義姉と義妹

志乃沙

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義妹と義姉

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かつては、家族と毎朝一緒に朝食を共にしたリビングは、お兄様だけになってしまった。
テーブルに並ぶ食事もずいぶんと質が落ち、
唯一紅茶だけが以前と同じ味なのが、ほんのひとときの幸せになっている。

「お兄様、顔色が優れない様ですが――義姉上様の事ですか……」

淹れた時にひとくち口を着けただけで、
すっかり冷めてしまっている透明な深紅色をじっと見ているビターお兄様。
ここ最近よく見る様子に、つい堪らず私は尋ねてしまった。

「ぁぁ、いや、違うよ――私の配慮が足りぬのだ」

ゆくっりと顔を上げ苦々しく肯定するも、すぐさま力弱く微笑み否定をした。

「そんな事ありません! お兄様のお気持ちを軽んじる義姉――」

「ミルク、それ以上は言うな……」

お兄様の苦悩の元凶は紛れもなく義姉上。
不運な出来事により事業が立ち行かなくなった私たちチヨコレト家は、
縁も所縁もない大商家から支援を受ける事になった。
その見返りとして、クランキ義姉がビターお兄様との婚約者として送り込まれた。
もちろんそれは表面上で、チヨコレト家の爵位・家系を狙っているのは明らかだった。

「だけど、いくら義姉上様家が格上だからと言って――」

肝心の支援の中身は、事業継続のための僅かな資金だけで、
義姉上をはじめ人材による支援はほとんど無く、
お父様・お母様は遠方での事業活動し、お兄様と私はこの地に残る事になった。
その為、お兄様は毎日身を粉にして働いている。

「ミルク! チヨコレト家を守る為なんだ。
 私の身一つで存続させられるのなら、安いモノさ」

「お兄様、一人にそんな役割を……」

私には他の活動がある、しかしそれはまったくの収入には繋がらない慈善事業。
お兄様を助けるどころか、かえって足を引っ張ってしまってる。
当然、義姉上は慈善事業を即刻廃止と言ってきたけど、
お兄様が頼みに頼み込んで継続できるよう取り計らってくれた。

「ミルク――君は真に愛する人と結ばれておくれ。
 それが、私の唯一の願いだ……」

「お兄様……」

お兄様の温かい眼差しが、私を優しく包み込んだ。



ほんの僅かな温かい時間も長くは続かなかった。

「あら、まだ家にいたのビター。
 今日は重要な商談じゃなかったかしら、ずいぶんと余裕ですわね」

上質な生地の寝間着を着こなしたクランキ義姉上が、
柔和な声とは裏腹な鋭い言葉がリビングを支配した。
その声に、私は思わず俯きお兄様からの温かさも冷え込む。

「クランキ……いま出るところさ……」

冷え切った紅茶を流し込み、気持ちが乱れたのか"カシャン"と音を立ててカップを置く。
身体が重くなったような動作で立ち上がり歩みを進めると、またしても義姉上が発した。

「そうなの? しっかりと好条件で結ぶのよ。
 前みたいに対等な関係はありえないわよ」

優雅に入ってきた義姉上と避ける為か、それとも私を励ますためか、
ワザと遠回りに回り私の肩にそっと手を置いた。

「ぁぁ、分かっているさ――じゃあ、行ってくるよ」

見上げた私に力ない視線を送り微かなため息と共に出て行く兄上に、
義姉上からの見送りの言葉はない。
いつもなら、元気よく見送りの言葉をかけるんだけど、
義姉上の冷ややかな目があるので、つい小声になってしまう。

「行ってらっしゃい、お兄様」



「ふん――兄が一生懸命働いているのに、
 あなたの慈善事業は暢気なことね、ミルクさん」

義姉上と二人っきり、あえて私の正面のソファに足を組んて座り、
呼吸をするのも躊躇うほど動けない私に獲物対象を変えた義姉上の攻撃がくる。

「呑気だなんて、そんな……」

そう答えるのがやっとの私に、さらに攻勢を強める義姉上。

「他人に施しをしてあげられるほど、ウチは裕福なのかしら。
 前とは財政状態は違うのよ、いい加減目を醒ましてくれないかしら?」

「まだ街には、困窮している人たちはいるんです!」

たまらず顔を上げ言葉を返すと、見下した笑みの義姉と視線が合ってしまう。
頑張って視線を外さずに冷たい瞳を見続けてると、
軽いため息と共にバカバカしいという肩をすくめ立ち上がる義姉。

「はっん。 支援している内にその仲間にならない事を祈るわ」

皮肉を残し、また優雅に部屋から出て行った。

~~~~~

「元気ないですね、ミルクさん。
 義姉上にまた何か言われたの?」

お昼を過ぎ、午前に行われた慈善事業の事・主に収支の事を考えてたのが、
顔に出てたのだろう、対面に座る活発な印象の女性から心配された。

「はい、慈善事業の事――
 ほぼ収入はなく、出ていくばっかりで……」

「あらあら。 でも、まぁ難しい事ですよね。
 根本的に収益を目的とした事業ではないですからね」

話し相手は、数年前からウチに出入りしている行商のサシャさん。
齢も近い事もあってすぐに仲良くなり、ウチが苦境に陥り大した買い物ができないのに、
私の事を心配して、わざわざ様子を見に足を運んでくれている。

「母上から、なんとか続けるようお願いされましたし、
 なにより、困っている人を私は見捨てられません」

「立派な心がけですよ、ミルクさん。
 その為にも、ミルクさんあなたも強くならないといけませんね」

一番の悩みの種、義姉の事もとうぜん知っており、
会うたびに泣き言を言う私を、いつも励ましてくれる。
にもかかわらず、あの強気な義姉を思い出すだけでも、
私はすくみ上がり、返事も揺らいでしまう。

「はい……そうですよね」

っと、私の小さい返事を聞いてか聞いてないのか、
横に置いてある大きな荷物袋からゴソゴソと漁り、ゴトリと質量がある物を置いた。

「そんな時には、はいコレ。
 通常よりカッカオ成分が2倍のコッコアG」

置かれた大きな瓶には褐色の液体が入っており、
手に取ってみると想像通りの重さで、しっかりと栓がしてあるのに、
なんとも言えない甘い匂いがほのかに漂ってくる。

「これが前、言ってた栄養ドリンクですか」

少しでもお兄様の疲れを癒したいと思い、
気休めくらいにしかならないけど、サシャさんに頼んで栄養ドリンクを頼んだ。

「飲めば疲労困憊でも元気一発です。
 兄上様はもちろん、ミルクさんも、是非一本どうぞ♪
 あと、これはミルクさんになんですけど―――」

同じ瓶をもう2本取り出し、さらに極小の瓶をテーブルに置いた。




―――――

(さて、どうしたものかしら……)

クランキは自室の真紅のソファに身を沈め、実家からの計画に乗り、
チヨコレト家に来た時からの事を思い返していた。

当初の試算ではとっくに立ち行かない状態になるはずの、
支援とは名ばかりのわずかな支援金を婚約者であるビターは巧みに運用し、
辛うじて建て直し、しぶとく事業継続している。
これは、チヨコレト家が行ってきた慈善事業が少なからず活き、
各方面から微力ながら支援・援助を受けていると判断。
だが、しょせんは収益を考えてないので、
遅かれ早かれ慈善事業の方は活動停止は余儀なくされるだろう。
ほぼ時間の問題でジリ貧なのは間違いないのだが、
ここにきてクランキ本人に別の問題が起きた……

サイドテーブルに置かれた一通の手紙。
それは、クランキが個人的に繋がりがある、
闇会社の人間からの金品を要求する脅迫じみた文が並んでいる。
チヨコレト家に嫁いだ(世間体的にはそうなっている)タイミングを狙い、
過去に行った裏工作をネタに強請ろうという気だ。
無論、クランキはこれに応じる気は更々ない、
別に金品はいくらでも実家から調達はできるが、
問題は強請が長期化・将来への枷になることだ。
なんとしてでも、迅速にかつ秘密裏に処理すべきである……



『飲めば―――元気―――
 兄上―――ミルクさん―――』

(誰かしら、会話内容からして行商?)

何気なく廊下を歩いていると、
リビングから聞き覚えがある声が漏れている。
たしか、チヨコレト家に出入りしている行商人、サシャといったか。
義妹のミルクが呼んだのか、あるいは油を売りに来ているのだろう。
どちらにせよ、余計な物を買う余裕はないウチに来るのは、
商人としてはどうなんだろうか、友人としては――まぁいい。

『どんな―――イチコロ―――』

(ん、イチコロって言った――?)

およそ発する事が無いだろう人物から出るとは思えない言葉に、
思わず足を静め近づき聞き耳をたてる。

『絶対―――落ちます―――』

(落ちる……イチコロ……それって毒薬の事よね)

何故そんな危険な物が持ち込まれているのか、
物騒な言葉から推測する先は一つしかない……

(それで、私をやろうってわけかしら……)

これから身に起こるかもしれない事に、
少なからず動揺してしまったが、逆にこれはチャンスかもしれない。
極小の瓶を目に焼き付ける。


―――――

マルシェ街、その名が示す通り様々な店が連なており、
日中は広場はまだしも、道のど真ん中に露店が乱立する、
都市で一番の賑やかな場所である。
しかしそれは一般庶民の話で、貴族・富裕層にはまったく無縁な場所でもある。
実家が富裕層のクランキは本来であれば来る事が無いはずであるが、
複雑に入り組んだ裏通りをも熟知している。
なぜなら、例の人物のねぐらがマルシェ街の一角にあり、
クランキ自ら何度も訪れているからだ。

夕刻、今夜の食料を調達する人々をすり抜け、
あることすら見逃してしまう路地に素早く駆け込む、
フードを深く被った茶色のコートの人物。
その人物はクランキであり、普段は絶対に着ない庶民の衣類を着たのは、
その身と、この様な場所を訪れたの事を隠すためである。
大通りの喧噪とは無縁の人気のない路地を足早に進むと、
築年数がかなり経過した旧集合住宅エリアになる。
同じ年に造られ、同じ外観で等間隔に建つエリアは、
進んでも曲がっても、ほぼ同じ光景にでくわし迷路さながらである。
それでも、住民たちは自分宅へと迷わず向かえ、クランキも目的地へと足を速める。

コン・コンコン、独特なノックが特別な要件の訪問者の合図である。
ほどなく、どうぞっと主の陽気な返事がし、鍵もかかってない扉を押すと、
蝶番がギィーっと嫌な音を発生させる。
すぐに室内全体が見え余計な物は少なく綺麗な部屋なのだが、
だからこそ、数本置かれている歪なワイン瓶が目に付く。
今も、主はワイングラスを手にしている。

「やぁ、クランキ様。ごきげんよう」

気取ってグラスを持ち上げ畏まった挨拶をする主は、
どこにでも居る青年で容姿も悪くはなく、一見善良な市民に見るのだが、
情報収集からそれを元に裏工作をする、といった知能犯である。
クランキは、そんな仕草にも気にかけず寛ぐ男の元にズカズカと近寄り、
テーブルにドスッと勢いよく紙袋を置いた。

「なんだい、それは? 僕はもっと軽い物を頼んだはずだけど?」

「ふん、これは単なるサービスよ。 お金は、ほら!」

今度は懐に手を入れ厚さのある封筒を取り出しテーブルに放り投げると、
男は余裕のある動作でグラスを置き、封筒を手に取り中身を出し下品に確認する。

「―――28、29、30。 たしかに金額ピッタリだ」

「じゃあ、アンタとはこれっきり―――」」

「ははは、まさか。 もちろん、これからも頼むよ」

クランキの言葉を遮り、札束を扇に広げ扇ぐという、
如何にもブルジョワという仕草をする男。
取引終了を拒否するのは容易に予測はできたが、
この仕草にはさすがにクランキも呆れた。
そんな呆れているクランキを絶句していると勘違いしているのか、
構わずに最初に置かれた紙袋を引き寄せ中身を取り出す。

「ほぉ、これは素晴らしい。10年物のワインじゃないか!」

「えぇぇ―――前に言ってたヤツよ」

素に戻ったクランキの言葉には耳にも入らず、
オモチャを与えられた子供の様にはしゃぐ男はラベルを眺め、今にも封を開けようとしている。

「へぇ、一体どういう風の吹き回しかな?こんな物持ってくるなんて」

「別に―――これで最後だから、って思ったけど、
 そうじゃないのね、なら返してもらうわよ」

サッっと男からワインを奪い返そうと腕を伸ばすが、
ヒョイと簡単に男は身をかわし、クランキから距離をとる。

「まぁ待てよ。せっかく持ってきたんだ、ありがたく頂くよ。
 代わりに、次の要求は延ばしてやるよ」

諦めの表情のクランキを見て安堵しワインをテーブルに置き、
転がっていたワインオープナーで改めて開封にかかる。
ここまでは上手く運んでいる、冷静に男を見守るクランキの茶番はもう終えた、
あとは口に運ぶだけ、ワイン好きな男があとでゆっくりと飲むわけがない。
与えたその場ですぐさま飲むに違いない、少しだけ焦らせればより確実になるだろう。
まさに、男は最初に飲んでいたワインを飲み干し、洗いもせずそこ注いでいる。

「へへ、綺麗な深紅色じゃんか、いいね~」

どのくらいの量で効き目があるのか分からないので、
極小の瓶の中身全部を混入していたクランキ、
無色透明な液体だったが何が影響するか分からない、
だが、そんな心配は無用で変色は起きてはなかった。、
異物が混入されているとは全く疑いもせず格好だけのテイスティングをする男を、
無言で冷めた目で見るクランキ、いささか見過ぎで感づかれそうなはずなんだが……

「おいおい、そんなに見るなよ。それとも乾杯でもしたいのか?」

「遠慮するわ……」

クランキの視線を勘違いし一緒にと勧めてくるが、
さすがに飲むはずもなく視線を外し首を横に振る。

「いまさら飲む事もないか―――では、頂くとしよう―――」

待ち望んだ時がきた、男がグラスを傾け深紅のワイン、
グラスに半分ほどの量を一口で飲む様で、
やはりその瞬間を逃したくはなくクランキは、男の喉が動いているのをじっと見る。

「くぅ~~っっ、さすがのフルボディ。 濃厚な奥深さだ」

満足気に感想を言いもうグラスに追加を注いでいる様子は、
どうやら味も違和感がないようで、まだ身体に変化は起きてはいないようで、
そんな様子を見ているクランキは無表情。
量が足りなかった?即効性ではないのか?
いくらでもある可能性を逡巡していると、突然、カシャン!
軽く高い破裂音、それは男からすり落ちたワイングラス、
その音でクランキの思考回路は停止し目の前の現実に意識が戻る。
床に崩れ落ち激しく咳き込む男を見下ろすクランキに、
高揚感と恐怖心が同時に湧き上がってくる。

これで私の過去を知る者はいなくなる
これで私の過去で一番の罪

「がはっ――何を飲ませたクランキ……」

気管が苦しいのか、喉・胸を狂った様に搔きむしる姿は、
狂気で見ているだけで、さすがのクランキも自然と後ずさりしてしまう。

「――アンタが脅すのが悪いのよ……」

意識を保ちなんとか出た声は小さく威勢も無い。
効果が表れ始めたのか、男は顔を真っ赤にし息も荒くなっている、
傍から見れば、もう男は助からないと見える。

「っく、喉が灼け……」

クランキの足元に這いつくばりながら近寄ってくる男、
必死な行動に、裏工作の証拠をこの部屋から処分するつもりだったが、
あまりにも鬼気迫る状況にクランキは逃げ出した。


―――――


「ごきげんよう、クランキ様」

「今宵も綺麗だ、クランキ嬢」

「一緒に飲まないかい、クランキ」


様々な身分の人の言葉をかけられる。
毎夜どこかしらのお屋敷で開かれているパーティー、
深夜まで居れば酔った男どもがアリバイを虚言してくれるだろう。
クランキはグラスを傾けながら男どもに会釈を交わすが、
頭の中は男の部屋にある証拠で、手を下した男の事はすで頭になかった。
近くで始まった、初老の貴族男性が自慢話を聞き流しながら、
男の部屋の証拠物をどう処分するか、思考を働かせる。

従者を向かわせるか―――いや、男みたいに証拠物を利用されるかもしれない。
裏工作を知る者は、実家はおろか従者もおらず、
完全にクランキ一人で巧みに行ってきたのだ。

やっぱり、私の手で処分するしかない―――

「どうだい、クランキ嬢。 一口乗るだろう?」

初老貴族の言葉で、はっとする。
おそらく景気の良い投資話なんだろう、周囲からの視線が集まっている。

「え、ええ。 で、でも今は回せる資金が無いので……」

「まったく、チヨコレト家は何をしているのだ。
 大商家の支援を受けても、起ち直せないとは!」

慌てて言葉を見繕って言葉を繋いだが、
酒が回っているのか、クランキの表情を見誤ったのか話がそれる。

「もう、クランキ嬢が乗っ取ったら、どうだ」

初老貴族が放ったブルジョワジョークで、一斉に周囲が湧き、
クランキも引きつりながらも笑みをこぼす。
普段なら、咄嗟に作り笑いを見繕うが、
疲弊しているのか、それ程の余裕は無かった。

「おや、顔色が優れないようだが――」

「ごめんなさい、少し気分が……」

「それはいけませんな、少々お休みになられた方が」

表情に出て変に周囲の注目を集めるなら、
小部屋を借りて身を休める方が良さそうだ。

「すみません、お部屋をお借りしても」

「そうしなさい、すぐさま部屋を用意させよう」

主が手で仕草をすると、素早くメイドが駆け寄り、
こちらです、と数歩先を歩き私が付いて来る事を確認し、また歩き出す。
大広間を抜け、白大理石の柱が目を引くホールに戻ってきた。
今の時間になっても、来る者がいるらしく大きな門は開かれており、
酔い冷ましや、若い娘とどこぞの貴族男性が話し込んだりしている。
「お部屋は二階になりますが、よろしいでしょうか」
体調を心配して伺うようにメイドが話しかけてくる。
「ええ、大丈夫よ。 案内して頂戴」
そうメイドに言った時、視界の隅、園庭にいた人物が素早く動き出す。
猛然と中腰姿勢でこちらに走ってくる男の手元には、
キラリと白く光る短刀が握られている。
無駄がない動き、そしてこちらを見る、ギラギラとした目をした顔には憶えがある。
先ほどまで、処理を悩ませていた男、そうハッキリ認識すると同時に、強い衝撃が襲った。


~~~~~~~~~~


リビングでお兄様の帰りを待ち、冷めた紅茶を見つめていると、
慌ただしく執事が駆け込んできた。
「ミルク様、大変でございます。
 クランキ様が何者かに襲われたようです」
「なんですって」
思わずソファから立ち上がり、執事に駆け寄る。
いくら嫌な義姉上様でも、こんな時まで苦手とは言ってられない。
「それで、義姉上様は」
「教会医療施設に運ばれた様子ですが、状態のほどは分かりません」
こんな時間だ、緊急で受け入れてくれる施設は教会くらい。
「分かりました。すぐに参ります」

表に出ると馬車が待機してあり、執事に残ってもらい、
2名のメイドと共に、教会医療施設へ向かう。
普段は徒歩でも数分はかかるが、
ランプの僅かな灯りを察そうと駆ける馬車は、あっという間に教会に到着した。
いつもは物静かな夜の教会が、煌々と明るい光が窓から入口扉から漏れ出ている。
周辺の住人が心配そうに見守る中、騒ぎにならないよう別の入口から入った。
すぐに馴染みのシスターが駆け寄ってきて、
義姉上を手当てを受けている病室へと案内してくれた。

「義姉上様――」
ノックもせず、勢いよく扉を開けると同時に室内に呼びかける
「なによ、騒がしい。 ここは病室よ」
部屋の中央に置かれた処置台に座り、
左脚の太ももあたりに真っ白な包帯を巻かれているクランキ義姉上と目が合った。
包帯が巻かれたのが左脚だけで、いつも通りの棘のある言葉で、ほっと胸をなでおろす。
「大丈夫ですか、義姉上様」
「見れば分かるでしょ。 たいした怪我ではないわよ」
と言う義姉上だけど、包帯が痛々しいし、血痕がついているボロボロのドレス、
なにより表情から疲労の色を隠しきれてない。
「なにが、たいした怪我じゃないだ。
 5針も縫うほどの、大怪我なんだぞ」
義姉上の処置を施している壮年の男性医師の言葉に、思わず耳を疑う。
「5針も?! 痛みはないのですか」
「そりゃあ痛いわよ」
よくよく見れば、今巻いたばかりの白い包帯が、薄赤く滲んでいる。
「包帯の交換など経過処置をしなければならないから、
 しばらくは入院してもらう」
「嫌よ、こんな処で過ごすなんて」
暴言を吐きながら、たんっと床に脚をつけ立とうとした瞬間、
「痛っ!!」
と、悲鳴を上げる義姉上に慌てて駆け寄り、
処置台に座り戻るのを手助けする。
「今でも、麻酔で痛みを抑えている。
 明日になれば、もっと痛くなるぞ」
左脚を摩る義姉上をよそに、
カルテを書きながら、どこか面白そうに忠告する医師。
「入院といっても、傷口がふさがるまでの2・3日だ。
 悪い事は言わん、大人しくベットの上で寝てろ」
「一番良い個室なんでしょうね」
「さて、空いていたかな?」
「丁度一室、空いています」っと、後ろに控えていた看護師が表情を変えずに答える。
「そっ、じゃそこに入ってもらうとして――
 言っておくが、
 長年、御支援頂いているチヨコレト家のお嬢様だろうが、特別待遇はできんよ」
ブツブツと文句を言う義姉上をなだめながら、
何度か話したことがある医師に、おそらく義姉上が言ってないだろうお礼を述べる。
「先生、ありがとうございます」
「いえ、医者としの仕事をしたまで。
 なかなか噂通りのお方ですね、ミルクさん」
医師の含みがある言い方にヒヤヒヤしたけど、
当の本人は連れて来たメイドにアレコレと何やら命令している。
「あの、怪我の程度はどうなんでしょうか」
「先ほど言った通り、5針も縫う大怪我です。
 ですが、あのとおり心配はないですよ」
看護師が用意した車椅子に乗り、
まだ命令を飛ばす姿は、いつもの義姉上、その者。
「何故、義姉上様が、あんな大怪我を?」
パーティー会場で襲われた事以外、なにも知らされてない、
なにがあったか一応は知っておきたい。
「それは、後ろに居る騎士団からお聞きになってください。
 それに、あちらさんもお聞きしたい事があるみたいですし」
背後を振り返ると、扉が半分ほど開かれ人の姿が見え隠れしている。
医師の言葉を受けて、入室しても良いと判断したのか、
見るからに武装した騎士団と分かる男性が、略式礼をしながら入室してくる。
「手当ては済みましたか。 少し、お話を伺いたいのですか」


与えられた病室は、広いもののベットの他、
よく手入れされた棚があるだけの質素な空間だった。
やっぱりと言うか、病室の質に不満な義姉上は、
整えられたベットシーツに不機嫌な顔をしながら座っている。
身の回り品などをメイドに取りに行ってもらったので為、
ランプの灯りが揺らめく中、室内には、義姉上と騎士兵と私の三人。
「騎士団所属のカッカオです。 大事に、ならなくてなによりです」
ふん、っと鼻を鳴らし、そっぽを向く義姉上の代わりに、
私がペコペコと恐縮する。
そんな状況に苦笑しながら、事の次第を話し始めたカッカオ。
「目撃者の話をまとめると――
 パーティーに訪れていたクランキ嬢が体調不良の為、
 ゲストルームへ向かう途中に玄関ホールへと出ました。
 その時、突如、短刀を構えた男が現れ、
 クランキ嬢へと一直線に突進――
 異変に気付いた衛兵の一人がクランキ嬢を助けようと、
 間近に迫った男を制止、また間に合わないと判断したようで、
 2人の間に入るように体当たりをしました。
 それにより、3人は地面に投げ出され、
 それでもクランキ嬢に短刀を向ける男に衛兵が立ち向かい、
 後続の衛兵も駆け付け、抵抗する男を取り押さえました。
 衛兵の体当たり、その行動の良い悪いは判断できません。
 その結果、
 クランキ嬢は、左脚を5針を縫う大怪我。
 衛兵も、腕や腹など数針縫う怪我。
 男は、取り押さえた時は生きていたのですが、
 その後しばらくして、息を引き取りました」
「死んだ?!」
突如、大きな声を発した義姉上、驚きの表情が浮かべ、
その反応を見たカッカオは目を細めた。
「やはり、男とは知り会いでしたか」
「――― いえ、そんな事は……何故?」
変な間をおき、低い声で否定した。
「クランキ嬢、襲ってきた男に見覚えは?」
「………  暗くて、一瞬だったから、分からないわ」
「まぁ、そういう状況ですし、無理もないと思います。
 ただ一応は、身元の確認はしないといけないので」
少し落胆の色を一瞬示したけど、
「いえ、『クランキ、クランキ』と息を引き取るまで、
 何度も叫んでいた様なので、顔見知りの可能性も――」
「知らないわよ!!」
言葉途中で、大きな声で話を断ち切った。
直後、乱暴に病室の扉が開き、ビターお兄様が転げ落ちる様に入って来た。
「ク、クランキ、 どうしたんだ?」

乱れた服装を見れば急いで駆けつけたのがわかる、
それから頭を素早く動かし室内を見渡す。
わりと元気そうな義姉上を見たのか、
妹である私と目が合ったのか、あからさまにホッと胸を撫で下ろした。
「兄妹揃って、騒がしく入って来るわね。
 仮にも貴族なら、少しくらい冷静になりなさいよ」
自身の為に急いで駆け付けたこんな時でも、
夫であるビターお兄様に冷たい目と言葉でお迎えした。
「いや、大きな声がしたから……」
「こいつが、しつこいのよ」
顎で部屋の隅を示すと、
「では、何かありましたら、ご連絡ください」
最後まで冷静な態度を崩さず、頭を下げ退室していった。
お兄様に椅子を用意し、とにかく座ってもらう。
「その、まぁ、大丈夫そうだね」
「これのどこが、大丈夫に見えるの。
 5針も縫って、動かすのも苦痛なのよ」
先ほどの強気の姿勢は一変、すっかり怪我人の装いになっている義姉上、
だけど発する言葉だけは、先ほどと変わらない。
「そ、そうか、痛かっただろう、災難だったね」
義姉上の機嫌をすぐさま読み取って、
調子を合わせ、労り、いかに大変だったかを取り上げるお兄様。
義姉上の話に耳を傾ければ、一応の機嫌は取れるので、
扱いやすいと云えば扱いやすいのだけど、心労が溜まる。
「―― ビター、暫くは会社の方は任せましたわ。
 私が不在だからといって、手を抜くんじゃないわよ!
言葉こそ厳しいけど、
言いたい事を一方的に喋り倒した義姉上は、どこか上機嫌になっている。
この機を逃すまいと、お兄様と目配せをし退避するタイミングを計る。
「今日は、もういいわ」
義姉上の方から、切り出してくれる。
相当、機嫌が良いみたい――
『――ちょっと、ミルクさんと話があるの、二人だけにしてくださる』

~~~~~~~~~~

心配顔のビターが出て行くと、それ以上に顔が強張っている義妹。
どうしても、確認したい事がある、
が、どう切り出せばイイのか判断がつかない。
「あの――義姉上様……」
みるみる内に、義妹が落ち着かない様子になっていく。
「えっとね―― 今日、行商が来てたでしょう」
思ってもない問いかけに、一瞬、ポカンとした表情から困惑している。
「はい、お昼過ぎに来ましたけど。 それが、なにか?」
「最後に、行商人から"イチコロ"なるモノを置いていったわね」
とうとう言葉に出してしまった、またしても義妹が慌てふためく。
「えっ?! それは、その――」
「この際、聞くけど。 アレはなんだったの?」
危うく私の方が、命を落とすところだった。
"イチコロ"なんだから、即効性があるのじゃないのか?
「あれ――その――媚薬です……」
俯き消えそうな声――って媚薬?!
「サシャさん、行商人の人ですけど……
 私があまりにも奥手なんで、媚薬でもって――」
呆然としている私に気づき、義妹も何かに気づいた。
「まさか、義姉上様。 あの薬を?!」
「……」
沈黙の間。
「――疲れたわ」
「また、明日来ます」
軽く頭を下げ、静かに義妹は出て行った。
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