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プロポーズ
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1月10日土曜日――午後2時30分
その時、アクセサリー工房『コレー』の前オーナー甲斐文治は、工房の留守番をしていた。美那子は資材調達のため不在である。
会員にアクセサリー加工のアドバイスをするところに、電話の着信音が割り込んだ。
「おや、誰からだろう?」
エプロンのポケットから取り出したのは、美那子に持たされている端末だ。11桁の電話番号が表示されている。
普段はどこからもかかってこないのに、珍しい。文治は首を傾げながら応答した。
「もしもし、こちら甲斐ですが」
『先生、お久しぶりです。原田です』
文治はハッとして、顔を上げる。
「原田……原田良樹君か!」
思わず椅子を立った。
文治らしくもない興奮した様子に、会員らが不思議そうに注目する。
「おお、何とまあ久しぶりだ。元気だったかね」
『はい、おかげ様で。先生もお元気そうで安心しました』
「ああ、私は相変わらずだよ。いや、本当に久しぶりだなあ」
文治は原田のことを、子どもの頃からよく知っている。すっかり落ち着いた大人の声に感激し、彼が目の前にいるかのように、一人で何度も頷いた。
『先生の年賀状に電話番号が書かれていたのでこちらにかけましたが、今、大丈夫でしょうか』
「もちろん、いいとも。それより電話をくれて嬉しいよ。君もすっかり大人になって」
『とんでもない。まだまだ半人前ですよ』
「ははは……そう思うのは本人だけだ、私にはわかる。いやそれにしても」
文治はそこで一旦言葉を詰まらせる。原田から連絡があったら、まず言わなければと決めていた、それを思い出したのだ。
「あの時は本当に済まなかった、本当に」
『もうよして下さい。俺は何とも思っていません』
「しかし」
『先生』
原田の気性は変っていない。文治を助けてくれた、それは彼らしい男気だ。
「わかった。よし、もう言うまい」
電話の向こうで、ホッとした気配がある。文治もようやく落ち着き、椅子に腰を下ろした。
「それはそうと、どうして私に電話を?」
『はい、実は……すごく急なお願いで申しわけないのですが、アクセサリーをひとつ作っていただきたいのです』
「アクセサリー?」
文治はピンときた。原田が少年だった頃の、はにかんだ表情がまぶたに浮かぶ。
「ほう、そうだったのか。それは素晴らしい。おめでとう、原田君」
文治は心から嬉しかった。あれからずっと、心配していたのだ。
『いや、まだそんな段階では……まあ、いずれお話ししますが」
「そうかそうか。それで、どんなものをご所望かな」
『2月の誕生石で、ペンダントヘッドを作ってもらいたいのです』
「2月というとアメシストだな。いいよ。いつまでに?」
『明日、彼女に渡したいんです』
原田少年はせっかちだった。それを踏まえても、文治は驚いてしまう。
「明日! そりゃまた急な話だな」
『すみません』
「ああ、いやいや大丈夫。ただし、石も台座も雛形のあるシンプルなデザインになるが、いいかね」
『ええ、構いません。甲斐先生の細工なら俺はそれだけで満足です』
「あっはは……高く買ってもらってありがとう」
『よろしくお願いします』
礼儀正しい申し出に微笑みながら、文治はメモを取る用意をした。
「それでは、作品のコンセプトを決めたいんで、ひとつだけ訊いておきたい。どんなイメージの娘さんかな」
『そうですね……年は25で、その、可愛い人です。純粋で、まだ少女みたいなところがある女性で」
「ほう、それじゃあ君と同じだな」
『えっ?』
「君も少年のようなところが残っとる」
『俺が……そうですか? でも今、大人になったって言われたばかりなのに』
「ああ、大人になった。でもこうして話していると、やっぱり君は純粋だ。変わらなくていい、そこが君の素晴らしいところだ」
『は、はい。ありがとうございます』
可愛い・純粋・25歳――
文治はメモ用紙に走り書きして、ポケットにしまった。
『明日の朝、取りに窺います』
「うむ……しかし家に来ると、あいつと鉢合わせるかも知れんぞ」
『もう昔の話です。平気ですよ』
原田の言い方から無理は感じられない。もう大丈夫なのだと信じられる、確かな響きがあった。
「そうか。では、朝の5時には起きとるから、いつでも来なさい」
『良かった。ありがとうございます』
文治は電話を持ち直し、話の向きを変えた。
「空手の方は、がんばっとるかね」
『ええ。実は今、寒稽古の帰りなんです』
「そうか、偉いぞ」
『先生にいただいた空手着も、ちゃんと着てますよ」
「そうかそうか。嬉しいねえ。あ、ご両親はお元気でお過ごしかな」
『ええ、二人ともピンピンしてます。人生を楽しんでるって感じで』
「それは良かった。いや、本当に良かった」
文治は会員らの視線に気付き、老眼鏡を外して瞼を拭った。
「よし、頼まれたものは心をこめて作らせてもらう。明日の朝、君に会えるのを楽しみにしてるよ」
電話を切ると満足そうに微笑み、かつてオーナーだった頃のように気合を入れた。
その時、アクセサリー工房『コレー』の前オーナー甲斐文治は、工房の留守番をしていた。美那子は資材調達のため不在である。
会員にアクセサリー加工のアドバイスをするところに、電話の着信音が割り込んだ。
「おや、誰からだろう?」
エプロンのポケットから取り出したのは、美那子に持たされている端末だ。11桁の電話番号が表示されている。
普段はどこからもかかってこないのに、珍しい。文治は首を傾げながら応答した。
「もしもし、こちら甲斐ですが」
『先生、お久しぶりです。原田です』
文治はハッとして、顔を上げる。
「原田……原田良樹君か!」
思わず椅子を立った。
文治らしくもない興奮した様子に、会員らが不思議そうに注目する。
「おお、何とまあ久しぶりだ。元気だったかね」
『はい、おかげ様で。先生もお元気そうで安心しました』
「ああ、私は相変わらずだよ。いや、本当に久しぶりだなあ」
文治は原田のことを、子どもの頃からよく知っている。すっかり落ち着いた大人の声に感激し、彼が目の前にいるかのように、一人で何度も頷いた。
『先生の年賀状に電話番号が書かれていたのでこちらにかけましたが、今、大丈夫でしょうか』
「もちろん、いいとも。それより電話をくれて嬉しいよ。君もすっかり大人になって」
『とんでもない。まだまだ半人前ですよ』
「ははは……そう思うのは本人だけだ、私にはわかる。いやそれにしても」
文治はそこで一旦言葉を詰まらせる。原田から連絡があったら、まず言わなければと決めていた、それを思い出したのだ。
「あの時は本当に済まなかった、本当に」
『もうよして下さい。俺は何とも思っていません』
「しかし」
『先生』
原田の気性は変っていない。文治を助けてくれた、それは彼らしい男気だ。
「わかった。よし、もう言うまい」
電話の向こうで、ホッとした気配がある。文治もようやく落ち着き、椅子に腰を下ろした。
「それはそうと、どうして私に電話を?」
『はい、実は……すごく急なお願いで申しわけないのですが、アクセサリーをひとつ作っていただきたいのです』
「アクセサリー?」
文治はピンときた。原田が少年だった頃の、はにかんだ表情がまぶたに浮かぶ。
「ほう、そうだったのか。それは素晴らしい。おめでとう、原田君」
文治は心から嬉しかった。あれからずっと、心配していたのだ。
『いや、まだそんな段階では……まあ、いずれお話ししますが」
「そうかそうか。それで、どんなものをご所望かな」
『2月の誕生石で、ペンダントヘッドを作ってもらいたいのです』
「2月というとアメシストだな。いいよ。いつまでに?」
『明日、彼女に渡したいんです』
原田少年はせっかちだった。それを踏まえても、文治は驚いてしまう。
「明日! そりゃまた急な話だな」
『すみません』
「ああ、いやいや大丈夫。ただし、石も台座も雛形のあるシンプルなデザインになるが、いいかね」
『ええ、構いません。甲斐先生の細工なら俺はそれだけで満足です』
「あっはは……高く買ってもらってありがとう」
『よろしくお願いします』
礼儀正しい申し出に微笑みながら、文治はメモを取る用意をした。
「それでは、作品のコンセプトを決めたいんで、ひとつだけ訊いておきたい。どんなイメージの娘さんかな」
『そうですね……年は25で、その、可愛い人です。純粋で、まだ少女みたいなところがある女性で」
「ほう、それじゃあ君と同じだな」
『えっ?』
「君も少年のようなところが残っとる」
『俺が……そうですか? でも今、大人になったって言われたばかりなのに』
「ああ、大人になった。でもこうして話していると、やっぱり君は純粋だ。変わらなくていい、そこが君の素晴らしいところだ」
『は、はい。ありがとうございます』
可愛い・純粋・25歳――
文治はメモ用紙に走り書きして、ポケットにしまった。
『明日の朝、取りに窺います』
「うむ……しかし家に来ると、あいつと鉢合わせるかも知れんぞ」
『もう昔の話です。平気ですよ』
原田の言い方から無理は感じられない。もう大丈夫なのだと信じられる、確かな響きがあった。
「そうか。では、朝の5時には起きとるから、いつでも来なさい」
『良かった。ありがとうございます』
文治は電話を持ち直し、話の向きを変えた。
「空手の方は、がんばっとるかね」
『ええ。実は今、寒稽古の帰りなんです』
「そうか、偉いぞ」
『先生にいただいた空手着も、ちゃんと着てますよ」
「そうかそうか。嬉しいねえ。あ、ご両親はお元気でお過ごしかな」
『ええ、二人ともピンピンしてます。人生を楽しんでるって感じで』
「それは良かった。いや、本当に良かった」
文治は会員らの視線に気付き、老眼鏡を外して瞼を拭った。
「よし、頼まれたものは心をこめて作らせてもらう。明日の朝、君に会えるのを楽しみにしてるよ」
電話を切ると満足そうに微笑み、かつてオーナーだった頃のように気合を入れた。
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