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許嫁
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兼六園に行きませんか――と、彼は言った。
私は「はい」と返事をした。
その日、スマートフォンを新機種に換えたばかりだった。彼の声が近くに聞こえるのは、そのせいかなと思った。
『昨夜からこちらは雪降りです。新雪がとてもきれいですよ』
「そうなんですか。それは楽しみです」
『明日、駅に迎えに行きます。電車の時間がわかったら教えてください』
通話を終えて、スマートフォンを見つめる。
耳に、彼の熱が残っていた。
彼、諏訪東吾は、私、石沢雪の許嫁。
親同士の約束で、生まれる前から決まっていた結婚相手だ。
今どき珍しい話だと思う。
私の父と、東吾さんの父――諏訪さんは金沢の大学で出会い、同じ運動クラブに在籍し、無二の親友になった。諏訪さんは地元の人で、父は東京人。卒業式を終えて、父が金沢を離れる日、駅のホームには雪が降りしきっていたという。いつまでも別れがたい二人は約束を交わした。
お互い結婚して子供が生まれたら、その子達を結婚させよう。もちろん、最終的には子供達の気持ちを尊重する。それまでは、将来の結婚相手として、互いの近況を報せ合おう。
なんと勝手な約束だろう。
『最終的には子供達の気持ちを尊重する』という補足が、多少気楽にしてはくれたが。それにしても、男の友情もそこまでいくと愛情に近いのではないかと、妙なことを考えてしまう。
諏訪さんは大学を卒業後ほどなく結婚したが、私の父が結婚したのはかなり後。二人はそれぞれ一人ずつ子供をもうけたが、年齢は離れることになる。
東吾さんは現在三十歳。私は二月生まれなので、年が明けたらすぐ二十二歳になる。
つまり、年の差は八つ。今はさほど感じないけれど、子供の頃はずっとずっと年上に感じられた。そう、まるで大人と子供だった。
そんなわけで、私は物心つく前から、東吾さんのことを父から聞かされている。諏訪さんから定期的に送られてくる東吾さんの写真や近況報告の手紙を、「見ろ見ろ」と押し付けてくるのだ。
母は呆れていたが、「お父さんの楽しみだから、付き合ってあげて」と、すまなそうに言うのみ。母は父に甘いのだった。
私が幼稚園に入園した頃、東吾さんは小学六年生。小学校入学で、彼は中学三年生。中学校入学で、彼は大学三年生。当然のことながら、差は縮まらない。
彼に興味が持てず、特に思春期の頃は手紙も写真もろくに見ようともせず、放置していた。一方、どこか遠くの町に住む、八つも年上の『イイナズケ』には、私の写真や近況報告も送り付けられていた。そんなふうに、親友との約束を叶えたくて必死の父だが、実際に私と東吾さんを会わせようとはしなかった。
気乗りしない私に無理に会わせて、決定的に嫌! ということになったらお終いだから。と、それが会わせない理由だと考えていた。
それは半分正解で、半分は不正解だった。
本当のところは、東吾さんが「会わない」と言っていたのだ。そのことを知ったのは、父が諏訪さんに電話するのを立ち聞きした時。私は当時高校三年生で、思春期は既に通り過ぎ、大人の季節に差し掛かっていた。勝手だけれど、少しショックだった。
諏訪東吾さんは、私のことをどう思っているのだろう――
そんなことが気になり始めたのは、まだ最近のこと。大学生活も半分が過ぎた、ある冬の日。
諏訪さんから相変わらず送られてくる手紙は、東吾さんが地元の企業に就職して六年、まじめに働いて給料も順調に上がっている。というような内容がほとんどだった。
写真の彼はスーツ姿や、職場の野球チームに入っているのでユニフォーム姿が多い。
中学・高校の頃、彼は坊主頭だった。年中日に焼けて色黒だったけれど、いつの間にか落ち着いた肌色になり、髪も適度に伸びて、かえって若々しい印象だ。意外に背が高かったのだなと、野球仲間と肩を組む写真を見て思ったりした。
二十歳と二十八歳。彼との年齢が一気に近づいた気がした。
きっかけは、小雪舞う日に届いた一枚の絵はがき。
成人式を終えた私は、夕方からの同窓会に出席するので、着物から洋服に着替えるため家に帰った。すると、父が玄関先までどたばたと走ってきて、物も言わずにそれを手渡したのだ。
絵はがきには、諏訪東吾さんから私へ、成人式を迎えたことへのお祝いが綴られていた。初めて彼から受け取る、肉筆のメッセージだった。丁寧で力強く、男の人らしい筆跡に、私は何度も目を往復させた。特別何ということもない、儀礼的なメッセージ。それなのに、嬉しいと思う。
横でじっと見ている父から隠すように、絵はがきを着物の袂に入れた。
『朝に撮った振袖姿の写真、東吾君に送っておくぞ』
父の声に、私は素直に頷いていた。
母に手伝ってもらいながら洋服に着替え、自分の部屋で一人きりになって、あらためて絵はがきを眺めた。成人を祝う言葉は儀礼的だけれど、文字には素朴さと温かみが感じられる。
いや、もっと温度の高いなにか……熱のようなものが、私の心に伝わってきた。
絵はがきの写真は、庭園の雪景色だった。右下に、『兼六園』という文字が印刷されている。
灯籠と、池と、雪吊り。雪の重みで木が折れないように縄を結ぶ雪吊りは、テレビニュースで見たことがある。雪の降りしきるなか、松の木を守る白い糸はとてもきれいで、暫し見惚れた。
私は迷ったけれど、お礼の返事を書くことにした。こちらからも初めて送る、肉筆のメッセージだ。
私は「はい」と返事をした。
その日、スマートフォンを新機種に換えたばかりだった。彼の声が近くに聞こえるのは、そのせいかなと思った。
『昨夜からこちらは雪降りです。新雪がとてもきれいですよ』
「そうなんですか。それは楽しみです」
『明日、駅に迎えに行きます。電車の時間がわかったら教えてください』
通話を終えて、スマートフォンを見つめる。
耳に、彼の熱が残っていた。
彼、諏訪東吾は、私、石沢雪の許嫁。
親同士の約束で、生まれる前から決まっていた結婚相手だ。
今どき珍しい話だと思う。
私の父と、東吾さんの父――諏訪さんは金沢の大学で出会い、同じ運動クラブに在籍し、無二の親友になった。諏訪さんは地元の人で、父は東京人。卒業式を終えて、父が金沢を離れる日、駅のホームには雪が降りしきっていたという。いつまでも別れがたい二人は約束を交わした。
お互い結婚して子供が生まれたら、その子達を結婚させよう。もちろん、最終的には子供達の気持ちを尊重する。それまでは、将来の結婚相手として、互いの近況を報せ合おう。
なんと勝手な約束だろう。
『最終的には子供達の気持ちを尊重する』という補足が、多少気楽にしてはくれたが。それにしても、男の友情もそこまでいくと愛情に近いのではないかと、妙なことを考えてしまう。
諏訪さんは大学を卒業後ほどなく結婚したが、私の父が結婚したのはかなり後。二人はそれぞれ一人ずつ子供をもうけたが、年齢は離れることになる。
東吾さんは現在三十歳。私は二月生まれなので、年が明けたらすぐ二十二歳になる。
つまり、年の差は八つ。今はさほど感じないけれど、子供の頃はずっとずっと年上に感じられた。そう、まるで大人と子供だった。
そんなわけで、私は物心つく前から、東吾さんのことを父から聞かされている。諏訪さんから定期的に送られてくる東吾さんの写真や近況報告の手紙を、「見ろ見ろ」と押し付けてくるのだ。
母は呆れていたが、「お父さんの楽しみだから、付き合ってあげて」と、すまなそうに言うのみ。母は父に甘いのだった。
私が幼稚園に入園した頃、東吾さんは小学六年生。小学校入学で、彼は中学三年生。中学校入学で、彼は大学三年生。当然のことながら、差は縮まらない。
彼に興味が持てず、特に思春期の頃は手紙も写真もろくに見ようともせず、放置していた。一方、どこか遠くの町に住む、八つも年上の『イイナズケ』には、私の写真や近況報告も送り付けられていた。そんなふうに、親友との約束を叶えたくて必死の父だが、実際に私と東吾さんを会わせようとはしなかった。
気乗りしない私に無理に会わせて、決定的に嫌! ということになったらお終いだから。と、それが会わせない理由だと考えていた。
それは半分正解で、半分は不正解だった。
本当のところは、東吾さんが「会わない」と言っていたのだ。そのことを知ったのは、父が諏訪さんに電話するのを立ち聞きした時。私は当時高校三年生で、思春期は既に通り過ぎ、大人の季節に差し掛かっていた。勝手だけれど、少しショックだった。
諏訪東吾さんは、私のことをどう思っているのだろう――
そんなことが気になり始めたのは、まだ最近のこと。大学生活も半分が過ぎた、ある冬の日。
諏訪さんから相変わらず送られてくる手紙は、東吾さんが地元の企業に就職して六年、まじめに働いて給料も順調に上がっている。というような内容がほとんどだった。
写真の彼はスーツ姿や、職場の野球チームに入っているのでユニフォーム姿が多い。
中学・高校の頃、彼は坊主頭だった。年中日に焼けて色黒だったけれど、いつの間にか落ち着いた肌色になり、髪も適度に伸びて、かえって若々しい印象だ。意外に背が高かったのだなと、野球仲間と肩を組む写真を見て思ったりした。
二十歳と二十八歳。彼との年齢が一気に近づいた気がした。
きっかけは、小雪舞う日に届いた一枚の絵はがき。
成人式を終えた私は、夕方からの同窓会に出席するので、着物から洋服に着替えるため家に帰った。すると、父が玄関先までどたばたと走ってきて、物も言わずにそれを手渡したのだ。
絵はがきには、諏訪東吾さんから私へ、成人式を迎えたことへのお祝いが綴られていた。初めて彼から受け取る、肉筆のメッセージだった。丁寧で力強く、男の人らしい筆跡に、私は何度も目を往復させた。特別何ということもない、儀礼的なメッセージ。それなのに、嬉しいと思う。
横でじっと見ている父から隠すように、絵はがきを着物の袂に入れた。
『朝に撮った振袖姿の写真、東吾君に送っておくぞ』
父の声に、私は素直に頷いていた。
母に手伝ってもらいながら洋服に着替え、自分の部屋で一人きりになって、あらためて絵はがきを眺めた。成人を祝う言葉は儀礼的だけれど、文字には素朴さと温かみが感じられる。
いや、もっと温度の高いなにか……熱のようなものが、私の心に伝わってきた。
絵はがきの写真は、庭園の雪景色だった。右下に、『兼六園』という文字が印刷されている。
灯籠と、池と、雪吊り。雪の重みで木が折れないように縄を結ぶ雪吊りは、テレビニュースで見たことがある。雪の降りしきるなか、松の木を守る白い糸はとてもきれいで、暫し見惚れた。
私は迷ったけれど、お礼の返事を書くことにした。こちらからも初めて送る、肉筆のメッセージだ。
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