのは、龍ではない。
 空を覆う煤煙が渦を巻き、まるで巨大な「漏斗」のように地上へと突き刺さっていた。
 
​「……龍の巣ネストだわ。それも、ただの巣じゃない」
 
 リネットの声が震える。
 
「気象操作級の超高密度マナ。待って、まさかこれって──あの中に全ての元凶、伝説の古龍『山脈龍ゼオ・ギルマ』の眷属龍がいる……!」
 
​ 霧の中から現れたのは、これまでの龍とは一線を画す、全身を黒銀の硬質鱗で覆われた巨大な個体だった。その咆哮一つで、グングニルの防護霧が霧散していく。
 
​「リネット! 計算は後だ、今すぐ砲戦準備に入れ!」
​「無理よ! こんな高濃度の干渉波の中じゃ、観測儀が使い物にならない! 射線を計算するための『基準点』が消失しているわ!」

​ リネットの指が、初めて恐怖で止まった。計算式が成立しない世界。それは彼女にとって、闇の中に放り出されるのと同じだった。
​ その肩を、煤で汚れた大きな手が力強く掴んだ。
 
​「基準点がねえなら、俺がお前の目になってやる。正直よく分かんねぇけど、俺も天才的だって、オカルトなんかじゃないって、自分でも言ってたろ? ま、そんなの間違いなく買いかぶりすぎだけどな」
 
​ アッシュは笑っていた。
 こんな絶望的な状況で、彼は最高に楽しそうに笑っていたのだ。
 
​「よし、いいか、俺が『今だ』って言ったら、お前はその瞬間のデータをお得意の数式に叩き込め。お前の理屈と、俺の根性。混ぜ合わせりゃ、あのデカブツだって撃ち抜けるだろ?」
​「……根性、だなんて。相変わらず、最低の理論ね」
 
​ リネットは一度だけ強く瞬きをし、眼鏡を押し上げた。その瞳に、計算を超えた「信頼」という未知の変数が灯る。
 
​「……やってやりましょう。首席観測士としての誇りにかけて、あなたのデタラメを現実にしてあげるわ!」

 



 第一砲塔室。外部の景色は、龍の巣ネストが撒き散らす高密度マナの黒霧に包まれ、視界は文字通り「ゼロ」だった。
 装甲板を叩くのは、雨ではない。古龍の眷属が放つ、大気を削り取るような魔力の飛礫だ。
 
​「リネット、聞こえるか」
 
 アッシュは砲身の操作レバーに指をかけ、静かに語りかけた。
 
「俺にも今は、敵の姿は見えねえ。だがな、空気が重てえんだ。こいつが、どっちから風を押しのけて来ようとしてるかだけは分かる」
「了解したわ。バーンズ砲術長代理……いえ、アッシュ」
 
 リネットの声が通信機越しに響く。ノイズ混じりだが、その声には一切の迷いがなかった。
 
「あなたの感覚を、私の計算機に同期させます。私が慣性航法装置と、あなたの操作角から相関値を出すわ! あたしが新たな『基準点』になる! だから、あなたはあなたの感じるままに、その『空気の重さ』を砲身の傾きで示して!」
 
​ それは、観測士と砲術士の常識を覆す共闘だった。
 通常、観測士が計算した数値を砲術士が実行する。だが今は逆だ。アッシュが「直感」で動かす砲身の微細な角度から、リネットが逆算して、霧の向こうに隠れた敵の座標を「割り出す」のだ。
​投影円盤に、アッシュの指先が伝える「空気の厚み」が波形となって表示される。リネットはその乱数表のようなデータの海に飛び込み、一ミリの狂いもなく龍の居場所を特定していく。
 
「──来るぞ! 二時半の方向だ! グングニルが、あいつの熱を嫌がってやがる!」
「了解! あなたの「感覚」を、私の「数式」が肯定してあげる! いま座標固定を──っ! きゃああああ!!!」
 
​ しかし、霧の中から放たれたのは黒銀の鱗を纏った眷属の咆哮。それは物理的な衝撃波となって『グングニル』を襲った。
 
「……っ、一番、二番装甲板、一瞬で消失! 防護霧、再展開が間に合いません!」
 
 リネットの叫びが艦橋に響く。
 眷属龍はこれまでの龍とは次元が違った。マナの霧を自在に操り、列車の「死角」から音もなく現れては、熱したナイフで蝋を削るように鋼鉄を切り裂いていく。
 
「アッシュ! 座標は──」
「分かんねえ! ちくしょう、この霧、あいつの意思で動いてやがる!」
 
 第一砲塔室で、アッシュは歯を食いしばっていた。
 視界はゼロ。頼りの「勘」も、龍が撒き散らす攪乱マナによってノイズまみれだ。砲塔を振り回すが、放たれた砲弾は虚しく闇を切り裂くだけで、手応えがない。
 
 ドォォォォンッ!!
 
 真横から体当たりを受け、列車が大きく傾いた。
 脱線寸前。火花が飛び散り、アッシュの頭上に配管から熱湯が降り注ぐ。
 
「ぐ、あああっ……!!」
「アッシュ! 大丈夫!? 応答しなさい!」
 
「……へっ、まだ死んじゃいねえよ……。だけど、クソッ、どこだ!? どこにいやがる、このトカゲ野郎!」
 
 アッシュの掌に伝わるのは、もはや機械の鼓動ではなく、壊れゆく鉄の悲鳴だった。
 眷属は嘲笑うかのように、列車の周囲を旋回し、執拗にボイラー室付近を狙っている。仕留めるためではなく、なぶり殺しにするための機動。
 
 そして──眷属の喉元に、太陽のような輝きが宿った。
 最大出力の龍息吹ブレス。まともに喰らえば、グングニルは跡形もなく蒸発する。
 
「間に合わない……私の計算じゃ、迎撃確率は、ゼロ……」
 
 リネットの指が、端末の前で止まった。
 モニターには、破滅を示す赤い文字が点滅している。論理的に導き出された結末は「全滅」。彼女の愛する数式が、残酷な死を宣告していた。
 
 だが、通信機から聞こえてきたのは、血反吐を吐くような、しかし野良犬のように不敵な笑い声だった。
 
「……ゼロだと? 笑わせんな。そんな数字、この世にありゃしねえよ」
 
「アッシュ……?」
 
「リネット、お前、さっき言ったよな。俺がやってんのは、天才的な『多角的確率予測』だって」
 
​アッシュは焼けつく熱気に晒されながら、真っ赤に熱した操作桿を素手で握り直した。掌が焼ける嫌な臭いが立ち込めるが、彼はその激痛を、冷徹な集中力へと無理やり変換する。
 
​「だったら、お前のその上等な脳みそエンジンで、俺のこの『予測』を吸い上げてみろ! 俺の目が、あいつの喉笛を捉えてる! 俺の腕が、撃つべき場所を知ってる! ──お前の数字で、俺のデタラメを『正解』に書き換えてくれ!!」
「……っ!?」
 
 リネットの心臓が、激しく跳ねた。
 
 科学的にありえない。
 しかし、アッシュの言葉と同時に、彼女の端末に異常な「信号」が流れ込んできた。それは計器の数値ではなく、アッシュの神経系からグングニルの砲身へと直結された、生身の意志による座標データ。
 
「そうね。あなたの言う通りだわ、バカ。こんなところで諦めるわけにはいかないのよ」
 
 リネットは涙を拭い、狂ったように鍵盤を叩き始める。
 
「数字は嘘をつかない。……なら、あなたのそのデタラメさえも、私が『真実』へと書き換えてあげる!」
 
 古龍の眷属が龍息吹ブレスを放つまで、あと三秒。
 彼らの命運は、火傷だらけの男と、計算機を武器にする少女、「二人の同調シンクロ」に託された。

 ​暗黒の霧の中、絶体絶命の窮地に立たされた『グングニル』。
 だが、その心臓部はまだ止まっていない。
 
 アッシュが肌で感じる「死の予感」と、リネットが紡ぎ出す「勝利の数式」。
 相反する二つの力が重なり、静かな熱を帯びていく。
 
 次の一射。それが、二人の絆を証明する一撃となるのか。
 それとも、鋼鉄の棺桶が灰に帰るのか。
 
 戦いは、ついに臨界点を超える──。
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