11 / 14
雪の小京都
2
しおりを挟む
その後、私たちはカフェに入った。
一言も口を利かずにここまで来たけれど、テーブルで向き合い、コーヒーが運ばれてきてすぐ、私は返事をしていた。
「実は……私も、掛井さんが好きです。一年前から、ずっと」
永遠に言えないと思っていた。
しかし私は、自分でもびっくりするくらい簡単に跳び越えることができた。それはたぶん、彼がきっかけを与えてくれたから。
「うん。なんとなく、分かっていました」
「そうなんですか。分かって……」
えっ? と、彼の目を見返す。優しく、包み込むような眼差しで私を見守っている。
「え、どうして……だって、私はぜんぜん、アプローチもしなかったのに」
「ああ。でもそれは、僕もだけど……」
「むしろ、冷たかったと思います。安田さんがあなたのことをからかったり、意地悪を言っても、見てるだけで」
「安田さん?」
意外な名前が出た、という表情。
「そんなこと、気にしてたんですか?」
「は、はい。だって、あの人はいつもひどくて……昨日も、プライベートなことをしつこく訊いたり、車のこともぼろくそに言ってましたよね。それなのに、私はろくにフォローもできなかった。掛井さんのことを、す、好きなくせに……」
掛井さんがまぶしそうに目を細める。
私はいたたまれず、下を向いた。
「夏目さん。僕はこう見えて、あんがい図太いんです。安田さんに何を言われようと傷ついたりしません。いや、彼女についてはむしろ、信頼できる人だと思ってるくらいで」
「信頼……ど、どうしてですか?」
納得できない私に、彼はいつもと変わらぬ穏やかな口調で答えた。
「あの人は嘘がつけないだけです。車のことも、正直な感想を言ったまででしょう。腹の中でぼろくそに貶すより、いいと思いませんか?」
「は、はあ……でも、掛井さんの大切な車を、悪く言うなんて」
「大丈夫、気にしてませんよ。僕の車だから、僕が価値を分かっていればいいんです」
なんという懐の深さ。私は自分自身が、ちょっとしたことで腹を立てる小さな人間に思えてきた。
「それに、安田さんは細やかな気配りができる人です」
「気配り、ですか?」
細やかとはほど遠いタイプだと思うが、掛井さんは真面目である。
「んー、例えば……そうだ。昨日、夏目さんがお茶を淹れてくれましたよね」
「あ、はい。掛井さんから和菓子をいただいた時に」
「他の人は先に和菓子を食べ始めたけど、安田さんは、夏目さんが戻ってくるまで待っていました。どうしてだと思います?」
「それは、お茶が来てから食べようとしたのでは……」
掛井さんは首をゆるゆると振った。
「お茶ではなく、お茶を淹れてくれる夏目さんを待っていたのです。でも、それを他の人に強制することはない。あの人は、そういう人なんですよ」
「ええ……?」
目からウロコだった。てっきり、お茶が来ないとお菓子を食べない人だと思っていた。
「知らなかった。どうして掛井さんにはそれが分かるんですか?」
「彼女とは長い付き合いなので。あと、安田さんに限らず、僕は相手のいいところを見るようにしています。そうすると、自然と好意的に接するようになって、良い関係が生まれたりしますね」
「なるほど」
掛井さんは、ただ人当たりが良いのではなく、工夫しているのだ。
「でもまあ、どうしてもダメな相手もいます。そんな時は距離を置くか、仕事と割り切るかどっちかかな」
「さすがの掛井さんも、仏様のようにはいかないと」
「そういうこと」
彼が朗らかに笑い、コーヒーを飲む。なんだかソワソワしてきた。ますます好きになってしまいそうで、落ち着かない。
「ところで、さっきの話ですが」
「あ、は、はいっ」
掛井さんがカップを置いて、少し前のめりになった。ソワソワする私に、正面から迫ってくる。
「僕は、夏目さんの気持ちをなんとなく分かっていました。でも、告白するとかデートに誘うとか、簡単にできなかったんです。万が一勘違いだったら、気まずい思いをさせてしまうから」
「そ、そう、ですよね」
彼にとって、私は得意先の社員である。告白のリスクは高いかもしれない。
一言も口を利かずにここまで来たけれど、テーブルで向き合い、コーヒーが運ばれてきてすぐ、私は返事をしていた。
「実は……私も、掛井さんが好きです。一年前から、ずっと」
永遠に言えないと思っていた。
しかし私は、自分でもびっくりするくらい簡単に跳び越えることができた。それはたぶん、彼がきっかけを与えてくれたから。
「うん。なんとなく、分かっていました」
「そうなんですか。分かって……」
えっ? と、彼の目を見返す。優しく、包み込むような眼差しで私を見守っている。
「え、どうして……だって、私はぜんぜん、アプローチもしなかったのに」
「ああ。でもそれは、僕もだけど……」
「むしろ、冷たかったと思います。安田さんがあなたのことをからかったり、意地悪を言っても、見てるだけで」
「安田さん?」
意外な名前が出た、という表情。
「そんなこと、気にしてたんですか?」
「は、はい。だって、あの人はいつもひどくて……昨日も、プライベートなことをしつこく訊いたり、車のこともぼろくそに言ってましたよね。それなのに、私はろくにフォローもできなかった。掛井さんのことを、す、好きなくせに……」
掛井さんがまぶしそうに目を細める。
私はいたたまれず、下を向いた。
「夏目さん。僕はこう見えて、あんがい図太いんです。安田さんに何を言われようと傷ついたりしません。いや、彼女についてはむしろ、信頼できる人だと思ってるくらいで」
「信頼……ど、どうしてですか?」
納得できない私に、彼はいつもと変わらぬ穏やかな口調で答えた。
「あの人は嘘がつけないだけです。車のことも、正直な感想を言ったまででしょう。腹の中でぼろくそに貶すより、いいと思いませんか?」
「は、はあ……でも、掛井さんの大切な車を、悪く言うなんて」
「大丈夫、気にしてませんよ。僕の車だから、僕が価値を分かっていればいいんです」
なんという懐の深さ。私は自分自身が、ちょっとしたことで腹を立てる小さな人間に思えてきた。
「それに、安田さんは細やかな気配りができる人です」
「気配り、ですか?」
細やかとはほど遠いタイプだと思うが、掛井さんは真面目である。
「んー、例えば……そうだ。昨日、夏目さんがお茶を淹れてくれましたよね」
「あ、はい。掛井さんから和菓子をいただいた時に」
「他の人は先に和菓子を食べ始めたけど、安田さんは、夏目さんが戻ってくるまで待っていました。どうしてだと思います?」
「それは、お茶が来てから食べようとしたのでは……」
掛井さんは首をゆるゆると振った。
「お茶ではなく、お茶を淹れてくれる夏目さんを待っていたのです。でも、それを他の人に強制することはない。あの人は、そういう人なんですよ」
「ええ……?」
目からウロコだった。てっきり、お茶が来ないとお菓子を食べない人だと思っていた。
「知らなかった。どうして掛井さんにはそれが分かるんですか?」
「彼女とは長い付き合いなので。あと、安田さんに限らず、僕は相手のいいところを見るようにしています。そうすると、自然と好意的に接するようになって、良い関係が生まれたりしますね」
「なるほど」
掛井さんは、ただ人当たりが良いのではなく、工夫しているのだ。
「でもまあ、どうしてもダメな相手もいます。そんな時は距離を置くか、仕事と割り切るかどっちかかな」
「さすがの掛井さんも、仏様のようにはいかないと」
「そういうこと」
彼が朗らかに笑い、コーヒーを飲む。なんだかソワソワしてきた。ますます好きになってしまいそうで、落ち着かない。
「ところで、さっきの話ですが」
「あ、は、はいっ」
掛井さんがカップを置いて、少し前のめりになった。ソワソワする私に、正面から迫ってくる。
「僕は、夏目さんの気持ちをなんとなく分かっていました。でも、告白するとかデートに誘うとか、簡単にできなかったんです。万が一勘違いだったら、気まずい思いをさせてしまうから」
「そ、そう、ですよね」
彼にとって、私は得意先の社員である。告白のリスクは高いかもしれない。
0
あなたにおすすめの小説
フローライト
藤谷 郁
恋愛
彩子(さいこ)は恋愛経験のない24歳。
ある日、友人の婚約話をきっかけに自分の未来を考えるようになる。
結婚するのか、それとも独身で過ごすのか?
「……そもそも私に、恋愛なんてできるのかな」
そんな時、伯母が見合い話を持ってきた。
写真を見れば、スーツを着た青年が、穏やかに微笑んでいる。
「趣味はこうぶつ?」
釣書を見ながら迷う彩子だが、不思議と、その青年には会いたいと思うのだった…
※他サイトにも掲載
雪の日に
藤谷 郁
恋愛
私には許嫁がいる。
親同士の約束で、生まれる前から決まっていた結婚相手。
大学卒業を控えた冬。
私は彼に会うため、雪の金沢へと旅立つ――
※作品の初出は2014年(平成26年)。鉄道・駅などの描写は当時のものです。
ソツのない彼氏とスキのない彼女
吉野 那生
恋愛
特別目立つ訳ではない。
どちらかといえば地味だし、バリキャリという風でもない。
だけど…何故か気になってしまう。
気がつくと、彼女の姿を目で追っている。
***
社内でも知らない者はいないという程、有名な彼。
爽やかな見た目、人懐っこく相手の懐にスルリと入り込む手腕。
そして、華やかな噂。
あまり得意なタイプではない。
どちらかといえば敬遠するタイプなのに…。
聖なる告白
藤谷 郁
恋愛
同期の彼は、ただの友人。
私はアウトドア派、彼はたぶんインドア派。
趣味も合わないだろうし、プライベートに踏み込むことはなかった。
でも、違っていたのだ……
「神様、不純な私をお許しください!」
※他サイトにも掲載します
先生
藤谷 郁
恋愛
薫は28歳の会社員。
町の絵画教室で、穏やかで優しい先生と出会い、恋をした。
ひとまわりも年上の島先生。独身で、恋人もいないと噂されている。
だけど薫は恋愛初心者。
どうすればいいのかわからなくて……
※他サイトに掲載した過去作品を転載(全年齢向けに改稿)
工場夜景
藤谷 郁
恋愛
結婚相談所で出会った彼は、港の製鉄所で働く年下の青年。年齢も年収も関係なく、顔立ちだけで選んだ相手だった――仕事一筋の堅物女、松平未樹。彼女は32歳の冬、初めての恋を経験する。
優しい彼
霧内杳/眼鏡のさきっぽ
恋愛
私の彼は優しい。
……うん、優しいのだ。
王子様のように優しげな風貌。
社内では王子様で通っている。
風貌だけじゃなく、性格も優しいから。
私にだって、いつも優しい。
男とふたりで飲みに行くっていっても、「行っておいで」だし。
私に怒ったことなんて一度もない。
でもその優しさは。
……無関心の裏返しじゃないのかな。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる